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丘の上日記

趣味は読書、ヨガを楽しみ、おしゃべりや
庭づくりが好き。大きな犬2匹と娘との暮らしを気の向くままに

「震える牛」を読んで

2012-04-08 22:53:36 | 
「震える牛」を読み終えました。
読み始めは、何だか期待外れかもしれないと思いながらだったけど、100ページあたりから
どんどん引き込まれていきました。

大規模ショッピングセンターオックスマートやカジュアル衣料のクロキン
どこに行っても、インターチェンジを降りると同じような大型SCがあり、全国チェーン店の
看板が目に入り、街の顔が見えなくなっている地方都市のこと
そのSCのためにシャッター街となった商店街
郊外にあるため車がないと買い物に行けない、お年寄りはまさに買い物難民だ
地方都市が衰退していく過程が怖いほど説得力がある。

品質よりも、安くて、便利な加工食品を求める消費者が多いから
価格競争に生き残っていくために、粗悪な肉や、内臓、大量の添加物を使い
提供されるハンバーグやステーキ
それらをパック詰めで一人前ずつ整えられたものが全国チェーン店の居酒屋などで
提供されているというくだり・・・・
(厨房で調理されることなんかないんだな)
(だからレンジより早く出てくるんだよな)

読んでいくと、これは現実かもしれないという恐ろしさがこみあげてくる。
でもそんな仕組みでもない限り、あんな安くランチなんか食べられないし
儲けもでないんだろうな今の世の中では・・・

必要なことは、そんな現実をわかったうえで、何を食べればいいか見分ける力かもしれない。

さらに安全なことは自分で素材を選び手作りすることが間違いはないのだけれど、忙しい
この時代そうすることは楽ではない。

一つの事件を通して現代の問題がこんなにも大胆に、そしてどの企業のことをモデルにして
作られたものか安易に想像がつくこの本は、ある意味強烈で、よくぞ出版できたなと思う。

最後の結末もこのような事件の解決にされちゃうのか・・・真実が与える影響についても
考えさせられるし、我々が知ることができない政治の力で決着をみることも少なくないんだろうな
と知ることになった本です。

便利な時代になって失うものも多いこの時代を生きる私は、よく不便だった子供頃を
懐かしく思い出します。
ちょっと不便がちょうどいいのかも

震える牛・・牛の震えはBSEの初期症状だそうです。
今は肉骨粉を食べさせることはないので出てくる可能性はないようですが、月齢が100か月を超える
廃用牛がモデルでした。
廃用牛は市場に出回ることがないそうで、公表することが是か非か、畜産農家の存続も重要だし
消費者の正しい知識も必要だし、正しく判断できる情報はもっと必要だとおもったとても重たい
一冊でした。

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本2冊

2011-11-22 22:55:59 | 
寒くなり、日が短くなるとまた本を読もうかと思いまして
そうして買ってきたのが、
白石一文氏の「心に龍をちりばめて」
カバーの美しさで手に取ってみました。
まだ数ページしか読んでいないけれど、一気に読めそうな気がします。


もう一冊は、志水辰夫氏の「みのたけの春」


昔の人は日の出とともに起き、日暮れとともに寝ていたんだよね~
ふと、ワンちゃんと5時だというのに暗くなった道を、懐中電灯を持ちながら
夜空を見上げ、そんなことを思っていた。

日暮れが早いと、生活のリズムが崩れてしまうのは私だけだろうか?
コタツに入ってると、横になりたくなって、テレビ画面を見ていると
うとうと寝てしまって・・・お風呂に入ると目が覚めちゃって、なかなか寝付けない
いやだなぁ

本を読みながら眠るのが一番かな
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先に進まない本

2011-11-10 15:53:12 | 
なかなか先に読み進めない本がある
「のぼうの城」がそれだ
面白いと好きな韓ドラだって観ずに読むのだけれど、ちっとも面白くないのです。
来年映画にもなる120万部も売れている本なのに・・・・

何とか読もうとお風呂につかりながら読み、それでもまだ62ページまで
これから面白くなるのだろうか?
62ページまでの間で、何一つ心をつかまれるところがなかったのは、何でだろう?
この本だけは映画を観た方がいいのかもしれない。
下巻も買ったのに読むのは無理かも・・・・と諦めかけている私です

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【愚行録】という本

2010-05-22 23:03:09 | 
貫井徳郎著「愚行録」


ええ、はい。あの事件のことでしょう?
幸せを絵に描いたような家族に、突如として訪れた悲劇。
深夜、家に忍び込んだ何者かによって、一家4人が惨殺された。
隣人、友人らが語る数多くのエピソードを通して浮かび上がる「事件」と「被害者」。
理想の家族に見えた彼らは、一体なぜ殺されたのか。
    ~本書カバーより~

