お待たせいたしました。
これは、けっこう最初の方で、心理学者のユングの話のところで触れて、ず~と先送りしていた内容です。
AAとは、アルコホリック・アノニマスという英語の頭文字で、無名のアルコール依存症たち、という意味になるのだそうです。
現在、世の中にはさまざまの依存症というものがあって、それは依存している本人を苦しめるのみならず、まわりの人をも苦しめるのですが、これは本人の努力や。意志の力だけではどうしようもないもののようです。
アルコールへの依存から、アルコール依存の夫を支え世話をやく妻のように、アルコール依存者のパートナーに多い共依存、その子供に多く見られたアダルトチルドレン。これらは、カウンセラーや治療にあたったセラピストたちの間から出てきた概念です。
アルコールへの依存、薬物への依存、仕事への依存(ワーカホリック)、拒食や過食などの食物への依存、さらには家庭内暴力などDVの被害者、性的虐待などの被害者、これら、心の傷(トラウマ)や心の病の治療は簡単ではないようなのです。いったんは直ったように見えても、何かのきっかけで再発を繰り返すということが多く、完治ということは得がたいようなのです。
そのような中にあって、セルフヘルプと呼ばれる、相互扶助的な活動は多くの依存症などに苦しむ人々に対して、効果をあげているそうな。斉藤学先生は、とりわけその方面での活動で有名であり、多くの成果を挙げておられます。今回の記事は、かなりの部分斉藤先生の著書「魂の家族を求めて」からの受け売りです。すみません。
これらさまざまの相互扶助的なセルフヘルプグループの始まりと呼べる存在こそが、AAであり、そのAAの始まりとなったのは、アメリカ人医師のロバート・スミスがアルコールから自由になった日とされているのですが、そのロバートに断酒をすすめるために訪問したのがビル・ウィルソンという、かつてはウオール街で活躍した証券ブローカーでした。ビルは、既に約5ヶ月ほど禁酒を続けていたのだが、辛くて仕方がなく、支えあって禁酒を続ける仲間を求め、さらには依存症に苦しむ人を共に助けることで、自らのアルコールからの自由を掴み取ろうと考えたのでした。
そもそもの、そのような考えは、友人であり、かつてはアルコール依存に苦しんでいたエビィからで、エビィのところに訪ねてきた、オックスフォード・グループ(後に、モラル・リアーマメントと改名)という宗教団体の人達との出会い、中でもローランドという人物の印象が強力であったのです。ローランドは名門の出身でしたが、やはりアルコールにおぼれ、その治療のためにスイスのユングのもとを訪ねたのでした。しかし治療が終わってアメリカに戻ると、再び飲み始め、再度ユングのもとを訪ねるのでした。そのローランドに対してユングは、治療を断り、あるアドバイスを与えました。あなたのアルコール依存を直す道は「霊の覚醒」のみで、信仰するだけでなく、身にしみるような宗教的な体験が必要だと伝えたのでした。ローランドはユングのアドバイスを受けいれ、素朴な教えに引かれてオックスフォード・グループに加わると、飲酒を必要としなくなったのでした。
さてエビィと再会した後のビルはというと、グループに参加しながらも酒を断つことができずに、惨めさを増すばかりで、以前に何度か治療を受けた医師のところへ行ったのでした。しかし、結局治療費が払えず、家に戻ったのです。その時のビルは、絶望と抑うつの極みにあったそうで、数日後、エビィが訪ねてきて帰ったあと、自らの力の限界を認め、素直な気持ちで祈ったのでした。泣きながら、何でもするということを誓い、そして願ったのです。「神様、おられるなら姿をお示しください。」
その直後の、衝撃的な出来事は、引用にて…
「突然部屋が言いようもないような白い光に燃え上がった。形容を絶する恍惚の感じに包まれた。……それから、心の目の中に山が見えた。私はその頂上に立っていて、そこにはすさまじい風が吹きすさんでいた。空気の風でなく魂の風だった。偉大な燈明な力で私の中を吹き抜けて行った。その時、”お前は自由だ”という考えが燃え立つように沸いてきた。どのくらいの時間こんなことをして過ごしたのか覚えていないが、そのうち段々光りや恍惚が遠のいて部屋の壁が目に入るようになってきた。」
この日以来、ビルは神の存在を身近に感じるようになり、飲まなくなった。
また、ビルはこの体験が、幻覚かもしれないと医師に相談したが、医師は、「私には分からないが、君はそれにすがりついた方がいい。何であれ、ほんの数時間前までの君よりいいさ。」と、言ったそうだ。
以後AAは、発展する過程で、いくつかの試練に見舞われるが、一人でも多くのアルコール依存に苦しむ人を自由にするという目的を見失わず、AAの成果を通じた名誉や富が誰かに集中することで無用なトラブルなどに行く手をはばまれないよう、無名性という平等を貫く知恵を守り抜いたのでした。
その後、ビルはAAの発展に援助をした方たちに、お礼の手紙を書いたが、一番目はユングであった。ローランドの二度目の治療のときに、もはや医療や精神治療ではどうにもならないと、素直に謙虚に語りアドバイスしたことが、AAの基礎になったと確信していると伝えた。
ユングからの返事には、その後のローランドがどうなったか気にしていたとあり、「…彼のアルコールへの渇望は、ある霊的な渇きの低い水準の表現でした。その渇きとはわれわれの存在の一体性に対する渇きであり、中世風の言い方をすれば、神との一体化ということであったと思います。われわれの時代にこうした洞察を言葉に出して誤解されないで済むなどということがあり得るでしょうか?そのために私は氏に伝える言葉を選ぶのに苦労し、あのように言ったのです…」と、書かれていたそうである。
