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milkの毎日

61歳の私が何気ない毎日の事をつぶやいて穏やかに家族と過ごしています

お墓参り

2025-04-12 22:47:00 | 日記
昨日

お墓参り用の花を買い

今日

3人で

生花をまとめて

お墓参りに行った。

夫の妹が

お墓参りに来たばかりのようで

少し枯れた花だけを外し

菊の花などを入れた。

残りは

家にある仏壇用の花として

供えた。

今日は

今回旅行に行く

従妹より彼女の大切な息子さんがお亡くなり

になって会えなかった時に

香典のお返しにいただいた

香りのとても良い線香を灯した。

段々と

こう言う生花や線香などを持って

お墓参りに行く

子供達世代もいなくなって行くのだろう。

来年は

43年前に今回のお墓を建立した

義母の33回忌である。

その時に

妹夫婦を呼ぶつもりだが。

60代の彼女は今も働き

車でお墓参りに毎月

訪れている。

しかし後

10年したら

彼女も70代半ば

段々と仕事も辞め

車を運転する事も無くなるだろう。

来年実母の33回忌をして

もしかしたら

感じる事もあるかもしれない。

孫の子守をするようになり

義母のように

妹さんの長女が2〜3歳の頃

子守をしていた年を超えて

義母のように

おさんどんをしたり

買い物をして

孫達のところに届けたり

元気である間は

義母の姿を重ねて

働き続けて行くだろう。

本当に

義母が亡くなった時から

30年以上もの

年数が経ってしまったなんて。

私の母が亡くなり

その3年後に

義母が亡くなり

私の祖母もその2年後に亡くなった。

私も還暦を超えて

これから先も

なるべく元気で

娘が自立出来るよう

私達夫婦も

自分の事はなるべく自分で

やっていけるように

生きていきたい。





娘が今はまる事

2025-04-09 15:39:00 | 日記
B型作業所で

一度

ビーズアクセサリー作りをする機会に

恵まれ

それから

セリアなどで

ビーズを集める事に

はまり

今日のB型は、玉ねぎの皮剥きで

薄いビニール手袋の穴が開き

爪に玉ねぎが詰まったようだ。

一回きりのB型でのビーズ作業だったが

家で5分ほど

私か自分用に作るアクセサリーは

良い気分転換になっていると思う。

私が一昨年だったか

ビーズアクセサリー作りにはまり

残っていた私のビーズの残りを

混ぜて

唯一無二の作品を作る。

売るわけでは無く

ただひたすらに

自分の気分の赴くままに

作るアクセサリー作りは

娘の新たな楽しみになっている。

幼い頃にこう言う遊びを

もっとしていたら

どうだっただろう。

でも、今こんな風に

はまる事があり

毎日の生活の中に

潤いが生まれているのは

隣で見ている私も

至福の時間となった。



今日は義母の命日。

2025-03-30 12:51:00 | 日記
31年前

60歳で亡くなった義母。

私の母は、56歳で亡くなった。

私の母の方が3年ほど早く亡くなり

もともと同じ病院に母も義母も

入院していて

知り合いになり、私もその縁で

夫と結婚したわけだが。

夫の両親には感謝しかない。

正直

義母とは病院で3年8ヶ月

母が入院していた期間と

結婚して生まれた息子が2歳になる4日前

7年足らずなお付き合いでお亡くなりになっ

た。

市内に住んでいたことや

私が仕事をしていたことなど

本当によくしてくださり

感謝しかない。

その義母が

50年前に建立した墓。

娘も障害者であり

県外に住む息子も

墓守をする気など

ない為。

夫や私が元気なうちに

永代供養でその後共同墓地のように

なっていくものか

私達世代に人気の散骨なのか

それにしても

墓じまいや

いずれ仏壇やお位牌も

仏具屋さんにお願いする話まで

私達世代は、やっておかないと

いけない時代になった。

息子達が30年後

もしかしたら

また墓を求めるにしても

先祖はおらず

