大西 ライフ・クリエイト・アカデミー

身の回りから、世界のさまざまな問題に至るまで、根本的な解決ができる道である文鮮明先生の思想を、その根拠と共に紹介します。

ケインズ主義のその後~マクロ経済学とミクロ経済学

2017-02-18 22:07:06 | 経済
 ケインズ革命以後の経済学には、マクロ経済学とミクロ経済学と呼ばれるふたつの領域が現れるようになったのです。
ケインズ革命とまで呼ばれて経済学、経済の政策に大きな変化を与えたケインズの経済理論以降、国家は経済全般の運営に責任を持つことになったのです。いかにすれば完全雇用や物価の安定が得られるかなど、景気を安定させるための議論はマクロ経済学に納まりました。もう一方のミクロ経済学ではケインズ革命によって荒されることのなかった古典派の経済学がほとんどそのままの形で残り、そこではそれぞれの市場や企業、または労働者や消費者についての経済活動、とりわけ価格や価値について分析するようになったのです。

 世界恐慌当時のアメリカで、フーヴァー大統領は、失業対策の財源のために平和時においては最大規模の大増税、超富裕層に対する大減税、政府の財政支出を減らし、銀行の投機的業務を自由にするなど、その後のケインズ的な経済運営ではあり得ないような政策を次々に行ったそうで、これは当時支配的であった新古典派の経済理論に従ったものだったのです。
おかげで、アメリカ経済はさらに悲惨な状態へと落ち込んでいったのです。
 新たに発足したルーズヴェルト政権はケインズ主義がまだ伝わっていないにもかかわらず、目の前の悲惨な状態を解決するためにケインズ的な政策であるニューディール政策にによって、ダムの建設などの政府による財政の出動がなされたのでした。その評価も定まらないうちに、世界は二度目の大戦へと向かうのでした。

 このようにケインズ理論以前に、例外的にケインズ的な経済政策が実行されたもうひとつの例は、スウェーデンです。そこに至った経済学の動きとして1800年代の末のスウェーデンの経済学者でクヌート・ヴィクセルによる「不均衡累積過程」という理論がありました。後のケインズの理論にも通じる考え方で、貨幣経済である資本主義が不安定であることを示す理論です。これはヴィクセル自身が師と仰いだデーヴィッド・リカードが提唱した、新古典派理論の基礎である「セー法則」を否定する内容であったのですが、ヴィクセルは学者としての誠実さを優先したのでした。
 ヴィクセルの理論に対して強力に対立したのが、スウェーデンの古典派経済学の中心人物であったグスタフ・カッセルで、そのカッセルと対立した次の世代の経済学者たちによってスウェーデンにおける経済の変革は成されました。彼らは政治指導者や公務員と協力し、または自らが政治家や公務員となって成し遂げたのでした。後に国連事務総長になるダッグ・ハマショールドもその一人でした。このスウェーデンの出来事は国家の規模もプラスに働いたのでした。

 ちなみに、セー法則とは、フランスの経済学者、ジャン・バブチスト・セーによって、理論的にはまとまりに欠けるアダム・スミスの理論である著書「国富論」を簡潔に読みやすく、著書である「政治経済学」に批判と賞賛をとりまぜてまとめたものです。その中には供給はそれ自体が需要を生み出すという、その後の経済学にとって、神聖にして侵すべからずとされることになる理論、セー法則を含んでいたのです。
 セー法則をさらに説明すると、生産された財である商品やサービスは、それ自体が需要を生み出すという説です。商品やサービスなどとしての財である全ての供給を買うことのできる有効総需要―現実に支払われた全ての需要―は、財の生産自体から生まれる。
「各生産物が売られる価格から、その生産物を買うに足りるところの賃金・利子・利潤・地代の収入が生まれる。誰かが、どこかで、その収入を全て受け取っている。そして、ひとたびその収入が得られれば、生産された物の価格に達するまでの支出がおこなわれる。したがって過剰生産の明確な対応物である需要不足はありえない。なるほど、販売収入の中から貯蓄する人も一部にはいるかもしれない。しかし、そのように貯蓄しても、彼らは投資するだろうから、支出はやはり保証されている。」
長らく信奉されてきたセー法則は、市場に任せておけば経済はうまくゆく、均衡するという、新古典派経済学の考え方の基礎になったのでした。

 もうひとつのケインズ以前のケインズ的経済政策の例はアドルフ・ヒトラーによるもので、アウトバーンの建設が有名です。景気が好転し、失業もほとんど解消されて、これがヒトラーへのさらなる支持につながりました。しかしその成果の陰にはユダヤの人々の悲惨な犠牲も含まれていたのであり、ヒトラー、ナチス党による独裁という決定的な要因のうえで、政権の前期には傑出した経済運営の力を発揮したホレス・グリーリー・ヒャルマル・シャハトの存在があってこそ、見事なまでの経済復興が可能になったのです。

 さて、民主主義であり、大きな国であるアメリカでは、どうであったのでしょう。
「ニューディール政策を掲げて発足したルーズベルト政権の最初の閣議で、カミングス司法長官は次のように宣言しました。
『現在、アメリカが置かれている状況は、資本主義という制度がアメリカという国家に対して挑戦し、戦争行為を行っているのだ。そのような意味で、アメリカはいま戦争状態にある。したがって、政府は対敵取引法を適用すべきである……』 
 対敵取引法というのは、議会の協議とその同意を経なくても、大統領令によって自在に政策を発動する」ことのできる法律のことです。

 アメリカでのケインズの知名度が広まり、それ以前の経済学にとって脅威として認識されるようになったのは戦後のことでした。戦争がケインズ理論の支持者であるケインジアンを影響力のある地位に着かせたのでした。
「戦争のためのあらゆる政府機関が、多かれ少なかれ、、経済学者の管理または指導を受けた。そしてこのような経済学者の多くは若いケインジアンだった。」
古典派の年長の経済学者たちは、ほとんどこのようなポストに興味を示さず、経済界からの人材はそれだけの能力を持たない人がほとんどだったのです。

 戦中戦後のアメリカで発達した経済学の動きとして、統計が用いられるようになったことがあげられます。この成果はサイモン・クズネッツこよるのですが、サイモン・クズネッツといえば先にピケティのところで問題のある考え方のもとになったとして紹介した方です。
資本主義は自然と格差を解消してゆくという説であるトリクルダウンのもとになった数十年に及ぶ国民所得などの統計の結果である、クズネッツ曲線のクズネッツです。
 しかし当時のアメリカにおいては、反対派の多かったケインズの理論よりも強力な証拠として、クズネッツらの統計は結果を示したのでした。これらは後に、ごく普通に耳にする国民総生産、現在では国内総生産として知られています。ほかに国民所得や失業率などがあります。
国民総生産に対して、それを買うことの出来る国民所得が必要であること、国民所得のうち貯蓄される全てが使用されることはないかもしれず、政府の支出の増加がうまくその不足を埋めてくれるであろうといったことも明らかにされました。
統計という手法は、お金がかかり暇もかかるものの、理論以上の説得力を持つ方法であったのです。

 さらにアメリカでは、第二次大戦中に完全雇用均衡という理想的な状態を実現してしまったのです。「勝利計画」と呼ばれた大戦中の経済は、クズネッツらの統計から得られたデータを基に、アメリカ経済の実力と考えられていた基準をはるかに超えるような目標を立て、それをやすやすとクリアして戦争の勝利に貢献したのでした。
その際に潜在的な労働力やら資本の力を総動員することになり、日常の物資の不足はあっても、経済的にはかつてないほどの良き時代を謳歌したのでした。戦争のゆえに、それまでは考えられなかったほどの規模の国家の財政による積極的な介入の賜物といえるものなのです。 
 また。戦争という特殊な状態は、個人の所得に対する課税の限界税率を、1929年に24パーセントであったものが、1945年には94パーセントまで上昇させることを可能にして、税収を大幅に増やし、さらに格差を縮めることに役立ったのです。
 これらの成果は、経済的な面で政府に対する新しい見方、政府介入に対する依存を生み出すことにもなったようなのです。

 戦後のアメリカでは景気が悪くなるだろうとの、ほとんどの予想とは裏腹に、戦時中に蓄えられた多くの貯蓄があったために未曾有の好景気が訪れることになったのです。そして、それは長続きしたのでした。
さらに、大戦中のアメリカ本土は無傷で終戦を迎えたので、戦火のために国内が荒廃した国々への輸出によって貿易の収支が好調だったのですね。
 さらに時が経って、朝鮮戦争のための支出、東西冷戦による軍備の増強、ベトナムへの介入が深まったことによる支出など、景気を刺激する出来事が重なることになります。
 ケインズ的な福祉の充実も、その性質上、景気の悪くなったときには支出が増え、景気が良くなると支出が減るということで景気のバランスを取る役割を適度に果たしたのでした。

 その一方では、「ケインズ主義は不況と失業という資本主義の病を克服したか。たしかにそれは1930年代のような病からは抜け出すことに成功した。しかしそれにかわって、べつの病にとりつかれだした。第一は都留重人氏(つるしげと:経済学者)のいう”無駄の制度化”でありそれはより多くアメリカにあらわれた。」
それは、投資が、企業の設備投資のように生産手段のために投資された場合、生産の効率が上がり過ぎることで、有り余る製品が市場に供給されることになり、それまでよりもいっそうの需要が作り出されないと、供給過多になります。その結果、過大な生産の能力に対して実際の生産量とのギャップがどんどん開いてゆくことになります。工場とかが、遊休化しちゃうってことですね。投資が生産的であるほどギャップが大きくなってしまうのです。

 「これを回避するひとつの方法は、生産能力のない投資―つまり無駄な投資をすることであった。第二次大戦後、この無駄な投資は軍需費という形で具体的に大量におこなわれるようになった。」
冷戦の時代にあっては、軍需費を無駄な投資というのは失礼というものだと、それどころかとんでもないことに思われます。しかしながら、全世界的に見るならば、これだけの投資を敵対的なものでなく、平和的に、共生的に用いることができたならば、どんなにか素晴らしいのにと思うのです。
 生産能力のない投資が大量におこなわれた結果、軍と産業の癒着といた問題が論じられるようなこともあったのです。軍事ということの性格上、そこには機密情報などが存在し、さらには一般的な商品ではないため軍備のコストや適正価格といったことは分かりにくくなっているのですね。
 これは広い意味では、官と民の癒着のように、日本的に言うと天下りや汚職みたいな問題につながってくるのでしょう。
国が景気や雇用を安定させるという名目でお金を使うということは、そこにたずさわる人間の資質次第で、胸を張ることのできる生き方にも、恥ずかしい生き方にもなってしまうということなのでしょう。

 もうひとつ、別の病、新たな病があらわれたのです。
「物価がわずかずつではあるが上昇してゆき、それが国際収支を悪化させる可能性を持ちだしたことである。」
戦後のアメリカやイギリス、日本でも生産性が上昇し続けているときにも、物価の上昇が続いた。特にアメリカでは、軽い景気の後退が起こった時期にも、価格の上昇は続いた。寡占企業とその労働組合のなせる業であったのです。
物価の上昇は賃金の上昇をさそったのです。さらに、それは物価の上昇を引き起こすことに…。
ガルプレイスによると、物価騰貴は完全雇用に近い状態のとき、または資本資源の完全利用に近いときにおこるとされています。景気のいいときってことでしょうか。物価の上昇がどこの国でも一様におこるのでなく、上昇の度合いが違うと、物価の上昇しすぎた国は輸出がしにくくなり、輸入が増えて国際収支が悪化するようになります。これ貿易赤字ということですね、多分。
 
 1970年代中ごろのアメリカやイギリスでは「スタグフレーション」というインフレでありながら景気が停滞するという新しい言葉がつくられるほど、困難な経済状態になったのです。とりわけ1974~75年のアメリカでは年間の物価上昇が14パーセントにもなるという二桁インフレがおこりました。
1973年末からの、OPECの活動による石油価格の大暴騰であるオイルショックも当然、インフレの要因であったのですね。

