大西 ライフ・クリエイト・アカデミー

身の回りから、世界のさまざまな問題に至るまで、根本的な解決ができる道である文鮮明先生の思想を、その根拠と共に紹介します。

神なき世界を力強く生きよ   フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

2015-05-18 23:46:00 | 日記
 これまでに、それとなく書いてきたものに比べると、哲学はあまり好きでなかったし、何より得意とは言えないのです。
しかしです、現代を生きている我々の価値観とか、人生観といったほうがよいでしょうか。物の考え方などの基本になることは何であるのだろうかということになると、避けて通れないのがニーチェであるという気持が強くなってきて、がんばって勉強してみました。

 ニーチェの思想はニヒリズムと言われます。ニヒリズムとは意義や目的の不在、倫理や道徳の根底を成すような価値観が説得力を失ってしまったことを言うのでしょうか。
ニヒリズムを広辞苑で調べてみると、「虚無主義。真理や道徳的価値の客観的な根拠を認めない立場。伝統的な既成の秩序や価値を否定し、生存は無意味だとする態度。これには逃避的なものと、反抗的なものとがある。」 というようなことが書かれていました。ちょっと私がまとめたりしましたが…、さすがです。分かりやすい。
ニーチェの場合は、後者ということになるのでしょう。ニーチェは1844年ドイツに生まれの哲学者です。
そして、前者といいたいところですが、そう単純には言い切れない哲学者、ショーペンハウアーから、ニーチェは最も大きな影響を受けます。

 ショーペンハウアーは、哲学者の中で、初めて無神論者であることを表明した人です。
私たちを含む世界には、意味も目的も無い。人の人生は逃れることのできない死で終わる意味の無い悲劇。さらに完全に満足することの無い欲望。生の根本は、「盲目的な意志」である。
しかし、人間はつかの間、このような状態から開放される方法があるとしたのです。それが芸術で、とりわけ音楽こそ、その点で最も優れていると考えたのでした。
 かようなショーペンハウアーの哲学は、多くの一流の芸術家に影響を与えたのです。トルストイやツルゲーネフ、モーパッサン、ゾラ、トマス・ハーディ、チェーホフ、サマセット・モーム、トーマス・マン、バーナード・ショー、詩人のリルケなどで、さらに作曲家のワーグナー等で、ワーグナーこそはギリシャ悲劇を復興させるヒーローと、ニーチェは尊敬し、親交を持ったのでした。後に世俗な姿を見ることになり、決別するのですが…。
このような点から分かるように、ショーペンハウアーは、偉大な哲学者のみならず、偉大な文学者であったそうです。実際の文章は、翻訳されたものをほんの少ししか読んでいません。すみません。他にもフロイトやユング等も、その影響を受けました。
ニーチェがショーペンハウアーから最も影響を受けたところは、思想そのものよりも、人が生きてゆくべき現実の厳しい人生を直視したことだったと言われています。

 ニーチェの受けた、もうひとつの影響は反キリスト教です。ニーチェ自身は、父も祖父も牧師という家系の出身であり、母と祖母の家系も牧師などを務めていたのですが、キリスト教に対して激しい批判を行ったフォイエルバッハの著書などからの影響を受けました。
 ニーチェは、キリスト教、また、ヨーロッパの文化全ての基礎になっている神はルサンチマンによって生み出されたと考えました。ルサンチマンとは、うらみ、ねたみなどを意味します。代表的な著書の「ツァラトゥストラはかく語りき」の中では、”無力からする意思の歯ぎしり”なのだそうです。最も孤独な悲哀であり、すでになされたことに対する無力。
神も天国もキリスト教も、どうしようもないルサンチマンから逃れるために生み出されたのであり、観念の中で復讐するため、強者になるために生みだされたと考えました。”つかの間の幸福の妄想”という言葉も使われています。
それらは、弱者の心をなぐさめ、紛らわせたのみではなく、優れた者、力ある者をひきおろし、平均化、矮小化したと見たのです。
 そして、著書「ツァラトゥストラはかく語りき」の中で、「神の死」を叫んだのですが、その前年の著書、「喜ばしき知」では、「俺たちが神を殺したのだ。」と叫んだのでした。
それは、科学などが発展し、神秘と思われていたことが次々と解明されるなどということがおこってきた時代背景というものがあったと思うのです。
雷は神の怒りではなく電気によって説明されるようになり、天空の力の法則は、われわれが地上で経験する重力と同じであったのです。
現実的に考えれば神や天国の存在に対して、懐疑的になってゆく社会の雰囲気があるにもかかわらず、キリスト教に基礎を置く価値観が、相変わらず支配的であることに対する当然の疑問であったのだろうかと思われます。
当時の状況の中では、的確な問題提議であり、勇気ある主張であったのだろうかとも思うのです。
 ツァラトゥストラとは、日本語で表記するなら、ゾロアスターとなります。かつて拝火教と呼ばれたゾロアスター教となんら関係はなく、ただキリスト教と全く無関係であることを、重視したのです。
そして、「ツァラトゥストラはかく語りき」では、一般の哲学書のイメージとは、少々趣きを異にした文学的な魅力的な文章で表現されていたのでした。それは、神なき世界における聖書を目指したのだと思うのです。実際、宗教改革をおこしたルターの訳した新約聖書と、文体が近いそうです。
 ツァラトゥストラの語る言葉は、神の言葉を語ったイエス・キリストではなく、神なき世界を力強く生きていくための、新たな価値観を伝える言葉だったのです。
「人間存在は偶然である。世界と宇宙に何の必然性も無い。このニヒリズムの確認、その恐怖の直視。」 ニヒリズムを肯定的に受けとめる。ニーチェによれば、人間、そして世界の本質は。”盲目的な意志”ではなく、強くなろう、支配したいという強力な意志、”権力への意志”である。これを体現した理想像を、人間を超えた”超人”であると伝えていたのです。
 「ニーチェ以降のドイツ文学で、ニーチェの影響を受けていない作家はほとんどいない。」といわれるほど、ニーチェもショーペンハウアーと同じく、多くの芸術家に影響を与えたのです。 それは、直接、間接、さらにドイツ以外の世界の国々へと…。
 
 そして、神の死を叫んだ後の世界は、神の裁きを受けるわけではなくても、新たに別の困難を抱える世界へと舵を切っていったのではないかと思うのです。

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