大西 ライフ・クリエイト・アカデミー

身の回りから、世界のさまざまな問題に至るまで、根本的な解決ができる道である文鮮明先生の思想を、その根拠と共に紹介します。

人は、神様を必要とする?(アルコール依存の互助グループ、AAの出発とユング。) 

2014-05-31 17:01:30 | 人生
 お待たせいたしました。
これは、けっこう最初の方で、心理学者のユングの話のところで触れて、ず~と先送りしていた内容です。
AAとは、アルコホリック・アノニマスという英語の頭文字で、無名のアルコール依存症たち、という意味になるのだそうです。
現在、世の中にはさまざまの依存症というものがあって、それは依存している本人を苦しめるのみならず、まわりの人をも苦しめるのですが、これは本人の努力や。意志の力だけではどうしようもないもののようです。
アルコールへの依存から、アルコール依存の夫を支え世話をやく妻のように、アルコール依存者のパートナーに多い共依存、その子供に多く見られたアダルトチルドレン。これらは、カウンセラーや治療にあたったセラピストたちの間から出てきた概念です。

 アルコールへの依存、薬物への依存、仕事への依存(ワーカホリック)、拒食や過食などの食物への依存、さらには家庭内暴力などDVの被害者、性的虐待などの被害者、これら、心の傷(トラウマ)や心の病の治療は簡単ではないようなのです。いったんは直ったように見えても、何かのきっかけで再発を繰り返すということが多く、完治ということは得がたいようなのです。
そのような中にあって、セルフヘルプと呼ばれる、相互扶助的な活動は多くの依存症などに苦しむ人々に対して、効果をあげているそうな。斉藤学先生は、とりわけその方面での活動で有名であり、多くの成果を挙げておられます。今回の記事は、かなりの部分斉藤先生の著書「魂の家族を求めて」からの受け売りです。すみません。

 これらさまざまの相互扶助的なセルフヘルプグループの始まりと呼べる存在こそが、AAであり、そのAAの始まりとなったのは、アメリカ人医師のロバート・スミスがアルコールから自由になった日とされているのですが、そのロバートに断酒をすすめるために訪問したのがビル・ウィルソンという、かつてはウオール街で活躍した証券ブローカーでした。ビルは、既に約5ヶ月ほど禁酒を続けていたのだが、辛くて仕方がなく、支えあって禁酒を続ける仲間を求め、さらには依存症に苦しむ人を共に助けることで、自らのアルコールからの自由を掴み取ろうと考えたのでした。

 そもそもの、そのような考えは、友人であり、かつてはアルコール依存に苦しんでいたエビィからで、エビィのところに訪ねてきた、オックスフォード・グループ(後に、モラル・リアーマメントと改名)という宗教団体の人達との出会い、中でもローランドという人物の印象が強力であったのです。ローランドは名門の出身でしたが、やはりアルコールにおぼれ、その治療のためにスイスのユングのもとを訪ねたのでした。しかし治療が終わってアメリカに戻ると、再び飲み始め、再度ユングのもとを訪ねるのでした。そのローランドに対してユングは、治療を断り、あるアドバイスを与えました。あなたのアルコール依存を直す道は「霊の覚醒」のみで、信仰するだけでなく、身にしみるような宗教的な体験が必要だと伝えたのでした。ローランドはユングのアドバイスを受けいれ、素朴な教えに引かれてオックスフォード・グループに加わると、飲酒を必要としなくなったのでした。