 思えばケインズ理論が生まれた時代背景からすると、それは不況や失業のための産物といえるのです。そのためインフレに対するケインズ経済学の対策は、深刻な問題を抱えていたのです。その問題とは理論的にはなんら難がなくても、いざそれを政治的に実行しようとしたときに現れることになりました。
 不況の対策である政府による公共事業や失業対策、福祉政策などの財政の出動とは逆に、インフレに対する理論としては増税と財政の引き締めという方法をもっていたのですが、これを政府の与党が政策として実行するには難しすぎたのです。それはこれらの政策を受けとめる国民の立場で考えてみると良く分かることで、増税や財政の引き締めを実行する政府与党に対しては支持することが難しいのが人情ではないでしょうか。
さらに、効果がなかなか現れないという問題もあったのです。

 当時の賃金・価格インフレと呼ばれた物価上昇の圧力をつくりだしたのは、大企業など、寡占企業の組織体の間の相互作用によるもので、強い企業に対して強い労働組合による賃金交渉の決着が物価上昇の圧力になり、物価や生計費の上昇が賃金を上昇させるように働いたのでした。この相互作用が、賃金・価格の循環上昇と呼ばれるようになったのでした。
 理論的な影響は、北欧や日本では少なかったようで、賃金・価格インフレを現実の問題として比較的容易に受け入れて、現時点の価格体系から見て可能な限度に賃上げを制限することが通常の政策として認められ、物価の安定が図られたのでした。
現実にみあった水準に対して、物価や賃金が上がりすぎたらそれを素直に認めて、ストップをかけるという、ごく当たり前のことでしょうか。
 しかし、経済学の理論が強い影響力をもっていた国々では、あくまで賃金や価格の決定は古典派の理論を土台にしたミクロ経済学の領分であったのです。そのミクロ経済学においては、賃金と価格の循環的上昇は起こるはずのないものだったのです。

 スウェーデンの経済学者ヴィクセルの不均衡累積過程よりも、ケインズの「一般理論」の中にある貨幣経済に対する不安定さは、より安定したものになっているとされています。この原因とケインズの考えたものこそ、労働組合であり、労働者の賃金が引き下げられることへの抵抗であったのです。これらが、市場をある程度は安定させると…。
 しかし、ケインズがこのように考えた、労働者、労働組合、加えて企業の動きが、結果としてケインズ経済学に対してのとどめを加えることになったのです。
言葉を変えるならば、古典派理論がそのままに残ったミクロ経済学に、ケインズ的なマクロ経済学が行く手を阻まれることになったのでした。


(参考文献、引用)
 「経済学の歴史」   ダイヤモンド社 J・K・ガルプレイス 著
 「人間の経済」       新潮新書 宇沢弘文 著
 「経済学の宇宙」 日本経済新聞出版社 岩井克人 著
 「ケインズ」        岩波新書 伊東光晴 著
 「ガルプレイス」      岩波新書 伊東光晴 著
  ウイキペディア
 「広辞苑」         岩波書店 


 



資本主義は、本当は不確実である。ジョン・メイナード・ケインズ。

2016-06-29 23:19:02 | 経済
 19世紀のイギリス。世界恐慌をまたいで活躍した経済学者、ジョン・メイナード・ケインズ。多くの分野で並みではない活躍をした人ですが、経済学者として一番知られているのでしょう。ケインズの経済学はケインズ革命と呼ばれ、その理論は経済学に革命をもたらし、資本主義の経済システムを変質させたのです。資本主義を延命させたという評価をする方もいます。もちろん経済学関係の方の評価です。
ケインズのもっとも有名な著作は一般に「一般理論」と呼ばれている本で、「雇用・利子・および貨幣の一般理論」というのが正式な名称です。
 さて、ここでの一般というのは何を表しているのでしょう?
ケインズが古典派と呼んだそれまでの経済学は、均衡という経済にとって望ましい平和な状態が普通であり、基本であると考えたのです。それは「自由競争さえあるならば経済社会は調和ある状態を続ける、ということを論理的に明らかにすることであった。たしかに古典派経済学の場合には、それは古い勢力に対する批判であったが、十九世紀の後半以後、自由競争が現実のものとなると、それは何もしないことであり、現実の説明をするだけのものにすぎなくなってしまった。」
 しかしケインズにとって、均衡というのはめったにありえない特殊な状態で、それ以外の不均衡な状態、つまりは何かしらうまくいっていない状態である不況や失業などの問題を抱えた一般的な状態についての分析をおこない、それに対して均衡させる。あるいは均衡に近づけるための理論、つまりは手をこまねいて市場に任せきりにするのではなく、必要に応じて対策を取るべしという、当時にあっては画期的な提案を含んでいたのです。
 
 このように書くとアインシュタインの「相対性理論」が思い浮かびます。
最初に発表されたのは、何も存在しない空間における光と時間、空間の関係について解明した特殊相対性理論でした。さらに10数年の歳月をかけて発表された一般相対性理論は、普通はありえない特殊な何もない状態ではなく、星やらなにやらと、質量を持ったものが存在する、私たちにおなじみの宇宙など、空間(正確には時間もとけこんだ時空)のあらゆる状態を説明する理論へと発展、一般化させたのですね。

 ケインズ以前の経済学というのは自由であることが、何より尊重すべきものだったのです。ケインズ流に言うならば、自由放任という方がふさわしいでしょう。市場に対して余計な手を加えなければ、需要と供給が自然とバランスがとられるようになっていて、物価と流通の量とか、雇用と賃金とか、利子と投資とかのバランスが、とにかくうまくゆくと信じられていたのですね。
個々人は自分の富に対する欲を優先しながら活動をするけれど、そこには競争が起こったりして…。そんなこんなで、結果、全体としてみると、経済というのは余計なことをせずに市場に任せてさえおけば、うまくゆくようになっている,つまりは均衡がとれるようになっているのです。…というようなところでしょうか。

 ケインズの師、先生はアルフレッド・マーシャルという当時の経済学の教科書を執筆した人物でした。マーシャルは夫婦でケインズを可愛がり、師であるのみならずたいへんな恩人でもあったのです。にもかかわらず、ケインズのマーシャル批判は厳しいものだったそうです。
伊東光晴氏の著書「ケインズ」によると「マーシャルの本たとえばかれの主著『経済学原理』をひもどくならば、貧乏の問題の解決をかれが強調していることが分かる。イギリスが発展に発展をとげたヴィクトリア時代になぜ貧乏があるのか。これがかれの問題であった。そしてマーシャルは、これから経済学を学ぼうとするケンブリッジの学生たちに、経済学を学ぼうとする者はまず、イースト・エンド(ロンドンの貧民街)へ行ってこい、といったといわれている。それは冷静な頭脳だけでなく、温い心をやしなうことが経済学の勉強には必要だと考えたためであった。
 そのマーシャルの経済学の結論は何であったか。レッセ・フェール、自由放任、自由競争、これによって社会は進歩する。自由放任、それは何もしないことではないか。イースト・エンドに行くことの結論が何もしないことであるとは!ここにケインズがヴィクリア時代の道徳の偽善的一面を見いだしたのは不思議ではない。ケインズは、単にマーシャルに反発しただけではない。マーシャルを含めて、19世紀のヴィクトリア時代の偽善と道徳、鼻もちならない倫理主義に反発したのである。」

 ケインズはイギリスの経済学者であり、イギリスの社会を三つの階級に分けて考えた。投資者の階級、企業家の階級、そして労働者の階級の三つで、こては当時のイギリスの政党である保守党、自由党、労働党がそれぞれの階級の利益を推進させる政治の主体であるとした。さらに三つの階級については、二つのグループに分けて考えた。それは投資者階級を非活動階級、そして企業家階級と労働者階級を活動階級と呼んだ。
 ケインズ自身は「人間の能力と知性とに信頼を置く人間であった。」人間の能力と知性を最も必要とされる階級こそ企業家の階級であるとケインズは考えた。そのケインズの見た当時のイギリスは、資本主義経済の主役ともいうべき株式会社が発展、成長しつつある時代で、そこにはかつてのような資本家が企業家でもあるというのではなく、企業の経営は専門的な知識や経験を持つものに任せて、資本家は企業に投資することによって利益を得るという、経営と所有の分離がおこってきたのを見たのです。目先の利益を求める不特定多数の素人による大衆心理の影響を企業が受けるようになると…。
「ケインズの政策は、イギリス社会をまず階級的としてとらえ、次にイギリス経済の生産や流通がくりかえされている過程の構造を分析したうえで、それが、投資者階級の利益のために推進されているのであり、それは活動階級の利益の犠牲のみならず、イギリス自体の利益をそこなうものであることを明らかにした。と同時にその基礎をなす三つの階級はそれぞれの利益を推進させる政治的な主体を持っていた。」
 当時は政府の予算についても歳入と歳出が均衡するべきということが常識であったが、ケインズの主張は不況時には一時的に政府が赤字になっても、「借入れによって公共目的のための支出をおこなうことであった。」
政府の支出によって需要を刺激し、産出量や雇用の水準を高めようとしたのでした。

 ケインズの理論は、特に当時の若手の経済学者に歓迎されることになるのですが、ひとつには当時の若者たちが、ケインズと同じ気持ちを抱いていたこと。
もうひとつはケインズの理論が正しく理解されずに誤解されたからだといわれています。それも理論の根幹である現行の経済体制である資本主義経済の不安定さに対する考え方にありました。
その不安定さというのは、確率として予測が可能というような次元ではなく、全くの予測不可能な不確実性であるというのがケインズの考えでした。あたかも数学で言うところのカオスのように思えてしまいます。 
 数学におけるカオスとは、もともと気象の予測から発見されたとされていますが、バタフライ効果が有名です。南半球の蝶の羽ばたきが北半球でハリケーンを引き起こすというものです。蝶の羽ばたきのような観測しきれない小さな出来事、誤差がある程度の時間の経過の後には、ハリケーンほどの違いとなって現れるという予測の困難さを表しています。
ニュアンスは多少異なるかと思うのですが、ケインズの言う不安定は、数学でいうところのある程度の予測を可能にする確率ではなく、カオスに近いのではということを申し上げたいのです。

 ケインズの主張が多くの経済学者から正しく理解されなかったのは、著書「一般理論」の難解さがある。「というのは『一般理論』はこれから経済学を学ぼうとする人たちを対象に書かれたテキスト・ブックではないからである。」さらには、構成のまずさや、曖昧な箇所も見受けられたとされています。
 評論家の中野剛志著の「資本主義の預言者たち」によると不確実性の問題については「一般理論」の12章で扱われているのですが、その章の議論に対してケインズは「余談」という表現を使っているのです。それについて中野氏は「これは確かに誤解を招く表現である。『余談』というと、第12章が、本旨とは異なる余計なものであるかのような印象を与えるからだ。」
ケインズ自身、「一般理論」の翌年に経済学術誌の「クォータリー・ジャーナル・オブ・エコノミクス」に「雇用の一般理論」という論文を発表し、みずからの理論の主旨をはっきりさせようと試みていたのでした。

 「2007年、アメリカでサブプライム危機が勃発したとき、多くの経済学者やアナリスト、ジャーナリズムのコメンテイターたちの間で、ある経済学者が大きな話題となった。その経済学者こそがハイマン・ミンスキーである。」
「政府の政策による賢明な微調整によって市場を均衡させることができると考えていた」主流派のケインズ主義の経済学者の対して、ミンスキーは異端と見られていたのです。それはミンスキーが「資本主義は均衡せず、必ず金融危機を引き起こすと論じたことにある」のです。
そのミンスキーによると、アメリカにおいてケインズ主義的な資本主義であった世界恐慌に対するニューディール政策以降の20年ほどを父権的資本主義、経営資本主義、あるいは福祉国家資本主義という名で分類し、それは最善のものであったとしているそうです。

