住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
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幅広く仏教について考える

『仏教の盛衰に何を学ぶか』を読んで

2008年07月14日 09時02分57秒 | 仏教書探訪
京都・相国寺の教化活動委員会・研修会での講義録である。中外日報紙で頒布して下さる記事を拝見し、早速取り寄せ拝読した。講師の先生は、麗澤大学教授の保坂俊司氏。比較思想、比較文明論が専門の先生だ。この先生の本は以前『インド仏教はなぜ亡んだのか』(北樹出版社)を読ませていただいたことがある。

これまで誰も紐解くことの無かったイスラム文献を渉猟されての仏教衰亡論には説得力があった。イスラム軍がインドに攻め上ったとき、教えと平和を守るためにそっくり指導僧の交渉によりイスラムに改宗したとあった。

その話は、以前私がインドにいたころ、私のインドの師匠であったベンガル仏教会総長のダルマパル師より聞いた、白い袈裟のようなものを纏ったイスラム教の人々が居るのをテレビで見たという話と呼応する内容であったこともあり、興味深く読ませていただいた。

本書は四回の講演内容を収録してある。第一講「インド仏教はなぜ興隆したか」では、宗教というものが日本では誠に限定されたものとされ、ゆがめられて認識されていると、まず指摘する。宗教という言葉は、もともと宗派の教えというような意味で、伝統仏教の中にあった。

それが明治になって、ラテン語のレリギオを日米通商条約の中で訳す際に宗教という言葉で置き換えをした。そして、明治にこの宗教の範疇に入れないものとして神道を位置づけた。それは、宗教が違っても国を統一する上で神社や皇室を拝まないということがないようにするためであった。

さらに、仏教、キリスト教など宗教の上に位置するものとして神道を認識させるために、東大の文学部をつくる井上哲次郎という学者が、『我が国体と国民道徳』にて、宗教に頼る者は女子、小人であって、半人前である。

半人前でない人間は神道を信じるものであると書いた。こうした考え方が広まり、のちのち私たちは、知らず知らずのうちに、宗教を信じる者は普通以下のレベルの人間だということを常識化されてきたのだという。

だから宗教である仏教もつまらないものだという観念が植え付けられてしまった。伝来以来、日本の政治経済、文化、情操、技術、発展のためにどれだけ貢献してきたか分からぬ仏教を、こともなく博物館に陳列されたものとして捉え、冠婚葬祭の部分だけにその役割を矮小化されてきたのだと言われる。

インドで仏教が当時多くの人々に受け入れられたということは、哲学的にすばらしかったというだけでなしに、人々の要求に応えるものであったからだ。お釈迦様は人間の知性、可能性の限界に立ち向かい、その道を開かれた。

生老病死という普遍的な問題について取り組んだからこそ、誰でもが受け入れられるものとなった。その中でも大事なことは、心と体というものを分けてそのどちらかを制御するのではダメで、心と体をともに大切に生きていくということ、それが仏教の中道だ。

①すべては関連性のもとにある。だから自分だけ正しいとは考えない。②誰もが教えを受け取り実践する意味において平等である。カーストは関係ない。③個人の行いの結果は自らが引き受ける。因果応報。④異質なものとも対立せず融和する。これが仏教の特質であるという。

だから、生まれ性別を問わず、個人の行いによって自分自身を救うことが出来る。儀式や集団ではなく、自分の行いが未来、死後の世界、社会をよくしていけると説いた。よって、農民ではなく、都市商工者や女性に信者が多かった。また西域からの異民族がカーストによらない仏教徒になった。そして、それが仏教がインドから姿を消す要因でもあったという。

第二講「インド仏教の衰亡と宗教興亡」では、インドの歴史をはかるうえで欠かすことのできない玄奘三蔵の『大唐西域記』と同時代に書かれたイスラム文献『チャチュナーメ』について語られる。この書はムハンマド・カーシムという武将の一代記で、インダス河を北上して攻め上る記録が残っている。

ニールンという町を占領するくだりにおいて、他の都市では三日三晩の殺戮が繰り返されたというが、その町では、町の長であり、長老であり、仏教僧であるバンダルカルという人物が登場し、カーシムに戦わずして城を明け渡す。しかしその代わりに、お寺の建物と人々の信仰、生命、財産は守ってくれるようにと交渉しその保証を取り付ける。

当時ヒンドゥ教徒との戦いが続いていたこともあり、自分たちをイスラム軍が守ってくれるという意識もあったのではないかという。こうして被保護民としてイスラム圏に入ることによって仏教徒は生き残りを図っていった。だからこそイスラムは急激にインドに攻め込むことが出来た。しかしその百年後の記録には仏教は消滅してしまう。残念ながら、その事情はよく分かっていないという。つづく

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1 コメント

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『仏教の盛衰に何を学ぶか』について (佐藤哲朗)
2008-07-18 17:12:35
興味深く拝読しました。保坂俊司先生の本はどれも面白いですね。講演録、私も読んでみたいのですが、申込先など教えていただけないでしょうか。よろしければ、naagita@j-theravada.netまでメールいただければ幸いです。
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