わざわざ読んでゃ 「ゆずの宿」便り

「燃える湯魂Burning hot soul」の泣き笑い奮闘記

10年ひとむかし…20年余ると…(後篇)

2011年10月07日 10時05分55秒 | 地域情報
 (昨日のつづき)昨夜の「塩たたき」と「いさき」はなかなか好評じゃったぜよ~



 女房の実家前には、こんな綺麗なコスモス畑もあるがょ。
 昨日移動中にいみじくも妻が言うたがぢゃ…。「瀬戸大橋は私等ぁ(岡山弁:わたしらぁ)の為に出来たんよ」蓋し名言也。結婚が1987年10月(ちょいと注目)で、橋の開通が1988年4月、同年9月に娘が生まれ、翌10月に転勤で高知に帰り、その後も帰省の度に利用しているので、確かに上得意様でそう云えンこともないぞね~。時はカネ也で、ずっと大橋ばかり利用するもんやき、23歳のウチの娘は瀬戸内海をフェリーで渡ったことがないがぢゃ。



 
 というワケ(どういうワケなん?)で、滅多に見れない瀬戸大橋の裏側。瀬戸中央道は二層構造になっちょって、上が自動車、下が鉄道(JR)という働きもので、開通以来23年余り、雨の日も風の日もじっと支え続けてくれたがぜよ。こうしていらんことを考えもって写真を撮りゆうウチにも沢山の列車や自動車が通り過ぎ、微かに聞こえる橋が軋む音(多分気のせい)にもそこはかない哀愁を感じゆうがです。



 こうして改めて眺めてみても、凄いスケールやね~。構想まで溯ればおそらく半世紀以上の壮大な事業に脱帽するぜよ。この橋たち(「しまなみルート」「淡路鳴門ルート」を含めた三橋)のお陰で物流が飛躍的に進歩して現在の四国があるがやろうし、「ゆずの宿」にもわざわざ遠方から来てもらえゆうがじゃと思いゆう。

 ちくとだけ自分史…
1960年「大寒」の日に普通より小さく生れ、以後10年程ひ弱な少年として暮らす⇒1972年中学入学147cm後次第と運動が得意になり、バスケットボールを始める⇒1978年高校卒業174cm75kg⇒1985年大學卒業(えらいヒマかかっちゅうね~。一時は遊びすぎで59kgまでいっちょった)⇒1987年結婚、176cm79kg、1988年瀬戸中央道開通、長女誕生⇒2002年東京に単身赴任、84kg⇒2008年89kg人間ドックでレッドカードをもらい、ダイエット開始⇒2011年現在69kg


 10年ひとむかし20年余ったら…ホンマに大昔に感じるがぁは…世の中が便利になりすぎたきやろぅかねや。そんな感傷に浸った時は迷わず「ゆずの宿」へ来てみぃや。たまにゃ「なんちゃあない」くで「ぼーっ」とするがもえいぜよ。(この項おわり)


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