先回、パスカルの言葉を紹介したのですが、パスカルがそういったからといって、頭でお茶が沸くぐらい(古い表現!)、懸命に考えても、分かるという保証はないし…。それでもって、精神に異常が、という事態になっても。私は保障する力はないしということで、そのようにならないための、安全な方法というものを考えてみたいと思います。
私、尊敬しております考古学の先生がいらっしゃいます。樋口清之先生です。静岡の登呂遺跡を発見したりという、すごい方なのですが、その昔、子供電話相談室のコメントもされていました。ずっと前から、この世にはいらっしゃらないのですが、「梅干と日本刀」という有名な本があります。戦後に植えつけられた価値観から、西洋から入ってきたものこそ合理的で素晴らしい、といった考えが強くなっていた時代に、日本人の伝統や技術の素晴らしさを堂々と見直そうといった本だと思うのです、これが…。
本の中で、若き日に四国巡礼にゆかれたときに、ハンセン氏病の方をたくさん見かけたのに、帰って間もなくハンセン氏病は伝染病であるということが分かり、香川県の小島に強制的に収容、隔離されることになった。人間のもっている自由を根こそぎ、突然に奪われてしまった。ということに出合って感じられたところを抜粋させていただきます。
「私たち人間全部が肯定したもの、それが科学的真理だが、人間の真偽の判別能力には限界がある。見えないものもあるし、聞こえないものもあるからだ。その不完全な人間の説明だけが科学的だとなると、自分でよく確認できないことについても、”そうだ、そうだ”と、多数決で、それを真実にしてしまうことがあるだろう。しかし、真実は他にあるかもしれない。科学というものが、一日で全く別の真実を言い出すものだとすれば、とてもではないが、西洋の科学的発想だけに頼っていては、真実など発見するのはむずかしいと思った。科学的真理というのは、つねに相対的でしかない。… たとえていえば、先ごろからオカルトが流行していて、それが真実かどうかを議論している。それはいい。だが、私はいろんな不思議な現象はあり得ると思う。その理論を私は知らないだけで、その他にもわからないことはいっぱいある。それを、オカルトは科学的に説明できないと理由で、言いかえるなら、自分がわからないことについて ”それはありえない”という言い方をするのは、不遜だと思う。科学は絶対的であっても、万能ではないのだ。」
今日のテーマに、都合の良いところを抜き出しましたが、気になる方は、読みやすい本なので、お勧めです。
他にも「米と日本人」という本では、カッパ信仰に触れられていて、これはひとつには、子供を危ない場所に近付かせないための知恵であり、現代ではそのような信仰は失われているが、どちらのほうが幸せなのかということを問いかけておられます。
しかし、何ですね…。今日の結論は、わからないものはわからないということになってしまうのでしょうか。それでは、あんまりですし、最初のところの問題提起に対しての答えも、いまひとつ出ていないという感じでしたので、今回の話では、否定的な感じを覚えてしまうような科学について、今後考えてみたいと思います。
私、尊敬しております考古学の先生がいらっしゃいます。樋口清之先生です。静岡の登呂遺跡を発見したりという、すごい方なのですが、その昔、子供電話相談室のコメントもされていました。ずっと前から、この世にはいらっしゃらないのですが、「梅干と日本刀」という有名な本があります。戦後に植えつけられた価値観から、西洋から入ってきたものこそ合理的で素晴らしい、といった考えが強くなっていた時代に、日本人の伝統や技術の素晴らしさを堂々と見直そうといった本だと思うのです、これが…。
本の中で、若き日に四国巡礼にゆかれたときに、ハンセン氏病の方をたくさん見かけたのに、帰って間もなくハンセン氏病は伝染病であるということが分かり、香川県の小島に強制的に収容、隔離されることになった。人間のもっている自由を根こそぎ、突然に奪われてしまった。ということに出合って感じられたところを抜粋させていただきます。
「私たち人間全部が肯定したもの、それが科学的真理だが、人間の真偽の判別能力には限界がある。見えないものもあるし、聞こえないものもあるからだ。その不完全な人間の説明だけが科学的だとなると、自分でよく確認できないことについても、”そうだ、そうだ”と、多数決で、それを真実にしてしまうことがあるだろう。しかし、真実は他にあるかもしれない。科学というものが、一日で全く別の真実を言い出すものだとすれば、とてもではないが、西洋の科学的発想だけに頼っていては、真実など発見するのはむずかしいと思った。科学的真理というのは、つねに相対的でしかない。… たとえていえば、先ごろからオカルトが流行していて、それが真実かどうかを議論している。それはいい。だが、私はいろんな不思議な現象はあり得ると思う。その理論を私は知らないだけで、その他にもわからないことはいっぱいある。それを、オカルトは科学的に説明できないと理由で、言いかえるなら、自分がわからないことについて ”それはありえない”という言い方をするのは、不遜だと思う。科学は絶対的であっても、万能ではないのだ。」
今日のテーマに、都合の良いところを抜き出しましたが、気になる方は、読みやすい本なので、お勧めです。
他にも「米と日本人」という本では、カッパ信仰に触れられていて、これはひとつには、子供を危ない場所に近付かせないための知恵であり、現代ではそのような信仰は失われているが、どちらのほうが幸せなのかということを問いかけておられます。
しかし、何ですね…。今日の結論は、わからないものはわからないということになってしまうのでしょうか。それでは、あんまりですし、最初のところの問題提起に対しての答えも、いまひとつ出ていないという感じでしたので、今回の話では、否定的な感じを覚えてしまうような科学について、今後考えてみたいと思います。