最近はあまり夜のゴールデンタイムのテレビを見ることがめっきり少なくなった。
何故かというと、夜7時~9時、または11時頃まではどこのチャンネルを回してもバラエティー番組ばかり。
しかも出演者は常に同じような顔ぶればかりで、毎回同じようなことばかりを言っている。
だからといって、私はバラエティー番組が決して嫌いな訳ではない。
しかし民放は各局ありながらも、どこでも同じような内容ばかりで、ただ単にゲスト出演者の人気度だけで視聴率を競いあっているだけのようにも感じる。
飽きてくるのだ。
またコイツか……… みたいに。
そんな私だけど、珍しく今日は三時間のバラエティー番組………というか懐メロ総集編みたいな番組をやっていたので、初めはなんとなく眺めていただけだった。
しかしいつのまにかずっと引き付けられるように観ていた。
1960年代~2016年までのヒット曲オンパレードだった。
私は昭和生まれ。
昭和の時代は学生生活。
そして平成の時代は就職をし、何度か転職もした。
テレビから流れてくる曲の一つ一つに当時の思い出があり、懐かしさを感じた。
人間の記憶力は不思議だ………
今までまったく思い出すことなどもなく、遠い昔に忘れてしまっていた出来事などが、久しぶりに聴く音楽によって当時の出来事が鮮明に甦ってきたりもする。
「あー、この曲聴いていた頃にはあの会社にいて、あんなことしていたな。」
……………とか、
「そういえば、◯◯とよく酒を飲みながらこの曲カラオケで歌っていたな。」
………………とか。
ここ最近ではまったく思い出すことなどなかったけれど、10年、あるいは20年以上も前に付き合っていた人との思い出であったり、はたまた30年以上前………子供だった頃の出来事まで。
音楽は私の脳ミソの奥深くから遠い昔の記憶を引っ張り出してきた。
いい思い出。
そして、苦い思い出も。。。
……………
……………
……………
現在、私が実践している12のステップの中でのステップ④では
『恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作った。』
………………とある。
これは私が去年の2月、入院中だったときにスポンサーからのススメで私自身の棚卸し表を書き出したことがあった。
自分自身の棚卸し表とは……
自分が過去、そして現在でも恨んでいる相手があったり、または恨んではいなくても傷つけてしまって悔いが残る人などがいれば、その記憶を辿りながら書き出していく作業だった。
これはただ名前だけを記入するだけではなく、その当時にあった出来事、なぜ恨んでいるのか? または なぜ傷つけてしまったのか?などの事柄も記入しておく。
棚卸し表の書き出しが終わったら次のステップ⑤へ続く
ステップ⑤:『神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めた。』
ここでの『もう一人の人』とはスポンサーであり、スポンサーと共に棚卸し表を見ながら今まであった私自身の出来事について検証をしていく。
二人で話し合い、棚卸しを終えてみると 恨んでいた相手にも問題はあるけれど、結局は自分自身の行動にも問題があったことがわかってくる。
人の過ちはさておいて、私たちは自分自身の誤りだけを断固として厳しく見つめた。自分がどこで利己的で、不正直で、身勝手だったのか。何を恐れていたのか。何もかもが自分だけのせいでそうなったのではないにしても、他人をまったく抜きにして考えてみようとした。
自分一人だけでイロイロと考えているよりも、過去にあった出来事などを紙に書き出し、第三者となるスポンサーにも一緒に見てもらう。
そしてスポンサーに客観的な判断をしてもらうことにより、今まで気づかずにいた自分のことが見えてきたりする。
自分自身の心の中にある問題の本質が。
もちろんスポンサーになってくれそうな人を選ぶのには、自分が信用できる人に頼むのがベストである。
けれど、そんな信用できる適当な人が見つからないときはステップ④⑤を延期した方がよい場合もある。
その後…
ステップ⑨では
その人たちや他の人を傷つけない限り、機会あるたびに、そのひとたちに直接埋め合わせをした
………とある。
しかしこれはあくまでもその機会が訪れた時であるから、いつになるのかはわからない。
何ヵ月後か………
あるいは何年後かに……偶然その時は訪れるのかもしれない。
もし偶然にもその時が訪れたのであれば、きっとそれは偶然ではなく必然だったのであろうと思う。
……………
……………
……………
今日の歌番組を観ながら、
『あーそういえば、この時代にはあんな上司もいたよなぁ…………』
………とか
『この曲の頃はアイツと付き合っていたよなぁ………
あのときの別れはツラかったなぁ………』
……………などと久しぶりに思い出してしまった。
『そういえば、棚卸し表や埋め合わせ表には書いてはいなかったけど、追加しなくてはならんのかなぁ………あの人も?』
………などと考えたりもした。
しかし、
『ケッ、今更会えるかよ、あんなクソ上司に(-.-)💢。』
…………とかも、ぶっちゃけ言えば思ったりもする。
回復書籍にはこうも書いてある。
『我々は聖人ではない。』
はい、その通り( ̄ー ̄ゞ
私も1凡人ですから。
さて………
もっかいスマホで懐かしい曲でも聴いてみるとしますかね。
『どこまでも〜………………ラーララララ〜♪
…………………
』
………………
………………
………感傷中♪〜♪🎧🎶………
…………
…………
…………
うぉぉぉ。
懐かしくて泣けてくるわさ〜(T0T)ウルウル