物語は一家殺害事件の被害者について、学生時代の友人や子どもを通じた母親同士、会社の同僚などへの
インタビュー形式で書かれている珍しいタイプです。
このインタビューが読み手の自分に対して話されているかのように、すんなり入ってくるんです。
そして被害者夫婦がどんな人たちだったか、エピソードから想像していけるんですね。
インパクトのあるインタビュー内容なのでどんどん話の中に引き込まれますが
人のことを語るとき、自分を対比させて皆さんが話される。
他人を語るというのは諸刃の剣なのだと解説を書いている大矢博子さんが述べている。

あまり関係のないような不幸な兄妹の話がときおり出てくるが、これがどう関わってくるのか・・・
あと3分の1くらいあるので早く読みたい気持ちと、ゆっくり楽しみたい気持ちが入り混じる。


昨日は友人と秋保に出かけてみた。
気になっていたヒーリング館と木の家
ヒーリング館では数秘占いやってもらいたかったけど、そのかたが3時にならないと来ないということで
お茶をごちそうになり、店主のかたとお話しをしたり、展示物を一通りみて後にしました。
6月19日と20日ヒーリング祭りがあるそうなので、その時に行けるとタロット占いやオーラ・ソーマ
などの出店を体験できるそうです。

お店を出るとホントに静かで、向の山は新緑が美しく、藤の花も咲き深呼吸したくなるような場所でした。

その足で木の家へ
とってもお天気がよかったから、外のデッキ席の方が満席でした。

アサリのスープパスタを食べて、心地よい風に吹かれ癒されてきました。

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1Q84読み終えて

2010-05-10 15:17:58 | 
お弁当何にしようかな?と冷蔵庫を確認
先日作ったばかりのお煮しめの材料がちょうど1回分残っていたので
夜のうちに作っておきました。
お鍋でコトコト煮ながら「イ・サン」を観ました。
「イ・サン」はイライラするほど次々に問題が立ちはだかるから、ストーリーがさっぱり進まず
これだから韓国では徐々に視聴率が下がったということに納得してしまいます。

鶏肉も漬けダレに漬けておき、準備しておいたので、朝はあまり時間がかかりませんでした。

明日が雨の予報のせいか、湿っぽさが感じられ、風も幾分冷たいです。
それでも景色は新緑の勢いが山々から感じられ、いい季節になりました。
そんな景色を楽しめるサンルームはお日様であたたかく、「1Q84]を読むには最高の日だまりでした。
24章から続きを読み始めると、寝袋で寝ている牛河をタマルが命を奪う・・・その描写が読み手まで緊張させる。
なんでこんなシーンを文字に書けるのか村上春樹という人はどんな人なんだ?と気持ちが悪くなるほど残酷だ。
亡くなった牛河の口から6人のリトルピープルが出てきて、空気さなぎを作るというくだりなどを
読むとこの人は死んでいく人に対して救いを残してくれることに気付く。
天吾のお父さんに対してもそうだ。
他の男と逃げた末、殺された天吾の母の元から、残された2歳の天吾を引き取って育て
、そして多分血がつながっていないだろう天吾を息子として育て苦悩を抱えながら生きてきた男の描き方や、
さきがけリーダーの死に際など独特の愛情を持って、最後は愛すべき一面を必ず登場させて見送っている。

物語は青豆の強い女の面が再び登場し小気味いい。
護るべき愛を(天吾との愛、お腹の子供への愛)得た女性はたくましい。
最後はホッとする。
読み終えて楽しみがなくなるのが寂しいな。

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1Q84第23章

2010-05-09 23:43:20 | 
母の日
いつもは感謝の気持ちを伝えていないから、ささやかな贈り物とともにメッセージを送った。
両方の母とも気に入ってくれたようで、良かった。
私の母は今日が母の日だということにも、プレゼントが届くまで気がつかなかったみたいで
とても喜んで、ありがとう、ありがとうと何度も言われた。
だって毎年贈っている訳ではないので、よけいに嬉しかったのでしょう。
夏物のバックを贈ったのも良かったみたい。
その後、「何だか自分のだと勘違いしてあなたの白いケースのファンデーション持ってきちゃたみたい」
というではないですか・・・
先日から探しているのに見つからなくて、どこかに忘れてきたのかと思っていた。
送ってと言おうかどうしようか迷っていると、「つけて見たらいい感じだったよ」
「代わりのはあって使ってた?」
ウ~ン仕方ない
「じゃあ使っていいよ」と言っちゃった。
あ~ぁ高いのに・・・・
ファンデーションまであげることになっちゃった・・・・

