ロングドライブ

「VW PASSAT VARIANT」と「PTクルーザー」でのロングドライブ記録です。(2016/12/05)

暮の買出し(京都・大阪にて)

2018年01月04日 | ドライブ

2017年12月27~29日

当初先月(11月)のALL PASSAT近畿オフの時に、序でにやりたかった「買い物」だが、オフ会自体が中止になってしまったため、買い物もできなくなっていた。
今回、大阪に住む息子の帰省があることから、買い物帰省の息子の迎えを兼ねて・・・もう一つ、長距離ドライブも加える・・・大阪に行くことにした。

12月27日(水)

平日に大阪までの高速道路はチョットお高いお値段になる。しかし、深夜料金にすれば若干だが(ETCで3割引き)安くなる。昼間の走行の方が安全性は高いが、夜間(特に深夜)は車の絶対台数が少ないので走行し易く、料金が安い分楽なように思われる。しかも、深夜料金の時間帯(am1:00~4:00)にゲートを通過してしまえば、後は何時に出ようと割引は有効になる。
と言うことで、当初はam4:00までにゲートイン(?)する予定だったが、結局am2:00過ぎにゲートインしてしまった。
この時期定例の中央道-名神のルートは「」のリスクがある。特に降雪・積雪はなくても深夜の時間帯では「路面凍結」と言うリスクもある。そこで、少しでもリスクの少ない東名(新東名)-伊勢湾岸-東名阪-新名神ルートを選択することにした。新東名では今年始まった110km/h制限区間も初経験できるということで、チョット興味もあったのだ。

東京の自宅を出た時から浜松辺りまでは天気は悪くなかった。しかし少々風が強く、ハンドルを取られる感じがあった。浜松を過ぎて愛知県の三河地区に入った辺りから雪が舞い出したが、走行に支障はなく、雪もそれほどの降り方ではなかった。
新東名から伊勢湾岸、東名阪と進み、亀山JCTから新名神に入ると再び雪が舞い出したが、やはりそれほどの降り方にはならなかった。

土山SAで仮眠を取り、再びエンジンをかけると突然事件が起こった。チェックエンジンのワーニングランプが点滅を始め、写真のように「EPC」のランプも点灯。オマケにエンジンからの振動もあり、アイドリングストップのエラー表示も出て来た。この手のトラブル対処の初歩的方法として「エンジンの掛け直し」がある。直ぐにこの対処をするため、数分エンジンを止めた後に再起動をした結果、取り敢えずワーニング、エラーの表示は全て消えたが、その後エンジンの回転の重さが若干だが感じられた。

直ぐに大阪のDラーで点検を頼みたかったが、Dラーの開店時間にはまだ少し早かったため、先に買い物を済ますことにした。目指したのは大阪・鶴橋(つるはし)にあるキムチの販売店である。鶴橋の市場(商店街)は韓国市場と日本市場が並立するような形で、全体としてはかなりの大きさと言える。「鶴橋」と言えば「焼き肉店」が有名で芸能人ご用達の店もあるようだが、お値段もそれなりと言うことで、私は鶴橋に買い物は何回も行っているが、鶴橋焼き肉店には行ったことがない。この市場(商店街)は戦後のドヤ街がそのまま商店街になったような所で、中の通路は狭く、碁盤目状になってはいるが、迷路状態と言っても過言ではない。

鶴橋キムチを買ってから、以前立寄ったことのある高槻(たかつき)のVW Dラーに向かった。年末と言うこともあり、一応ネットで営業状態「本日営業」を確認したため向かったのだが、着いてみると既に「休業」に入っていた。仕方なく近隣のVW Dラーをネット検索し、今度は電話にて営業を確認した上で向かったのが京都・久御山(くみやま)にあるVW宇治だった。直ぐにOBDⅡから車のメモリーに残っているエラーを確認してもらったが、原因は不明でエラーログの消去だけに終わった。しかも点検時には症状も出ていないため、このまま様子を見てみることになったのである。
VW宇治に着いた時点では写真のようにチェックエンジンのランプが点灯していたのだが、PCによるメモリーチェックでは原因が掴めなかったようである。何とも不安な状況を抱えての大阪となってしまった。

走行距離:551km

12月28日(木)

大阪2日目。この日は京都・錦(にしき)市場で買い物をした後、京都・大原(おおはら)の店でも買い物をする予定である。

息子はこの日が「御用納め」と言ことで、朝8:00頃家を出て行った。息子を送り出した後、私も第1の目的地京都・錦市場を目指すことにした。腹積もりでは9:00過ぎには着く予定だったが、年末と言うことと、御用納めということだろうか、朝の道路事情は普段にも増して混雑していたように思われ、到着も予定より30分ほど遅くなってしまった。市場の付近は駐車場が分かり辛く、台数もそれほど止められる訳ではない。料金もどちらかと言うと割高で、京都の中心街と言うことで仕方ないかも知れないが、余程の事情がない限り、車ではあまり近付きたくない場所である。

何とか駐車場に車を入れると、すぐに市場に向かった。京都自体が観光地と言うこともあるが、市場は神社仏閣以外の観光名所として1、2を争う場所で、この日も青い目の外人さんが結構目に付いた。買い物を済ませると、長居は無用とばかり市場を後にした。
次に向かったのは大原の店だった。スムーズに行けば、市場からは40分前後で行けるはずだが、この時期、そしてこの日は小雪が舞う天候で、大原までの道も油断ができなかった。結局心配した道路のコンディションは濡れてはいたが、凍結などの心配はなかった。
店での買い物が終わるとすぐに街に引き返し、今度は大阪(息子宅の近所)のホームセンターで、嫁様のリクエストである正月用の「注連飾り(しめかざり)」を買うことにした。ここで「おや?」と思う方も多いのではないかと思うが、関西の「注連飾り」と関東の「注連飾り」では当然ながら全体的なデザインが異なる。「今年は関西風にしたい」という嫁様の要望により、今回の買出し序でに注連飾りも購入した訳である。写真が今回大阪で購入した注連飾りである。関東風と関西風の違いが判るだろうか?

懸案のマイカーPASSATのワーニングは一応出ないままこの日を終わることができたが、まだ帰りの道中でどうなるか分からない状態だった。

走行距離:95km
給油時走行距離:649km
給油量:40L
燃費:16.2km/L

12月29日(金)

大阪3日目。いよいよ東京に向けてUターンの日である。この日、高速道路料金は平日料金のため、できれば深夜料金の時間帯にゲートインしたい所だったが、何せ息子の家の中が汚い。積もり積もったゴミと埃(ほこり)で、いつ病気になってもおかしくない状況だ。今まで見ないようにして来た私も、流石に我慢できなくなり、大掃除に取り掛かることにした。
掃除が一通り終了(一部手付かずの部屋があるのだが)したのは昼の12:00だった。それから高速道路に入ると割高料金にはなるが仕方がないと諦め、往きの逆コースを取ることにした。

新名神から渋滞のメッカ亀山JCTを抜け東名阪、伊勢湾岸と順調に進み、新東名に入ってからも特に渋滞にはまることはなかった。しかし、問題のワーニング点灯が、新東名の浜松SAで休憩した時に再発した。今回もエンジンの再始動でランプは消灯したが、それから暫くエンジンが少し重く感じられた。
新東名から東名に入ってすぐに「事故により(上り)大和バス停(神奈川県)付近を先頭に15km渋滞」の情報が入り、この渋滞が東京に近付くにつれて延びて行った。「渋滞25km」の情報が入って来た時には、PASSATの賢いナビもルートを変更するよう指示して来た。ナビの指示は秦野・中井ICから一般道で小田原厚木道路に入り直し、海老名JCTから圏央道に入るものだった。「おお!たまには賢い指示をするな。」と感心しながら指示に従った。この選択は正解で、見事に渋滞を回避し、19:00に我が家に到着したのだった。

正月明けに、我がDラーに早速連絡を取り、不調の原因、場合によっては修理を依頼する予定である。

走行距離:475km

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ドイツの旅ー5

2017年12月01日 | ドライブ

11月6~7日

いよいよドイツ5日目、最後日となった。この日の夕方、ベルリンのテーゲル空港からイスタンブール経由で成田に向かう。わずか4泊5日の旅で、思えばあっという間のことのようにも思えた。
と言う訳で、夕方の飛行機出発までそれほど時間がある訳ではないが、少なくとも午前中は時間がある。ということで、この日はホテルから歩いて行ける距離にある「East Side Galleryイースト・サイド・ギャラリー;East Side Gallery)」を目的地にすることにした。歩いて行けるとは言っても結構距離はある。Google mapでの表示は、徒歩3.7kmで47分となっていた。しかし、実際に歩いてみると、大通りを渡るのに信号待ちで数分待たされたり、今回の旅で度々遭遇した、道路工事で迂回を余儀なくされたりで、結局約1時間かかってしまった。

East Side Galleryイースト・サイド・ギャラリー)は、ベルリン市内を流れるSpree(シュプレー川)の畔にある。East Side Galleryは、東西ベルリンを隔てていた「Berliner Mauer(ベルリンの壁)」の一部を利用して、1,000人以上のアーティスト達が壁をキャンバス代わりに表現したギャラリーである。
Berliner Mauer(ベルリンの壁)」は1989年11月9日の「ベルリンの壁崩壊」により翌11月10日に壁が壊された。しかし、壁が全て完全に壊された訳ではなく、部分的に今も記念碑的に残され、その1つがEast Side Galleryとなっている。

ギャラリーには沢山の作品が描かれているが、特に有名なのが写真の「兄弟キス」或いは「独裁者のキス」と呼ばれる作品である。旧ソ連のブレジネフと旧東ドイツのホーネッカーのキスシーンで、East Side Gallery兄弟キス」或いは「独裁者のキスと認識されるほど有名なもの。

所で、ベルリンの壁は歴史的に有名なものの1つであるが、実はこの壁は写真のようにあまり厚いものではない。恥ずかしながら今回この事実を初めて知って、少々驚いた。もう少し厚いものだと想像していたのである。

壁の脇を通るMuhlenstrasse(ミューレン通り)の反対側にMercedes-Benz Arena Berlinメルセデスベンツ・アレーナ・ベルリン)があった。ここは旧O2ワールドと言ったそうだが、2015年にMBが命名権を取得したそうだ。

この壁の直ぐ傍に特徴的で歴史を感じさせる「Oberbaumbrucke(オーバーバウム橋)」があり、ここも観光名所の1つとなっている。

写真はシュプレー川の対岸。旧西ベルリンである。

East Side Galleryを後にすると、近隣のBerlin Ostbahnhof(ベルリン東駅)に立寄り、トイレ(欧州はトイレが有料というのが当たり前の社会なので、駅などの公共施設なら無料かもと思ったが結果は有料だった。)とカフェタイムを取った後ホテルに戻ることにした。往きとほぼ同じルートを通ったが、昨日の日曜日に休みだった地元資本(と思われる)のスーパーが今日は営業していたため、日本に持って帰れるチーズなどを買ってみた。
ホテルに着くと直ぐにチェックアウトをしなくては・・・と思っていたが、このホテルが特殊なのか、ベルリンのホテルは大方そうなのか14:00までチェックアウトしなくても良いことが分かり、暫く部屋で休憩しながら荷造りをすることにした。

ホテルを発つとテーゲル空港に向かい、レンタカーを返却して帰国の途に着くことにした。
19:00のイスタンブール(トルコ)往きに搭乗し、イスタンブールで乗換えて成田空港には翌11月7日(火)18:00頃無事帰国することができた。

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ドイツの旅ー4

2017年11月28日 | ドライブ

11月5日(日)

ベルリン滞在4日目。この日の予定は、ベルリン近郊の観光だった。
メインの目的はPotsdamポツダム;第2次世界大戦で日本に降伏を促したポツダム宣言でも有名)にあるSchloss Sanssouciサンスーシー宮殿)の観光だったが、その前にベルリンの正門ともいえるBrandenburger Torブランデンブルク門)に行って見たかったため、ブランデンブルク門を経由してサンスーシー宮殿に向かうことにした。

事前にブランデンブルク門の周辺をGoogle mapで調べた限りでは、パーキングらしき所が確認できなかった。しかし、門の東側にロータリーのような場所があり、Earthビューで見ると、路駐の車が何台か写っていたため、短時間なら路駐で行けそうだった。どうしても駐車できないようであれば、少し離れたパーキングを利用するのも仕方ないと考え、とにかく向かってみることにした。
ホテルを出発したのは朝7:00だった。ナビをセットし、ブランデンブルク門に。ホテルから門までは10分ほどだった。予想通りロータリーのような所には、何台か車が止められていて短時間の駐車なら問題なさそうだった。
どういうことか分からなかったが、この周辺には外国の大使館・領事館が多く、その関係のVIPが宿泊するのであろう5ツ星ホテル「hotel adlon kempinski berlinホテル アドロン)」があった。ホテル前の道の反対側に駐車すると、早速門に向かった。

