サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……不寛容って辛いね?人も…自分も

谷本真由美氏の著書『不寛容社会』についての記述がスマートニュースにあった。

※〜※著書よりの抜粋

※……「自分は日々真面目にやってツライ思いをしているのにあいつらはズルをしている。そんなことは許さない。俺が裁く人間の一人になってやる」——と多くの日本人が考えているのです。マスコミやネットを介した「疑似人民裁判」に参加することで、自分が世間の重要人物になった気がして、自己重要感を高めているわけです。……※

恐らく『リンチ』ていうのはこういう心理的な閉塞感をベースにして起こるんだろうな?と思う。

 自分は日々真面目にやってツライ思いをしているのに……あいつらはズルをしている……

この心理部分…シンプルに幼稚で稚拙なレベルでフリーズした『思考の基盤』が覗えるのである。

この『余りにも安っぽい被害者感情』が
何を思考判断する場合にも『土俵』となっているんだと思う。

直接的なアナログ接触では強いものにヒタスラ媚びへつらう。逆に弱いと見たら徹底的に不遜な態度で相手を扱う。

しかし……心の中は『自分の正体を知っている』のである。
単に自分は……横着者で努力なんかと縁なく生きている事を……。何時も努力めいた?一生懸命を演技してるだけだと……。

強き者にへつらい、弱き者に居丈高に振る舞うこんな自分は……どうやっても『今以上、これ以上』報われることなど無い事を強く予感しながら日々を消化に務めている……。
成果を出すだけの自己投資を何らしていないことを彼は彼女は知っている…。

先日、この国の多くの大人達が『自覚の無い横着者』に堕してしまっている『事実』を書いたけど。

中学生を演った事がある人間は誰でも分かる筈である。『勉強してるフリ』では学力は上がらないって事を……。
同じ様に…『一生懸命働き生きてるフリ』では人生は何一つ豊かにはならないのである。

自分は何時も組織を嘆き、そのシキタリ、マニュアルを恨み、人を嫌い妬みながら……自分をエクスキューズして説明して見せてるけれど……ついぞ『自分自身に不遇の原因』を求めたことが無い?

『お前は何をしているんだ?』……死ぬまでに一回や二回は退路を断って自分自身を追い込み詰問し糾弾して上げる……。
そうやって、幼き時代にあった筈の『自己愛』を呼び戻さない限り……自分を生きてる意味さえも失う事になる……。

『自分を甘やかすな!!』って昔の大人の人はそう言っていましたよね?。自分にも、若い人間に対しても……。

小狡い、小賢い事を……『処世術の如く』扱い生きる為のマニュアルの真ん中に置いて傍観者を気取ってる?……こんな空気を大人が当たり前と読み続ける以上……この国の不寛容の息苦しさは増すばかり。

肝心の自分が『疑心暗鬼の虜』になりつつある?……ソコに気付きましょうよ。
人に対する『不寛容』は、イコール『自分に対する不寛容』なのだってことに。

不寛容を他人に向けて振り上げて得る『自己重要感』ってね……麻薬と一緒。一瞬で醒めて次にはもっと強い刺激が欲しくなる。だからエスカレートする。

結果……その自分の鬼心が自分を…更に責め苛むという救われ様のないメビウスの輪っかの上をグルグル回って生きて行きますか?……ソレこそが生地獄ってモンじゃね?
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