お盆が終わる

2013-08-17 12:27:44 | 日記
16日、京田辺の花火大会がありました。花火大会は、「復活」とかで、数年ぶりの花火大会だそうです。花火は見たい、けれども、うーん、人混みの中を行くのは、ムリ。前は少し道に出れば、見えたのに。(家が建ってしまい、全くだめになった)
出かける気もなく、夕飯食べてテレビを見ていたけども、花火の音が聞こえると、ダメもとで、出かけて行った、もちろん、自転車。少し走ると、ベランダに出て、花火を見ている家があり、うろうろっとすると、家の間から、よく、見える。「やった!」という感じ。花火の見えたことに、まず感謝。音だけで我慢のつもりだったので、本当にうれしい、小さな遠い花火ですけれども。花火の上がって行くときの、「次は、どんなのだろう?」という期待がこころに(花火のように)上がり、(花火)開いて、そして消える。「私は野次馬か、見たがりか、アホか」だと、小さな花火に喜ぶ自分に呆れる自分がいる。家でテレビを見ている夫に電話して、「(花火)見える」と電話しても、「もう、いいわ。家にいる。」という返事。こんなに遠い花火だから、確かに、「どうでもいい」のかも。ひとり、道に立って、花火を見た。少しさみしく、少しつまらなく、でも、きれい、外に出かけてよかった。お盆が終わる。また、いつもの時間に戻る。

浮御堂(琵琶湖 堅田)

2013-08-17 00:31:27 | 日記
今日は、 16日(地獄もお休みの日)。夫と二人、ふらり外出日。前日、下調べをほとんどせず、「堅田」に行くことに。人混みは避けたいので、近くて、少しぶらりできるところは?さて、本日の出来はいかがになりましたでしょうか。JR堅田からバスに乗り、まずは堅田の浮御堂(満月寺)に。湖面で風が涼しくなるのか、お堂周りは、陰のところの風が気持ちよい。(暑いのですけども)小さなお堂ですが、夕方の景色と落雁を思い、また、ここに来たいと思う。(朝、お寺にお精霊さまを送ることもせず…。)お寺をお参りしているのだから、まあ同じかと、ちょっぴり自分に言い訳しながら、歩く。しかし、罰はあたったようで、お盆のため、湖族の郷資料館は休み、レンタサイクルもなし。歩いて、堅田の駅に戻り、作戦の立て直し。(堅田は、また来ることにして)
くるりと、琵琶湖を一周、長浜でラーメン食べて、本日は終了。いつも、通り過ぎばかりのお堂を見たので、今日は観光の日。そして、湖面にえり(漁)があるのをみて、琵琶湖の魚たちも、確かに命を育むものであることを感じた日でした。

歩いていこう

2013-08-15 06:55:00 | 日記
お盆、あの世の人は、この世に帰ってくるという。いつか、人は死なないといけないが、死ぬことは今、自分の居るところから、たった独りで、知らない所に行かないといけないということ、それだけは確かなことかも。ふと思う、人がこの世に強い思いを残す時、きっと、この世が気になり、さまようのだろうと。いつまでも、親しい人と共に過ごしたいというのは、誰でも願う。でも、自分の隣にいて欲しいのは誰なのか、自分の隣に来てくれる人はいるのか?などと考え始めるとわからなくなり、誰も自分の隣にはいないと思い、自分が独りのように思われる。自分の席の隣は、どんな人がいいか?そんなことを考えると、しんどい。人の世には、座席があるわけではない。皆、自分のあるがままに、生きている。疲れたら、座ればいい。同じように、休んでいる人がいれば、おしゃべりを楽しんだらいい。もう一度、歩き始めるとき、一緒に行く人がいれば、一緒に行けばいい。私は進む。その時、傍らにいる人すべてが、私にとってかけがえのない人。そうした人の中で私は生きている。一人ではない。必ず、道はどこかに通じ、道を人は歩く。どこかで誰かと出会うだろう。だから、休んだら、歩いていこう。

父の墓参り

2013-08-12 23:29:28 | 日記
日曜日に、夫と墓参りに行った。夫の家の墓と、私の家の墓と、二つの墓参りをした。ここ数年は、いつもこうしている。最初は、何か抵抗があったけども、夫とこうして一緒に行けるのは幸せなことと考えることにしている。私の父は、私が小さい時、亡くなった。私が結婚した時、母は私に「いいな、あんたは私が(夫と)死に別れた歳に結婚するのたわから。これから、一緒なのだから」というようなことを言った。私の母は、私の父を愛していた。父の命日に墓で、手を合わせ、何やらつぶやく母の姿に、私は母の父への強い思いを知り、死に別れの寂しさを感じた。そう、あなたは父を愛していたのですね。時は流れ、母はご飯を炊かないようになり、真空パックのご飯を食べるようになった。仏様(父)にご飯があがることが、なくなった。父の写真を見て、あなたは父との思い出を思い出すことは、あったのだろうか。母を連れて、父の墓参りをしたある年、母は父の墓の前では立ち止まらず、そこに語ることもなく通り過ぎ、ただ隣の墓の名を読み上げた。おぼつかない足取りで、また、その隣の墓の前に行き、その墓の名を読んだ。そうして、次々墓の名を読みながら、墓地の中を歩き回った。この時が、母と一緒に行った、最後の父の墓参り。以後、父の墓へは、私一人でお参りしたり、夫と二人で行ったり。父の墓の前で私は思います。「この墓に、母は死んだら入るでしょう。でも、私はどうしましょうか。夫となった人と暮らす時間が長くなりました。私はあなた達の娘でしょうか?それとも、夫の妻なのでしょうか?わからなくなってきましたよ。」

上賀茂神社で

2013-08-12 01:03:16 | 日記
日曜日は、お墓参りに行きました。せっかく、京都市内に行ったので、帰りに寄り道。本当に久しぶりに上賀茂神社に行きました。前に行ったのは、いつだったかも忘れた。上賀茂神社は、毎年6月30日、夏越(なごし)の祓(はらえ)になると、ふと行きたくなるけども…。その川の清らかな流れに入りたくて。今日の境内の川の水も思ったよりは冷たい。小さな子を連れた人でいっぱい。川は木陰を流れ、浅い水辺で、皆、思い思いにくつろいで過ごしている。石の上にあるプラスチックケースを覗くと、1センチもない小さな魚たちがいた。こんな境内の川にも、実は命がいっぱい住んでいる。この魚たちは、誰の子?大人になれば、どのくらい大きくなるのでしょうか?川は流れ、川を下れば、海に出る。何だろう、小さな魚の細い身体が光り泳ぐこと、遊んでいた子が作ったに違いない、セミのぬけがらで作った文字、川の中の子が笑う声、そのすべてがまぶしいと感じるのは。この禊ぎの川の水により、きれいになる自分は、どんな姿なのだろう。明るく笑い朗らかな子になるのだろうか。それとも、何も知らない、何も持たない、何の罪もない、生まれたばかりの赤ん坊になるのだろうか。そう、この川はただの川、水に入っても何もおこらない、水遊びをしてるだけだから。それでも水に足を浸して心から願うなら、私は、人の傷みを感じることのできる人になれるのでしょうか。