ブランデンブルク門(東側)

ブランデンブルク門(西側)

ブランデンブルク門の両サイド

ブランデンブルク門は、1791年に時のプロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム2世によって造られ、古代ギリシャ風で設計された。その後、ナポレオンに翻弄されたりしながら第2次世界大戦後は東西ベルリンの境(正確には門自体は東になり、門の西前にベルリンの壁が造られた)にされた。このような歴史を辿り、ベルリンはもとよりドイツとしての象徴ともなっているである。ある意味、パリの凱旋門エトワール凱旋門)と似ているかも知れない。

ブランデンブルク門の上に置かれているヴィクトリア像(勝利の女神ヴィクトリアの像;写真)は、ナポレオンによってベルリンが占領された際に、戦利品としてパリに持って行かれた。しかし、その後のナポレオン戦争プロイセンがパリを占領した際に取り戻したということである。
の西側には真っすぐに延びたStraße des 17. Juni6月17日通り)があり、その先にはSiegessäule戦勝記念塔)とそれを回りこむロータリーグローセルシュテルンがある。この戦勝記念塔グローセルシュテルンGroßer Tiergarten大ティーアガルテン)の中心にある。

ブランデンブルク門を後にして6月17日通り戦勝記念塔に向かって進むと、やがて路肩で開かれていた骨董市が目に入って来た。ちょっと興味が沸き、その市に寄ってみた。
先に紹介した通り、ここベルリンの大通りの歩道というのはかなり広い。そこに市のテントが張られているのだが、5~60mの距離に2列の通路が造られ、通路の両側にテントが置かれているというかなりの規模の市だった。骨董市というよりもガラクタ市というのが正解のように思う。かなりの量のドアノブを置く店、何に使うのか分からない物を置く店などさまざまで、古着や置物、陶器などの定番の店もあり、こういう物に興味のある人には垂涎(すいぜん、すいえん)ものだろうと思われた。

ブランデンブルク門から戦勝記念塔は見えているのだが、途中で骨董市ガラクタ市)によったりしていたので、わずかな距離の移動に結構時間がかかってしまった。
戦勝記念塔は1872年にデンマーク戦争(1848~52)での勝利記念として造られたそうだ。結構大きい塔なので、中にも入れるようだ。私は入ることはしなかったが、中の壁などには外国人観光客のラクガキがかなりあるそうである。

戦勝記念塔のロータリーを出るといよいよポツダムにあるサンスーシー宮殿に向かうことにした。戦勝記念塔からサンスーシー宮殿まではアウトバーン経由で約3~40分の距離にある。
ポツダムまでのアウトバーンは速度無制限の所がなく、80~120km/hの制限速度があった。それでもほぼ予定通りの時間で、目的地に着くことができた。

サンスーシー公園サンスーシー宮殿のある公園)の駐車場に車を置くと、宮殿がオープンするam10:00まで少し時間があったので、宮殿の庭園を散策してみることにした。小高い丘の上に造られた宮殿から見渡せるように造られた庭園は宮殿側から見ると見事な造りになっているのがよく分かった。丘を降りる中央に造られた階段の両脇には花壇が作られていたが、階段を降り切った目の前に噴水のある円形の池が作られ、その先には真っすぐ広い歩道が伸びていた。この宮殿はフリードリヒ2世が1745~47年の2年間で造らせたもので、「夏の宮殿」と言われるそうである。

am10:00になり、宮殿の中を見学することになった。ここでもPergamonmuseumペルガモン博物館の時と同じように日本語での解説を聞きながら各部屋を回ることになる。但し、ここでは解説を聞き終わらないと次の部屋に移動できないように係員が付いている。部屋によっては適当に端折って次に行きたいと思っても、行かせてくれないのである。この時一緒のグループになったのは凡そ20人だった。同じペースで宮殿内を見終わったのはam12:00頃だった。宮殿の中はそれほど広い感じではなく、各部屋もそれほど大きな部屋ではなかったが、やはり壁や天井に施された装飾や絵は見事で、置かれた家具類も立派なものだった。

宮殿の中を見終わって駐車場に戻ると、車に乗り込んだ時に前に止まっていたPASSATに気が付き撮った写真がこれである。お気付きの方も多いと思うが、このPASSAT、「PASSAT」のエンブレムも「TSI」「BLUEMOTION」のエンブレムもついていない。そこで思い出したのが、みん友のK氏が「エンブレムを取ってしまった」ことをチョット気にしていたことだった。ドイツに着いて以来、やはりPASSATが気になり、街を歩いている時や駐車場に止めた時など事ある毎に見て来たが、結論としてドイツ本国のエンブレム着脱率(?)は凡そ40パーセントが付けていない。ということは、それが本国の密かなブームと言えることになる。これはPASSATに限ったことではなく、GOLFであろうとBMW、MBであろうと同じことだった。
翻って我が国でこれをやったらどうか?と考えた時、GOLFは数が多く、ほとんど誰でも「GOLF」と認識してくれるだろうが、PASSATでやったら「VW」は分かるだろうが、「PASSAT」との認識は殆んどされることはないのではないかと、少し情けなさが過ったのだった。

サンスーシー宮殿を後にして帰路についたが、ここでも賢いナビが何を思ったか、往きとは違うルートを示し、それに従うと写真のような大きな施設が道路沿いに現れたのだった。この時、時間は14:00頃だったが、まだ昼食を食べていなかったこともあり、この大きな施設には多分飲食コーナーかテイクアウトができる店舗があるのでは?と期待したのである。昼食を取れていなかった主な理由は、ドイツの慣習にある。実はドイツの日曜日は基本的に仕事をしてはいけない日になっているらしい。それでも、この施設のように営業している施設もあることはあるのだが、その数は多くない。そういう目で道沿いにある色々な店舗を見ると、ほとんどゲートを閉じている。スーパー、自動車ディーラー、レストランなど看板を掲げている所の多くがそうだった。

大きな施設「porta!」の駐車場に車を止めると、早速店内に入ってみた。

とにかく駐車場の広さも我々日本人の感覚では半端なく広大に感じたが、そのテンポの広さも相当なものである。しかしもっと驚かされたのは、その大きさ、広さもさることながら建物全てがファニチャー(家具)の「展示場」であり「売り場」なのである。そしてこのファニチャーセンターが、結構な勢いで混んでいる。ドイツ人は家具に非常にこだわるのかも知れないが、それにしてもスーパーのようにいく所ではないと思う。しかし、その混み方は日本人の常識を超えていた。しかも目指す「飲食コーナー」を見つけることはできなかった。

結局昼食抜きでホテルに戻ったのは夕方5:00頃だった。
ホテルで一休みして、少し早目の夕飯をとることにした。とは言っても、近所での夕飯は日曜日のため店が閉まっていて無理なため、再びアレクサンダープラッツ付近の店を探すことにした。この日の天気は日中も曇り空だったが、夕方から少し降り出し、夕飯を食べ終わった頃には本降りになっていた。傘を持たずにホテルを出たため、帰りはずぶ濡れになってしまったが何とかホテルに帰ることができた。

さて、明日はいよいよ日本に帰る日となる。

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ドイツの旅ー3

2017年11月22日 | ドライブ

11月4日(土)

ベルリン3日目。朝食はいつものホテルのバイキング。今朝は「少な目」を目指したが、結果はあまり変わらなかったかも。。。

この日のメイン目的地は、今回の旅行のメイン目的でもある「Autostadtアウトシュタット;フォルクスワーゲンのテーマパーク)」である。アウトシュタットのあるWolfsburgヴォルフスブルク)は、ベルリンからアウトバーン(A2)を通って約3時間の距離にある。

朝食を食べると朝8:00頃ホテルを出発した。凡そ40年ぶりのアウトバーンは私の記憶とは少々違うイメージだった。確か当時のアウトバーンは片側2車線だった記憶である。因みに、その昔アウトバーンを走った時は、借りたレンタカーがフォードの「フェスティバ」という排気量1.1L(ラインナップには1.3Lもあったらしい)の小型車(?)だった。追い越し車線でベタ踏みしても120km/h位しか出ず、ベンツのパトカーに煽られた記憶が鮮明に残っている。そんなこともあり、今回は少なくとも200km/h位は出るレンタカーを借りたかった。そこで出て来たのが「VOLVO XC60」だったのである。
さて、「VOLVO XC60 D4」について少し触れておく。名前の通り、この車はボルボのSUVで2,000cc4気筒のディーゼルターボである。日本のVOLVOのHPを覗くと、XC60は全てAWDのようだが、レンタカーにはAWDの表示がなかった。恐らく日本には輸入していないFF2駆だったのではないかと思われる。ボディのスリーサイズは4,690x1,900x1,660(mm)と、なかなかグラマラスなボディである。かなり車幅があり、私には運転し辛かった。年式がはっきりせず、何とも言えない所があるが、とにかく装備として、ACC(ボルボでの表現は不明)、LKA(レーン・キーピング・エイド;PASSATではレーンキープアシスト)などPASSATとほぼ同じような装置が装備されていた。ただ、使い方が少々異なり、ACCでは操作スイッチの配置、作動スイッチの違いなど細かい部分での違いを始め、LKAではステアリングへの介入などはなく、ブザーで知らせるのみだった。もしかすると、これもグレードにより少しずつ違いがあるのかも知れない。使い難いのはPASSATもそうだが、ナビが使い難い。この使い難さは相当なものだった。日本のナビは感覚的に使うことが可能だ。マニュアルなど見なくても、取り敢えず目的地を設定できるが、VOLVOのナビは取説を見ても目的地を設定することができない。何しろそのマニュアルがドイツ語で書かれていて、全く解読不能なのである。機械の方はダイヤル式で、目的地の候補をアルファベットを1文字ずつ入れて行かなければならない。せめてタッチパネルにしてくれれば、もう少し便利になるのではないかと思ってしまった。しかも目的地は、住所、ストリート名で入れるしか検索方法がない。(最終日にやっと分かったのは、空港などの施設は施設名でも検索ができることである。)チョット面白いことに気付いたのは、ナビの到着予定時刻だが、アウトバーンを走っても時間が短くなることはなかったのである。その時思ったのは、速度無制限のアウトバーンでは時間の計算ができないのかも知れないということだった。

装着されていたタイヤは「DUNLOP」のスタッドレスタイヤで235/65R17を履いていた。我々夫婦がベルリンを訪れた11月の上旬の気候は、朝晩の気温は恐らく7度前後で、日中も高くて12度前後という大まかには日本の1月から2月位の気温と言った所であるため、地元のクルマの大半がスタッドレスを履いていたのは、当たり前と言えば当たり前だった。チョット面白かったのは、日本では近年スタッドレスもアルミホイールに履かせるのが当たり前のようになっているが、ベルリンでは鉄チンホイールが当たり前のようで、ベンツやBMWなどでも鉄チンを履かせていた。
話はVOLVOに戻るが、PASSATに装備されている「AUTO HOLD」(電動式サイドブレーキのON/OFFをプログラム的に判断して作動させる装備)がこのVOLVOには付いていないため(この装置を探したが見つからなかった)、停止時は必ずブレーキペダルを踏んでいなければならない。ブレーキペダルを踏んで停止するとアイドリングストップが働き、エンジンが停止する。しかし、ブレーキペダルを踏むのをやめると、直ぐにエンジンがかかる。この再スタートのタイミングは絶妙で、割と気持ちの良いスタートが切れた。
さて「乗り心地」についてであるが、上に書いたように235/65R17のスタッドレスを履いていた関係もあり、乗り心地は悪くなかった。ごつごつ硬い感じではなかったが、ふわふわの感じもしなかった。サマータイヤでどのような感じになるのか興味があるが、今回は体験できていない。
走り」は可もなく不可もなくで、エンジンのアクセルに対するレスポンスはリニアで、ターボラグなどの感じはなかった。アウトバーンでアクセルを踏み込んだ時には、メーター上180km/hまで出すことができたが、スタッドレスタイヤのスピード制限や運転席の高い位置の関係で、それ以上のスピードには恐怖心が伴い挑戦することができなかった。しかし、エンジンの延び方からは、もう少しスピードが出そうだった。恐らく200km/hは出たのではないだろうか?