たぶん自分達の墓を

建てるかもしれない。

お墓参りをほとんどしたことのない

嫁だと聞くので。

やり方も知らないかもしれない。

明日は

独身者で

自分のお骨を散骨にしたい美容師さんに

1ヶ月ぶりに会うが

60歳を手前にして

両親も亡くなって

自分の最後について考える事が

多いみたいだった。

樹木葬と散骨を悩んでいた。

私と同じ還暦➕1歳の友人に

まだ実親が亡くなり2年ほどだが。

お位牌を押入れに

入れている話を聞いて。

全く他人事ではない気がしている。


大学病院

2025-03-27 16:07:00 | 日記
約一年。

大学病院の担当医と最初に会ったのは

6月だった。大体

10週間に1度診察があり

3〜4回診察していただいた今日

今の医師とはお別れとなる。

大学病院は、すぐ変わると

聞いたことがあった。

前の医師とは5年。

個人の病院を建てられると言う

話だった。

今回は大学病院内の異動。

今日の医師よりも若い医師だが

今日の医師よりもここの大学病院には

長く在籍されているらしい。

今の医師が言われていたが

ほぼ病気は完治し

もう一つの薬だけになったら

近くのかかりつけの内科医に

移ると思う。

それで良いと思っている。

もう少し痩せて

今日も娘と公園歩きをしたが

今年は5月から

町内の班長を1年する為

夫にも手伝ってもらいながら

地域の事にも出来る限りは

町内の清掃、地区の運動会

地区の文化祭など

参加して

娘の将来についても

何かここで暮らしていけるような

希望の光を見つけられるように

過ごして行きたいと思う。

B型を休んだ娘

2025-03-26 12:52:00 | 日記
今日は

B型を休んだ娘。

連絡があったみたいだが。

4月も初めは

全部休むつもりのようだった。

しかし4月後半

休むので、来週は行くと思う。

後5ヶ月で

26歳になる娘。

そしてB型通所も6月より4年目となる。

新しい相談事業所に変わり

一昨日

その事についても報告した所

新しい事業所と担当者をよくご存知の

娘の担当医だった。

5月

その新しい相談事業所の担当者に

夫と会うつもりである。

仕事と趣味だけに気持ちが向かっていた夫。

県外の息子の話を私からまた聞きであるが

墓の有無などについて聞くと

今時の30代と言うか

仕事と家事と育児だけに

全力を注ぎ

ここで過ごしてきた

団地に越してくるまでも入れた20年間の

日々は

私達夫婦が厳しく教えたわけでも無く

ただ何と無く団地で過ごして

お墓参りに毎月家族で行き

大学の頃も

必ず行きと帰りに2つのお墓に

頭を下げて帰る息子だっただけに。

正直残念な気持ちに夫婦でなったのは

事実。

孫の2人の事を考えた時

お墓自体墓守にさせたく無い気持ちも

分かるが。

昨年10月私達兄弟夫婦

母の弟

父の弟の娘である従妹

弟の長男

そこに息子も参加させる必要性が

あったのかもしれないと思う。

夫は

自分の趣味の事だけを

話をしていたが。

そこには独りよがりの夫だけが楽しい

毎日で

子育ての小さい頃からの

参加が無く

夫自体

親が全てやってくれて

そこに気持ちを寄せる事もなく

ましてや子育ての時に

義父のような愛情も持ち合わせては

いなかったと思う。

パチンコばかりしていた

アパート暮らしの頃

引っ越してきても

私が娘にパチンコ屋に電話をかけさせた

と思い込み

私が聞くとそう言う風な理由で

パチンコは辞めたと答えたが

そう言う人のせいにする言い方とか

結局

仕事柄

組合活動とかにも参加する時も

あっただろうけど。

全く気持ちもなく参加していて

67歳になって

今日もよく分からない電話をかけて来て

それをラインで返すが。

いつも自分だけで自己完結している夫は

家族としての信頼関係が生まれぬまま

今に至っている。

県外の息子とも正直

きちんと会話する事もできない。

私に逆ギレして

いつも好きなように生きて来たツケが

県外の息子の言う

墓はいらないと言う話に結びついたように

思う。