これは、けっこう最初の方で、心理学者のユングの話のところで触れて、ず~と先送りしていた内容です。
AAとは、アルコホリック・アノニマスという英語の頭文字で、無名のアルコール依存症たち、という意味になるのだそうです。
現在、世の中にはさまざまの依存症というものがあって、それは依存している本人を苦しめるのみならず、まわりの人をも苦しめるのですが、これは本人の努力や。意志の力だけではどうしようもないもののようです。
アルコールへの依存から、アルコール依存の夫を支え世話をやく妻のように、アルコール依存者のパートナーに多い共依存、その子供に多く見られたアダルトチルドレン。これらは、カウンセラーや治療にあたったセラピストたちの間から出てきた概念です。
アルコールへの依存、薬物への依存、仕事への依存(ワーカホリック)、拒食や過食などの食物への依存、さらには家庭内暴力などDVの被害者、性的虐待などの被害者、これら、心の傷(トラウマ)や心の病の治療は簡単ではないようなのです。いったんは直ったように見えても、何かのきっかけで再発を繰り返すということが多く、完治ということは得がたいようなのです。
そのような中にあって、セルフヘルプと呼ばれる、相互扶助的な活動は多くの依存症などに苦しむ人々に対して、効果をあげているそうな。斉藤学先生は、とりわけその方面での活動で有名であり、多くの成果を挙げておられます。今回の記事は、かなりの部分斉藤先生の著書「魂の家族を求めて」からの受け売りです。すみません。
これらさまざまの相互扶助的なセルフヘルプグループの始まりと呼べる存在こそが、AAであり、そのAAの始まりとなったのは、アメリカ人医師のロバート・スミスがアルコールから自由になった日とされているのですが、そのロバートに断酒をすすめるために訪問したのがビル・ウィルソンという、かつてはウオール街で活躍した証券ブローカーでした。ビルは、既に約5ヶ月ほど禁酒を続けていたのだが、辛くて仕方がなく、支えあって禁酒を続ける仲間を求め、さらには依存症に苦しむ人を共に助けることで、自らのアルコールからの自由を掴み取ろうと考えたのでした。
そもそもの、そのような考えは、友人であり、かつてはアルコール依存に苦しんでいたエビィからで、エビィのところに訪ねてきた、オックスフォード・グループ(後に、モラル・リアーマメントと改名)という宗教団体の人達との出会い、中でもローランドという人物の印象が強力であったのです。ローランドは名門の出身でしたが、やはりアルコールにおぼれ、その治療のためにスイスのユングのもとを訪ねたのでした。しかし治療が終わってアメリカに戻ると、再び飲み始め、再度ユングのもとを訪ねるのでした。そのローランドに対してユングは、治療を断り、あるアドバイスを与えました。あなたのアルコール依存を直す道は「霊の覚醒」のみで、信仰するだけでなく、身にしみるような宗教的な体験が必要だと伝えたのでした。ローランドはユングのアドバイスを受けいれ、素朴な教えに引かれてオックスフォード・グループに加わると、飲酒を必要としなくなったのでした。
さてエビィと再会した後のビルはというと、グループに参加しながらも酒を断つことができずに、惨めさを増すばかりで、以前に何度か治療を受けた医師のところへ行ったのでした。しかし、結局治療費が払えず、家に戻ったのです。その時のビルは、絶望と抑うつの極みにあったそうで、数日後、エビィが訪ねてきて帰ったあと、自らの力の限界を認め、素直な気持ちで祈ったのでした。泣きながら、何でもするということを誓い、そして願ったのです。「神様、おられるなら姿をお示しください。」
その直後の、衝撃的な出来事は、引用にて…
「突然部屋が言いようもないような白い光に燃え上がった。形容を絶する恍惚の感じに包まれた。……それから、心の目の中に山が見えた。私はその頂上に立っていて、そこにはすさまじい風が吹きすさんでいた。空気の風でなく魂の風だった。偉大な燈明な力で私の中を吹き抜けて行った。その時、”お前は自由だ”という考えが燃え立つように沸いてきた。どのくらいの時間こんなことをして過ごしたのか覚えていないが、そのうち段々光りや恍惚が遠のいて部屋の壁が目に入るようになってきた。」
この日以来、ビルは神の存在を身近に感じるようになり、飲まなくなった。
また、ビルはこの体験が、幻覚かもしれないと医師に相談したが、医師は、「私には分からないが、君はそれにすがりついた方がいい。何であれ、ほんの数時間前までの君よりいいさ。」と、言ったそうだ。
以後AAは、発展する過程で、いくつかの試練に見舞われるが、一人でも多くのアルコール依存に苦しむ人を自由にするという目的を見失わず、AAの成果を通じた名誉や富が誰かに集中することで無用なトラブルなどに行く手をはばまれないよう、無名性という平等を貫く知恵を守り抜いたのでした。
その後、ビルはAAの発展に援助をした方たちに、お礼の手紙を書いたが、一番目はユングであった。ローランドの二度目の治療のときに、もはや医療や精神治療ではどうにもならないと、素直に謙虚に語りアドバイスしたことが、AAの基礎になったと確信していると伝えた。
ユングからの返事には、その後のローランドがどうなったか気にしていたとあり、「…彼のアルコールへの渇望は、ある霊的な渇きの低い水準の表現でした。その渇きとはわれわれの存在の一体性に対する渇きであり、中世風の言い方をすれば、神との一体化ということであったと思います。われわれの時代にこうした洞察を言葉に出して誤解されないで済むなどということがあり得るでしょうか?そのために私は氏に伝える言葉を選ぶのに苦労し、あのように言ったのです…」と、書かれていたそうである。