アウトバーンA2をヴォルフスブルクまで走る間に、PA、SAが何ヵ所かある。とにかくアウトバーンは無料なので、SAによっては、街の施設がSAになっていたりする。SAに入るためには、一旦アウトバーンを降りる形になるのである。PAは「チョットお休み」の場所なので、アウトバーンの付属施設のような造りになっている。

写真はPAの景色である。

Autostadtアウトシュタット)に着いたのは昼少し前。当初の予定よりかなり遅くなってしまった。アウトシュタットに着いたはずなのにそれらしき景色が見えて来ない。ナビが示していたのはWolfsburg駅の駅前駐車場だったのだ。2~3回駅前の通りをウロウロすると、観光客のように見えた通行人がいたため、アウトシュタットを尋ねると、橋を渡って川の対岸に行くように教えられた。

指示通りに橋を渡ると、アウトシュタットの駐車場が見えて来た。駐車場に入ると流石にVWの各車がいっぱい止められていた。チョット「場違い」を感じながらも、レンタカーの我車を止めて、入場券を購入すべくゲート?を目指すことにした。ところが、現在地がアウトシュタットのどこなのか分からない。事前にみん友の加奈陀さん(加奈陀さん、資料を有難うございました。)に戴いた資料でアウトシュタットのレイアウトを記憶していたはずなのだが、方向が分からず、仕方なく近くにいた警備員に入口を聞いて何とかなった。

入口に向かう途中にも駐車場があった。そこで写真のGOLF GTEが充電中の光景を発見した。正直に言うと、GOLF GTEは日本ではお目にかかったことがない。これが初の出会いだった。
初の出会いと言えば、日本では発表になったばかりのArteonにもこの駐車場でお会いすることができた。丁度試乗から帰って来たそのArteonは、イメージカラー(?)の「ターメリックイエローメタリック」で、ドアの所には試乗車であることをアピールするイラストとコピーが張られていた。

ディズニーランドなどの入口ゲートを想像していた私だが、ここの入口はアウトシュタットの1つのパビリオンの中にあり、そこの受付がアウトシュタットの入口だった。入場券(クレジットカード大のプラスティック・カード)を購入すると、早速見学を開始した。

私にとってアウトシュタットでの一番見たかったのが写真のタワーである。タワーは2棟あり、中には納車待ちのVW各車やグループの各車が置かれている。

このタワーにはセアトなどのグループの車もおかれていた。

この車が隣の納車パビリオンでセレモニーと共にオーナーに引き渡されるのである。この日も何組かの新オーナーに引き渡されるセレモニーが行われていた。

このパビリオンには、現在VWが販売している各車両も展示していた。

次に行ったのはLamborghiniランボルギーニ)のパビリオンだった。ここではチョットしたアトラクションが行われていた。

Skodaシュコダ)はチェコの自動車メーカーで、フォルクスワーゲングループの子会社だそうである。

Seatセアト)はスペインの自動車メーカーで、シュコダ同様フォルクスワーゲングループの傘下にあるそうだ。

Audiアウディ)は1964年以降VWグループの傘下になっているそうだ。

アウトシュタットを一通り見終わると、嫁様のリクエストもあり、今評判の「カレーウィンナー」を食べることにした。先に行った納車パビリオンの3階に食堂があり、ここで「カレーウィンナー」を食べることができるという。行って見ると食堂があり、そこは半バイキング形式とでもいうのであろうか、ご存知の方には「IKEAの食堂と同じシステム」と言った方が分かりやすいかも知れない。好きなものを取ったり、オーダーして作ってもらったりして、最後にレジで精算する方式になっていた。

写真は「カレーウィンナー」を撮ったものだが、ウィンナーを1口食べてから気が付いて撮影したため、端の方が1口分なくなっている。(失礼)

チョット遅い昼食を済ませ・・・というより、時間的にはチョット早い夕食という感じの16:00頃昼食を済ませ、アウトシュタットを後にすることにした。事前のネット情報ではアウトシュタットを一通り見て回るのに約2時間、かかっても3時間というような情報が多かったのだが、我々夫婦は、なんと4時間もかけて回ってしまった。今考えても内容的にそんなにかかるものではなかったように思うのだが。。。

帰りも往きと同じルートを戻るつもりでアウトバーンに向かったのだが、アウトバーンA2に入ってその途中で、ナビが突如アウトバーンを下りる指示を出して来た。あまり深いことを考えずに指示に従ってアウトバーンを下りると、田舎道を走る指示をして来たのである。

写真は田舎道を進んで入り込んだ集落でのものである。何と言って特別なものがある所でもなかったが、長閑(のどか)さが感じられ、丁度良い一服ができたのだった。さて「もう一走り」と車に乗り込み、エンジンをかけてナビを見ると、今度はアウトバーンに戻る指示を出していた。よく分からないが、再び指示に従ってアウトバーンに戻ると一路ベルリンを目指した。その後もベルリン近くでアウトバーンを下りる指示を出したため、その通りにすると、往きとは明らかに違う郊外の道を走らされた。余談だが、アウトバーンはともかく、郊外の道で速度表示のない所は、日本では60km/hとされているがドイツでは100km/hなのだそうだ。一般道も片側1車線で側道などもないような道を100km/hで走るのは結構勇気がいる。対向車と100km/hですれ違うのは恐怖と言える。しかし、地元の方々はそれをしているのである。慣れとは恐ろしい。

結局ホテルに到着したのは19:00過ぎだった。夕飯を近所で買ったパンやサンドイッチで済ますと、今夜もさっさと眠りに着いたのだった。

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ドイツの旅ー2

2017年11月16日 | ドライブ

11月3日(金)

ベルリン滞在2日目、日本では3連休の初日だが、勿論ドイツでは平日。前日同様、朝食はホテルのバイキングを食べ、歩いて市内観光に出ることにした。
私はどうもバイキングに弱いようで、ついつい取り過ぎてしまう傾向にある。この日も朝から超満腹状態になってしまった。特に、チーズが美味しく、日本のバイキングではほとんど見かけない色々な種類のチーズに、あれもこれもと取り過ぎてしまった。

ホテルを出発すると、アレクサンダープラッツ(アレクサンダー駅)の方向に向かった。

この日の1番の目的はPergamonmuseumペルガモン博物館)だったが、この博物館はシュプレー川の中州(なかす)のような島、シュプレー島(北半分を博物館島と呼ぶ)の中にあり、この博物館周辺には博物館・美術館が集められている。

ペルガモン博物館にはメソポタミアの遺跡から発掘された品々や古代ローマの物など素晴らしい物が展示されていた。しかし、何より素晴らしかったのはその規模が並外れていたことだ。各展示室での案内は携帯の受信機を通じてイヤホンで聞くのだが、複数の外国語で案内され、その中には日本語も含まれていた。案内を聞きながら各展示室を巡ると、ゆうに1時間以上はかかってしまった。

Pergamonmuseumの近くの博物館・美術館、そしてそれらに囲まれた中庭のような所など、静かな環境も素晴らしかった。正に時間の流れが止まったかのような感じがしたものである。

博物館・美術館街の脇の道で発見したGOLFGTI(2ドア仕様)。

博物館・美術館街のすぐ横にはBerliner Domベルリン大聖堂)が建っている。建物の造形や施された彫刻類は、博物館に展示されていてもおかしくない素晴らしいものだった。大聖堂の拝観には入館料が必要で、聖堂入口の発券機でチケットを買うようになっていたが、ユーロのコインは見分けが面倒くさいので受付でクレジットカード払いにした。

大ホールに入ると正面に舞台が造られ、そこに鏡板を背にしたキリスト像が建てられていた。舞台はまだ設置中のようで、いくつかの足場が置かれていた。クリスマスに関連するイベントか何かの催し物が行われるのではないかと思われた。
拝壇に向かって左手2階には大きなパイプオルガンがあり、このオルガンでバッハなどの曲を聞いたら素晴らしいだろうと思ったものである。
ホールの天井はドーム状になっていて美しい装飾と絵画が描かれていた。この天蓋は第二次大戦で被害を受け、戦後に修復されたそうだが、そういえば聖堂の外壁も黒く焼けた跡のように見える部分があり、もしかするとそれも戦争の後なのかも知れないと思われた。

一通り聖堂の中を見て回ってトイレに行くと、肩に掛けていたバッグのチャックが開いていて中に入れていた財布がないことに気が付いた。どうやら聖堂内で盗まれたようだった。直ぐに警察に届けるよう係員に言われ、早速警察署に行くことになった。自分のイメージでは交番に届ける位のつもりだったが、どうもベルリンには日本で言う交番はないようで、ベルリン警察署(何分署かは不明)に行くことになってしまった。
紆余曲折しながら何とか警察署に辿り着くと入口が分からない。署の前の道路には数台パトカーが路駐してあり、ビルの入口らしき所には「POLIZEI(英:POLICE)」の表示もあるが扉が開かない。仕方なくパトカーの傍にいた私服の人に警察署の入口を聞くと、インターホンで用件を伝え開けてもらうことが分かった。中に入っても受付らしき所が分からない。またまた廊下に出て来た制服の人に言うと、入り口脇の鉄扉(特に表示はなかったように見えた)を開けてくれ「(ここで話をしなさい)」とドイツ語で言われた・・・ように理解し、中にいた制服の警察官に英語で(嫁様が)説明した結果、外で待つように指示された。しばらく待たされた後、ようやく個室で事情聴取をされ、パソコンで打ち込んだ情報が記載された番号付きの書類を渡された。

写真はその時の警察官と謎の人である。

警察署を出るとひとまずホテルに戻った。ホテルに戻ると、とにかくクレジット会社や銀行に連絡を取りまくった。携帯からの国際電話は高くつくことが想像されたが仕方なかった。
一通り連絡が終わると、一休みして、この日最後の予定だった「トルコの市(朝市のような市が夕方まで行われている)」へ出かけた。Google mapによれば、ホテルから「」まで徒歩で1時間かからない距離だったため、日頃の運動不足解消も兼ねて歩くことにしたのである。ところが道がよく分からず、紆余曲折を繰返し、ようやく目的地に着いた時には「」は終わてしまっていた。仕方なく戻ることにしたが、かなり疲れてもいたので帰りはベルリンに来て初めてのタクシーを利用することにした。願わくばベンツなどの日本車以外のタクシーに乗りたかったが、贅沢を言えるほどタクシーの数がいなかったため、たまたまやって来たTOYOTA PRIUSのタクシーに乗ることになった。注意してみるとベルリンのタクシーはMBPRIUSが大半だった。

写真は「」へ行く途中の川岸の風景。

難を逃れた嫁様の財布からタクシーの支払いを済ませると、ホテルの部屋に戻り一休みの後再びアレクサンダープラッツに向かうことにした。目的は夕食を取ること。駅の周辺にはいくつかレストランや食事のできる店があった。いくつか見たが、結局イタ飯屋にすることにした。

ドイツのビールは有名だが、イタ飯屋のビールはどうだろうか?ジョッキで2種類のビールを頼み、食事はパスタを頼んだ。2種類のビールはどちらも美味かったが、残念ながら名前を憶えていない。というのもドイツ語で書かれたメニューで、適当に頼んだからである。

この日はとんだアクシデントに遭遇し、結果と言っても良いが、26,000歩余りを歩くことになった。ビールの酔いも手伝ってか、ホテルに戻ると、ほとんどベッドに滑り込むように眠りについてしまった。

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ドイツの旅-1

2017年11月14日 | ドライブ

2017年11月1日~7日

去年10月には久々に海外旅行としてスウェーデンデンマークの旅過去ブログ参照)に行ったが、これがきっかけとなって、今年はドイツの旅となった。スウェーデン、デンマークもそうだが、ドイツも国土が広く、とても1週間ほどで各地を回ることはできない。
去年のスウェーデン、デンマークではヨーテボリトロールヘッタン(スウェーデン)コペンハーゲン(デンマーク)をメインにしたが、今回はドイツ首都ベルリンに4泊5日滞在し、近隣をドライブしたり、市内観光をしたりした。

11月1日~2日

我が家から成田空港までは車で約2時間半(圏央道経由)の距離にある。少し早目ではあったが、14:00頃家を出ると圏央道を直進し、成田空港へ向かった。東北道東関道(東関東道)の間が全面開通した2017年2月以来、何度かこの道を利用したが、正直この区間は好きになれない。というのも、この区間は部分的に片側2車線になるが基本は片側1車線の対面通行で、当然ながら70km/hの速度制限となっている。しかも大型車の通行が結構あり、反面かなりのスピードで走る車もあり、非常に走り難い区間と言える。このため、首都高を抜けるルートも考えたが、首都高の渋滞を考えると「やはり圏央道かぁ。。。」となった訳である。
成田空港には予定通り16:30頃到着し、駐車し慣れたP1(第1駐車場)に入った。事前のNET情報で、現在成田空港の駐車場が部分的な改装工事のため、駐車スペースが縮小されていることは承知していたが、P1で約1/3のスペースが工事に取られているとは予想外だった。しかし、平日ということもあったのかも知れないが、幸運にも立体部分に入ることができ、夜露や雨を凌げる場所に駐車できた。