 ケインズ主義の経済学者をケインジアンと呼びますが、ケインズの教え子であるオースティン・ロビンソンによると「1944年の秋のこと、ケインズは、世の中で『ケインジアン』と呼ばれている人々と自分自身がいかに異なっているかを嘆息しながら、『私は、現在、ただ一人の非ケインジアンであることがわかった。』と述べたというのです。」
先のミンスキーによる主流派ケインズ主義経済学者への批判はきびしく「不確実性のないケインズなど、王子のいないハムレットのようなもの」と嘆いたそうです。

 そして、2007年のこと、それまで異端とされてきたミンスキー、本物のジョン・メイナード・ケインズの理解者であったかもしれないミンスキーは、初めて評価され、敬意を表されることになったのです。



(参考文献、引用)
 「ケインズ」        岩波新書 伊東光晴 著
 「資本主義の預言者たち」  角川新書 中野剛志 著
 「経済学の歴史」   ダイヤモンド社 J・K・ガルプレイス 著
 「ケインズを学ぶ」  講談社現代新書 根井雅弘 著
  ウイキペディア
 「広辞苑」         岩波書店
 

経済と経済学の歴史、私的理解編

2016-06-24 17:23:40 | 経済
 経済と経済学の歴史などと申しますと、なにやら畏れ多い気がしてしまいます。
しかし、経済とは、ホントはとても身近なもの。生きている限り経済と無縁ではいられないということなのでしょうね。衣食住とかね…。
ところが、経済学ということになると、とたんに手を引っ込めたくなります。私ごとですが…。
同じ気持ちの方も多いのではないでしょうか?恐れ入ります…。

 社会思想家の佐伯啓思サンによると、ご自身が大学の経済学部時代であった1970年代のことを振り返って、数学が大規模に導入された当時の経済学、「科学っぽくみせる」アメリカ型数理経済学について書いておられ、その数学のディープさは友人の数学者が驚くほどだったそーです。
その背景には、やはり東西冷戦があり、思想でありイデオロギーであるソ連社会主義のもとになっているマルクス思想に対して、自由経済体制を支持する経済学者の考えは、「アメリカの自由市場体制は『理論的』に正しいことが論証できる。これを支える市場理論は『科学』であって、イデオロギーではない。したがって、西側の自由市場体制は『正しい』のであって、社会主義は『誤り』である。これが当時のアメリカの主張だったのです。……『理論的』に正しい、というもっとも明白な証拠は数学で表現されている、ということだった。」…と。
 さらにピケティを引用して、「私は経済学が社会科学の下位分野だと思っており、歴史学、社会学、人類学、政治学と並ぶものと考えている。(中略)私は『経済科学』という表現が嫌いだ。この表現はとんでもなく傲慢に聞こえる」
社会科学というのは、歴史学、社会学、人類学、政治学とか法学など、人間社会のさまざまな分野についての学問のまとまりのことのようです。
 もうひとつピケティを引用して、「本当のことを言えば、経済学は他の社会科学と自分を切り離そうなどとは決して思うべきではなかったし、経済学が進歩するには他の社会科学と連携するしかないのだ。社会科学全体として、くだらない縄張り争いなどで時間を無駄にできるほどの知識など得られてはいない。」、だそうです。

 経済学は当然、専門的な立場から、経済の政策に影響を与えると思うのです。それどころか、政策そのものに採用されることもあったのです。
しかしながら実際の経済に直接、間接にかかわる全ての人間、それは莫大であり、中でも力、大きな財力を持つ個人や団体の影響はそれに応じたものなることでしょう。さらには規制や規制の緩和、その撤廃などを含めて影響を与え合うと考えると、それらは数学や科学などの純粋な理論の世界とは違った、大変な複雑さ、カオスに満ちていると思えます。

 経済学の始まりはイギリスのアダム・スミスといわれています。「国富論」を書いた人として有名なアダム・スミスはこの本の前に「道徳感情論」で人間の本性が共感にあると書いたのでした。
しかし、現代の経済学の始まりとされる「国富論」においては、「実際、個々人は公共の利益を促進しようと意図しているわけではない、だが彼は単に自分の利益を意図していながら、あたかも”見えさる手”に導かれるように、自分では意図もしていなかった公共目的を促進することになる。」と書かれているそうです。
個々人は自分の欲にかられて行動しても、全体としてはうまくいくもんね~。ということなのですね。
経済学の岩井克人先生によると「『見えざる手』とは、具体的には、市場における『需給法則』あるいは『価格の需給調整機能』のことです。……この『見えざる手』さえ働いていれば、資本主義経済は全ての市場における需給を同時に一致させる「一般均衡」を、自動的に実現することが出来るわけです。」だそうです。
需給というのは、需要と供給のことですよね。このくらいしか解説が出来ないや~。
人間の本質であるとした共感については、あえて「国富論」に書かなくても人間の本性を信じたということなのかもしれません。


 ちなみに脳科学の分野で、大発見とされものにミラーニューロンがあります。これはまさに共感するための働きが脳にそなわっていたことの発見を意味します。
ある行動や行為について、見た時、自分で行動したときにも共に活性化する部分(ニューロン)があることを発見したのです。ニューロンというのは神経の細胞のことです。あることをみたとき、自分が同じ行動したときのどちらであっても活性化するということは、視覚、運動、さらに身体の感覚という非常に複雑なはたらきであるため、1990年代のはじめの発見は衝撃的であったそうです。


 そして、経済学の伊藤光晴氏によればアダム・スミス以降「長い間、経済学の正流は、自由競争さえあるならば経済社会は調和ある状態を続ける、ということを論理的に明らかにすることであった。」 それは1800年代の後半までは「経済という社会の土台からの、政治・政策への批判」だったものが、自由競争が実現された後半からは、「現実の説明をするだけのものにすぎなくなってしまった。」 
そこにおこった経済学の革命。
それがケインズ革命であったのです。 
                                        つづく…


(参考文献)
  人間回復の経済学 神野直彦 著  岩波新書
  心を生みだす脳のシステム 茂木健一郎 著  NHKブックス
  さらば、資本主義  差益啓思 著  新潮新書
  経済学の宇宙  岩井克人 著  日本経済新聞社
  ケインズ   伊藤光晴 著   岩波新書

資本主義は、もう私たちを幸せにはしてくれないの?

2016-06-20 21:48:04 | 経済
  資本主義はもはや賞味期限切れだ!みたいな事をよく目にするようになってきたのではないかと思う今日この頃なのです。
 フランスの経済学者トマ・ピケティの本「21世紀の資本」が話題になって、世の中がこんな感じになってしまったのは、やっぱりそうだったのか~という、格差というものはこうやって出来ていたのかということになったと思うのです。
ピケティの本によれば、格差が拡大し続けるからくりは資本収益率が経済成長率よりも常に高いところにあるということで、資本が生み出す収益の割合のほうが…、つまりは、資産家とかお金持ちとかの、土地や資産などが生みだす利益のほうが、労働の対価としての賃金などを含む成長率よりも多いことがずっと続いているために格差が開き続けるということなのですね。それが積み重ねられ、さらに資本が世襲されることで、格差が固定化されてゆくと…。
 しかしながら国によっての事情の違いがありそのへんは一概には言えないかと…。さらに、ピケティのいうところの資本は資産みたいな意味合いで、一般的なケーザイガクとはちょっと違うみたいですね。フクザツ。
基本的に、資本主義という経済のシステムは格差を作り出すようになっていたということのようなのですね。

 アメリカやイギリス、日本でも経済の運営の在りかたや、国の財政では基本になってしまったような、新自由主義では、小さな政府と、市場の裁量に任せることが経済を成長、発展させるということで規制緩和や民営化を進める政策を行うのですね。
民間に任せられることは民間に任せたほうが効率的であり、よりよいサービスの提供がされて、さらに経済の発展や成長をもたらしてくれるのだというイメージが感じられ、なにやら希望的な気分をもたらしてくれたかつての記憶があります。その頃、はたして新自由主義と呼ばれていたかどうかは定かではないのですが…。

 バブル崩壊後にあっては、それまでの日本的な経営というのは時代遅れで非科学的みたいな印象にさせられて、好き嫌いは別にして、さすがアメリカの経営、経済の運営はすごいんだべ~、って思ってしまいましたね~。なんだかキビシ~ッ!という感じはしましたが、スマートで、格好良くって…。かつての、私の印象です。
具体的なところは、よく分からないのですけれどネッ。で
 その流れは、株主至上主義や莫大な報酬を平気な顔で受け取るCEOと呼ばれる最高責任者に通じるのではないでしょうか。

 新自由主義をすすめてゆくうえでは、重要なトリクルダウンという考え方があって、富めるものが豊かになれば、そこからしずくが滴り落ちるように、その恩恵はいずれ人々に行き渡り格差は解消されてゆくというようなシアワセな説なのです。
 これを裏付ける理論として、アメリカの経済学者であるサイモン・クズネッツが1914年から1945年前後、30年間くらいの所得税の統計や国民所得のデータをもとに座標上にクズネッツ曲線という結果を示したのです。これは資本主義の発展の過程では一時的に格差が拡大するものの、いずれ格差は縮小し解消されてゆくという事実を表したグラフみたいなものです。

 ところが、ピケティの場合は300年前後とかいう期間にわたった調査の結果を基にしているところがすごいのですね。協力者の存在や、クズネッツの時代と違ってインターネットというすごいものが存在するのですね。そうであっても、気の遠くなる努力がなされたと想像できます。

 クズネッツの調べた期間は、第一次大戦や第二次大戦、世界恐慌があり多くの資本が破壊されたり失われたりすることで、例外的に格差が縮小した期間であったというのが、ピケティらの調べた結果から言っていることです。
さらに、クズネッツ曲線が支持された時代背景には、東西冷戦という、西側の自由主義にとってたいへんな脅威であった共産主義思想という異なる経済理論を持ち実践しているソ連などの存在があったからのようなのです。
経済の破綻、人間性の抑圧、自由は奪われ、独裁、そのような問題を抱えながらも勢いのあった共産主義国に対抗しようとしたのですね。

 とにかく、ピケティの「21世紀の資本」は、一時的に拡大した格差はいずれ縮小するというクズネッツ曲線を否定する結果となったのです。
これは、経済の政策などにとっては深刻ではないでしょうか。今を我慢して耐えても、全体としての格差は解消されないで、むしろ拡大することを示しているのですから…。


   (参考文献)
     ピケティ 『21世紀の資本』の衝撃を世界一やさしく解説する「いまの世界経済の」の大問題
                                    西村克己 著(宝島社)
     週間ダイヤモンド 決定版 そうだったのか!ピケティ
     日本人のためのピケティ入門 池田信夫 著(東洋経済新報社)
     ピケティ入門「21世紀の資本」の読み方 竹信三恵子 著(金曜日)
     ウィキペディア      
       
        なんと、「21世紀の資本」自体は、今のところ読んでいないのです。スミマセン。

 世界経済に対する個人的な印象。 

2015-09-25 23:53:28 | 日記
 これは、あくまで個人的な印象なのですが、世界の経済に対して考えていたことです。最近になって経済のことを勉強してみると、まんざら外れていう訳でもなかった気がしましたので、書きました。
点数にするなら45点くらいはいただけるのではないかと、思ったりするのですが。
とりわけ感じたのは格差の問題です。

 自営業のかたわら、それだけでは厳しかった頃、派遣社員として工場に勤めてみたりしました。そこでは、文字通りのあごで使われるということを経験することが出来ました。あごというのか、ゆびさき一本といいますか、とにかくそんな感じでした。
 そういう人のあつかいをする方は少数派と思いますが、正社員と派遣社員との明らかな立場の違いを、ありありと感じました。
これは立場の格差といいますか違いということなのでしょうが、より問題とされるのは同じような仕事をしながらも、明らかな賃金、給与、所得での開きがあるということでありましょう。
さらには、それが積み重なることで、決定的な生活水準での格差が出来上がってゆくのではないかと…。

