釣り鉄のボヤキ

広く浅く時々深く。

そこに"愛"はあるのか? Aqours 5th LoveLive! ~NEXT SPARKLING!!~

2019-06-09 23:19:39 | 日記
東京ドームと劇場版を越えて正真正銘、Aqoursが1から作り上げていく道に差し掛かった今回のライブ。

参加された皆様、Aqoursの18人はじめこのライブに関わった全ての皆様、お疲れ様でした。

ライブ当日、大きく話題になった客席での「虹」

初めてファンミーティングをやったぐらいからほぼ毎回と言っていいほど企画されてきたブレード企画。海外で成功する中、今まで国内でバシッと決まったことはありませんでした。

今回、多少の差異はあれど誰かがどこかで計画したアンコールのタイミングで虹はそれそれは綺麗にメットライフドームにかかりました。
まぁ、虹かけるタイミング絶対ちゃうやろ!って思いましたけど。

ヨーソロードとか、果南レールとか今まで色々ありましたけど常々ツイッターで言ってたようにこれらの企画には抵抗しか感じませんでした。

オタクの自己満足でしかない、演出家でも構成作家でもないただの客がわざわざ時間をかけてプロが作ってきたものに手を加えるなんて思い上がり過ぎた、と。
この気持ちは今も変わりません。

これの根底には
「ステージが1番輝いているべきだ」
という僕の自論があります。
(だから10人目?え?ってなったこともありましたが)


今回、虹を見ていて、(これは以前同じように企画が立ち上がっていたイベントでも同じことが言えますが。)完成したときに客席の目線は確実に客席に向けられます。
アンコールというタイミングではありましたが、曲が始まっても、最後まで客席から客席に向けられた目線の数は普段よりも多いはず。

せっかく高い金払ってAqoursを見に来てるんだから最初から最後までステージに集中すればいいのに、なんて思ってしまいます。

さらに、その一体感に本当に「愛」はありますか?と僕は問います。

先程オタクの自己満足と書きましたが、1日目が終わった段階で、企画に参加してくれてありがとうこざいました!ってツイッターで書いてたアカウントがありました。

僕はその日現地にいた訳ではないので、虹がかかったと聞いた時、「オタクども遂にやりやがった!」とマジでビックリしてました。
そのあと、企画が存在していたことを知ってガン萎えしたのは言うまでもありません。

というか、今はこの際企画があったかどうかなんてどうでも良くなってます。


どんなアーティストにせよ、ライブの醍醐味はなんといっても客席とステージの一体感。
今まで、WUGのファイナルだったりμ‘sのファイナルだったり、Aqoursで言えば1度目のファンミの千穐楽の最後の最後だったり……
どんなライブでも1番感情を動かしてくれるのは客席とステージとの一体感でした。


では今回の「虹」はどうであったか。


企画側の意図としては恐らくAqoursに素晴らしい景色を見て欲しい!とかアニメの同じ景色を!とか考えてたと思います。

自分達が客席にいること、みんな忘れてませんか?

「みんなで叶える物語」って言うけれど、客席とステージの間にある明確すぎる線引きを超えて深いところで心を通わせて1つになる、そのひとつの形としてコールとか、みんなで色を揃えたりするんじゃないのかなって。

ステージを置いていった、客席だけの一体感は違和感しか感じませんでした。
虹を完成させたことに対する「達成感」で立ち止まっていませんか?

それって、少しおかしいと思いませんか?

こんなに綺麗に揃ってしまうのは、今まで運営がめっちゃ光ってる人達をコツコツと消していった成果です。
でも、なんというか、次に消されるのは僕みたいに今回のような状況をよく思わない人間です。
それも、運営じゃなくてファンに。

もちろんのこと僕は最後まで好きな色を振り続けていました。

しかし、アンコールが始まってギルキスがステージに立った時のこと。
前の座席の方が僕達に対して言った言葉に衝撃を受けました。

「なんで赤にしないんですか?この景色、ぶち壊す気なんですか?」

本当にこんなことってあるんですね。
だから嫌だったんです。
結局自分のことしか考えてないんです。

10!というコール、千歌ちゃんの「聞こえた」ってセリフの意味をめちゃくちゃにしてませんか?
ストーリーを邪魔しちゃってませんか?

「私の好きなμ‘sに私は居ない」
という亜里沙の言葉を僕は忘れることが出来ません。

アイドルのライブは客席とステージの間に明確な境界線が存在する。

その境界線があるからこそ、ライブが成立して、どんなに大きな会場でも不思議な一体感が生まれる。
そもそも、境界線がなければ一体感もクソもない。

だからこそ忘れることが出来ないのです。

1期の13話、だいぶ叩かれてたように思いましたけどあれも結局は「お前らAqoursちゃうやろ!」って所に落ち着くわけです。
そんな所で感動を無理に生み出そうとするな、って訳です。
今回のライブに対しても、僕は同じような感想を抱きました。

んで、今回のスタッフ陣もすこーーし酷過ぎました。

誰にでも間違えはあるけれど、キャストの名前間違えちゃどうしようもない。

運営さんたち、Aqoursへの「愛」はありますか?

あなた達がコンテンツを愛していなかったら客云々以前の問題です。
運営の愛を、少なくともAqoursが出来てから感じたことがないのです。

運営の愛が重すぎるコンテンツは、きっと誰もを魅力するでしょう。


運営もAqoursも、オタクに媚びずにやりたいことに媚びて下さい。自分達に媚びて下さい。

我々がそんなコンテンツが作った道を追いかけていく存在だからこそ、背後ばかりを意識しないで1番近くでかつ見える自分たちを意識して下さい。



こんなんばかりだったらAqoursのライブ、胸糞悪いだけなんでもう行きたくないんですけれど。



それでも僕はAqoursを信じているから、

またAqoursのライブに足を運ぶのでしょう。

Aqoursのみんなは、やっと自分の言葉で伝えることをしてくれるようになっていて、でも僕の中で受け取る準備も出来てないというか。
きっと一旦離れた方が気持ちいいかも知れませんね。
まぁ、あんなことされちゃったらぽんって飛び込めないかもだけど。

めっちゃ読みにくい文章になってすみません。

とにかく、今の風潮に対して「それ、なんか違くないですか?」って言いたいだけです。