独善的、独断的な人に共通する思考方法は?と興味を以て観察しつつ生きてきた。
気付いたのは……『その人の既知100%』で以て…観ること考えることに対応しているな?ということだった。
当然……どんな人でも『既知』の部分より『未知・無知』のエリアの方が圧倒的に大きい。こんなの当たり前の話なんだけど……。
『自分の既知100%』で物事に対処する人……その人の未知・無知の部分は?といえば……起きた問題がその部分にカテゴライズされる場合……『分からないこと』イコール『間違いだ!・正しくない!』と即決しているのである。
『分からないこと・理解出来ないこと・知らないこと』……それは一体『何故なのだろう?』という思考をしないと……自分の既知の部分が『異聞子・異分子』と判断し即決してしまうという運びである。
偏見、決め付け、差別、排除の論理は『自分が知らないこと・分からないこと』が導く『恐怖心』がエネルギー源なのである。
先日ある記事で……NVC(非暴力コミュニケーション)というモノを読んだ。
無知、未知から導く……『間違いだ!正しくない!』という条件反射的な反応から自分をどの様に?コントロールして自分を守って上げるか?という『心の段取り方』だった。
何時だったか?ヘイトスピーチとかアメリカのアジア人差別の問題に対して類似する心理について書いたけど……。
人間にはそんな未知、無知な事を排除する『心の闇が用意されている』こと…。
『自分の今までを守ること』は重要なサバイバル戦術たった分けだからある意味仕方ないのである。
フロイトは……そんな暗愚・愚行から自分自身を守るのは『文化の力』以外にないと指摘している。
『そんな自分』、『無知・未知を多く抱える自分』を『自分が知っていること』こそが肝心だということである。
『自分の無知を知る』ことこそが最高の『文化的態度』だということである。
『自分の既知+未知・無知』という『自分の全能力』を使える人は『相対感を以て』人や問題にしなやかに対応していることが見えてくる。
間違っている、正しくないという『シャッジする態度』から抜け出し……『どうして?そんなことをするんだろう?』という『興味・好奇心の領域』で対応している……詰まり、大脳的思考であり……フロイトのいう『文化の力』なのだと思う。
今更ながら……ソクラテスさんの偉大さを思い知る。『自分の知らない』を知ることが自分の可能性をドンドン広げていくことの不思議……。
『自分は正しくないかも?』と知っている人にしか『正しい道』を選択する力がないという不思議……。
ヘイトスピーチや差別主義者の方々の主張には絶えず『酸欠のような思い詰めた空気感』が漂っている。
それは自分の『正義と既知100%』のみの主張が……取りもなおさずその人自身の生き方、考え方の選択肢を奪い去っているからに他ならないからである……。
『ご立派族』を止めてご覧なさい……。
凄く済んた濃い空気が自由と開放感を運んで来てくれます。
『間違う自分、正しくない自分』ってね……ソレを知れば……自分はとても素敵な奴だと分かる筈ですよ……。
生きながらにして神や仏になるなんてお止めなさいな。他人を、傷付けるばかりじゃなく肝心の自分自身をもスポイルするだけの人生になるのですから……ね?