一人で書いているけれど……こんな乱文も僅かながら人の目に晒される事もある。
すると僕は『カネさえあれば幸せになる!!』などとは書かない……。
無意識にオブラートに包んだり、少し欲の量を減じた人間を演じているかも知れない。
ホントの一人で何の縛りもない時に思う『おカネのこと』こそが僕の本性…?
となれば……甚だ心許なくなる。
自分は何時も揺れ動く理性の持ち主だと白状せざるを得ないレベルの人間だと思う……。
あるコラムを読んでいると……確かにモノ・カネの量と幸福度は比例関係にあるんだそうな。
んじゃ?……モノ・カネが無尽蔵に増えていけば、幸福度もまた無尽蔵に大きくなるの?といえばそうじゃないんだとあった。
ある海外の大学教授の研究によると……人間の幸福度は…年収800万円を超えた辺りで急に鈍化するんだそうな?
すると……おカネはとても魅力的な存在だけど『幸福を保証するものじゃない』って事になる。
カネを得る為に頑張る。活動するけれど例えそれが実を結んで得るカネが増えてもその先に幸福が保証されていないって事なのである。
そのコラムは仏教関係の方が書かれていたから
俗物の僕でも納得したエッセンス部分を要約すると『得る事では幸せになれない』って事だった。
『与える事』によって人は幸福感を味わえる。
瀬戸内寂聴さんの文章で……自分が欲しくてたまらなかった名声とカネと発表の場という三つ。
それが全て揃ったら……自分は世間に認知され、毎日銀座で望むものを食べさせて貰い、書きたいものを書き発表させて貰った。すると自分は死にたくなったのですとあった……。
マンションの八階のベランダから毎日飛び降りることばかり考えるようになった……だから出家したのだという体験を書かれていた。
『得る事ばかり』の虚しさなんだろうなぁ?
出家後の彼女は日々人々に……安堵や知恵を与え続けた。確かに俗世の作家時代とは違い……柔和な安寧そのものの表情を湛えていたっけな?
何回も他者から『与えられること』によって救われ続けた僕なれば……死ぬ迄に本当に困っている人に本当に必要な何かを『与えること』を経験して死にたいと……本気で思う。
『自分が安心して自分を悦べること』…幸福感
それは人に『与えること』によってしか得られない心象風景なんだろう?……なんとなくそんなイメージを得られたコラムだった。
以前に……チェッカーズの『OH!!POPSTAR』を題材に書いた事を…思い出した。
♫『コインで買えないモノなど無いって信じてたよ……』♫
OH!!悲劇のポップスターさ……とコインを追い続けた男の哀しみ……。
彼のコンサートのポスターは街中の至る所に貼られ成功したけれど……彼はそのポスターをブーツの先で破って泣くのである……。
彼女は去り行き『誰の為に唄えば良いの?……』と嘆く……。
彼女はコインを与えて欲しかったんじゃなく……語らいとか?お互いの存在をユックリ確かめ合う時空を求めていたのかも知れない…?