 さてエビィと再会した後のビルはというと、グループに参加しながらも酒を断つことができずに、惨めさを増すばかりで、以前に何度か治療を受けた医師のところへ行ったのでした。しかし、結局治療費が払えず、家に戻ったのです。その時のビルは、絶望と抑うつの極みにあったそうで、数日後、エビィが訪ねてきて帰ったあと、自らの力の限界を認め、素直な気持ちで祈ったのでした。泣きながら、何でもするということを誓い、そして願ったのです。「神様、おられるなら姿をお示しください。」
その直後の、衝撃的な出来事は、引用にて…
 「突然部屋が言いようもないような白い光に燃え上がった。形容を絶する恍惚の感じに包まれた。……それから、心の目の中に山が見えた。私はその頂上に立っていて、そこにはすさまじい風が吹きすさんでいた。空気の風でなく魂の風だった。偉大な燈明な力で私の中を吹き抜けて行った。その時、”お前は自由だ”という考えが燃え立つように沸いてきた。どのくらいの時間こんなことをして過ごしたのか覚えていないが、そのうち段々光りや恍惚が遠のいて部屋の壁が目に入るようになってきた。」
この日以来、ビルは神の存在を身近に感じるようになり、飲まなくなった。
また、ビルはこの体験が、幻覚かもしれないと医師に相談したが、医師は、「私には分からないが、君はそれにすがりついた方がいい。何であれ、ほんの数時間前までの君よりいいさ。」と、言ったそうだ。

 以後AAは、発展する過程で、いくつかの試練に見舞われるが、一人でも多くのアルコール依存に苦しむ人を自由にするという目的を見失わず、AAの成果を通じた名誉や富が誰かに集中することで無用なトラブルなどに行く手をはばまれないよう、無名性という平等を貫く知恵を守り抜いたのでした。

 その後、ビルはAAの発展に援助をした方たちに、お礼の手紙を書いたが、一番目はユングであった。ローランドの二度目の治療のときに、もはや医療や精神治療ではどうにもならないと、素直に謙虚に語りアドバイスしたことが、AAの基礎になったと確信していると伝えた。
 ユングからの返事には、その後のローランドがどうなったか気にしていたとあり、「…彼のアルコールへの渇望は、ある霊的な渇きの低い水準の表現でした。その渇きとはわれわれの存在の一体性に対する渇きであり、中世風の言い方をすれば、神との一体化ということであったと思います。われわれの時代にこうした洞察を言葉に出して誤解されないで済むなどということがあり得るでしょうか?そのために私は氏に伝える言葉を選ぶのに苦労し、あのように言ったのです…」と、書かれていたそうである。



気持ちの良すぎる村上先生の主張

2014-05-23 00:18:09 | 人生
 物理学の世界での、この世界はできすぎている、という話を見ましたが、それは物理学に限ったことではありません。生物学の世界でも、そのような話があって、中でも筑波大学の村上和雄先生は、人間原理よりも、さらにストレートに「サムシング・グレート」という表現をされています。そして、そのままのタイトルの本も出されています。これは、つまり、人間を超える巨いなる存在、と本のなかに書かれています。このくらい、あっさり、はっきり書かれると、気持ちがいいというものです。
 村上先生は天理教を信仰されていて、実家は天理教の教会で、教会長という責任をもたれていたそうなのです。そのようなバックグラウンドがあるということなのでしょうが、それでも、世界で認められている科学者が、堂々とかくのような主張をされるというのは、よほどの自信があってのことと思うのです。本を読んでいると、その確信というものがど~んと押し寄せてくるのです。
本の紹介によると、教授をされていた分野が、応用生物化学というのだそうです。そして、人レニンという、当時、高血圧の原因物質といわれていた酵素の遺伝子解読に成功しするなどの業績で、世界から注目をされてきた方なのです。
その確信について書かれていると思われるのは、こういうことで、遺伝に関わる要素は細胞の中心である核の中のDNAによるのですが、DNAはA(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)、G(グアニン)という、四種類の塩基と呼ばれる単純な物質からできています。地球上に生物が発生して以来、その全ての生物の設計図が、この四つの文字で書かれているのです。DNAは二重の螺旋ではしご段のようになっていて、人の細胞一個の中にあるDNAは、重さが1グラムの2000億分の1、幅は1ミリメートルの50万分の1でありながら、全てをつなぎあわせると、約1.8メートルにもなるのです。人間の場合は、約30億のA、T、C、Gの塩基のの並びがあり、これは本に例えるならば、1ページに1000文字で1000ページ書かれた本、1000冊にあたるそうです。(3000冊ではないのかと思いますが。)
これが果たして、偶然に起こりえるのか。私たち人間の、時間的なスケールからすると、生物が現れてからの時間は、とてつもなく長く感じられますが、これほどのものができるだけの時間があったと考えてよいものでしょうか。さらに、いろいろのことが分かってきても人間の力では、今のところ、遺伝子的には最も単純な生き物である、大腸菌の一つも創ることができないのです。
 最後に、村上先生の言葉を抜粋させていただきます。「いったい誰が、こんな微小なテープ(DNA)の上に30億もの情報を書き込んだのであろうか。これは、生命の材料をつくる指示を出すきわめて整然たる情報なのであって、偶然の結果書き込まれたとは、とうてい考えられない。人間を超える巨いなる存在がなければ、遺伝子情報そのものが存在するはずがない、と考えたほうが、それこそ自然なのである。」