21:00過ぎにトルコ航空機(ターキッシュエアラインズ)で成田空港を出発すると、トルコイスタンブールへ向かった。
イスタンブールに着いたのは現地時間am4:00だった。当然ながら空はまだ暗く、夜明けを感じさせる雰囲気はなかった。それでも、空港内の「TAX FREE」店や空港内に2軒もある「スターバックス」などには、乗り継ぎの飛行機を待つ客と思われる人々が散見された。


写真は、本場トルコの「トルコアイス」。やはりその粘りのある独特のアイスクリームは、非常に美味しかった。
イスタンブールの夜明けはam7:00頃だった。明るい朝陽が眩しく、空港内も何となく活気が出て来た。ようやく我々の乗り継ぎ機のゲートも掲示され、いよいよ次の搭乗ゲートに移動すことにした。

am9:00過ぎに我々夫婦が乗った飛行機はドイツのベルリン、テーゲル空港へ向けて飛び立った。イスタンブールとベルリンの時差は約1時間。飛行機はベルリン時間のam10:10到着だったが、実際の飛行時間は約2時間だった。凡そ東京-鹿児島の距離と言える。
テーゲル空港で入国審査を通ると、早速、予約してあったレンタカーのHertzに向かった。予約時点ではBMW3シリーズ相当ということだったが、結果は「VOLVO XC60 D4」だった。「PASSATはないのか?」と聞いた所、「当営業所にはPASSATはない」ということで、PASSATの日本仕様と本国仕様の違いなどを見たいという目論見はからくも崩れ去ったのだった。というほどのことでもないが、チョット残念な気がした。しかし、逆に考えれば、PASSATと比較されることが多いVOLVOを経験するのも面白いと思った次第である。

空港を出発してホテル(レオナルドロイヤルホテル・ベルリン アレキサンダープラッツ)に向かった。Google mapによれば、空港からホテルまでは約30分の距離とされていたが、実際に走った時間を計った訳ではないが、もっとかかったように感じたのだった。初めての道を、慣れない右側通行で走り、右左折のルールも日本と違う世界ではかなり神経を使い、実際より遥かに時間の感覚がおかしくなっていたのかも知れない。

ホテルの地下駐車場に何とか入ると、そこには懐かしの我が愛車と同じVW PASSAT VARIANT(B8)が止められていた。ドイツに来て記憶する限り初めてのB8 PASSATとの遭遇だった。オーナーと話したわけではないので、その車両の年式やグレードなどは全く分からなかった。

ホテルで少し休んだ後、夕飯の場所などを探すためにホテルの近隣を歩いてみることにした。

東京では全くと言って良いほど姿を消してしまった路面電車だが、ここベルリンでは新型車両と共にいまだ元気である。

ホテルから鉄道駅「アレクサンダープラッツ(アレクサンダー駅)」に向かう途中の交差点の角に立つこのビル。屋上の社名を見て驚いた。「Mercedes-Benz Bank」とある。これはかの「メルセデスベンツの銀行?」と思ったが、MBが銀行???どうもよく分からない。後で調べたところ、以前MBが米クライスラーを合併した時にクライスラーの子会社に銀行があったようで、それがこのMercedes-Benz Bankになったようだ。しかしそれでは何故クライスラーが銀行を持っていたのか、そしてMBがそれをいまだに持ち続けているのか、よく分からない。

更に進むと道路沿いに色々な店が立ち並ぶ。写真のようなオープンエアーを楽しむように店の前にテーブルを並べた店は各所で見かけた。真冬でもオープンエアーを楽しむのかどうかは分からないが、この時のベルリンの気温は10度前後ではないかと思われた。

とにかくここベルリンの道路は広い。勿論裏路地のような道もあるが、表通りはほとんど片側3車線で中央に複線の路面電車の線路が通り、両側の歩道は車道2車線位取れそうな広さの所もある。そして、とにかく道路工事が多い。ビルの建て替えや新築などの工事もそこらじゅうで行われている。街中が再開発されているようだが、これは一体何だろう?・・・とGoogle mapで調べてみると、我々夫婦が泊まったホテルは旧東ベルリンの中にあることが分かった。恐らくベルリン市やドイツ政府が旧東側の再開発をやっているのではないかと思われた。

アレクサンダー駅の近くにテレビ塔があり、これがこの付近のモニュメントのようになっている。駅には広場もあり、多くの人通りがあった。

ホテルに戻りながら少し裏道に入ると、アパートの駐車場があり、多種の欧州車が止められていた。そういえばベルリンに来て、まだ1度もアメ車を見ていない。そんなことを考えながら駐車場を歩いていたら、突然目の前に現れたのが写真だった。

ホテルに戻ると、また少し休憩して夕食を食べに外に出た。しかし、旨い飲食店が見つからずパン屋でパンを買ってホテルの部屋で食べることになった。
こうしてベルリン第1日目は暮れたのだった。

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中国地方ドライブ記-5-

2017年07月27日 | ドライブ

2017年6月14-15日

さて、いよいよ岡山県も残る3つの神社を廻って終わる。そして中国地方の駆け足ならぬ高速ドライブも終わりを告げることになる。
今回も岡山から一気に帰宅することも考えたが、やはり無理をせず、大阪の息子宅で休んでから帰宅することにした。

6月14日(水)

この日の予定は、備前国(びぜんのくに)一之宮「吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)」、備中国(びっちゅうのくに)又は三備(備前・備中・備後)一之宮「吉備津神社(きびつじんじゃ)」、そして最後に備前国一之宮「石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)」に行く。そして帰途に着く。

朝7:00頃宿泊した「チサンイン倉敷水島」を出発すると、岡山市北区一宮にある第1の目的地「吉備津彦神社」を目指した。この時間は既に通勤時間帯に入っているため、渋滞がない状態なら30分ほどで行ける距離だったが、渋滞を考慮するとどの位時間がかかるか見当もつかなかった。しかし先を急ぐ旅でもなかったし、適度にACCを使えば渋滞でも楽になると思い、ホテルの前を走る県道62号を岡山方向に走り出した。瀬戸中央道を横切り、県道21号を進むと岡山市内で県道61号に入り北上した。
吉備津彦神社」にはおよそ50分で着くことができた。神社の駐車場にはわずかに数台の車が止まっていただけで、まだほとんど人は来ていないと思われた。

吉備津彦神社」はそれなりの大きさの境内を持ち、整備もきちんと行われていた。当社の由緒書によれば、第10代崇神天皇(すじんてんのう)の10年(紀元前88年?)四道将軍の1人吉備津彦命(きびつひこのみこと)が吉備国を平定し、人々に崇められた。この吉備津彦の屋敷跡に社殿が建てられたのが当社の始まりとしている。祭神は大吉備津彦命(第7代孝霊天皇の第3皇子)で、相殿に吉備津彦命(大吉備津彦命の弟)、孝霊天皇(こうれいてんのう)、孝元天皇(こうげんてんのう)、開化天皇(かいかてんのう)、崇神天皇彦刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと;大吉備津彦命の兄)、天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと;第5代孝昭天皇の子)、大倭迹迹日百襲比賣命(おおやまとととひももそひめのみこと; 大吉備津彦命の姉)、大倭迹々日稚屋比売命(おおやまとととひわかやひめのみこと;大吉備津彦命の妹)、金山彦大神(かなやまひこのおおかみ)、大山咋大神(おおやまくいのおおかみ)の神々が祀られている。

吉備津彦神社」を後にすると、わずか5分ほどの所にある備中国ないし三備の一之宮「吉備津神社」に移動した。

備中国のみならず三備(備前・備中・備後)の一之宮を謳うだけあり、この「吉備津神社」も綺麗に整備され、ある意味今風に飾られているとさえいえた。

神社入口に「矢置岩」があり、その解説では、大吉備津彦命と鬼神が戦った際に大吉備津彦命が矢を置いた岩としている。

神社の拝殿は階段が作られた参道の上にあり、楼門の屋根と拝殿の屋根が繋がったような造りになっている。こういう造りの神社は珍しいと言える。

吉備津神社」の次は備前国一之宮「石上布都魂神社」に向かう。ナビの計算では、およそ30~40分ということだった。
R180からR53に入り北上し、途中で県道461号に入り、255号、468号と進むと山道を登り神社に着く。特に神社の駐車場はなく、適当に駐車すると神社の参道を上ることになる。

この参道、雨天や雨天の直後などは危険そうに思えた。

道というより登山道という感じだが、徒歩でもかなりきつい斜度の参道を何とか上ると、ようやく手水舎が見えて来て、その手前の階段を上ると目の前に神社の建物が現れる。

拝殿の脇には旗が建てられ、境内も綺麗に掃除されていたが、参拝客は勿論神主の姿も見えなかった。
石上布都魂神社」の由緒によれば、祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)としている。また日本書紀に記載があるようだが、漢文のため何が書かれているのか私には理解できなかった。

今回の中国地方ドライブはこれで全ての予定を終了した。この後、大阪の息子宅を目指すことになる。
息子宅をナビでセットすると、コースは山陽道を選んで来た。大阪も極力有料道を選んでいるようだったが、大阪では私の土地勘もあるためナビの指示は却下することにした。ナビの計算では3時間ほどと出たが、時間的に夕方の通勤時間帯に遭遇する可能性もあり、到着時間は見えなかった。
山陽ICから山陽道に入ると、もう使い慣れたACCをセットし一路大阪を目指した。山陽道から中国道に合流して間もなく、渋滞のメッカでもある名塩(なじお)SA付近で、お約束のように渋滞に巻き込まれ、その後も中国吹田ICで中国道を下りるまで断続的に渋滞が続いた。吹田ICを出ると直ぐに大阪中央環状道(中環)を走り、何とか19:00頃息子宅に着くことができた。


14日
給油場所:大阪
給油時走行距離:644.8km
給油量:41.0L
燃費:15.7km/L


6月15日(木)

息子宅を出たのは朝9:00頃だった。帰宅を急ぐ必要はなかったが、下道を途中まで行き、それから高速道に乗るという方法は少々面倒な気がした。また、最初から高速道を選ぶとしても、いくつかルートがある。1つは名神高速の草津JCTからそのまま名神を行くか、新名神に入るか。そしてその先、新東名を行くか、中央道を行くかとなるが、結局昔通りの名神、中央ルートを行くことにした。
ACCをフルに活用しながらのクルージングは、非常に楽なものだった。


6月9~15日の総走行距離: 2,854km
総燃費: 16.83km/L

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中国地方ドライブ記-4-

2017年07月24日 | ドライブ

017年6月13日

中国地方4日目は島根県から鳥取県を経由して岡山県に入る予定である。
具体的には、島根県は3か所、石見国(いわみのくに)一之宮「物部神社(もののべじんじゃ)」、出雲国(いずものくに)一之宮「出雲大社(いずもたいしゃ;正式には”いづもおおやしろ”)」、同「熊野大社(くまのたいしゃ)」であったが、その内「物部神社」は前日(6月12日)の最後に行ってしまったので、「出雲大社」から始めるつもりだった。その後鳥取県に入り、伯耆国(ほうきのくに)一之宮「倭文神社(しとり(しずり)じんじゃ)」、因幡国(いなばのくに)一之宮「宇倍神社(うべじんじゃ)」を廻り、岡山県の美作国(みまさかのくに)一之宮「中山神社(なかやまじんじゃ)」、吉備国(きびのくに)一之宮「吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)」、同「吉備津神社(きびつじんじゃ)」となる。
この3県は、源義経秦氏ゆかりの地は特になさそうなので、一之宮巡りのみとなった。但し、島根県の出雲地方には源義経本人ではないが、右腕のように言われている武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)ゆかりの地があり、これについては私の別ブログで報告済みである。

朝7:00を目処に松江市の「松江アーバンホテル レークイン」を出発すると、一路「出雲大社」を目指した。賢いナビの指示によりR9を西に向かい、県道161号からR431を通り、約1時間で大社に着いた。
流石に朝8:00という時間では、駐車場には数台の車がいただけだった。駐車場がこの状態であるから、勿論大社の境内にはほとんど人影がなく、こんなに人のいない大社を見たのは初めての経験となった。