娘も友達と出かけ一人だったから、一日の大半を本を読んで過ごしました。
[1Q84]BOOK3
第31章まであるんだけど、23章まで読み進んでいよいよ牛河と天吾、青豆が引き寄せられてきた。
早く読み終えたい気持ちと、もう少し楽しんでいたい気持ちがある。
いつもは最後が気になり、途中で結末を読んでしまってから、そこへ向ってゆっくり読むことがよくあるのだけど
この本だけは、最後までとっておきたいのだ。
描かれる人間も、有り得ない宗教的というかファンタジーな出来事も、作者の想像力から生み出されるのだから、
すごいとしか言いようがない。
天吾のお父さんが亡くなる前に、最後の時が来たらと事前準備をきちんとしてあったところは一つの有り様として
考えさせられたし、NHKの集金人というのがこの本ではかなり部分で出てきて、ある意味怖いのだ。
こんな風に登場し描かれてNHKも困惑していないだろうか?と考えてしまう。
きっと明日で読み終えてしまうでしょう。







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1Q84

2009-07-19 23:27:56 | 
たった今読み終えた。
BOOK1にくらべ、BOOK2を読み進むのは早かった。
天吾と青豆の物語が交互に書かれ、段々核心に寄せ集められて
いく様は、分かっていてもぐんぐん引き込まれた。

「さきがけ」の聖域にある男とのやり取り、明かされる真実、何もかも見通せる
神のような特別な力、男の深い苦しみ

自分の持てる想像力を最大限出して、場面を想像しながら
読むことがたまらなく面白い本だ。

どんな楽しいことをするより、この本を読んでいたいと思ったほどのめり込んだ。

明日からは、すっきりして過ごせるかと思うと開放感と寂しさのようなものがある。
しばらくは青豆という女性について忘れることは出来ないだろう。

もう一度最初から軽く読んでみるのもいいかもしれない。

今日秋田に帰る予定だった夫だったが、秋田新幹線が大雨のため線路の安全が確保できないらしく全面運休となってしまい、明日の運転再開を見て動いていなかったら秋田まで一緒に車で行くことになるかもしれない。

その前に読み終えたかったので、ホッとした。
ノルウェイの森で何度も挫折して読めなかったから
村上春樹の作品を読むことはないはずだった。
けれど、これは引き込まれた
娘の友達に小人を見たという子がいて、あり得ないという私に、
心が純粋じゃないと見えないんだって、他にも見える人は居るんだってよ
と聞いたことを思い出した。
この本でのリトルピープルは不気味だから、同じに考えてはいけないけれど
月をみたら、もう一つ見えていないか?確認しそうだ。



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「氷の華」・・・・

2008-09-07 23:37:51 | 
原作とはけっこう違っていましたね。
悪女を演じるなら米倉涼子というのはわかるけど、私は恭子とは違うと思った。
隆之の設定も東陽事務機の営業部長から病院の医院長、恭子はピアニストだったね。
本を読み始めたとき、これは面白いとおもってどんどん読み進んだけど、ドラマになると
あの惹きつけて離さないワクワク感がない。
恭子はあんな風に「私は負けないわ」っていう人物じゃない。
サスペンスドラマの枠を出ていないような気がする。
もっと描き方があったんじゃないかな?

もっと原作に忠実にTV化できなかったのかな?
作家の天野節子さんはどう思われたのでしょう?

以前「ホワイトアウト」読んだ時も自分が本を読みながら想像していたのと、映画になったものとの違いに
あぁ見なきゃよかった・・・・・と思った感情を思い出した。

氷の華も2夜全部見たわけではない。
昨日とっても興味があって見始めたけど、止めとこう・・・・自分の思い描いてたままでとっておきたいと
途中でチャンネル変えた。

まあよくあることではあるが
絶対本の方がオモシロイ

やっぱりチャンネルは「ファン・ジニ」のほうを選んじゃうな~
本を読まれた皆さん、どんな感想をもたれましたか?


