瀬戸の住職

瀬戸内のちいさな島。そこに暮らす住職の日常。

如月の望月の頃

2006-02-16 | Weblog
「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」

西行法師(1118~1190)のお歌です。
西行法師はこのお歌の通りに如月の望月の日に亡くなったとは有名な話です。

如月は2月、望月は15日で、お釈迦さまのご命日に当たります。

お釈迦さまは29才で出家、35才でお覚りを開かれ、80才でお亡くなりになるまでの45年間一所不住で教えを説いて歩かれました。

その最期は生まれ故郷のカピラ国への旅路、クシナガラのサーラ樹の林の中、息を引き取る直前まで教えを説き涅槃に入られました。

その最期の教えが“遺教経”として伝わっています。
遺教経には仏教徒としての正しい生き方が、まるで親が子を諭すが如く懇切丁寧に説かれています。
怠け者の私などにとっては読ませて頂いていると耳に痛いことだらけですが、おろそかには出来ません。

遺教経の中にこんな一節があります。

「蜂の華(蜜)を採るに、ただその味わいのみを取って、色香を損せざるが如し。」

蜂は蜜を求めて花を訪れ必要なだけの蜜をもらいますが、決して花そのものの色や香りを損ねない。
(また、蜂は花から花へ飛んでいくうちに花粉を運んで、知らず知らずにも花が実を結ぶお手伝いをしている。)
その蜂のような生き方を心がけなさいとおっしゃって下さいます。


画像は当寺にあるお涅槃の掛け軸です。

お釈迦さまのご入滅を、弟子たち人間はもちろん、サーラの樹、天人・鬼神、鳥や獣や虫たちまで悲しんでいる様子が描かれています。

なんだかマンガみたいでウソくさいと仰らないでくださいね。
ここに仏教の教えの大きな特徴があるのです。

他の宗教はニンゲンのみを相手にしたものが多いようですが、仏教の対象は有情非情悉く、であります。

“悉有仏性(しつうぶっしょう)”といって、人間や鳥獣の有情も、山川草木の非情もことごとく仏性をそなえ、みんな仏の命でつながっていると説くのです。
蜂や花ももちろんです。