出雲大社」を訪れたのは、人生で5回目になるかも知れない。それ位訪問している大社・神社は自分としては、毎年正月に参拝する家の近所の神社以外珍しいと言える。
大社の広い境内や神殿についての解説は省略させて頂くが、ここで”ある話”を1つだけ披露させて頂く。それは、京都府亀岡市(京都市街からR9を西に進んで保津峡を過ぎると行き着く)に丹波国(たんばのくに)一之宮「出雲大神宮(いずもだいじんぐう)」がある。ここは別名元出雲(もといずも)と言われ、出雲大社の元がここにあった・・・かどうか定かではないが、そんなことを考えると、謎が謎を呼び楽しくなるかも知れない。
大社の境内を隈なく探す訳にはいかないが、少し探した所ではどこにも「出雲国一之宮」の文言を見つけることができなかった。大社でもらった「由緒書(パンフレット)」にもその記載は見出せなかった。もしかすると一之宮ではないのかも知れない。

出雲大社」を出ると、次は松江市八雲町熊野にある「熊野大社」に向かった。R431を松江に向かうコースを取ると、松江市街まではほぼ真っ直ぐの道となった。私は宍道湖の北側を通るこのR431が好きで、大社と松江の間を走る時は、ほぼこの北側の道を選ぶようにしている。ただ残念なことに、湖側のパーキングスペースを見つけることができず、記念写真を撮ることができなかった。

出雲大社」から「熊野大社」まではおよそ1時間半の道程となった。私の好きな湖北の道路を通るコースは、やや遠回りとなるのである。
松江市街を通り抜けるとR432から県道246号、県道249号、県道53号と進んで「熊野大社」に着いた。

熊野大社」は”出雲国一之宮”を謳うだけあって境内は広く、整備も行き届いていた。昔は「上の宮」と「下の宮(現 熊野大社)」とあったが、明治になり2社をまとめたということが解説に書かれていた。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)をお祀りしているとのこと。

当社には鑚火殿(さんかでん?)という特殊な建物があり、鑚火祭の舞台となる所とされている。

熊野大社」の次は鳥取県に入る。向かうは鳥取県東伯郡湯梨浜町にある伯耆国一之宮「倭文神社」である。

県道53号からR9に入り、米子南ICで山陰道(無料区間)を走り、大栄東伯ICで再びR9(北条バイパス)に戻る。更にR179に曲がり、県道185号から同234号を進み、途中から山道に入ると「倭文神社」に行き着く。約1時間半の道程である。

前の2社と比べるとかなり規模は小さくなるが、数台の駐車場があり参拝の人影も少しは見えた。上り坂となる参道を行くと拝殿が見えて来る。新しい、或いは修復された感じは見られないが非常に静けさを感じさせる落ち着いた社殿はある意味好感が持てた。祭神は建葉鎚尊(たけはづちのみこと)で、それに大国主命の子神や大国主命と関係のある神々が祀られている。神主は常駐しているようで、境内の掃除がされていた。

倭文神社」を後にすると、鳥取市国府町宮下の因幡国一之宮「宇倍神社」に向かうことにした。
県道234号から県道22号を行き、R9で海岸線を鳥取市に向かった。R9から県道26号に入り、県道31号から「宇倍神社」に約1時間で着くことができた。

この神社は、明治32年以来昭和のデノミまで5円、1円札に使われたとのこと。祭神は武内宿禰(たけのうちのすくね)とされている。
やはり境内は綺麗に整備され、管理が行き届いている様子だった。

宇倍神社」の次は、いよいよ岡山県に入る。愛車のナビの計算では次に向かう「中山神社」までは約1時間半とのことだった。時間的に考えて、岡山県はこの「中山神社」がこの日の最後の訪問場所となるはずである。

宇倍神社」から県道247号、同292号と進み、R53を鳥取自道(無料区間)に入ると智頭ICまで走った。そして再びR53に入り、そのまま津山市に向かい、津山市の県道339号(広域農道)を行き、約1時間半で「中山神社」に着いた。

車を降りると直ぐに神社に向かって鳥居を潜った。境内は綺麗に整備されていたが、平日の夕方に近いこの時間は人の姿も見えなかった。

美作国一之宮「中山神社」の祭神は鏡作神(かがみつくりのかみ)で相殿神(あいどのしん)に石凝姥神(いしこりどめのかみ)と天糠戸神(あめのぬかどのかみ)が祀られている。神社の由緒書(ゆいしょがき)によれば、天武天皇慶雲四年(707年)に創祀(そうし;その場所で神様を最初にまつること)とあり、8世紀に始まったことになっている。

中山神社」を終了すると、時間は16:00近くになっていた。この日宿泊する場所が、まだ決まっていない。早速スマホを使って色々探したが旨い所がなかなか見つからず、結局「チサンイン倉敷水島」という所が見つかった。
ナビで検索しても賢いナビは1発でヒットしないため、スマホのアプリ「NaviCon」で検索し、表示されたマップコードを入力してホテルを目的地に設定した。ナビの計算では2時間弱かかるとなっている。到着時間はおよそ18:00である。
中山神社」を出ると県道339号、338号と行き、R53に入った。R53の途中から県道52号に逸れ、同468号、255号と進み、再びR53に入った後岡山ICから山陽道、瀬戸中央道と走り、水島ICから県道62号でホテルに着くことができた。
平日の夕方は、日本全国の都市部がほぼ同様と思われるが、通勤時間帯に入り、幹線道路は大なり小なり渋滞が発生する。この時も渋滞にはまりながらホテルに向かっていると、突然後方に白のPassat Variantが出現し、しばらくランデブーすることになった。どうもお急ぎだったようで、最終的には2.0RLのパワーに物言わせて姿を消していった。今回のドライブ旅行で初めて遭遇・ランデブーだったが、かなり印象に残る地元倉敷ナンバーのB8(世代)Passatだった。

 

13日
給油無し
走行距離:394km

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中国地方ドライブ記-3-

2017年07月01日 | ドライブ

2017年6月12日

中国地方3日目。

この日のプランは、広島県廿日市(はつかいち)市にある安芸(あき)の宮島「厳島神社(いつくしまじんじゃ)」(安芸国一之宮)、福山市の備後国(びんごのくに)一之宮の「素戔嗚神社(すさのおじんじゃ)」と、同じく備後国一之宮の「吉備津神社(きびつじんじゃ)」、島根県に移り島根県大田市の石見国一之宮の「物部神社(もののべじんじゃ)」を廻る。本当は出雲国一之宮の「出雲大社(いずもたいしゃ)」「熊野大社(くまのたいしゃ)」も廻りたかったが、時間的に無理そうなため翌日にまわすことにした。
広島県の宮島では「秦氏ゆかりの地」として「蓬莱岩」があり、ここも行く予定だった。

この日の天気は雲の多い晴れと言った感じだった。朝7:00にホテルを出ると、R2を宮島口のフェリー乗り場目指して走ることにした。
通勤時間帯のR2は、広島市街とは逆方向とはいえ、かなり混雑していた。少し驚いたのは宮島口手前からノロノロの渋滞になったことだ。この渋滞がフェリー乗り場へ入るものとは思えなかったが、何の渋滞なのか分からなかった。拍子抜けしたのはフェリー乗り場へ入る脇道には渋滞が全く関係していなかったことだ。

駐車場へ入ると適当な所に駐車してフェリー乗り場へ向かった。宮島へ渡るフェリーは、JR宮島松大汽船の2社がある。前日のオフ会でみん友の♪すなっち♪さんに、フェリーについてレクチャーを受けていたのだが、当日フェリー乗り場に着くと、目の前にあった駐車場は宮島松大汽船のものだったようだ。

フェリーで宮島に着くと、早速厳島神社詣でに向かった。宮島・厳島神社は以前嫁様と大阪に住んでいた時に来たことがあった。従って今回2度目となるが、やはり平家(特に平清盛)が信奉した所だけあって・・・というより世界遺産だけあってと言うべきかもしれない。その整備のされ方、規模も大したものである。
特に謳う必要がないからか、残念なことに何処にも「安芸国一之宮」の表示がなかった。念のため当神社の由緒(ゆいしょ)をもらってみた所、そこにようやく「一の宮」の文字を発見することができた。

あまり厳島神社で時間をかけることはできないため、同島の「秦氏ゆかりの地」の「蓬莱岩(ほうらいいわ)」に向かうことにした。
フェリー乗り場まで戻ると蓬莱岩の場所を確認しようとしたが、島の案内板、案内パンフレットのどこにも記載がなかった。もしかして観光案内所で分かるかも知れないと案内所で聞いた所、フェリー乗り場から歩いて30分位の所にある聖崎(ひじりざき)に蓬莱岩があることが分かった。しかし、山道を30分歩いて行かなければならず、しかも満潮時には海中に潜ってしまうという。この岩はフェリーからも見える(満潮時以外)ということなので、時間節約のためにフェリーからの撮影だけに止めることにした。その写真がこちらだが、正直本当にこれが蓬莱岩か自信がない。仕方ないので、これが蓬莱岩と言うことにする。

宮島口の駐車場に戻ると、次の「素戔嗚神社」に向かうことにした。ここで普通なら一般道を進むことにするところだが、この日は島根県に入る予定のため、移動に時間をかける訳にいかなかった。
駐車場から目の前を走るR2を広島方向に戻り、廿日市ICから広島岩国道に入るとそのまま山陽道を福山に向かった。尾道ICからR184、県道158号、同48号、同396号、再び同158号で「素戔嗚神社」に着いたのは11:00少し前だった。

素戔嗚神社」の駐車場に車を置くと、早速神社に向かった。当神社も神主が常駐し、綺麗に整備されていた。境内はそこそこの広さを有していたが、完全に平地に造られていたため、特に階段を上る必要はなかった。
祭神は神社の名前からも分かるように、天皇家の祖とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)となっていた。

次に「素戔嗚神社」から10分かからない距離にある「吉備津神社」に移動した。
吉備津神社」も備後国一之宮とされていて、神社入り口に書かれた”由緒(ゆいしょ;神社の来歴)”には、祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)とされていた。
この神社も神主が常駐し、境内は先の「素戔嗚神社」よりも広く綺麗に整備されている。
同じ国(ここでは備後国)に一之宮が複数ある時は、時代によって一之宮が変遷した場合がほとんどである。「素戔嗚神社」と「吉備津神社」ではどちらが先の一之宮なのか分からないが、創建時期だけで比較すると、前社の方が古いようであった。

吉備津神社」を出ると、いよいよ島根県に移ることにした。
次に向かったのは石見国一之宮「物部神社」である。同神社は島根県大田市にあるという。賢いナビの計算によれば、凡そ2時間半の行程だが、実際は2時間強と言った所だろうと思われた。

神社からR486-尾道自動(無料区間)-三次東IC-県道434号-R375-R54(歴史街道54)-県道166号-R375と進み、目的地の「物部神社」に着いた。
道中は山道がメインとなり、アップダウン、カーブが続くと想像したが、愛車得意のACCの出番もそこそこあり意外に思われた。川沿いの所では谷間の景色が綺麗で、思わず路肩に停車して写真を撮った所もあった。

石見国一之宮「物部神社」は、古代豪族の物部氏(もののべし)の祖神「宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)」を祭神としている。神社の解説板によれば、当神社の社殿は県内(島根県)では出雲大社に次ぐ大きさで、春日造としては全国一の規模とされている。
出雲大社に次ぐと言うだけあって、境内もかなり広く整備も行き届いていた。勿論、神主も常駐されていて社務所でお守りなども扱っていた。

ここで当初の予想通り、後2箇所の訪問は断念しなくてはならない時間に近付いていた。この日の宿泊は、できれば出雲大社近くに泊まりたかったが、コスト的にリーズナブルなホテルがなく、少し離れることになったが、松江市のホテルを予約することにした。
松江のホテルは「松江アーバンホテル レークイン」と言い、駐車場は40台無料で泊められた。「物部神社」からは凡そ1時間の行程だった。


12日

給油場所:松江(島根県)
給油時走行距離:608.7km
給油量:34.5L
燃費:17.6km/L

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中国地方ドライブ記-2-

2017年07月01日 | ドライブ

2017年6月11日

この日は午後から西日本PASSATのオフ会だった。午前中の時間をどう使うか。考えた結果、前日最後に行った「土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム」に再び行って、今度はミュージアムを見てみようと考えた。

ホテルからミュージアムまでは約1時間。ミュージアムからオフ会場の「きらら博記念公園」駐車場までは約1時間半の計算だった。
9:00amにホテルを出発すれば10:00頃ミュージアムに着き、ミュージアムを11:00am頃出発すれば12:30にはオフ会場に着けることになる。