 格差というものが、かつては南北問題のように地域や国で偏っていたように思うのですが、後進国とか発展途上国などと呼ばれていたような国が豊かになって、国ごと、地域ごとの格差というものがなくなってくると、今度は同じ国の中で格差が大きくなるのだなと思っていました。
90年代は、グローバル化と呼ばずにボーダレス化とか何とか呼んでいたように思います。
派遣社員というのも、その昔にはなかった働き方で、個人的には助かるな~と思っていました。
再就職はいまさら面倒だし、アルバイトやパートよりも時給がいいように思えたもので…。

 話は戻りますが、先進国と呼ばれてきたような国々は、これまでいい思いをしてきた分、きつい思いをしなくてはいけないのではないかと思ったのです。
経済的に遅れをとってきた国々が成長、発展という段階になると、先駆けて経済発展をしてきた国々に追いつくまでの期間、安い労働力、安い商品が供給されることになって、分の悪い競争にまきこまれることになってしまうのだろうと…。
 それは世界中が同じような経済の状態になる時まで続いて、その後はというと、一応は落ち着くものの、以前のようにいい思ができるということは二度とやって来ないのではないだろうかと、漠然と考えていました。

 アベノミクスについては、いいところ5年くらいは少し楽といいますかほっとできるかなと、一応期待はしておりました。  
 しかし、実際はというと、もっと厳しい将来が待ち構えている可能性が高いような気がしています。いろいろ勉強してみて、世界がこのままの状態で進んでゆくならばですが… 

4本のアメリカ映画と,「貧困大国アメリカ」

2015-07-30 17:02:35 | 日記
 先回、先々回と二回くらいは、ちょっと無理をしてしまった。頭が痛くなるような、難しいことに挑戦してしまったかも…。
 今回は軽やかなイメージを重視して、アメリカの映画の話で紹介します。
少し古めの映画ばかりとなります。

おバカな近未来?と思ってしまいました。「ロボコップ」
 一本めは「ロボコップ」です。割と最近リメイクだか新作だかがつくられたみたいですが、古いほうです。
新しいのは見てないし…。
 ロボットの警察官(正確にはサイボーグ?)の活躍の話です。舞台は近未来のデトロイトで、市の財政が破綻みたいな状態になって、オムニ社が強力な経済力でもって市の運営を乗っ取ってしまおうかというところなのです。すでに警察の運営もオムニ社が行っていて、人件費のかからないロボコップをつくっちゃったいうところでしょうか。

 これは1987年の作品で、当時の自動車の街デトロイトは、日本車の攻勢を受けてひどい有様だったそうです。実際に2013年には財政破綻になったのですね。
 そしてこの映画の印象はと言いますと…、冗談が過ぎると思いました。
ロボットが活躍するみたいな話は好きなのですが、映画全体の印象がブラックユーモアな感じだと思いました。オムニ社の自動車は、盗もうとすると感電死するとか、戦争に使えそうな兵器を作って一般向けに売り出したり、製品やコマーシャルもそう思いましたが、何より一企業が市を運営するとか警察も経営するとか、さらに待遇が悪くて警官がストライキしたりして、悪い奴らが好きほうだいにやってるとか ありえないと思ったのです。 
映画とはいえ、冗談が過ぎると思いました。
 でも、今思うと冗談とはいえなかったのですね。

見ていて苦しい農家の映画、二本。 
 次に気になったといいますか、のどに刺さった小骨みたいに感じたのが、1984年ころの作品で、メル・ギブソン主演の「ザ・リバー」と、ジェシカ・ラングの「カントリー」でした。
どちらも2000年代に入ってからビデオで見ました。この二本は、私の中のアメリカのイメージとは違っていたので、おかしいなと、見てはいけないものを見てしまったみたいな気がしました。
 1984年といえば、ロバート・レッドフォードの「ナチュラル」があって、1930年代が舞台の野球の映画ですが、最初と最後は主人公、ロイの故郷で、古きよき時代の幸せな農村なのです。
陰謀と大金が渦巻くメジャーリーグで、主人公が夢を追いかけてがんばるぜ!というストーリーなので、農村のシーンとその象徴みたいな幼ななじみの女性の出てくるシーンはほっとします。
 しかし「ザ・リバー」と「カントリー」は息が詰まるようです。その貧しさ、ぎりぎりの生活の中で農業を行い土地を守り、生活と仕事の場である農場から追い出そうとする企業との戦いが描かれています。
家族経営の農家が、その地域で支配的な力を持つ企業に対して、時に粘り強く、時に法の手を借りて何とか土地と家業を守りぬく。さらに銀行も以前と違って力になってくれない。
今年は何とか乗り切ったものの、来年は無事に農家を続けてゆける何の保証もないなと、見ていて苦しくなります。
こんなことが現代のアメリカの農家で現実にあるものかと思いました。

 きっと、これはほんの一時期のことで、ある地域に限られたような例外的なものだと思っていました。お恥ずかしい。
堤美香さんの「貧困大国アメリカ」を読むまでのことです。


本当はこんなことになっていたのですか?「貧困大国アメリカ」
 堤美香さんは、商社勤務時代に起こったアメリカの同時多発テロを貿易センタービルの近くで目撃し、それをきっかけにジャーナリストへと転身されたそうです。
 「貧困大陸アメリカ」シリーズには、映画以上に信じがたいアメリカの姿が描かれていました。
かつて、豊かで幸せがあふれていたようなアメリカの姿。
70年代の初めころまでは、メイドイン・アメリカのホームドラマがテレビの画面の中に多く流れていて、ドラマの中のアメリカにあこがれた日本人がたくさんいたのですね。
少なくとも、著者の堤美香さんは、ドラマで見たようなアメリカが大好きであったそうです。
 
 「貧困大国アメリカ」、「貧困大国アメリカⅡ」、「(株)貧困大国アメリカ」。岩波書店からの三部作に続いて、集英社から「沈みゆく大国アメリカ」、「沈みゆく大国アメリカ(逃げ切れ!日本の医療)」と出されていて、私は、それ以外の著書は、今のところ読んでおりません。スミマセン。
 これらのタイトルを見れば、その内容が分かろうかというものですが、それは気のめいる、青ざめるようなものです。
 読みやすいし、希望を見いだせる活動も紹介されています。是非読んで欲しい本です。

 1980年代レーガン政権は、新自由主義と呼ばれる経済政策を採用したのです。
それは小さな政府を目指すもので、規制緩和の徹底、減税、予算の削減、政府の仕事を減らして、民間に任せられるものは民間に任せ…、といった感じだそうです。
度々スミマセンが、私は経済カンケイは苦手です。
でも、素通りできないので、取り組んでみたら、面白みが分かってきたってトコロで努力中です。読んでみると、分かりやすくておもしろい本がケッコウありますしネ。
 
 堤美香さんの著書にはブッシュ政権、オバマ政権のアメリカが報告されています。
ブッシュ政権(息子さん方)ではレーガン政権以来の新自由主義、市場こそが経済を繁栄させるというミルトン・フリードマンの理論をベースにしています。
「政府機能は小さければ小さいほどいいとして、規制緩和を進めて教育や災害、軍隊や諜報機関など、あらゆる国家機能を次々に市場化していくやり方だ。」そうです。
具体的な内容をかいつまんで、紹介します。

「貧困大国アメリカ」
 SNAPという一定基準に満たない貧困層に対して食料品に限っての支援を行うシステムがあるそうです。
食料品メーカ、大手スーパー、支援を各家庭に配布するための金融機関、カード会社、などはこの制度によって潤うのです。支援の受けた人達は助かりながらも、支援される安い金額では、買えるのが栄養価が低く高カロリーのジャンクフードと呼ばれるようなものが大半を占めることになり、肥満、病気を増やすことになっているようです。

 医療費の高さも世界トップクラスで、保険会社、製薬会社がとんどん医療費を吊り上げても、出所は税金ということなのですね。
貧困層や高齢者向けの公的保険は問題が多く、対象になっている病院は少なく、保険によっては医師は保険会社の許可なく治療すると、保険会社から治療費が支払われず、医師の目の前で治療されずに亡くなる患者も存在するそうです。
 新しい保険である、通称オバマ・ケアと呼ばれる保険では、もともと高い保険料が値上がりする人が大部分で、さらに加入しなければ罰則金がついているのです。必要以上とされる治療をした場合、医師が罰せられるということも起こりうるそうなのです。

 大学は授業料が高騰し、卒業しても望むような就職口はなかなか無く、学資ローンはローン会社などの働きかけが功を奏し破産が許されないものになっていて、返済に困った人達を好条件で受け入れてくれる場が、軍であったりするようです。
大学もビジネス化が進み、真理を探求するのみならず、利害の絡む情報や主張を流し利益を目指すことが増えてきているようです。
 ちなみに、マスコミも、現代にあっては、大口な広告料の出処をチェックすることなく、情報をうのみにすることは危険なのですね。

 戦場では、傭兵の会社も存在するようですが、戦闘以外の調理や運送などはアメリカ以外の国も含めた、貧しい人々が人材派遣会社によってリクルートされるのだそうです。これらの人々は民間人に当たるために、たとえ戦場で亡くなっても戦死者にはカウントされないそうな。 

 世界トップクラスの受刑者がいるアメリカでは、刑務所の民営化も進んでいて発展途上国よりも安い破格の労働力になっているそうで、供給源のひとつホームレスに対しても厳罰化が進んでいるようなのだ。
もうひとつの供給源は、メキシコなどからの不法な移民であるようです。

そのココロは、貧困大国の貧困農家!
 「ザ・リバー」と「カントリー」、2本の映画で疑問だったことも、すとんと腑に落ちてしまいました。
モンサント社などの巨大農業ビジネスが、とにかく安い食料を大量生産するために、まずは大規模にまとめられた農地が必要であり、その上で除草剤と除草剤に耐性を持つ遺伝子組み換え作物とのセットで農作物を栽培。
他にも害虫などを寄せ付けない遺伝子を持つ作物。
ぎゅうぎゅう詰めに飼育される家畜は、病気を防ぐために抗生物質を投与され、成長促進剤を注射される。
おかげでアメリカでは、病気になったとき抗生物質が効きにくい人が、ケッコウいるそうな。
そして、安全性についても大丈夫。法や規制を緩和して骨抜きなチェックや企業を守ってくれる法も整備してあるのだ。
 戦争で農作できなくなったイラクに支援としてこの農法が輸出され、ハイチには災害支援として輸出された。インドには政府の指揮を得てビジネスとして…。
ドル建て債務の超過におちいったアルゼンチンには、アメリカが主導権を持つIMFを通じて。他にも南米のいくつかの国に対しても…。
 韓国も90年代末のアジア通貨危機のときに、IMFの支援を受ける代わりに何かと条件をのむことになり、さらにアメリカとの二国間のFTA(自由貿易協定)を結んだのですね。
 メキシコとカナダはアメリカとのNAFTA(北米自由貿易協定)によって…。
このために貧困に陥ったメキシコの農民にはアメリカに入国し、結局アメリカでも不利な条件下にあることなどから、貧困のため軍や、犯罪を犯して刑務所へということになる人も多いようです。
 ここで扱われる作物の種子はGM種子というもので、作物の収量が多いかわり種子としての使用が一代限りしかできないというもので、さらに知的財産権というものが設定されているのですね。
これによって下請けの農家は、かつての農奴のようになってしまって、企業の重役や株主は天文学的な報酬や利益を得て、消費者に対しては法改正の努力によって安全性が損なわれてきているのですね。
 また、メキシコ出身者は、英語がろくに分からないまま、サブプライムローンの餌食になった人も多いのですネ。

