ロングドライブ

「VW PASSAT VARIANT」と「PEUGEOT 3008」でのロングドライブ記録です。(2019/09/11)

陸奥紀行(3)青森~弘前

2009年06月13日 | ドライブ

2009年4月28日

3_2 コース:青森~R280~龍飛崎~R339~十三湖~R339~五所川原~R339~弘前~弘前プリンスホテル

この日の予定は津軽半島を龍飛崎まで行き、五所川原を通って弘前に入り、弘前城と桜祭りを見るというのが主だった所だ。
前日の下北半島から比べれば遥かに時間的に余裕があるため、青森を出たのも9:00を回ってからだった。

<青森の市場食堂>
この日、朝起きると先ず行ったのは市場好きの嫁様の命により、青森駅前にある”アウガ”ビル地下の「青森新鮮市場」(以前は「駅前市場」)だった。
嫁様は、ここで友達のリクエストの買い物をすることと朝食を取ることが目的であったが、私はただただ朝食を取ることが目的であった。

以前の「駅前市場」には、20年ほど前に仕事で青森に来た際に立ち寄ったことがある。その時は、前日の晩に地元の営業マン氏に連れて行かれた寿司屋の大将の紹介で、市場の食堂で出るマグロ(近海物)が美味いとのことで行ったのであったが、その通り、市場の食堂で食べたマグロの刺身定食は最高に美味であった。この時の感動が忘れられず、”いつかもう一度”をついに今回実現することとなった。0904280107

前日の夕食を取ったホテル前の飲み屋「鎌蔵」の大将の言により、この朝朝食を取ったのは「市場食堂」という店であった。
私は海鮮丼をオーダーし、嫁様は日替わりの焼き魚定食(この日は”ハタハタ”)にした。
海鮮丼の海鮮には、マグロ、ホタテの貝柱、ホタルエビなどが載っていた。当然ながら鮮度は抜群。嫁様の”焼きハタハタ”も最高だった。

<義経寺>
こうして朝の食事が終わり、嫁様の買い物も無事に済むと、夫婦はいよいよ「龍飛崎」を目指すのであった。

今回のドライブ旅行では、おバカながらも非常に頑張ってくれた「ナビ」だが、この日も「龍飛崎」目指してルートを的確(?)に示してくれた。いつものことながら、途中何度か我を失い(自車位置がズレてしまう)ながらである。(笑)

さて、R280を龍飛崎目指して進んで行くと、とある海岸縁の道沿いにかなり特徴的な形をした大きな岩が立ちはだかった。
岩の周囲は公園のように整備されていたが、何かの記念碑のようにも見え、思わず車を停めたのだった。
見るとタテ看板に「源義経」に関わる記述がある。
奥州藤原氏の居館である衣川館で当主藤原泰衡に攻められた源義経主従が自刃したのは表向きの話しで、実は遠く蝦夷が島(北海道)に逃れた。蝦夷が島に渡る直前、当地で時化(しけ)の収まるのを待ったというのである。この話しには続きが有り、北海道から更に大陸に渡り、源義経はこともあろうに「チンギスハン(またはチンギスカン)」になったというのである。
ことの真偽は別として、源義経にまつわるいくつかの異説の1つに、思わぬ所で出会ってしまったのにはチョットしたサプライズとなった。

0904280111 写真は、「義経寺」入口前にある奇岩である。説明によれば、「蝦夷が島を目指して義経一行が当地に辿り着いた時、海は大時化であり足止めとなった。義経は奇岩の上で3日3晩海の収まるのを祈ると見事に静かになり、一行は無事蝦夷が島に渡ることができた」ということである。

<龍飛崎&国道339号>
奇岩を後にすると、更に先に進んだ。程なく本日の最大の目的地「龍飛崎」に着いたのだった。
流石に「龍」が「飛」ぶだけあって、風はかなり強かったが、その分天気は上々となっていた。
駐車場に車を置くと、近くの堤防まで行き、津軽海峡を覗いたのがこの写真である。0904280124
分かり辛いかも知れないが、写真手前の海と写真中央の海の違いが分かるだろうか。因みに写真奥の山々は、彼の”蝦夷が島”である。写真中央の海は津軽海峡の流れの強さを物語るように、海面が荒れ、白波が立っているのである。
通常でもこの状態であるから、さぞ当時の義経達は蝦夷が島に渡るのに苦労したのであろうと思われる。
まぁ、こんな苦労の甲斐もあって、最期には世界を平定する「チンギスハン」になるのであるから、良しと思うことにしよう。(爆)