遠い昔の記憶は 懐かしくもあり、またせつないものでもある。
何故かというと、夜7時~9時、または11時頃まではどこのチャンネルを回してもバラエティー番組ばかり。
しかも出演者は常に同じような顔ぶればかりで、毎回同じようなことばかりを言っている。
だからといって、私はバラエティー番組が決して嫌いな訳ではない。
しかし民放は各局ありながらも、どこでも同じような内容ばかりで、ただ単にゲスト出演者の人気度だけで視聴率を競いあっているだけのようにも感じる。
飽きてくるのだ。
またコイツか……… みたいに。
そんな私だけど、珍しく今日は三時間のバラエティー番組………というか懐メロ総集編みたいな番組をやっていたので、初めはなんとなく眺めていただけだった。
しかしいつのまにかずっと引き付けられるように観ていた。
1960年代~2016年までのヒット曲オンパレードだった。
私は昭和生まれ。
昭和の時代は学生生活。
そして平成の時代は就職をし、何度か転職もした。
テレビから流れてくる曲の一つ一つに当時の思い出があり、懐かしさを感じた。
人間の記憶力は不思議だ………
今までまったく思い出すことなどもなく、遠い昔に忘れてしまっていた出来事などが、久しぶりに聴く音楽によって当時の出来事が鮮明に甦ってきたりもする。
「あー、この曲聴いていた頃にはあの会社にいて、あんなことしていたな。」
……………とか、
「そういえば、◯◯とよく酒を飲みながらこの曲カラオケで歌っていたな。」
………………とか。
ここ最近ではまったく思い出すことなどなかったけれど、10年、あるいは20年以上も前に付き合っていた人との思い出であったり、はたまた30年以上前………子供だった頃の出来事まで。
音楽は私の脳ミソの奥深くから遠い昔の記憶を引っ張り出してきた。
いい思い出。
そして、苦い思い出も。。。
……………
……………
……………
現在、私が実践している12のステップの中でのステップ④では
『恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作った。』
………………とある。
これは私が去年の2月、入院中だったときにスポンサーからのススメで私自身の棚卸し表を書き出したことがあった。
自分自身の棚卸し表とは……
自分が過去、そして現在でも恨んでいる相手があったり、または恨んではいなくても傷つけてしまって悔いが残る人などがいれば、その記憶を辿りながら書き出していく作業だった。
これはただ名前だけを記入するだけではなく、その当時にあった出来事、なぜ恨んでいるのか? または なぜ傷つけてしまったのか?などの事柄も記入しておく。
棚卸し表の書き出しが終わったら次のステップ⑤へ続く
ステップ⑤:『神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めた。』
ここでの『もう一人の人』とはスポンサーであり、スポンサーと共に棚卸し表を見ながら今まであった私自身の出来事について検証をしていく。
二人で話し合い、棚卸しを終えてみると 恨んでいた相手にも問題はあるけれど、結局は自分自身の行動にも問題があったことがわかってくる。
人の過ちはさておいて、私たちは自分自身の誤りだけを断固として厳しく見つめた。自分がどこで利己的で、不正直で、身勝手だったのか。何を恐れていたのか。何もかもが自分だけのせいでそうなったのではないにしても、他人をまったく抜きにして考えてみようとした。
自分一人だけでイロイロと考えているよりも、過去にあった出来事などを紙に書き出し、第三者となるスポンサーにも一緒に見てもらう。
そしてスポンサーに客観的な判断をしてもらうことにより、今まで気づかずにいた自分のことが見えてきたりする。
自分自身の心の中にある問題の本質が。
もちろんスポンサーになってくれそうな人を選ぶのには、自分が信用できる人に頼むのがベストである。
けれど、そんな信用できる適当な人が見つからないときはステップ④⑤を延期した方がよい場合もある。
その後…
ステップ⑨では
その人たちや他の人を傷つけない限り、機会あるたびに、そのひとたちに直接埋め合わせをした
………とある。
しかしこれはあくまでもその機会が訪れた時であるから、いつになるのかはわからない。
何ヵ月後か………
あるいは何年後かに……偶然その時は訪れるのかもしれない。
もし偶然にもその時が訪れたのであれば、きっとそれは偶然ではなく必然だったのであろうと思う。
……………
……………
……………
今日の歌番組を観ながら、
『あーそういえば、この時代にはあんな上司もいたよなぁ…………』
………とか
『この曲の頃はアイツと付き合っていたよなぁ………
あのときの別れはツラかったなぁ………』
……………などと久しぶりに思い出してしまった。
『そういえば、棚卸し表や埋め合わせ表には書いてはいなかったけど、追加しなくてはならんのかなぁ………あの人も?』
………などと考えたりもした。
しかし、
『ケッ、今更会えるかよ、あんなクソ上司に(-.-)💢。』
…………とかも、ぶっちゃけ言えば思ったりもする。
回復書籍にはこうも書いてある。
『我々は聖人ではない。』
はい、その通り( ̄ー ̄ゞ
私も1凡人ですから。
さて………
もっかいスマホで懐かしい曲でも聴いてみるとしますかね。
『どこまでも〜………………ラーララララ〜♪
…………………
』
………………
………………
………感傷中♪〜♪🎧🎶………
…………
…………
…………
うぉぉぉ。
懐かしくて泣けてくるわさ〜(T0T)ウルウル
遠い昔の記憶は 懐かしくもあり、またせつないものでもある。