貧困大国のリッチな人々。
 2005年8月、ハリケーン・カトリーナの被害で町が壊滅状態になったニューオリンズ。これも、連邦緊急事態管理庁の民営化による人災と言う声もあるようです。
このハリケーンで被災者にはアフリカ系アメリカ人などの貧困層が多く、その救済に税金が使われれることに対して、富裕層からの反感が多く、その結果、富裕層ばかり10万人ほどの、完全民営化の自治体、サンデイ・スプリングスが誕生したのでした。
ここは、世界の富裕層から注目され、視察が訪れているそうです。

 アメリカでこれらのことが実現した背後には、政治家に働きかけるための、ロビー活動が有名ですが、現在では回転扉と呼ばれる政府とビジネスの世界を行ったり来たりするシステムが出来上がっていて、自分たちの業界に有利な法改正などの成果を挙げてビジネスに戻ってきた人には、高待遇が待ち受けている。政府に向かう人は、不正を行わないよう持ち株を処分しないといけないのですが、非課税になっているそうです。
 ほかにもタネがあって、各州を単位とした州議会議員に対して行われていた。ALEC(米国立法交流評議会)です。
各州の自主的に参加している州議会議員と多くの会費を払って参加している企業がモデル法案を作成―もちろん自分たち企業にとて都合のよい法案―、参加した議員たちに各州に持ち帰ってもらい、州の法律に加えてもらうという集まりです。
日本はこのアメリカを含む国々と環太平洋パートナーシップ協定を結ぼうとしているのですね。
怖い気がします。

されどアメリカは…
 しかし、アメリカは日本にとって非常に重要な同盟国であり、日本を取り巻く状況は、決して安心できるものではなく、いざという事態があった時に最も頼れるのはアメリカでありましょう。
 レーガン政権、続くブッシュ政権(パパの方)では、共産主義国のソ連を崩壊に追いこみ、冷戦という世界的な危機の時代を終結に導いたのですね。
豊かなアメリカは日本に経済的な恩恵を与えてくれたのは事実なのですしね。
 グローバル企業、多国籍企業が政府とくっついて強欲に走ってしまった、問題はここにあるのであり、深刻なアメリカの経済の抱える問題。必要以上に拡大して考えることは別の危険であろうかと思うということを付け加えたいと思います。
何より堤美香さんの著書をお勧めします。知るということが日本が巻き込まれないためにとても大切かと思います。


結論です。
 それまでは法の縛りの中でその経済活動をコントロールされていたのに、グローバル化によって巨大化した多国籍な企業はやすやすとその資本とともに、また資本自体が一国の政府などの枠を超えて自由に動き活動する術を手にしてしまったのでしょう。
あたかも、巨大な台風やハリケーンを思わせます。
そこには、たくさんの熱エネルギーを含んだ海水のような存在があったからこそでしょう。
新自由主義のもと様々な政策にによって…。
世界を駆け巡る、有り余る資本…。
結果として圧倒的な貧富の格差が出来あがって、さらにそこから新たな貧困ビジネスが政府を巻き込みながら展開していったというように見えます。
これらについては、また今後に触れることにいたしましょう。
 
 そして、最後の映画は「ローラーボール」。
これは、わりと最近見たのです。映画のことはずっと昔から知ってましたけど。
1975年のアメリカ映画。ジェームス・カーンが主演です。「ゴット・ファーザー」で、長男役をやった人です。
これも「ロボコップ」みたいに近未来が舞台で、暴力的で過激なスポーツ、闘技と言ってもよいかもしれません。ローラーボールというスポーツが大人気で、人々を熱狂させている世界です。
そこでも、巨大企業が社会を管理しています。所属する選手は結婚も企業の人事異動のように管理されています。そして引退時機までもが…。
主人公は、どうしょうも無いみずからの置かれた立場に疑問を持ちながらも闘い続けるのでした。観客が声援を忘れて沈黙してしまうほどに…。

神がなければ、すべては許される。(ドストエフスキー) ジャン・ポール・サルトル

2015-06-26 17:23:20 | 日記
 「もし神が存在しないとしたら、すべてが許されるだろう。」 ドストエフスキーが言ったこの言葉。これこそが実存主義の出発点だと言ったのが、サルトルです。
サルトルは、実存主義の哲学者と言われています。先回のニーチェらも、実存主義といわれます。

 実存主義とは、個々人についての問題を解決するための哲学ということになるのでしょうか。
本来の人間のあり方について、あるいは”本来の”というものが存在しないのなら、理想の人間…、人間のあるべき姿。人はこれを現実の社会の中でなくしてしまって、絶望したり、不安にとらわれたり、生きている価値や意味が見いだせないでいる。いかにすれば、この状態から開放されるのかということについて、取り組んだのが実存主義の哲学かと。 

 19世紀の初めころ、キルケゴール(実存主義の始まりといわれる人です。)や、ショーペンハウアー(ニーチェに影響を与えた人で,やはり実存主義の人です。)は、当時、存命中であり、偉大なる存在感を放っていた哲学者、ヘーゲルの哲学に嘘くささを感じていたのでした。
 同じ時代に、同じ大学であるベルリン大学で講義を受け持っていたショーペンハウアーは、世代は違うものの、ヘーゲルに強力な対抗心を燃やしていたのでした。でも、ぜんぜん勝負にならなかったそうです。
 ショーペンハウアーにしてみれば、「生きるということは『この私』がどう生きるかの問題でしかない。そして人生は『苦悩』なのであって、そこを直視せずに歴史や人類の進歩などと浮かれたことを言う人間は信用に値しない。」
これは、考え方、主義主張…、簡単に言うと好みの問題ということになってしまうのではと思いますが、孤独の中で深刻に人生に向き合っている人間からすると、熱狂とともに希望を語るヘーゲルの立場はお気楽に見えたのかもしれません。

 ヘーゲルの哲学は、カントから始まる観念論と呼ばれる哲学の流れを完結させたと言われます。
人類や宇宙の存在、歴史に関するような普遍的であり本質的な問題を扱い、当時のプロシア(現在のドイツにあたる)こそ、歴史が求めてきた理想の国家であると。絶対精神から出発し弁証法によって、正反合という発展の過程を重ねながら。到達すべき理想の国家こそが未来の理性国家としてのプロシアであると信じたヘーゲル。
 ヘーゲルの哲学の普遍的な発展の法則である弁証法での正反合とは、もともとの存在や状態(正)に対して、(正)に内包されていた対立するもの(反)が現れる。
その矛盾や相克を乗り越えようとすることで、新たな段階(合)へと発展し、この(合)を新たな(正)として正反合の段階を,必要なくなるまで、すなわち目的に至るまで繰り返すというものです。
その目的こそ、絶対精神が自己を実現し認識するための理想の国家でありました。

 その後、弁証法を中心としたヘーゲルの哲学は、ヘーゲル左派と呼ばれた人達によって、精神的なものではなく、物質的なものが全ての根本であるとする方向へと転換させられ、とりわけ急進的なカール・マルクスによって共産主義の哲学である唯物弁証法へと姿を変えさせられもしたのでした。

 さて、サルトルですが、サルトルは哲学者であり、小説家であり舞台の戯曲の作家でもあります。ノーベル文学賞の候補に選ばれますが、辞退しています。
結婚はしなかったものの、生涯を通じたパートナーとなったヴォーボワールも小説家であり、評論家であり、哲学者です。 「人は女に生まれるのではない、女になるのだ。」と、女性らしさは社会によって作られたものにすぎないと、主張した著書、「第二の性」が有名です。
 サルトルは、行動する哲学者。現実の世界に積極的に関わってゆくことをアンガージュマンと呼んで、精力的に活動し生きたのでした。
ヴォーボワールとの関係も、自身の実存主義哲学の、実践にほかなりませんでした。
実は、サルトルのしたごころな動機によるところも大きかったようですが…。

 サルトルの実存主義、「実存は本質に先立つ。」 という有名な主張は、著書の「実存主義とは何か」の中にあるのですが、そもそもはパリで行われた、「実存主義はヒューマニズムである」という講演がもとになっています。
 この公演では、会場に入りきれないほど多くの人がつめかけて、卒倒する人も続出。翌日の新聞はこぞってこの騒ぎを書きたてたため、サルトルは一夜にして有名人になってしまったそうな。
 人間の存在は偶然である。
人間は最初はなにものでもない。
人間はみずからがつくったところのものになる。

 実際、私たち人間は気がついてみると人間として存在しています。人間はどこから来て、どこに向かうのか。普通に現実的に考えてみるなら、これは説明できません。
そのような人間の現実に対して、サルトルは的確に、解決のための提案を行ったことになる、ということなのでしょう。

 なにものでもない人間。突然に現れ、なにものであるのかを他の存在から決められることのない自由な存在である。
人間はみずから人間になるのであり、みずから選んでつくったところのものになる。
それは、自分ひとりのことにとどまらず、社会や世界の一員である以上、社会や世界の進む方向に一票を投じるような意味を持つと考えたのでした。
 しかし、この自由は、自分で選択するということであり、それは不安であり、重荷である。
サルトルは、このような自由に対して「人間は自由であるように呪われている。」と、あるいは「自由の刑に処せられている。」と表現しています。

 自由であることに対して、みずからなにものになるかを選ぶ人間。それは主体にほかなりません。サルトルにとっての人間は主体であり、人間と人間の関係は、主体と主体の互いに相手に勝ろうと競いあうような相克の関係です。それは、視線を向けるもの、向けられるものの関係であると考えたのでした。

 ところで、サルトルの哲学は、現象学のフッサールと、実存主義のハイデッガーの存在論からの影響を受けたものであるといわれます。
 フッサールについては、認識すること、知るということの方法について、人間の意識そのものを問題にしたのです。人間は誰しも習慣性や先入観があります。それは過去の経験の積み重ねといってよいかもしれません。誰しも、多かれ少なかれ、年を重ねるほどに頑固さのようなものが増える?…、強くなるのではないでしょうか。
フッサールは、確実な思考の方法として、経験的なものを除いて、純粋な意識で思考する方法を提案したのです。それは純粋な意識の中に現れてくる純粋現象であり、志向の作用(ノエシス)と志向の対象(ノエマ)であるとしました。

 もう一人のハイデッガーは、サルトルに似た思想であります。ともに実存主義といわれるだけあって…、と言ってしまうと、とってもアバウトということになるのですね。
でも、かなり話が長くなってきていますので、違っているポイントをひとつ…。
人間は、理由も無く世界に投げ出された存在で、不安の中にあるが、その不安をつきつめると、死への不安に至る。
人間とは結局”死への存在”であることを積極的に受けとめて、みずからを未来に投げかける(投企)。これは、サルトル風に言うと選ぶということなのではないかと…。そして何を基準にして自己を投げかけるかといえば、”良心の呼び声”であるのです。

 ところでハイデッガーの場合には、自己を投げかける、選択するのに”良心の呼び声”という基準を考えていたのですが、サルトルの場合は、これといった基準が示されていません。
 「もし神が存在しないとしたら、すべてが許されるだろう。」…、これは、そのまま受け取るならば、恐ろしい思想です。サルトルは、決してそのままの危険な主張をしているつもりではないのでありましょう。

 ニーチェの場合を考えてみると、一番有名な、ニーチェの思想の影響を受けた問題な例を挙げるならば、ヒトラーということになってしまうのでしょう。ニーチェ自身は、ナチスの支持者ではないし、反ユダヤ主義にも反対の立場をとっているし、妹のエリザベートが夫の影響でナチスの支持者ということもあって、こちらの責任が問われることが多いと思うのです。
しかし、「権力への意志」こそが根本であるとしたことは、当然そのような結果をももたらす危険性が…、あると思えてしまうのです。

 私たちは、日常の生活を送る中で、新聞やテレビで信じられないと思うような、凶悪であったり異常な理不尽と思える事件や出来事を目にすることがありますが、そんな時、「もし神が存在しないとしたら、すべてが許されるだろう。」という、ドストエフスキーの言葉が思いおこされます。(スミマセン。ホントは、思い出さない時のほうが多いかも…)

