往路:6月30日(土) 八O子 →東神奈川 :横浜線普通 仲木戸 →神奈川新町:品川行き普通 神奈川新町→羽田空港 :特急羽田空港行き 羽田空港 →伊丹空港 :JAL107便 伊丹空港 →蛍池 :大阪モノレール 蛍池 →梅田 :阪急宝塚線急行梅田行き 梅田 →北花田 :地下鉄御堂筋線 浅香 → :阪和線普通 運賃:¥690+¥440+¥9,000+¥200+¥220+¥310+¥160
6月30日。2012年も半分終わってしまった事になる。だからと言って、何か特別な事があるわけでは無いが。
4時過ぎに起床して、4時53分発の横浜線始発列車に乗車する。
睡眠薬を服用して爆睡移動を試みたのだが、どうやら分量が少なかった様で、意識を失ったのは新横浜を過ぎてから。目覚めると、既に列車は東神奈川に到着しており、折り返し八O子行きになっていた。効果発現のタイミングが遅い。
仲木戸から京急に乗車して羽田へと向かう。
それにしても、京急の特急は無茶苦茶スピード感がある。そのスピードたるや、関西の私鉄(特に阪急)がとうの昔に忘れてしまった、JR(国鉄)への闘争心が感じられて好感が持てる。
羽田到着は、6時25分。
JGC専用保安検査場を抜けて、サクララウンジではなく、カードラウンジへ入場。
最近では、往路ではJALを利用する機会があまり無かったので、1タミのカードラウンジは久しぶりである。
それほど大きな変化は無かったが、ボックス席の椅子が新しくなっていた。
カードラウンジでは、いつものクロワッサンと飲み物を頂き、そして、空港の景色をボンヤリと眺めて過ごす。
今朝は天気が良いので、久しぶりに富士山が拝めそうである。
翼はJAL107便伊丹行きである。
従来、ANA、JALとも羽田-伊丹便と言えば、B777が充当されるのが常であった。しかしながら、曜日と時間帯によっては、搭乗率が低く(小生にとってはそれが狙い目であったのだが、...)、最近では、小型機材で運行されるケースも増えてきている。
極端なのが、当107便。なんとB737-800が充当されている。3列シート×2である。天下の羽田-伊丹便が小型機材で運行されるとは、まるでかつての関空便。極端なダウンサイジングである。
JALの思惑が当たって、当便は、びっしりと、ほぼ満席に近い状態。小生の隣りにも乗客が居る。それにしても、このダウンサイジング、ちょっと極端ではないだろうか。せめて、B767で運行する訳にはいかないものか??
当機はほぼ定刻に出発。
しかし、伊丹便にも拘わらず、羽田空港内を延々とタキシングして、なんとD滑走路から離陸する。まるで、関空便と同じ様な扱いである。
離陸後暫くは晴れていたが、西へ向かうに連れて雲が増えてきた。
富士山は、その頂付近だけを、ちょこんと覗かせているだけで、あまり見栄えがする姿では無い。
その後、特段見るべき風景も無く、伊丹到着まではボンヤリと過ごす。
伊丹到着後、カードラウンジで時間調整し、モノレールで蛍池に向かう。
阪急に乗り換えて梅田まで、梅田から地下鉄御堂筋線で北花田へと向かう。
と言うのも、ファンくるのモニターで、北花田イオンモール内のうまい鮨勘のモニターに当選したため。
ファンくるとは、お店の覆面モニターになって調査・報告する事で、代金をポイント(キャッシュ)バックしてくれるシステムのこと。
モニターは簡単。
ただ、店員さんの名前をしっかりと覚えておくことと、クレジットカードの明細ではなく、レシートをきちんと貰っておく事が必要。これさえ押さえておけば、誰でもできる。
さて、うまい鮨勘はイオンモールの4Fにある。
11時開店直後なので、店内は空いている。
ランチメニューもあったのだが、やはり、このお店の看板メニューを食ようと思ったので、まず、プレミアムセットを注文した。
これは、大トロ、ぼたん海老、活赤貝、本ずわい蟹のセットで¥980。ネタが新鮮で非常に美味しい。
続いて、サーモンセット。こちらも、なかなかのお味。一皿¥100の回転鮨に慣れた舌に、本物とはこのような味だぞと思い知らされた。最後に、手巻寿司とあら汁(こちらも美味しい!)のサービスがあって、お愛想である。
本格的な鮨をこれだけ食べて¥1,440というのは非常に安いと思うが、ファンくるのモニターとして来店しているので40%がポイントバックされる。すなわち、たった¥864で済んだ事になる。
このようにファンくるには、お得なモニターが盛りだくさん。ファンくるへの登録は以下のバナーからどうぞ。
その後、腹ごなしと兼ねて、地下鉄北花田から阪和線浅香まで徒歩移動して、帰宅。
それにしても、JALのダウンサイジングは極端すぎる。いくら土曜日とは言え、朝のメインタイムの羽田-伊丹便をB737で運行させるとは。
極端なダウンサイジングで、逆に、潜在的乗客をANAや東海道新幹線に奪われてしまっているのではないかと、少し気になった帰郷の旅であった。