大西 ライフ・クリエイト・アカデミー

身の回りから、世界のさまざまな問題に至るまで、根本的な解決ができる道である文鮮明先生の思想を、その根拠と共に紹介します。

経済と経済学の歴史、私的理解編

2016-06-24 17:23:40 | 経済
 経済と経済学の歴史などと申しますと、なにやら畏れ多い気がしてしまいます。
しかし、経済とは、ホントはとても身近なもの。生きている限り経済と無縁ではいられないということなのでしょうね。衣食住とかね…。
ところが、経済学ということになると、とたんに手を引っ込めたくなります。私ごとですが…。
同じ気持ちの方も多いのではないでしょうか?恐れ入ります…。

 社会思想家の佐伯啓思サンによると、ご自身が大学の経済学部時代であった1970年代のことを振り返って、数学が大規模に導入された当時の経済学、「科学っぽくみせる」アメリカ型数理経済学について書いておられ、その数学のディープさは友人の数学者が驚くほどだったそーです。
その背景には、やはり東西冷戦があり、思想でありイデオロギーであるソ連社会主義のもとになっているマルクス思想に対して、自由経済体制を支持する経済学者の考えは、「アメリカの自由市場体制は『理論的』に正しいことが論証できる。これを支える市場理論は『科学』であって、イデオロギーではない。したがって、西側の自由市場体制は『正しい』のであって、社会主義は『誤り』である。これが当時のアメリカの主張だったのです。……『理論的』に正しい、というもっとも明白な証拠は数学で表現されている、ということだった。」…と。
 さらにピケティを引用して、「私は経済学が社会科学の下位分野だと思っており、歴史学、社会学、人類学、政治学と並ぶものと考えている。(中略)私は『経済科学』という表現が嫌いだ。この表現はとんでもなく傲慢に聞こえる」
社会科学というのは、歴史学、社会学、人類学、政治学とか法学など、人間社会のさまざまな分野についての学問のまとまりのことのようです。
 もうひとつピケティを引用して、「本当のことを言えば、経済学は他の社会科学と自分を切り離そうなどとは決して思うべきではなかったし、経済学が進歩するには他の社会科学と連携するしかないのだ。社会科学全体として、くだらない縄張り争いなどで時間を無駄にできるほどの知識など得られてはいない。」、だそうです。

 経済学は当然、専門的な立場から、経済の政策に影響を与えると思うのです。それどころか、政策そのものに採用されることもあったのです。
しかしながら実際の経済に直接、間接にかかわる全ての人間、それは莫大であり、中でも力、大きな財力を持つ個人や団体の影響はそれに応じたものなることでしょう。さらには規制や規制の緩和、その撤廃などを含めて影響を与え合うと考えると、それらは数学や科学などの純粋な理論の世界とは違った、大変な複雑さ、カオスに満ちていると思えます。

 経済学の始まりはイギリスのアダム・スミスといわれています。「国富論」を書いた人として有名なアダム・スミスはこの本の前に「道徳感情論」で人間の本性が共感にあると書いたのでした。
しかし、現代の経済学の始まりとされる「国富論」においては、「実際、個々人は公共の利益を促進しようと意図しているわけではない、だが彼は単に自分の利益を意図していながら、あたかも”見えさる手”に導かれるように、自分では意図もしていなかった公共目的を促進することになる。」と書かれているそうです。
個々人は自分の欲にかられて行動しても、全体としてはうまくいくもんね~。ということなのですね。
経済学の岩井克人先生によると「『見えざる手』とは、具体的には、市場における『需給法則』あるいは『価格の需給調整機能』のことです。……この『見えざる手』さえ働いていれば、資本主義経済は全ての市場における需給を同時に一致させる「一般均衡」を、自動的に実現することが出来るわけです。」だそうです。
需給というのは、需要と供給のことですよね。このくらいしか解説が出来ないや~。
人間の本質であるとした共感については、あえて「国富論」に書かなくても人間の本性を信じたということなのかもしれません。


 ちなみに脳科学の分野で、大発見とされものにミラーニューロンがあります。これはまさに共感するための働きが脳にそなわっていたことの発見を意味します。
ある行動や行為について、見た時、自分で行動したときにも共に活性化する部分(ニューロン)があることを発見したのです。ニューロンというのは神経の細胞のことです。あることをみたとき、自分が同じ行動したときのどちらであっても活性化するということは、視覚、運動、さらに身体の感覚という非常に複雑なはたらきであるため、1990年代のはじめの発見は衝撃的であったそうです。


 そして、経済学の伊藤光晴氏によればアダム・スミス以降「長い間、経済学の正流は、自由競争さえあるならば経済社会は調和ある状態を続ける、ということを論理的に明らかにすることであった。」 それは1800年代の後半までは「経済という社会の土台からの、政治・政策への批判」だったものが、自由競争が実現された後半からは、「現実の説明をするだけのものにすぎなくなってしまった。」 
そこにおこった経済学の革命。
それがケインズ革命であったのです。 
                                        つづく…


(参考文献)
  人間回復の経済学 神野直彦 著  岩波新書
  心を生みだす脳のシステム 茂木健一郎 著  NHKブックス
  さらば、資本主義  差益啓思 著  新潮新書
  経済学の宇宙  岩井克人 著  日本経済新聞社
  ケインズ   伊藤光晴 著   岩波新書