9:00前にホテルを出ると県道247号を進み、R191をひたすら北上するとミュージアムに着いた。駐車場には1台も停まってなかったためチョット不安になったが、とにかくミュージアムの建物に行って見ることにした。開館時間の9:00はとうに過ぎていたため、早すぎた訳ではなかった。中に入ると直ぐに受付があり、入館料200円(一般)を払うと早速展示を見学した。

展示を見る限り特には「秦氏」に関する言及はなかったが、ここ「土井ヶ浜遺跡」周辺に住んだ人々は、所謂「弥生人(弥生時代の日本人?)」とは骨格が異なり、北部九州に朝鮮半島から(弥生人とは別に)移住して来た人々と共通性があるということだった。詳細は別ブログ(7/1現在工事中)に譲るが、「秦氏」に関係すると思った方が話は面白くなる。ただ、学者さんがそのことを言い出すには、根拠、それもより客観的なものが必要となる。しかし、残念ながら現状はその”客観的”なものがないのだろう。

ミュージアム本館(?)の外には小ぶりなドームがあり、この中に発掘によって発見された約300体の人骨のレプリカが発掘状態を再現して展示されていた。これも非常に興味をそそられたが、ここでは省略させてもらう。

予定通り11:00頃見学を終了すると、この日のメインイベント「西日本PASSATのオフ会」会場に向かうことにした。大体ナビの計算より実際は少し早く着くので、1時間半の計算には余裕があった。そんなこともあり、取ったコースは全行程下道である。

R191から県道260号、同262、同35、同233、と進み、R2を行って、最終的に県道213号と行った。

県道に入ってから少しだけアップダウンやカーブがあったが、気持ち良く走ることができた。とにかく絶対的な交通量が少ないのである。天気は別ブログでも触れたが「曇り時々小雨」だった。しかし、緑が綺麗で雰囲気も最高なため、思わず路肩に車を停めて撮ったのが写真である。

オフ会については別ブログ(既報)に譲るが、この日の宿泊を全く考えていなかったため、オフ会解散後に改めて検討することにした。色々調べた結果、翌日の行動も考慮して広島のホテル「コンフォートホテル広島大手町」を予約することにした。
広島までは山陽道、広島岩国道で約2時間の計算だった。広島岩国道を下りてR2に入り広島に近付くと、当然だが渋滞が始まった。広島の街中に入ると、やがて路面電車の線路が見えて来た。路面電車は私にとって最もストレスとなる。普段路面電車の環境がないため、走り方がよく分からないのだ。
周りの車を見ながら、ナビ様(?)の指示に従い、何とかホテルに着くことができた。

 

11日
給油無し
走行距離:258km

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中国地方ドライブ記-1-

2017年06月29日 | ドライブ

2017年6月9~15日

5月の四国に引続き、今回は瀬戸内海の対岸、中国地方を徘徊して来た。今回の目的は四国同様「一之宮」「秦氏」「源義経」は勿論だが、一番の目的は「第2回VWB8PASSATオフin中国エリア」に参加すること。今回も大阪の息子宅を経由して山口入りすることにした。

6月9~10日

9日の14:00過ぎに自宅を出て、前回同様中央道から名神高速と走り大阪を目指した。20:00頃大阪に着くと息子と夕飯を取り翌日の出発に備えた。

10日は朝5:00の出発予定していたが、結局4:00には出発してしまった。
この日の予定は、最終的に下関(山口県)を目指す。しかし、その途中に2箇所「一之宮」があるため寄り道をしながら行くことになる。一之宮での時間によって、「源義経」「秦氏」ゆかりの地も廻るつもりである。

息子宅から中国吹田ICを目指し、そこから中国道、山陽道と進んだ。

山口県の防府東ICで山陽道を降りR2を行くと、最初の目的地「玉祖神社(たまのおやじんじゃ)」に着く。ここは周防国(すおうのくに)一之宮でそこそこの大きさの神社だったが、その昔はもっと大きな敷地を持っていたのかも知れない。整備はしっかりされており、境内も綺麗に掃除されていた。やはり神主がいる所は手が行き届いていると言わざるを得ない。

玉祖神社」を後にすると、再びR2に戻り、次の「住吉神社(すみよしじんじゃ)」に向かった。この神社は長門国(ながとのくに)一之宮で現在の下関市(しものせきし)にある。防府(ほうふ)からR2をひたすら行っても(頭の良いナビの計算では)凡そ1時間の距離とのことだったため、山陽道を行く方法もあったが、敢えてR2を行くことにした。

防府~下関は山岳コースではないので、若干のアップダウンやカーブはあるが、ACC(アダプティブクルーズコントロール(前車速追従機能付))に活躍してもらう絶好の場面と言えた。因みに、東京都内の道では車が多過ぎてACCが使い難いが、この辺の交通量なら十分に使えるのである。
写真はR2走行中で、関東では滅多にお目にかからない「下関ナンバー」。思わず撮らせて頂いた。

約1時間で「住吉神社」に着いた。当社は先の「玉祖神社」よりも更に綺麗に整備されていた。神社の解説板によれば、本殿は国宝で拝殿は重要文化財とのことだった。また別の解説板によれば、この本殿は大内弘世による建立とされ、拝殿は中国地方の雄(ゆう)毛利元就(もうりもとなり)の建立としている。

境内には「御神霊樹」の「大楠」があり木の根元にある石碑に「武内大臣手植楠」と記されていた。特に解説はされていなかったようだが、武内大臣とは「武内宿禰(たけのうちのすくね)」と思われ、そのお手植えの楠と言うことだろうと思われる。ここでは武内宿禰の説明はリンクに譲るが、が相当古い木であるのは間違いないだろう。

住吉神社」の次は「源義経ゆかりの地」に向かった。下関と言えば源平合戦の地「壇ノ浦(だんのうら)」である。勿論壇ノ浦の合戦は海上で行なわれた訳だから、その近くの地が「壇ノ浦古戦場跡」となっている。
優秀な愛車のナビに、この「壇ノ浦古戦場跡」をセットすると早速指示に従って走り出した。暫く行くと道路標識に「門司」の字が見え、更には「この先料金所」の表示も見えて来た。料金所を通り過ぎるとそのままトンネルに入る。「壇ノ浦古戦場跡」はGoogle Mapで前もって調べたところでは地上、それも関門海峡傍の公園のような所のはずだった。
「有料のトンネル?」「それはあり得ないだろ!!」。しかし入ってしまった以上、後戻りはできない。トンネルの入り口には「関門トンネル」の字が大きく示されている。「やられた!!」。またしても我が愛車の優秀なナビにしてやられたのである。

トンネルを進んで行くと、山口県と福岡県の県境を通過することになる。県境直前のこと、ナビのアナウンスが流れた。「目的地に到着しました。これでルート案内を終了します。」。「トンネルの真ん中に誰が目的地を設定する!」。温厚な人間と自負する私も流石にこの時は愛車のダッシュボードを叩いていた。トンネルを抜けると、そこには門司の街が広がっていた。

道路標識に「関門海峡大橋」の文字が見えてきたため、標識に従って、帰りは橋を渡ることにした。わずか数分の九州だったが、九州はまたの機会に是非とも来ようと改めて決心したのだった。
何とか自力で(ナビの力を借りず)「壇ノ浦古戦場跡」に辿り着くとR9を挟んで反対側の駐車場に車を停めた。

この駐車場のすぐ横には「関門トンネル人道入口」があり、関門トンネルを歩いて渡る下関側の入口となっていた。

壇ノ浦古戦場跡」は「みもすそ川公園」の中にあり、直ぐ上には今走って来た「関門海峡大橋」が渡っていた。

公園の中央付近には、源義経平知盛の像が建てられ、その下にはNHK大河ドラマ「義経」出演者の手形が三つほど飾られていた。

またこの合戦で入水自殺したとされる安徳天皇の碑も置かれていた。

壇ノ浦古戦場跡」の横には幕末の長州藩が海峡を通る外国船に発砲したとされる加農(カノン)砲のレプリカが展示されていた。

壇ノ浦古戦場跡」を後にするとこの日最後の訪問地として、「土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム」を目指すことにした。この遺跡に行って見ようと考えたのは、ここに「秦氏」に関係する伝説が地元にあるとのことだからである。
県道258号からR191(北浦街道)を日本海沿いに北上すると、1時間ほどで着くことができた。

駐車場に車を置くと、そこには小高い丘がありその向こうに鉄筋の施設が建っていた。

小高い丘は遺跡で、鉄筋の施設はミュージアムと想像がついた。

ミュージアムの入口に書かれた開館時間が9:00~17:00とあり、時間があまりなかったことから入館を諦めた。遺跡も全体像やその解説は見ることができたが、遺跡内部を見ることはできなかった。

土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム」を出るとこの日宿泊予定の「HOTEL AZ 山口下関店」を目指すことにした。

ホテルはR2沿いにあり、遺跡から凡そ1時間で着くことができた。

 

9日
給油場所:大阪
給油時走行距離:499.3km
給油量:29.4L
燃費:17.0km/L

10日
給油場所:下関(山口県)
給油時走行距離:623.9km
給油量:35.0L
燃費:17.8km/L

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四国周遊ドライブ-4-

2017年06月06日 | ドライブ

2017年5月17日

ルート:八幡浜センチュリーホテルイトー-佐田岬-西瀬戸道(瀬戸内しまなみ海道)-大山祇神社-西瀬戸道(瀬戸内しまなみ海道)-山陽道-中国道-息子宅

四国最終日は朝7:00にホテルを出発した。目指すは”四国の尻尾(私はそう呼んでいる)”佐田岬半島、そして尻尾の先っちょの「佐田岬(さだみさき)」だ。
四国の前足「室戸岬(むろとみさき)」、後ろ足「足摺岬(あしずりみさき)」、そして尻尾「佐田岬」。これが昔から私のイメージとして定着している。佐田岬は昔から行って見たい所であり、九州と繋がっているフェリーにもいつか乗ってみたいと思っている。いって見れば、”今回最大の行って見たかった場所”と言えるかも知れない。
ホテル前を通る県道249号を松山方向に向かい、R197に入って佐田岬を目指す。流石に早朝から佐田岬を目指す車はそうは多くない。ACCオンで快調に走ることができた。

R197は半島の尾根を走るような感じで、高台からの景色が絶景だ。岬に向かって右手に瀬戸内海。左手に太平洋といっぺんに眺めることができる。私の知る限り、同じような眺めは伊豆半島付根の「伊豆スカイライン」から「芦ノ湖スカイライン」に繋がる辺りで、相模湾駿河湾が見えるこの一箇所だけである。

R197を3/4ほど進むと、フェリー乗場がある三崎港に着く。ここが上に書いた九州大分の佐賀関(さがのせき)と繋がる「国道九四フェリー」の発着場所である。フェリーの名前からも察しが付くと思うが、R197の海上部分を繋いでいるのがこのフェリーと言うことらしい。
思わずここから九州に渡ってしまおうか?とも考えたりしたが、よくよく考えると今回は衝動に負けないことがベストと言う結論に達し、次回のチャンスにまわすことにした。
R197はこの三崎港から九州に渡ってしまうため、佐田岬に繋がる道は県道256号となった。県道と国道の違いか、三崎港から先は道路の整備の仕方が明らかに変わった。少し先に行くとアップダウンがきつくなり、カーブもきつくなり、道幅も狭くなったのである。挙句の果てには、賢いナビが本領を発揮してくれて、軽自動車1台がやっとではないかと言う細道を通れと指示して来た。必死になってその道を通り抜けると、出た道は綺麗に整備された対面通行の道で、今必死に通って来た道のバイパスになっていたのである。踏んだり蹴ったりの仕打ちにもめげず、更に先へ進むと、やがて佐田岬灯台駐車場の表示が見えて来た。道はそこで終わり、灯台までは山道を徒歩で行くことになっていた。ホテルからこの岬までグーグルマップの計算では1時間13分となっていたが、途中で休憩やら撮影やらで道草を食った関係もあり、到着は9:00近くだった。

駐車場で会った、山口からキャンピングカーでやって来たという男性に聞いたところ、「灯台までは2kmほどの山道を行かなければならないらしい」と聞いた話を教えてくれた。”2kmの山道”というキーワードに、私は即「灯台却下」の決断を下すと次の目的地「伊予国一之宮 大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)」に向かうことにした。

今朝出て来た八幡浜までは往きと同じルートを戻らなくてはならない。八幡浜から先はR378を進み松山手前でR56に合流。松山市内を抜けると、R317で今治ICまで行き、今治ICからしまなみ海道で大三島ICへ。そして「大山祇神社」というルートを取った。