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「氷の華」読み終えて

2008-08-04 15:10:33 | 
久しぶりに本にかじりついて読み終えた
この本は娘が読書感想文をかくために、一緒に立ち寄った「紀伊国屋」で目に留まったもの。
帯によれば秋にTVドラマ化・・出演者に堺雅人の名前を見つけ、あらすじを読んで強く惹かれた。その夜からこの「氷の華」にかじりついて読んだ。

本から離れる時間がもったいないと思ったくらいだ。
長編ミステリ(499ページ)だけど、飽きさせない。
最初の出だしから福島県相馬郡が出てくるから、興味も増すのだが、その描写が
どこにでもある田舎の平凡だけど、人が望むような作次郎の定年退職後のある1日の終わりから物語が始まる。
それがこの話のどこで関わってくるんだろう?と興味がわく。
主人公の恭子は35歳、大谷石の高い塀に囲まれた5百坪をこす敷地に、大型ベンツと
もう1台がおさまる車庫。
純日本風の建物を洋風にリフォームした屋敷に住み、お手伝いさんがいて、家事はほとんどせず、唯一するのは帰宅した夫のためにビアグラスを凍らせておくだけ。
何不自由ない優雅な毎日をおくる恭子だが、子どもがいない。
不妊症の治療を受ける場面もでてきて、多少なりとも経験している私には、充分辛さがわかる場面も出てくる。
全てが満ち足りているのに、子どもが出来ないというただ1つの恭子の弱点をついた言葉から始まる事件の展開。
そして、14年前に恭子が画策までして、好きあう二人から夫を奪って結婚したことなどから心の底に暗い影をもっている。
とにかく快いスピードで、誰にでもあるような心の動きに頷きながら、華やかな悪女ぶりを堪能できる本です。

起きてすぐトイレに持ち込んで、よく開かない目をこすりながら読みふけり、
犬の散歩しながらも片手に持ち歩き、べったりと過ごした4日間だった。






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人にはどれだけの物が必要か

2008-07-21 20:31:25 | 
ふと、ダイニングテーブルで勉強している娘の問題集を見て興味深いタイトルに本文を読んだ。
鈴木孝夫氏が書いた「人にはどれだけの物が必要か」というもので、
テーマが「ゴミ問題を解決するためには何が必要かを読み取ろう」というものである。

以下本文から

私が毎夏を越す長野県の町は、自然に恵まれた広大な町の中に場所がないと言って、ゴミをわざわざ隣り町の処理場に運び、大金を出して始末してもらっている。
ところが町の人のなかには、庭の落ち葉を掃いて大きなビニール袋にいくつも詰めて、ゴミ収集車に持っていかせる人がいるかと思えば、刈った芝や木の枝を山と出す人もいる。
私はこのようなことを見るたびに、大都会と違って、広い庭や空間が充分あるのに
、ちょっと穴を掘って入れるか、それが出来なければ庭の隅に積んでおくだけで、ほどなく土に戻るものを、どうして次々と難問を生み出すゴミとして出すのかと考えてしまう。
大切なことは、私1人がやっても意味がないとか、たった一人の力で世の中の大きな流れを変えることなどできはしないなどと消極的にならないことだ。
現在の社会が全体として向かっている、社会が毎日生み出している環境汚染や資源の浪費は、結局のところ私一人ぐらいがと思う極く普通の人が集まって作り出していることを忘れてはいけない。
いま多くの日本人は、自分の日常生活が贅沢極まりないものだとは感じていないと思う。
ところがそのような人が集まって人口一億2千5百万の日本という国にまとまると、
それは世界一の豊かで贅沢な国、外国の人々から羨望の目で見られる消費大国になってしまうのである。
 だからこそ私一人ぐらいなどと、自分の力を過小評価してはならない。
自分を巨大な社会の片隅にいる無力でちっぽけな存在と思うことは、とんでもない
間違いなのである。
一人ひとりがすべての元なのだ。
自分が変われば社会も変わる、自分は社会に対して能動的に働きかける力があるのだと、自分の力に自信をもってかまわないのだ。いや持つべきなのである。

これを読んだ私はジッとしていられず、庭にしばらく放置している、何個もの黒いビニールに入った雑草を片付けようとおもった。
けっしてゴミに出そうと置いていたわけではなく、陽にあたってかさが減るまで
置いていたのだった
霧雨がふっていたけど、庭に穴を掘り、たい肥になるよう埋めた汗なのか雨なのかわからないが額から流れ落ちる
しょっぱいから汗だった
ビニール袋の塊がなくなったので、それだけでも満足だったが、気分がのってきて、たくさん出ている百日紅(さるすべり)の枝やこでまりも剪定した。

以前は私も大量の雑草や剪定後の枝をゴミに出していた反省
けれど、ここ数年、剪定後の枝はガーデンシュレッダーで粉砕して庭に敷き、草はある程度乾燥したら土に埋めている
だんだんと、赤土で固かった庭がやわらかい土になっているのがわかります
私も小さな力だけれど、なるべくゴミを出さない、すっきりした生活をしていきたいと誓ったのでした

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