人間原理という宇宙論

2014-05-15 01:21:11 | 人生
 物理学の中で、どちらかといえば少数派になるようですが、人間原理と呼ばれている宇宙に関する考え方があります。これは、科学理論というよりも、科学で得られた成果に対する哲学的な理解、あるいは宗教的な理解と呼んでもいいかもしれません。
 ボストン大学のロバート・ディッケから始まったといわれている考え方は、ビックバンから始まる宇宙の歴史は、偶然の奇跡的な積み重ねなどではなく、知性を持って宇宙の見事さ、素晴らしさを理解できる観測者である人間を生み出すという、明確な目的をもっていたとするものなのです。
物理学では、物理定数と呼ばれる十数個の重要な不変の数があります。光の速さや、量子力学の元になったプランク定数などで、これらが考えられない程の精度で調和することによって、われわれを含む世界ができています。
さまざまな化学の分野で理論的な研究が進み、観測や実験の技術が進歩して、いろいろなことが分かれば分かるほど、これはただごとではないと思ってしまうのが、人間としては当然の感覚ではないかと思います。
どのような計算方法であるのか分かりませんが、このようなことを確率的に考えるならば、地球から火星にあるホールに向けて打ったゴルフボールが、ホールインワンするような確率であると、どこかで読みました。
つまりは限りなくゼロに近いということなのですね。
地球が生まれてから、あるいは宇宙の誕生からという時間の流れは、人間の人生などという時間のものさしで考えると、とてつもなく長く感じます。しかし、宇宙のなかに地球という、人間が生まれて生きてゆくことのできる環境があり。人間という高等な存在が誕生する確立は、それでもやっぱり奇跡的な確率なのです。
 それは、どれほど奇跡的なことなのでしょうか。ホーキングは、人間原理は人間原理でも、「強い人間原理」という考え方を支持しているそうです。これはどこから考え出されたかといいますと、先に紹介したインフレーション理論からで、そこからは、われわれの宇宙とは平行線的に交わらす存在する宇宙の存在が導かれるそうなのです。そしてそれは無数に存在するかもしれない。つまり無限にあるかもしれないと考えたのです。
ノーベル賞を受賞したファインマンによると、経路の積分という、電磁波である光の量子論(現在の物理学を支える重要で基本的な理論です。)による理解の方法を考えたのですが、光はまっすぐだけでなく、実は可能性のある全てのルートを通っているということになっていて、実際にはそれらのルートは互いにうち消しあうことで、一般にわれわれの知っているルートになることを発見したのです。そう考えると、宇宙も可能な全ての宇宙があってもよいはずだけれど、人間が見ることのできる宇宙は、人間が存在することのできる宇宙だけだと考えたのです。これが強い人間原理です。
そのココロは、宇宙が無限の数存在すれば、奇跡的な確立は奇跡的ではなくなるということです。
つまり、つまり、我々はそのくらい奇跡的な存在ということなのです。…と、私は思います。