今朝は理由ははっきりしないのですが、なんだか調子が悪かったです
こういう時は決まって右側の肩と首と頭が痛みます
しかも強めに
なんでなんだろうな・・・と考えることでいろいろな思考が湧いて出るように垂れ流され、しかもどれも終着点がなくただただ何が悪かったのか、というところに思考のフォーカスがありました
こうなるとわたしは早めに鎮痛剤を使い体の痛みを改善し、気分を整えます。いつものパターンです
ですが今日はちょっと違うことを試しました
実は今、浄化ヒーリングを練習中です
なので、じぶんにやってみました
大天使ザトキエルさまのお願いをしてやることにしました。これまたお願いしたいな、と思った時にふっと浮かんだ方がザトキエルさまだったからです
ここからはわたしの妄想タイムです
そう感じた、というお話でございます
ザトキエルさまのすることを観察者の視点でわたしは見ることができます
わたしの姿もわたしは見ることができる状態です
見えたものは、右側の肩甲骨のあたりから頭に抜けて変な植物みたいなものがどんどん湧き上がるように生えている、その様でした。
間違った思い込みでまっすぐに生えていない、というようなことをぼそっとザトキエルさまは言っていました
特別でありたいこと、特別なんておこがましいということ、人よりできること、人よりできるなんて、そんな天狗になってどうするんだ、というような拮抗するエネルギーの流れのようです
これはとても腑に落ちました
わたしは、少しでも人と違うことに憧れているのに、いざ少し人と違うと不安になるし居心地も悪くなるし、良くないことのように感じるというパターンを確かに持っているのです
できるようになりたいのにそれをわたしがが許さないし、応援できない
わたしが私の成長の妨げになっている状態
得意とか、できるよ!というところまでやりきれない
そういうことは恥ずかしかったり生意気だったり威張っているような感覚
とても小さい子供のころの感覚な気がしますが、今でもわたしには確かにある感覚
間違った思い込みです
そんなわけがない。
できることと威張っていること、生意気なことが横並びなわけがない。
できることは特別だとしたら、みんな各々の特別を持っている。
ザトキエルさまの浄化ヒーリングを観察していますが、わたしも拝見しながら思うことがありました
この感覚を返そう、と。
わたしから外して、それこそ浄化しようと思いました
それが返そう、という感覚でした
だから、ザトキエルさまの浄化ヒーリングがうまく進むよう祈りながら見ていました
人ができることは、人それぞれでそれがまさしくこの世界
人と違うしかない世界
できるころは私が担当し、できないことは人に頼ろう、お願いしよう!ではないかと感じていました
すべてが終わったときに、なんだかすっきりしていました今も少し右側に違和感は残っています
でももう薬は必要ないです
この浄化ヒーリングがどうだ、ということよりもわたしはこのじぶんのなかにあった思い込みに手が届いたことが良かったです
こういういらない思い込みにもっと気づけていけたらいいな、と思います