0904280138 0904280150 この地には国内”唯一”とのことである「階段国道R339」がある。写真は階段の下側。続いて階段の上側である。
「階段国道」は良いのだが、特に階段下側の”横丁の裏道”的な佇まいには、些か歩くのが憚れた。正に人の家の前を歩いている気分である。

階段上側には龍飛崎の燈台もあり、眺めも最高だった。この龍飛崎の近くを例の海底トンネル「青函トンネル」が通っているのである。
分かってはいても、実際に何処を通っているのか知る由も無かった。

<十三湖>
龍飛崎を後にしたのは昼を少し回った頃だった。
方向は彼の大エンターテナー&アーティスト「吉幾三」先生の生誕地「五所川原」を目指していた。時間も時間だけに昼食をどうしようかと思ったが、嫁様のビジョンでは「道の駅 十三湖高原」で昼食となっていたようで、すぐさま「道の駅 十三湖高原」を目指すように指示が出たのであった。

0904280154 「道の駅 十三湖高原」はその名の通り「十三湖」という湖の畔にあり、食堂からは牧場と共に湖が望めるだけでなく、その向こうには「津軽富士」こと「岩木山」も見渡せるのであった。
その眺めの良さには、一種長野辺りの高原の趣も感じて暫しの安らぎを覚えた。

<五所川原、弘前>
折角「五所川原」を通るのだから、”吉幾三御殿”の見学を・・・などと思ったりもしたのだが、嫁様の”ダメだし”で五所川原はただ通過するだけとなった。
彼の名曲「俺ら東京さ行くだ」に出て来る通り、「信号は本当に無いのか?」の疑問を密かに内に秘めながら五所川原(市)に入ると、現実は信号どころか片側2車線の幹線道路が走り、街の中心部(?)では渋滞さえ発生しているという津軽半島最大の都市が五所川原なのであった。
ここで地元民の皆さんには、大変失礼な思いを抱いたこの他所者をお許し戴きたい。(謝)
一体いつの時代の話をしているのかと言われそうだが、確かに考えてみれば「俺ら東京さ行くだ」が発表されたのは1984年。今から25年も前の話である。
その当時、本当に「信号は無かったのか?」と言えば、そんなことはないに違いない。
「吉幾三の嘘つき」などと思うなかれ。
はなから冗談はこちらも承知の上である。

半分がっかりしながら(笑)、一路車は弘前を目指していた。
弘前には16:00頃到着した。
今夜宿泊予定のホテルにチェックインすると、車を置いて弘前城を目指した。ホテルの説明では、お城まで徒歩だと20~30分位とのことで、タクシーの利用を勧められたが、夫婦は敢えて徒歩を選んだ。

Ts3i0006 季節はGW直前。我々東京の人間にはチョット奇異な感じもしたが、弘前城は今正に「桜」の最盛期であった。
弘前城公園の「桜祭り」は弘前の大きなイベントの1つで、県外からの観光客もかなり見えるようである。
BBQの用意をしているグループ。既に宴も酣(たけなわ)のグループ。多くの人がここに集っているようだった。Ts3i0017
桜はほぼ満開状態だったが、とにかく弘前に着いたのが結果的に遅かった。日の暮れるのは直ぐという状態での入城だったため、殆ど夜桜見物状態となってしまった。加えて、ホテルを出るのを急いだ結果、カメラを持って出るのを忘れ、桜の写真は全て携帯のカメラからの撮影となってしまった。

弘前城の桜を満喫して城を出た後、夫婦は少し遠回りをしながらホテルに戻り、嫁様の帰宅準備に入った。
今回の嫁様同行はここ弘前までである。
東京・新宿往きの高速夜行バスで一足先の帰宅となった。

To be continued



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