R317が通っている途中の海岸線は、瀬戸内の海が最高に綺麗だった。このルートは是非もう1度走りたいルートである。

今治ICから入ったしまなみ海道(西瀬戸自動車道も、私としては1度走って見たかった道路だった。瀬戸内の島々を繋いだこのルートは、所謂”高速道路”とは異なり、恐らく瀬戸内の島々を中国・四国と繋ぐことが最大の目的で造られたもので、決して速度を出せる造りにはなっていない。しかし、それ故に瀬戸内海の景色を楽しむことができる。
大三島ICから一般道を10分ほど走ると「大山祇神社」に到着した。どうも今回の四国ドライブは、少々駐車場に苦労するようで、「大山祇神社」の駐車場も場所は直ぐに分かったのだが、満杯状態で1台空きを待っている状況だった。凡そ20分ほどでようやく順番が回って来て駐車することができたので、早速境内に向かった。

参道入り口の鳥居から参道の両側には、屋台が並んでいた。恐らくこの日は神社の祭りだったのかも知れない。

神社の境内に入ると、中は綺麗に整備されていた。1段高い所に拝殿、本殿とあり、如何にも伊予国一之宮と思わせる出で立ちだった。

神社を出て駐車場に戻ると、いよいよ帰路に就くことになる。当初は一気に東京の自宅まで走ることも考えたが、無理をせず大阪の息子宅に寄り、ゆっくり寝た後東京に向かうことにした。
大三島ICからしまなみ海道に入り福山西から山陽道に合流する。更に神戸JCTから中国道に合流し、中国吹田ICから息子宅に向かった。
息子宅には夕方6:00頃着くことができた。

<5月17日>給油場所:松山
給油時走行距離:693.3km、給油量:39.5L、燃費:17.6km/L


5月18日(木)

ルート:息子宅-京都(河原町)-R1-(ナビ活躍)-R21-大垣IC-小牧JCT-八王子IC-自宅

嫁様のリクエストにより、京都の錦市場(にしきいちば)で買い物を済ませた後、帰路に就いた。この日は名神高速のリフレッシュ工事で、栗東IC-小牧ICが片側通行になっていたことから名神高速の渋滞が予想された。勿論新名神経由も考えられたが、こちらは亀山JCTでの渋滞が想定された。そんなこんなで中央道土岐ICまで下道を行くことにした。
京都から土岐(岐阜県)までの下道ルートは私も知らない。少々おバカでも、ここはナビ君に頑張ってもらうしかなかった。10:00過ぎに錦市場を出発すると、京都五条(R1)から滋賀県の大津へ向かうR1を走り出した。恐らく草津(滋賀県)付近からR8に入るコースを取るだろうと予測していたところ、突如ナビ君が張り切り出したのである。大津手前でR1を離れると琵琶湖畔に向かい、琵琶湖大橋を渡ると更に裏道を指示しだした。最終的に竜王(滋賀県)の辺りでR8に出て米原(滋賀県)付近でR21に折れた。関ケ原を越え、大垣付近に出た時、並走する名神高速を走る車の状況が見えた。これなら名神に入っても問題ないだろうと判断し、急遽大垣ICを目指した。
大垣ICから名神高速に入ると、間もなく渋滞が始まり、完全にストップしてしまった。それから停止、微動を繰返し、やがてこの渋滞が工事によるものではなく、事故によるものだと分かった。事故はまだ起こったばかりのようで、警察も救急も来ていない状態の中、微動の流れに乗って現場を通り過ぎたのだった。事故現場を通り過ぎた所から流れはスムーズになり、あっという間に小牧JCTから中央道に入ってしまった。
中央道ではACCが活躍し、快適にクルージングすることができた。途中何度か休憩を取り、自宅には7:00pm頃到着することができた。

<5月18日>給油場所:岐阜
給油時走行距離:526.5km、給油量:30.0L、燃費:17.6km/L

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四国周遊ドライブ-3-

2017年06月05日 | ドライブ

2017年5月16日

ルート:サザンシティホテル-土佐神社-虚空蔵山-R56-足摺岬-R321-R56-八幡浜センチュリーホテルイトー

四国3日目の最初は土佐国一之宮「土佐神社に向かう。
ホテルで朝食をとると、すぐに「土佐神社」に向けてホテルの前を走るR55に出た。R55からR32、R195、県道251号と進み約15分で神社付近に到着した。しかし、ここで毎度のことだが、駐車場が見つからない。神社は県道251号と同384号の交差点に鳥居がありそこと分かった。仕方なく近くのパーキングに突っ込むと、停車していたタクシーの運転手さんに土佐神社の駐車場を聞いた。すると驚いたことに、鳥居の脇の道を進んでいけば神社の駐車場に行き当たるとのこと。確かに先ほど鳥居の所の交差点で、何台かの車がその道から出て来るのを見かけたが、とても対面通行とは思えない、車1台がやっと通れるほどの道だったのだ。タクシー運転手さんの言葉に従い、鳥居横の細い道に入ることにした。ラッキーなことに対向車は来ていなかった。200mほど進むと右手に駐車場が見えて来た。思いの外広い駐車場に、またまた驚かされたものだ。

駐車場に車を置くと、早速神社に入ることにした。流石に土佐国一之宮だけあり、境内は広く、

摂社、末社も6つほど祭られていた。

本殿脇には「輪抜け祓所」と言うのがあり、その説明書きには「輪をくぐることにより心身が清められ、大木の長寿やたくましさを授かる御神徳がございます。」と書かれていたため、四国ドライブの安全を祈願して輪をくぐることにした。さてご利益はあったのだろうか?

次に「秦氏ゆかりの地」として「虚空蔵山(こくぞうさん)」を目指した。
その前に、「虚空蔵山」と「秦氏(はたし、はだし、はだうじ等の読みがある)」の関係、即ち伝説について概説しておきたい。ネット情報によれば、(しん)の始皇帝(しこうてい)の命により、東海(東の海)の蓬莱山にあるという不老不死の薬を手に入れるためやって来た徐福(秦氏のリーダー?)一行が嵐に遭い、土佐の宇佐に漂着し、「虚空蔵山」に登ったというのである。
この「虚空蔵山」に行くには、と言うか、この神社を出るには先ほど通った1台しか通れない200mほどの道を行かなければならない。少しドキドキしながら何とか対向車と出会うことなく交差点まで出ると、信号に従って県道384号に出た。その後R56、R33と進み約1時間強で山の頂上付近に着くことができた。

山に行く前から少し予感はしていたが、山に行っても特に徐福秦氏に関係する石碑や祠(ほこら)など発見することはできなかった。山頂付近には、「虚空蔵山わんぱく広場」や「虚空蔵山観光農園フルーツランド」などの表示があるだけだったのだ。仕方なく山を下ると、

頂上から見えた里の集落を目指し、山の全景を見てみることにした。山は”古墳”を思わせるようななだらかな稜線を描いていた。

虚空蔵山」を後にすると「足摺岬(あしずりみさき)」を目指すことにした。
R494からR56を進み、四万十川を渡ってR321で土佐清水に向かう。

四万十川河岸を走るところでは、四万十川をチャンとカメラに納めたいと思ったが、旨く車を止める場所が見つからず、路肩に数秒の停車をして写真を撮った。土佐清水市役所手前で県道27号に入り海岸線を走ると、更に県道27号で足摺岬の駐車場に着く。凡そ3時間の道程だった。

駐車場は平日にもかかわらず県外ナンバーの車が沢山停められていて満車状態だったが、運良く出発する車があり直ぐに駐車することができた。

駐車場のすぐ隣には銅像があり、高知の英雄「坂本龍馬」の像か?と思いきや「中浜万次郎(通称 ジョン万次郎)」の像だった。像の説明書きには「この足摺岬にほど近い中ノ浜の貧しい漁夫の次男に生まれた。」と書かれていた。「なるほど、それでこの岬に像が建てられたのか」と納得したものである。

その他、駐車場近くにはお遍路さんがお参りする第38番札所の「足摺山 金剛福寺(こんごうふくじ)」があった。中を覗いて見ると、その派手(?)な境内にはチョット違和感を感じてしまった。

駐車場に戻り時計を見ると、13:00を少し回った所だった。当初の予定では、この日の宿泊を土佐清水付近でする予定だったが、この時間ならまだ先に進める。早速更なる移動を決め、今夜の宿泊先を検討することにした。
最初に候補地として考えたのは愛媛県宇和島市(うわじまし)だったが、宿泊先を検索すると隣の八幡浜市(やわたはまし)のホテルが出て来た。明日の1番目の行先に「佐田岬(さだみさき)」を考えているため、宇和島より八幡浜の方がより近い。そこで八幡浜の「八幡浜センチュリーホテルイトー」に宿泊予約をすると、賢い(?)愛車のナビにセットして直ぐに移動を開始した。

県道27号からR321に入り暫く行くと宿毛(すくも)の街の手前に「道の駅すくも」があった。

ここで休憩を取ることに決めパーキングに駐車すると、丁度目に入ったすぐ横に広がる宿毛の入江を見に行った。宿毛を出発するとR321を進んで宿毛の街からR56に入った。宇和島で県道25号に折れると約3時間強でホテルに着くことができた。このホテルの駐車場が少々特殊な作り(要は狭いため、駐車場に入るとホテルが詰めて駐車するように移動させる)になっており、しかもホテルの脇の道が一方通行の出口になっているなど、少々判断に迷うシチュエーションになっていた。近所で何とか方向転換したりしてホテルの駐車場に突っ込むと、後ろについて来た車2台も私に続いて入って来た。後ろの車も入り方に困ってホテルの先の方でUターンして来たようだった。

チェックインする時に翌日の出発予定時刻を聞かれ、「7:00頃」と答えて部屋に向かった。部屋はセミダブルベッドのツイン仕様になっていた。確かに部屋は相当くたびれた状況ではあったが、この広さで素泊り6,500円弱(シングルユース)なら納得の料金と思った次第である。後で分かったことだが、チェックインの時に出発時間を確認されたのは、時間の早い順番に車を駐車場の出口近くに置くためだったのである。

<5月16日>給油なし

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四国周遊ドライブ-2-

2017年06月01日 | ドライブ

2017年5月15日

ルート:徳島グランヴィリオホテル-神明神社-旗山-R55-室戸岬-サザンシティホテル

この日の大まかな予定は、徳島を出て高知入りすることである。
取り敢えず徳島の「一之宮」は前日に行ってしまったので、この日は「秦氏」関係と「義経」関係を徳島でこなしてから室戸岬を目指す。

朝7:30頃ホテルを出ると、第一の目的地「磐境神明神社(いわさかしんめいじんじゃ)」 を目指すことにした。この神社はネット情報によれば、古代渡来人「秦氏」ゆかりの地とされていた。また、古代ユダヤ人とも関係があるかも知れないと言われ、元駐日イスラエル大使のエンリ・コーヘン氏も見学に来たとされている。

愛車のVW純正ナビはあまり賢くないため、前日ホテルでPCから登録しておいた目的地(磐境神明神社 他)をデザリングでダウンロードし、改めて目的地としてセットするという手間をかけなければならない。時間的、精神的に余裕のある時は、このような手間もある程度我慢できるが、余裕がない時は。。。その内大英断を下してしまうかも知れない予感が頭をスーっと過るのが怖い。

朝の通勤時間帯と言うこともあり、徳島の街を出るのに少々渋滞や混雑に巻き込まれたが、特に急ぐ旅でもなかったのでのんびりと渋滞、混雑に巻き込まれながら徐々に郊外へ出て行った。郊外に出れば流れはスムーズになりACCが威力を発揮するだろうと高を括っていたが、工程の半分以上はなかなかスムーズに流れない状況のままだった。
ルートは、県道15号-R192-R492とほぼ直線ルートだったが、R492は山間を走る道で、道幅が狭くなったり、カーブがきつかったり、正に山岳ルートだった。それでも1時間少々で最初の目的地「磐境神明神社」付近に到着した。
あまり賢くない愛車のナビは、山間の村のような所で案内を終了してしまったが、その辺に神社らしきものは見当たらず、またしても駐車場所を探し、村の入り口付近にある「白人神社」の駐車場に駐車させて頂くことにしたのだった。

そしてスマホで検索しながら付近を探し回った結果、偶然にも駐車した場所の直ぐ奥に古い狛犬を発見し、そこが神社の入り口と分かった。鳥居は壊れ、小高い丘を上る階段は、朝一発目からかなりハードな試練となった。しかし、ここを上らなければ、目指す神社に行き着かないとなれば上るしかない。