 19世紀の中頃、トルコとのクリミア戦争に敗れたロシアは、その後進性が明らかになって、国内の改革である近代化を考えるべきという空気が流れたのでした、それは敗戦が、トルコ側で参戦したフランス、イギリスによるものだったためで、この二国は近代化の先頭を切った国でした。
とりわけ産業革命を実現したイギリスで始まったとされていて、産業革命に至る環境や科学技術はもとより、産業化を中心にした政治的、社会的、心理的な変化などによって生産力や環境のコントロールの能力を高めてゆくことなどを総合したものが近代化ということになるようです。
ロシアが近代化のために行ったのが、農奴解放でした。
 しかし解放の内容は、農奴であった農民たちにとって、経済的には農奴時代よりも厳しい支配や拘束を受けるものであったため、それ以前の領主と農民との対立的な関係もありロシアにはテロなどの不穏な空気が漂うことに…。
結果的には、神なき唯物思想、物本主義である共産主義のソ連へと向かいつつあった帝政ロシアで起こった凶悪な事件やテロが、ドストエフスキーにとって「悪霊」や「カラマーゾフの兄弟」のアイデアにつながったといわれています。  

 このような時代の中で、ドストエフスキーの父は農奴によって殺害された領主であったのです。生前の姿は、決して尊敬されるような人物ではなかったのだそうです。
「カラマーゾフの兄弟」の主題は、”父殺し”であったのですが、それは肉親の父を単に意味するのでなく、ロシアという国の父にあたる皇帝。さらには人類全ての親としての神の存在。
 ニーチェは、著書で「神の死」を叫びました。
そのニーチェからの影響もあったとされる心理学者のフロイトは、父と息子、そして母との関係を、ギリシャ神話のオイデプス王の話になぞらえて、エディプスコンプレックスという心の中の抑圧の原因を考えたのですが、このフロイト学派の格好の分析の材料として、父の殺害がテーマの「カラマーゾフの兄弟」そしてドフトエフスキーは取り上げられたのでした。

 「もし神が存在しないとしたら、すべてが許されるだろう。」
実存としての人間は自由で、選び決めたことは、すべてが許される。…これは、現代社会の中で悩める人にとって力となったといえるかもしれませんが、それ以上に、深刻で重大な問題が起こることに対してのお墨付きを与えてしまったのでないかと思うのです。
ドストエフスキーが否定的に使ったこの言葉。
サルトルは肯定的な意味で引用しています。
そして、この言葉の正体はというと…、悪魔の誘惑であると同時に、人類への警告のの言葉ではないでしょうか。

神なき世界を力強く生きよ   フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

2015-05-18 23:46:00 | 日記
 これまでに、それとなく書いてきたものに比べると、哲学はあまり好きでなかったし、何より得意とは言えないのです。
しかしです、現代を生きている我々の価値観とか、人生観といったほうがよいでしょうか。物の考え方などの基本になることは何であるのだろうかということになると、避けて通れないのがニーチェであるという気持が強くなってきて、がんばって勉強してみました。

 ニーチェの思想はニヒリズムと言われます。ニヒリズムとは意義や目的の不在、倫理や道徳の根底を成すような価値観が説得力を失ってしまったことを言うのでしょうか。
ニヒリズムを広辞苑で調べてみると、「虚無主義。真理や道徳的価値の客観的な根拠を認めない立場。伝統的な既成の秩序や価値を否定し、生存は無意味だとする態度。これには逃避的なものと、反抗的なものとがある。」 というようなことが書かれていました。ちょっと私がまとめたりしましたが…、さすがです。分かりやすい。
ニーチェの場合は、後者ということになるのでしょう。ニーチェは1844年ドイツに生まれの哲学者です。
そして、前者といいたいところですが、そう単純には言い切れない哲学者、ショーペンハウアーから、ニーチェは最も大きな影響を受けます。

 ショーペンハウアーは、哲学者の中で、初めて無神論者であることを表明した人です。
私たちを含む世界には、意味も目的も無い。人の人生は逃れることのできない死で終わる意味の無い悲劇。さらに完全に満足することの無い欲望。生の根本は、「盲目的な意志」である。
しかし、人間はつかの間、このような状態から開放される方法があるとしたのです。それが芸術で、とりわけ音楽こそ、その点で最も優れていると考えたのでした。
 かようなショーペンハウアーの哲学は、多くの一流の芸術家に影響を与えたのです。トルストイやツルゲーネフ、モーパッサン、ゾラ、トマス・ハーディ、チェーホフ、サマセット・モーム、トーマス・マン、バーナード・ショー、詩人のリルケなどで、さらに作曲家のワーグナー等で、ワーグナーこそはギリシャ悲劇を復興させるヒーローと、ニーチェは尊敬し、親交を持ったのでした。後に世俗な姿を見ることになり、決別するのですが…。
このような点から分かるように、ショーペンハウアーは、偉大な哲学者のみならず、偉大な文学者であったそうです。実際の文章は、翻訳されたものをほんの少ししか読んでいません。すみません。他にもフロイトやユング等も、その影響を受けました。
ニーチェがショーペンハウアーから最も影響を受けたところは、思想そのものよりも、人が生きてゆくべき現実の厳しい人生を直視したことだったと言われています。

 ニーチェの受けた、もうひとつの影響は反キリスト教です。ニーチェ自身は、父も祖父も牧師という家系の出身であり、母と祖母の家系も牧師などを務めていたのですが、キリスト教に対して激しい批判を行ったフォイエルバッハの著書などからの影響を受けました。
 ニーチェは、キリスト教、また、ヨーロッパの文化全ての基礎になっている神はルサンチマンによって生み出されたと考えました。ルサンチマンとは、うらみ、ねたみなどを意味します。代表的な著書の「ツァラトゥストラはかく語りき」の中では、”無力からする意思の歯ぎしり”なのだそうです。最も孤独な悲哀であり、すでになされたことに対する無力。
神も天国もキリスト教も、どうしようもないルサンチマンから逃れるために生み出されたのであり、観念の中で復讐するため、強者になるために生みだされたと考えました。”つかの間の幸福の妄想”という言葉も使われています。
それらは、弱者の心をなぐさめ、紛らわせたのみではなく、優れた者、力ある者をひきおろし、平均化、矮小化したと見たのです。
 そして、著書「ツァラトゥストラはかく語りき」の中で、「神の死」を叫んだのですが、その前年の著書、「喜ばしき知」では、「俺たちが神を殺したのだ。」と叫んだのでした。
それは、科学などが発展し、神秘と思われていたことが次々と解明されるなどということがおこってきた時代背景というものがあったと思うのです。
雷は神の怒りではなく電気によって説明されるようになり、天空の力の法則は、われわれが地上で経験する重力と同じであったのです。
現実的に考えれば神や天国の存在に対して、懐疑的になってゆく社会の雰囲気があるにもかかわらず、キリスト教に基礎を置く価値観が、相変わらず支配的であることに対する当然の疑問であったのだろうかと思われます。
当時の状況の中では、的確な問題提議であり、勇気ある主張であったのだろうかとも思うのです。
 ツァラトゥストラとは、日本語で表記するなら、ゾロアスターとなります。かつて拝火教と呼ばれたゾロアスター教となんら関係はなく、ただキリスト教と全く無関係であることを、重視したのです。
そして、「ツァラトゥストラはかく語りき」では、一般の哲学書のイメージとは、少々趣きを異にした文学的な魅力的な文章で表現されていたのでした。それは、神なき世界における聖書を目指したのだと思うのです。実際、宗教改革をおこしたルターの訳した新約聖書と、文体が近いそうです。
 ツァラトゥストラの語る言葉は、神の言葉を語ったイエス・キリストではなく、神なき世界を力強く生きていくための、新たな価値観を伝える言葉だったのです。
「人間存在は偶然である。世界と宇宙に何の必然性も無い。このニヒリズムの確認、その恐怖の直視。」 ニヒリズムを肯定的に受けとめる。ニーチェによれば、人間、そして世界の本質は。”盲目的な意志”ではなく、強くなろう、支配したいという強力な意志、”権力への意志”である。これを体現した理想像を、人間を超えた”超人”であると伝えていたのです。
 「ニーチェ以降のドイツ文学で、ニーチェの影響を受けていない作家はほとんどいない。」といわれるほど、ニーチェもショーペンハウアーと同じく、多くの芸術家に影響を与えたのです。 それは、直接、間接、さらにドイツ以外の世界の国々へと…。
 
 そして、神の死を叫んだ後の世界は、神の裁きを受けるわけではなくても、新たに別の困難を抱える世界へと舵を切っていったのではないかと思うのです。

宗教は、アヘンである。 ― レーニン

2015-05-01 23:31:50 | 日記
 これケッコウ有名ですよね。
 かつての共産主義の盟主国、ソ連の初代、そしてソ連共産党の初代指導者ですね。この方が、他になにを語られたり、書かれたりしたのかは知らなくても、これだけは知っているみたいな言葉ですね。
 でも、山本七平さんは違うようで、出所のはっきりないものについては鵜呑みにされないのです。かつての共産国であるポ-ランドで、当時共産主義の時代であるのにもかかわらず、共産党員がみな、日曜日に教会に出かけてゆくのを見て、驚いたある人が、「なぜ、共産党員が教会に行くのか。」 と尋ねると、「なぜ、共産党員が教会に行くと不思議なのか?」 と答えたそうです。当時社会主義であったエジプトについても、同じような話を聞いたそうで、なぜ日本に、このレーニンの言葉とされるものが、疑問もなく広まったのかを考えられたのです。
 山本七平さんは、クリスチャンです。日本においては、少数派であるクリスチャン。そのクリスチャンの中でも、さらに少数派である無教会に属されていたのです。1991年に他界されています。日本における、とりわけ、かつてのと言ったほうがよいのかも知れません。クリスチャンに対する冷笑、酷評や罵倒。もっと言えば、さげすむということも、当然あったでしょう。そのような言動が生じる原因はどこにあるのか。
 七平さんと同じく、無教会の先輩。内村鑑三さんのところでチラリ紹介しました、矢内原忠雄さん、この方、熱く怒っておられます。本を探したのですが、どこにしまいこんだのか…。ということで、うろ覚えなところもありますが…。
これも、時々耳にする話と思うのですが、それぞれの宗教というものは、ひとつの山の頂に向かう道のようなもので、結局同じところにたどり着くのだ、同じじゃないか。宗教というものは結局どれも同じであるやと。
しかし、これは山に登りもせずに、ふもとからのんびり眺めている人の言うことである。山も登らずエラソウにいうな!というような怒りだったと思うのです。
 対して、そのように言う人は、宗教をするものたちなどより、私は上である。宗教などというものより、私たちが、現実の世の中と向き合ってやっていることのほうが大人じゃん。というニュアンスがあるのではないかと思うのです。
 「宗教は、アヘンなり。」 宗教は麻薬である。この言葉がかなり広く受け入れられる日本。それはなぜなのか?現在では、よく分かりませんが、少なくとも過去においては、ケッコウ有名な言葉。
 その答えとなる一人を、七平さんは、江戸時代の思想家、石田梅岩に見いだしたのでした。そのものズバリと、諸宗教はことごとく薬であるから、患者に合うように適当に調合して与えることが必要と言ったそうです。
梅岩という人は…、よき日本人というイメージでしょうか。質素倹約を旨とし、勤勉。商人としての経験があり、平民、商人のための倫理学、石門心学という学問の開祖になった方です。その思想は、神道、儒教、仏教の三つの教えをまとめたものだそうです。
なんとなく二宮尊徳に似ている気がします。
そして二宮尊徳にいたっては、人が、貪欲や怒り、愚痴などの毒におかされないように宗教を丸薬にして服用するのがよく、その調合の割合についてまで説明されていて、神道が二、仏教が一、儒教が一であるそうです。
これをテレビで伝えたので、さぞ反響やいかにと思ったそうですが、無反応といったところだったそうです。
 私、これについては心あたりがあります。ビートルズに「キリスト発言」って事件があったのです。ジョン・レノンが調子に乗ったのか、傲慢になったのか、記者会見だかインタビューで、ぺロリと 「今の自分たちは、イエス・キリストより有名だ。」 みたいな事を言ってしまったのですね。そしたら、アメリカでは大騒ぎになって、ビートルズのレコードを集めて、どんどん燃やしたりしたのです。フィリピンもたいへんだったそうです。
本国のイギリスは、そんなでもなかったそうです。もちろん日本も…。なんか似てるみたいです。
 石田梅岩、二宮尊徳のありがたいお言葉。これを外国のキリスト教徒、ユダヤ教徒が聞いたら、あぜんとして暫く声も出ないのが普通だそうです。
そして本屋さんで見つけた人生論の本には、梅岩や尊徳の主張のごとく、聖書の言葉、仏典、四書五経が整然と並んでいて、梅岩の処方箋、尊徳の丸薬のごとくに売り出されていたそうです。
こういう本、今でもありますよね。

