61歳の私が何気ない毎日の事をつぶやいて穏やかに家族と過ごしています
今日が
義母の命日
夫の妹さんが
たくさん
生花を
入れてくれていた。
そして
私の実家は
私が夫と毎回
お墓参りをする以外に
誰も
する人はいない。
仏壇に
今
線香を灯す事はないので
今日
2箇所のお墓で
線香を灯した。
3月は
夫が言うように
引っ越しが忙しいのか
夫が最後に
片付けたままの
状態
5月の父の13回忌の頃に
引き渡す事に
なっている為
引っ越し時期が過ぎた
4月の終わり頃までには
何とか
今月
見積もりした作業は
終わっているだろう。
昨年
弟が
お墓じまいの
為の
今のお墓の解体を
頼んで
まだ
我が家の実家の墓の解体の
番にならないようで。
それも
実家の引き渡しの後に
なるのか。
しかし
完全に
引き渡しも終わり
お墓も
解体されたら
実家の檀家の
お寺の納骨堂の
所へ
頭を下げるだけに
行くとは
思えず。
やはり
生花を持って
線香を灯す
その後
3人で
亡き祖母や両親
義両親の事を
思い浮かべながら
それぞれのお墓に
私は
頭を下げる。
祖母達が
毎日
または月に2回
必ず
お墓参りを
してきた年に
近くなるにつれて
祖母も義両親も
それぞれが建てた墓だから
思いもあり
お墓参りをしていただろうと
振り返っている。
昨日
夫と
午前2回
午後1回
粗大ゴミや燃やせるゴミを
借りてきた軽トラで
清掃工場まで
運んで
2人で交代で
全部屋の
掃除機をかけ
私達の片付けは終わった。
後
箪笥や
テレビ洗濯機の
リサイクル料金が
かかる大きな物や
外回りの専門業者に頼む
物だけになった。
その前日も夫と同じように
午前3回
午後2回
清掃工場まで
粗大ゴミなどを運ぶ中
いかに
祖母や母が
昔の物を大事に
仕舞い込んで
蚊帳や綿入れ
祖母や母が
着ていた服
見たことのある
硬い毛布。
父が残り
大量の本
大量の衣類
趣味の墨絵が入った額縁
祖母がそもそも使っていた部屋
勉強部屋
新しい方の車庫の中に
ある部屋に
父が買い込んでいた
ステレオ類
趣味の道具
文房具
12年の間に
亡くなって3年くらいで
父の衣類は
100袋家庭ゴミに
妹が袋詰めをし
私と娘で捨てた。
その後
ブックオフに来てもらい
勉強部屋にあった
本を見てもらったが
ほとんど売れず
夫と2人
勉強部屋の本棚や
天袋まで入っていた
新聞などを紐がけして
家の近くのスーパーの1キロ
1ポイントになり
そこに資源ごみと
して捨てられるので
捨てた時
見ていた方が
「学者さん」
と言われるくらいの
量を捨てた。
食器も家庭ゴミで
相当捨てていて
今回2月から
夫の休みに合わせて
実家通いをしていたが。
兄弟が先月3泊で帰省した時に
ビニール袋に詰めたものは
カウントされるから
捨てて欲しいと
言われ
家庭ゴミで全て捨てられなくて
急遽
夫がレンタカーの軽トラを借りて
3日ほど
燃えるゴミや粗大ゴミを清掃工場
へ運ぶことになって。
17年前に
夫は市営住宅に住んでいた
夫の父の葬儀後
妹の旦那さんと2人
借りてきたトラックに
4階から荷物を下ろして
1日何回もそして
何日も
ピストンで粗大ゴミを捨てに行き
その頃は
下がどぶとぶした
所に
自分達で
捨てる作業をしていた。
今回
あの頃とは違い
捨てられる物と
捨てられない物が
あり
父が
たまたま床に
敷いていた
2枚の畳
柔道とかの床に
敷いてあるような物。
捨てに行って
それは
捨てられないと言う
事が分かった。
そして
今
4月に向けて
家の中の
粗大ゴミを捨てに来る方の
多い事を
実感した。
近所のママ友も
引っ越しで
トラックも来ず
軽の車に積んで
こんな風に
清掃工場に運んでいたのだと
思った。
100キロまでは
無料なので
団地では
粗大ゴミを頼んで
家の前に
箪笥など置いてあるところもあるが
大物でなくても
捨てられない電化製品とか
ファンヒーターや椅子など
清掃工場にご夫婦で
運ぶ姿も多く見受けられた。
運転免許証を返納される前に
近所の高齢のご夫婦も
まだ旦那さんが
運転される頃に
そう言う
粗大ゴミと言われる物を
2人で清掃工場まで
運んだ話を聞いた事がある。
実家の布団も片付けたが
シーツを取り
毛布は粗大ゴミではないと言う
事も初めて知った。
17年前と
比べ
綺麗になっている
清掃工場に夫も
驚いていたし
今日なのか
明日なのか
畳の事で
確認の電話が来るらしい。
次は
自宅の断捨離を
したいと思う。