だいぶ私の考えも織り交ぜましたが、以下参考文献です
「静かなる細き声」 山本七平
「キリスト教入門」 矢内原忠雄
そして、ウィキペディア   ありがとうございます。

人は、神様を必要とする?(アルコール依存の互助グループ、AAの出発とユング。) 

2014-05-31 17:01:30 | 人生
 お待たせいたしました。
これは、けっこう最初の方で、心理学者のユングの話のところで触れて、ず~と先送りしていた内容です。
AAとは、アルコホリック・アノニマスという英語の頭文字で、無名のアルコール依存症たち、という意味になるのだそうです。
現在、世の中にはさまざまの依存症というものがあって、それは依存している本人を苦しめるのみならず、まわりの人をも苦しめるのですが、これは本人の努力や。意志の力だけではどうしようもないもののようです。
アルコールへの依存から、アルコール依存の夫を支え世話をやく妻のように、アルコール依存者のパートナーに多い共依存、その子供に多く見られたアダルトチルドレン。これらは、カウンセラーや治療にあたったセラピストたちの間から出てきた概念です。

 アルコールへの依存、薬物への依存、仕事への依存(ワーカホリック)、拒食や過食などの食物への依存、さらには家庭内暴力などDVの被害者、性的虐待などの被害者、これら、心の傷(トラウマ)や心の病の治療は簡単ではないようなのです。いったんは直ったように見えても、何かのきっかけで再発を繰り返すということが多く、完治ということは得がたいようなのです。
そのような中にあって、セルフヘルプと呼ばれる、相互扶助的な活動は多くの依存症などに苦しむ人々に対して、効果をあげているそうな。斉藤学先生は、とりわけその方面での活動で有名であり、多くの成果を挙げておられます。今回の記事は、かなりの部分斉藤先生の著書「魂の家族を求めて」からの受け売りです。すみません。

 これらさまざまの相互扶助的なセルフヘルプグループの始まりと呼べる存在こそが、AAであり、そのAAの始まりとなったのは、アメリカ人医師のロバート・スミスがアルコールから自由になった日とされているのですが、そのロバートに断酒をすすめるために訪問したのがビル・ウィルソンという、かつてはウオール街で活躍した証券ブローカーでした。ビルは、既に約5ヶ月ほど禁酒を続けていたのだが、辛くて仕方がなく、支えあって禁酒を続ける仲間を求め、さらには依存症に苦しむ人を共に助けることで、自らのアルコールからの自由を掴み取ろうと考えたのでした。

 そもそもの、そのような考えは、友人であり、かつてはアルコール依存に苦しんでいたエビィからで、エビィのところに訪ねてきた、オックスフォード・グループ(後に、モラル・リアーマメントと改名)という宗教団体の人達との出会い、中でもローランドという人物の印象が強力であったのです。ローランドは名門の出身でしたが、やはりアルコールにおぼれ、その治療のためにスイスのユングのもとを訪ねたのでした。しかし治療が終わってアメリカに戻ると、再び飲み始め、再度ユングのもとを訪ねるのでした。そのローランドに対してユングは、治療を断り、あるアドバイスを与えました。あなたのアルコール依存を直す道は「霊の覚醒」のみで、信仰するだけでなく、身にしみるような宗教的な体験が必要だと伝えたのでした。ローランドはユングのアドバイスを受けいれ、素朴な教えに引かれてオックスフォード・グループに加わると、飲酒を必要としなくなったのでした。

 さてエビィと再会した後のビルはというと、グループに参加しながらも酒を断つことができずに、惨めさを増すばかりで、以前に何度か治療を受けた医師のところへ行ったのでした。しかし、結局治療費が払えず、家に戻ったのです。その時のビルは、絶望と抑うつの極みにあったそうで、数日後、エビィが訪ねてきて帰ったあと、自らの力の限界を認め、素直な気持ちで祈ったのでした。泣きながら、何でもするということを誓い、そして願ったのです。「神様、おられるなら姿をお示しください。」
その直後の、衝撃的な出来事は、引用にて…
 「突然部屋が言いようもないような白い光に燃え上がった。形容を絶する恍惚の感じに包まれた。……それから、心の目の中に山が見えた。私はその頂上に立っていて、そこにはすさまじい風が吹きすさんでいた。空気の風でなく魂の風だった。偉大な燈明な力で私の中を吹き抜けて行った。その時、”お前は自由だ”という考えが燃え立つように沸いてきた。どのくらいの時間こんなことをして過ごしたのか覚えていないが、そのうち段々光りや恍惚が遠のいて部屋の壁が目に入るようになってきた。」
この日以来、ビルは神の存在を身近に感じるようになり、飲まなくなった。
また、ビルはこの体験が、幻覚かもしれないと医師に相談したが、医師は、「私には分からないが、君はそれにすがりついた方がいい。何であれ、ほんの数時間前までの君よりいいさ。」と、言ったそうだ。

 以後AAは、発展する過程で、いくつかの試練に見舞われるが、一人でも多くのアルコール依存に苦しむ人を自由にするという目的を見失わず、AAの成果を通じた名誉や富が誰かに集中することで無用なトラブルなどに行く手をはばまれないよう、無名性という平等を貫く知恵を守り抜いたのでした。

 その後、ビルはAAの発展に援助をした方たちに、お礼の手紙を書いたが、一番目はユングであった。ローランドの二度目の治療のときに、もはや医療や精神治療ではどうにもならないと、素直に謙虚に語りアドバイスしたことが、AAの基礎になったと確信していると伝えた。
 ユングからの返事には、その後のローランドがどうなったか気にしていたとあり、「…彼のアルコールへの渇望は、ある霊的な渇きの低い水準の表現でした。その渇きとはわれわれの存在の一体性に対する渇きであり、中世風の言い方をすれば、神との一体化ということであったと思います。われわれの時代にこうした洞察を言葉に出して誤解されないで済むなどということがあり得るでしょうか?そのために私は氏に伝える言葉を選ぶのに苦労し、あのように言ったのです…」と、書かれていたそうである。



気持ちの良すぎる村上先生の主張

2014-05-23 00:18:09 | 人生
 物理学の世界での、この世界はできすぎている、という話を見ましたが、それは物理学に限ったことではありません。生物学の世界でも、そのような話があって、中でも筑波大学の村上和雄先生は、人間原理よりも、さらにストレートに「サムシング・グレート」という表現をされています。そして、そのままのタイトルの本も出されています。これは、つまり、人間を超える巨いなる存在、と本のなかに書かれています。このくらい、あっさり、はっきり書かれると、気持ちがいいというものです。
 村上先生は天理教を信仰されていて、実家は天理教の教会で、教会長という責任をもたれていたそうなのです。そのようなバックグラウンドがあるということなのでしょうが、それでも、世界で認められている科学者が、堂々とかくのような主張をされるというのは、よほどの自信があってのことと思うのです。本を読んでいると、その確信というものがど~んと押し寄せてくるのです。
本の紹介によると、教授をされていた分野が、応用生物化学というのだそうです。そして、人レニンという、当時、高血圧の原因物質といわれていた酵素の遺伝子解読に成功しするなどの業績で、世界から注目をされてきた方なのです。
その確信について書かれていると思われるのは、こういうことで、遺伝に関わる要素は細胞の中心である核の中のDNAによるのですが、DNAはA(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)、G(グアニン)という、四種類の塩基と呼ばれる単純な物質からできています。地球上に生物が発生して以来、その全ての生物の設計図が、この四つの文字で書かれているのです。DNAは二重の螺旋ではしご段のようになっていて、人の細胞一個の中にあるDNAは、重さが1グラムの2000億分の1、幅は1ミリメートルの50万分の1でありながら、全てをつなぎあわせると、約1.8メートルにもなるのです。人間の場合は、約30億のA、T、C、Gの塩基のの並びがあり、これは本に例えるならば、1ページに1000文字で1000ページ書かれた本、1000冊にあたるそうです。(3000冊ではないのかと思いますが。)
これが果たして、偶然に起こりえるのか。私たち人間の、時間的なスケールからすると、生物が現れてからの時間は、とてつもなく長く感じられますが、これほどのものができるだけの時間があったと考えてよいものでしょうか。さらに、いろいろのことが分かってきても人間の力では、今のところ、遺伝子的には最も単純な生き物である、大腸菌の一つも創ることができないのです。
 最後に、村上先生の言葉を抜粋させていただきます。「いったい誰が、こんな微小なテープ(DNA)の上に30億もの情報を書き込んだのであろうか。これは、生命の材料をつくる指示を出すきわめて整然たる情報なのであって、偶然の結果書き込まれたとは、とうてい考えられない。人間を超える巨いなる存在がなければ、遺伝子情報そのものが存在するはずがない、と考えたほうが、それこそ自然なのである。」



人間原理という宇宙論

2014-05-15 01:21:11 | 人生
 物理学の中で、どちらかといえば少数派になるようですが、人間原理と呼ばれている宇宙に関する考え方があります。これは、科学理論というよりも、科学で得られた成果に対する哲学的な理解、あるいは宗教的な理解と呼んでもいいかもしれません。
 ボストン大学のロバート・ディッケから始まったといわれている考え方は、ビックバンから始まる宇宙の歴史は、偶然の奇跡的な積み重ねなどではなく、知性を持って宇宙の見事さ、素晴らしさを理解できる観測者である人間を生み出すという、明確な目的をもっていたとするものなのです。
物理学では、物理定数と呼ばれる十数個の重要な不変の数があります。光の速さや、量子力学の元になったプランク定数などで、これらが考えられない程の精度で調和することによって、われわれを含む世界ができています。
さまざまな化学の分野で理論的な研究が進み、観測や実験の技術が進歩して、いろいろなことが分かれば分かるほど、これはただごとではないと思ってしまうのが、人間としては当然の感覚ではないかと思います。
どのような計算方法であるのか分かりませんが、このようなことを確率的に考えるならば、地球から火星にあるホールに向けて打ったゴルフボールが、ホールインワンするような確率であると、どこかで読みました。
つまりは限りなくゼロに近いということなのですね。
地球が生まれてから、あるいは宇宙の誕生からという時間の流れは、人間の人生などという時間のものさしで考えると、とてつもなく長く感じます。しかし、宇宙のなかに地球という、人間が生まれて生きてゆくことのできる環境があり。人間という高等な存在が誕生する確立は、それでもやっぱり奇跡的な確率なのです。
 それは、どれほど奇跡的なことなのでしょうか。ホーキングは、人間原理は人間原理でも、「強い人間原理」という考え方を支持しているそうです。これはどこから考え出されたかといいますと、先に紹介したインフレーション理論からで、そこからは、われわれの宇宙とは平行線的に交わらす存在する宇宙の存在が導かれるそうなのです。そしてそれは無数に存在するかもしれない。つまり無限にあるかもしれないと考えたのです。
ノーベル賞を受賞したファインマンによると、経路の積分という、電磁波である光の量子論(現在の物理学を支える重要で基本的な理論です。)による理解の方法を考えたのですが、光はまっすぐだけでなく、実は可能性のある全てのルートを通っているということになっていて、実際にはそれらのルートは互いにうち消しあうことで、一般にわれわれの知っているルートになることを発見したのです。そう考えると、宇宙も可能な全ての宇宙があってもよいはずだけれど、人間が見ることのできる宇宙は、人間が存在することのできる宇宙だけだと考えたのです。これが強い人間原理です。
そのココロは、宇宙が無限の数存在すれば、奇跡的な確立は奇跡的ではなくなるということです。
つまり、つまり、我々はそのくらい奇跡的な存在ということなのです。…と、私は思います。


直接確認できないものを、認める?

2014-04-23 22:58:38 | 科学
 これまでに登場しました。クオークやヒッグス粒子ですが、これらの存在は、物理学的には間違いないということになっています。しかし、直接には見つかった訳ではないのです。その方法は、エネルギー加速器という、現代においてはかなり巨大な実験の装置で、宇宙の始まりに近いような、非常に高いエネルギーの状態を再現して、物質の秘密に迫ろうとしてきたことによりますが、ヒッグス粒子の場合は、とても不安定ということで、実験で生まれたとしても、瞬間的に崩壊してしまうのです。クオークの場合は、クオーク同士が強い力という強力な力で結びついているので、相対性理論の、物質とエネルギーが等価(同じ)であるという理論にならって、引きちぎられた強い力のエネルギーは、新たにクオークを生み出し、瞬間的に陽子や中間子という粒子を形成してしまいます。相対性理論の中のこの考え方から、実際、人間の作り出したものは原子爆弾や原子力発電でした。
強い力は、その性質をゴムひもに例えられます。ただし、ひっぱればひっぱるほど太くなるゴムひもです。引っぱれば引っぱるほど力が生じるということです。
このように、クオークやヒッグス粒子は、直接見つかったのではなく、間接的に理論に合う証拠がしっかりと見つかって、それによって認められているのです。
 また、現在の進んだ宇宙の観測技術は、銀河などが回転などの運動を含めて、現実の姿で存在するには、星などの物質がぜんぜん足りないことをつきとめてしまったのです。どういうことかといいますと、知られている重力の理論に対して、現実の宇宙がそのごとく存在するためには、星とかガスとかちりとか、重力を生み出すための物質が、必要な量の1/7くらいしかないそうなのです。そこで、足りない物質は、今のところ観測されていない謎の物質ということで、暗黒物質とかダークマターと呼ばれています。宇宙に存在するもののうち25%程となっています。
また、まえに宇宙が膨張していることに触れましたが、その速度がどんどん速くなっていることがわかってきたのです。この宇宙を押し広げているエネルギーは、謎のエネルギーということで、ダークエネルギーと呼ばれています。宇宙がどんなに大きくなっても、その濃さが変わらず、宇宙に存在するもののうち、現在のところ約70%を占めているとされています。
 ということになると、私たちが知っている物質と呼ばれるものは、宇宙に存在するもののうち、わずか4%あまりでしかありません。ダークマターを見つけようという動きは、既に始まっていますが、今のところどちらについても分かっていないようです。
 一方、ダークマターやダークエネルギーを必要としない仮説も存在します。ジョン・W・モファットは、修正重力理論と呼ばれる、新しい重力の理論です。参考までに…。
 このように、科学の世界であっても、厳密な理論に基づいた証拠によって、現在の先進の技術をもってしても、直接には観測できないものを認めているということになるのです。



ホーキング博士と、虚数時間。

2014-04-06 21:19:43 | 人生
 先回触れました膨張する宇宙理論であるビックバンですが、実はこの理論だけに頼ると、しっかりとした事前の微調整がないと、私たちが存在し目にするような現実の宇宙の姿にはならなかったのではと言われています。それは、宇宙を大局的、全体的には、だいたい均一でありながらも、局所的(といっても、たいへんに大きなスケールです。)には銀河や太陽系のように、星が集まっている所とそうでもない所というような状態を作り出す適度なバランスのことです。つまりは、ひとつの点のようなところから、ドカ~ン!と出発して、現在のような宇宙になるには、ビックバン理論だけで実行する場合、下ごしらえがとってもとっても大変ということです。そして、下ごしらえなどと言うと、神がかり的なニュアンスが生じてしまい、科学的な証明とは別次元なことであるし、さらには、科学者としては、あまり好ましいことではないようなのです。
そこで考えられたのが、ビックバンの起こる前のほんの一瞬、インフレーションという出来事があったというアイデアが、佐藤勝彦さんやアラン・グースによって提案されました。それは、ビックバンよりもはるかに急激な膨張についての理論で、現在の進んだ技術による宇宙の観測の結果とも一致しているそうです。
しかし、この始まりの一瞬についての内容を、理論でもって説明しようとしても、それができる理論が存在しないのです。特異点と呼ばれる、ブラックホールやビックバンによって宇宙が誕生した直後などのように、光ですら脱出できないような、とんでもなく強い重力の働く圏内では、相対性理論では時間、空間が存在しないというような、説明しようのない状態になります。
そこで,スティーブン・ホーキングは、私たちの知っている時間ではなく、虚数の時間というものを考えたのです。虚数の時間というアイデアによって、理論的に証明することができなかった領域、宇宙の始まり自体など、特異点をあってなきものののようにするという、トリッキーと言いたくなるような理論で、論証できるようにして、その後に、実験や観測によって判定すればよいと考えたのです。
 それでは、虚数とは何でしょうか。それは、√-1のことです。二乗をして答えが-1になるような数字は、虚数が考えられる以前には存在しませんでした、そのため解なしということになっていたのです。そこで現れたのが虚数、記号で i と書きます。英語ではイマジナリーナンバーですので、想像上の数字ということになるのでしょうか。しかし、この虚数はそのようにおぼろげなものではなく、現代物理学を支える二つの柱のうちの一つである量子力学や、交流電気についての計算にはなくてはならないものであるのです。
さらに数学においてでは、虚数のあらわれる以前には、数は数直線という、一本の線上に表される存在でした。しかし、虚数を加えることで、数は複素数と呼ばれるものになり、複素平面とかガウス平面という二次元の平面上に表すことができるようになったのです。
たとえば、数学の方程式は二乗、三乗とといった二次,三次方程式があり、さらにxやyなどの代数が用いられます。その代数方程式では、五次以上のものは解くことができないということが、数学者のガロアやアーベルによって証明されています。しかし虚数を加えることによって、何次の方程式であっても解くことができるようになるのです。その解のn乗根(nは自然数:1.2.3 …)複素平面上に表すと、なんとnと同じ数の多角形が現れるのでした。
このように、虚数は、想像上の数字とするには、あまりに多くの現実な実りをもたらしていたのです。
 ホーキングの虚数時間については、ホーキング自身もどのような時間であるかということは分かっていないようです。しかし、我々が知っている時間に対して、垂直に交わる時間であるなど、複素平面ととらえることのできる表現をしています。
この虚数時間というアイデアですが、その後においては取り下げれらたのではないかということも、聞きます。しかし、宇宙の奥深い秘密をのぞき見ようとするところに、このような不思議な時間の概念が、天才と呼ばれる物理学者の一人から出されたことは…、不思議です。



ホントに科学は答えてくれないの…?Vol.2

2014-03-31 12:19:35 | 人生
 先回の続きです。相対性理論は、数式として重力方程式と言われたりします。数式(代数ですが)として発表されたものは、しばしば、発見者の想像を超えた展開をします。
相対性理論の場合は、そこから得られるひとつの答えとして、当時のソ連出身の物理学者、フリードマンやガモフらによって、膨張し大きくなる宇宙モデルであるビックバンという理論が発表されたのでした。しかし、それはありえないと、アインシュタインは否定の立場をとったのです。間もなく、その答えが天文学者、ハップルによってもたらされます。地球から遠くにある星ほど、速い速度で離れていっていることが観測され、ビックバンが正しいことが証明されたのでした。
 さて、ココからが、先回よりの本題であります。
宇宙がどんどん大きくなっているということは、はじめには、うんと小さかったということで、そこは高温、高圧であっただろうといわれています。現在宇宙には、物質のもとになっているとされる、いくつかの粒子である素粒子と、それらに働く四つの力があるとされています。重力(万有引力)と電磁気力、それに原子核の中だけで働く、弱い力と強い力です。弱い力は、核分裂などの変化を起こす力です。強い力は、原子の中央、原子核をつくる陽子や中性子の材料である、クオークに働く力で、電気的にはプラス同士で反発する陽子たちを結びつけるという、文字どおりの強い力です。初期の宇宙は点のように小さかっと言われますが、そこでは高温、高圧という、高いエネルギー状態の中で、本来、四つの力はひとつであったとされています。
実際、弱い力と電磁気力はひとつの力であることを証明した、ワインバーグ、サラム、グラショウは1979年にノーベル賞を受賞したのでした。弱い力にはWボソンなど3種の粒子が関わっていて、これが原子核というごくせまい範囲でのみ働くのは、質量を持っているからとされています。重力や電磁気力を伝える粒子には質量がありません。この質量を与えたのが、最近発見されたと騒ぎになったヒッグス粒子です。ヒッグス粒子の方がすっと重いので、理論では先に発表されたのに、最近まで発見されなかったのですね。重い粒子を実験で見つけるのは、とっても、とってもたいへんなのです(ひとごと!)。そして、ヒッグス粒子を考えるもとになった理論は、かの南部陽一郎さんによるのでした。
さらに、もうひとつの強い力をこれに加えることは、見通しが立っているようなのです。しかし、最後に重力を加えることは、これまでの方法である、標準理論と呼ばれるものでは、かなり難しく、これはというめどが立っていないようなのです。
 そこで、現れたのが、”ひも理論”と呼ばれるもので、素粒子を、粒と考えずに、ミクロのひもと考えることで、標準理論で立ちはだかっていた問題を回避しようという理論です。なにを隠そう、ひも理論のもとになったのは、南部陽一郎さんの強い力に対する、ひも付きのクオークというアイデアなのです。しかし、このひもは、今のところそれらしきものは何も発見されていない、全くの理論そのものでしかありません。しかし、これまでの理論で説明できなかったことが説明できたりしてしまうので、今、一番注目されています。
中でも、ランドール-サンドラム理論はわれわれの存在する宇宙を、より次限の多い高次元であり、無限の広さを持つ空間に浮かぶ膜のようなものと考えました。で、ひもである素粒子は、その端を膜から離すことはできないのですが、重力だけはひもが輪になっており、膜から自由に動くことができると考えることで、四つの力の中で極端に弱い重力を説明するという、ひも理論の一つの完成形となる理論を発表して注目されたのであります。
ランドール博士は、著書の中で「これは、そのようなことを言っているのではない。」と、無限の高次元空間について、黄泉の世界であるとか、あの世のことであるとかについて、ちゃんと釘を刺されたのでありました。しかし、私のような素人におきましては、しっかりそのようなことを言っちゃってと、理解してしまうのでした。

(参考文献)
  「クォーク」     講談社、ブルーバックス  南部陽一郎 著
  「宇宙創成はじめの3分間」  ちくま学芸文庫  ステイーブン・ワインバーグ 著
  「ワープする宇宙」  NHK出版  リサ・ランドール 著
  「異次元は存在する」 NHK出版  リサ・ランドール 著 
  「ニュートン〈雑誌)」 ニュートンプレス 
  「エレガントな宇宙」   草思社  ブライアン・グリーン 著
  「ヒッグス粒子の発見」  講談社、ブルーバックス    イアン・サンプル 著