何度か階段の途中で休みながら何とか頂上まで上ると、広場のような所に石垣で作られたむき出しの祭壇のような場所があった。

謎の神社「磐境神明神社」を後にすると、次は「義経ゆかりの地」である「旗山」を目指した。
旗山」は源義経が率いる源氏の軍勢が摂津国(せっつのくに;大阪)を船出して阿波国(あわのくに;徳島)勝浦(現 徳島県小松島市)に上陸した際、この旗山に白旗(源氏の旗でもある)を掲げたとされている。

神社を出ると、もと来たR492-R192と戻り、R55を高知県方面に向かった。ナビ上の計算では1時間半ほどかかることになっていたが、既に通勤時間帯も終わり、最後のR55以外は非常にスムーズでR55も混んではいたが渋滞などはなかったため、ナビの計算より少し早めに走ることができた。

目指す「旗山」はR55から少し山側に入った所にあった。

小高い山(?)を上ると、頂上付近には義経の騎馬像があり、その脇には源氏を示す白旗が数本立てられていた。何れも最近の物と分かる新しいもので、古伝に従って最近建てられたものと想像された。
騎馬像のある所の隣には八幡神社があったが、ここも建物は近年建てられたものと分かるセメント造りの建物だった。特に説明らしきものは見つからなかったが、義経=源氏=八幡神社と考えれば、そこに八幡神社があるのは至極当然と想像された。

旗山」を終了し、次は「室戸岬(むろとみさき)」に向かうことにした。室戸岬は昔四国に遊びに来た時に行ったことのあるところで、久しぶりの訪問となる。
旗山」から「室戸岬」へのルートはR55を走れば自然に到着するが、頭のいい(?)ナビ様はそれではお気に召さなかったようで、当初R55を進んだが、途中から県道130号-県道24号と進み、美波町付近から再びR55に戻るコースをチョイスされたのだった。ま、冗談は別として、「最短距離」を選ぼうとするナビの習性(?)上仕方がないと言えば仕方がないことだった。このチョイスのお陰で、約2時間で室戸岬に付くことができた。

好天に恵まれたこの日の室戸の海は非常に綺麗だった。

ただ、太平洋が目の前まで迫っていて、足元は岩場となっているため、海に近付くことが難しかった。

丁度あった「弘法大師修行の地」とされる「御厨人窟(みくろど)」の前の

駐車場に車を止めると、付近を散策した。

さて、室戸岬散策が終わると、この日の宿泊場所を探さなければならない。いよいよ旨い場所がなければ、今回持参した布団を車内に敷いて、車中泊を決め込むことも可能だったが、できればそれは避けたかった。というのも、できるだけ室内でちゃんと寝て疲れを残さないようにしたかったからである。スマホでホテル検索を行った結果、高知市の隣の南国市にある「サザンシティホテル」と言う所が見つかった。
R55沿いで、高知市の少し手前に位置する所のため、車で行くには便利な立地になっていた。約1時間半でホテルに着くことができた。思ったより大きい敷地で、建物も高さはそれほどでもないが、横に大きさを感じた。駐車場はホテルの前に100台以上は停められる広さのスペースであり、ざっと見ると関西ナンバーの車が散見されたが、その中に南関東の車もあり、チョット驚かされた。

高知県を出る前に給油を行った。東京の自宅付近とガソリン代を比較するのは論外だが敢えて比較させてもらうと、四国全般が大凡5円から8円近く高目であった。思ったより高くはない印象である。

走行距離、燃費データは以下の通り。

<5月15日>給油場所:徳島(小松島)
給油時走行距離:525.9km、給油量:33.89L、燃費:15.5km/L

 

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四国周遊ドライブ-1-

2017年05月29日 | ドライブ

2017年5月12-17日

今回、私の人生で2度目の四国訪問となった。以前より2度目の四国訪問は考えていたが、具体的には何も計画していなかったのである。
ほとんど衝動的に家を出ると、愛車VW PASSATのハンドルを西に切った。

PCのルート検索では”新東名”、”新名神”を通り、”山陽道”から”明石海峡大橋(あかしかいきょうおおはし)”、”大鳴門橋(おおなるときょう)”経由で四国に入るルートが示される。確かに最短ルートとしては正しいのだが、このルートでは最初に徳島県に入ってしまい、一筆書きで四国1周はし難くなる。更には”明石海峡大橋”、”大鳴門橋”を通る「神戸淡路鳴門自動車道」は、以前の”瀬戸大橋”を通る「瀬戸中央自動車道」より料金的にも割高であることが判明した。
具体的には、
神戸・鳴門ルート(明石海峡大橋・大鳴門橋 経由):通常 5,610円、ETC 3,280円、ETC2.0 3,280円
児島・坂出ルート(瀬戸大橋 経由):同 3,650円、同 1,770円、同 1,770円

<例>
中国吹田IC-高松中央IC(神戸・鳴門ルート):同 9,090円、同 6,760円、同 6,760円
中国吹田IC-高松中央IC(児島・坂出ルート):同 7,700円、同 5,750円、同 5,750円

ということになる。更に上の例は平日のものだが、休日にすると、
中国吹田IC-高松中央IC(児島・坂出ルート):同 7,700円、同 4,670円、同 4,670円  (以上、2017年5月29日現在の金額)

ということになり、当然ながら休日の瀬戸大橋経由を選択するのがベストということになる。

自宅から圏央道を経由して東名高速に出た方が最短距離を選択することになるが、私はどうも東名高速があまり好きではないため、自宅に近い中央道に入ると、一路西国(さいごく)を目指したのだった。

 

5月12日(金)ー13日(土)

ルート:自宅ー八王子IC-中央道ー小牧JCT-名神高速ー栗東JCT-京滋BP-巨椋IC-息子宅

当初、四国までダイレクトに走ろうかとも考えたが、自分の体力を考えて大阪に住む息子宅で一休みして、翌日四国に入ることにした。

家を出たのは夜の10:00頃。八王子ICから中央道に入ると直ぐにACC(Adaptive Cruise Control/アダプティブ・クルーズ・コントロール)をセットし、DLA(ダイナミックライトアシスト)もセットすることにした。
この日は夜半から雨が降り出し、雨の夜間走行という悪条件のドライブになってしまったが、全く不安を感じる場面もなく快適に走ることができた。

さて、ここで少し説明をしておきたいのは、まず「ACC」についてである。ACCとはどんなものであるかについては上のリンクを参照願いたいが、実際使ってどうなのかについて少々レビューしたい。
VWの採用しているACCは先行車を電波で探知し、車間を一定に保つ方式である。スバルの「アイサイト」はステレオカメラ(複眼?)で先行車を認識しているという。VWのACCはVWのポリシーも反映されているのだろう、「車間」の取り方が日本の通常の車間よりも広く取るように設定されているように思う。多分・・・だが、自動停止をする場合に最低必要な距離が車間距離に反映されているのではないかと思われる。このため、高速道路走行中に、脇から何台も入り込まれる時が多々ある。致し方がないことだが、少々気分的にモヤモヤすることでもある。また、VWのACCの電波はどのように出され、それをどのように認識しているのか分からないが、前車の認識範囲がやや狭いように思われる。極端に表現すれば、自車の真ん前に前車がいないと認識しない・・・そんな印象がある。従って、きついカーブなどでは前車を見失うことがあり、この状態で突然渋滞などが始まると、非常に危険だということになる。以上のような点を理解していれば、非常にドライブは快適になる。
次に「DLA」についてである。これも上述のリンクを参照願いたいが、この機能はかなり優れものと言って良いだろう。初めてこの機能を試した時は、房総半島の館山道を走った時だった。この機能もそうだが、どのような機能なのかよく理解しないまま使用したこの時は、先行車の認識が甘いように感じられて、「使い物にならない」「日本の国情に合わない」と勝手に烙印を押してしまったものだが、その後この装置の複雑な動きが、「先行車がどの位の距離にいるか」「対向車はどうか」などによりかなりフレキシブルに行なわれていることが分かり、今回の使用では最後までDLAを使い続けることになった。DLAはフロントガラスの上部中央に設置されたカメラで先行車や対向車を認識して、ハイビームの照らし方を変更する。この変更の仕方は、なかなか楽しさを感じさせてくれるが、やはり完璧なものではなく、特に「夜間の雨」は誤動作の原因になるのかも知れないと思われた。それは、ある状況で先行車を認識できず、ハイビームを継続してしまったためやむなく手動でロービームにしたことが2回ほどあったからだ。しかし、全般的にはDLAは評価できる装置と感じた。

我が家から大阪の息子宅まで約7時間ほどかけて(途中2回ほど仮眠を取った)到着したが、睡眠不足は否めず、家に入ると息子の布団に潜り込んでしまった。

 

5月14日(日)

前日の雨が嘘のように早朝の大阪は眩しいばかりの朝日に包まれていた。朝5:00に息子宅を出ると、いよいよ四国を目指して走行を開始した。大阪の中央環状線(通称 中環;ちゅうかん)から中国吹田ICに入り、山陽道、瀬戸大橋と進んだ。途中、何箇所かでと遭遇したが、先にフォグランプのバルブを黄色バルブに交換していたため、その効果を実感することができた。
このフォグランプ黄色化(近年の車は、国産、外車を問わずフォグランプが白色化されているため、霧や雨、雪などの悪天候で本来の効果が出されていないと思われる)は、多分に私のポリシーとも言えるが、霧などの悪天候下で視界を確保するための絶対条件と言える。バルブ交換時、黄色が少々濃かったため一抹の不安を感じていた(暗過ぎるのでは?という不安)が、今回の霧中走行で”不安”は”自信”に変えられたのだった。

山陽道から瀬戸大橋に向かう頃から、天気は好天となり、朝日が眩しく感じられるようになった。瀬戸大橋から見える瀬戸内海の景色は正に絶景だった。予定していた訳ではないが、この絶景に誘われて橋の途中にある「与島(よしま)PA」に急遽入ることにした。ここは言わば関東で言うアクアラインの「海ほたる」と同じようなイメージで、橋を渡り切ることなくここで引き返すことも可能なように造られていた。

パーキングエリアに着くと、まだ朝早いせいか、止まっている車はほとんどなく閑散としていた。パーキングエリアの奥には、売店・食堂の入った建物があり、その同じ建物の端の屋上に展望台が設置されていた。

一方建物とは離れた所に小高い丘のような場所があり、そこにも展望場所が設置されていた。とにかく瀬戸内の海は、西も東も朝日に照らされてその色合いを鮮やかにしていた。
実は過去にこの瀬戸大橋を数回走っているはずなのだが、今回非常に新鮮な気分(まるで初めて走るような)で走ってしまったのである。

瀬戸大橋を渡り香川県に入ると、間もなくナビは高速出口を指示して来た。坂出ICである。
今回の四国ドライブの目的は、その景色を堪能することもさることながら私の別ブログで特集している1.「義経伝説を追う」こと。即ち「源義経ゆかりの地」を廻ること、2.「一之宮巡り」をすること。即ち全国にある「一の宮」を巡ること、3.「謎の氏族秦氏の地を巡る<工事中>」こと。即ち「全国に居住したとされる古代渡来人「秦氏」」ゆかりの地を巡ることである。(各特集は後日順次掲載の予定 5月現在)

ということで、この日の第1の目的地は讃岐国(さぬきのくに)一之宮の「田村神社」であった。田村神社は現在も活発に活動を行っているようで、境内も整備され、管理がしっかり行われているようであった。というのも、ご存知の方もいると思うが、一之宮とは名ばかりで、今は忘れ去られたような廃社のような状態の所も結構ある。「〇〇国一之宮」と言われる神社が、「(旧)国(くに)」の中に複数存在する場合、そういう所があり得るのである。

第2の目的地は「源義経ゆかりの地」ということで源平合戦の地「屋島」である。源平合戦の大きな戦場にはおよそ3つの場所がある。1つは現 兵庫県神戸市の須磨に当たる「一ノ谷」、1つはここ「屋島」、1つは現 山口県下関市の「壇ノ浦」である。
屋島の合戦では、義経率いる源氏は、摂津国(せっつのくに;現 大阪府)から船で阿波国(あわのくに;現 徳島県)勝浦に上陸し、陸路、讃岐国屋島へ攻め入った。平家は当然ながら源氏による海からの攻撃を想定していたため、正に寝耳に水で、源氏による奇襲もさることながら義経の活躍により散々のていで辛くも瀬戸内海に逃げることになった。
「屋島」はそういう場所であり、義経ゆかりの場所、品物などを見学したのだった。

屋島を後にすると、次は平家が立てた天皇「安徳(あんとく)天皇」の仮御所とされる「六萬寺(ろくまんじ)」(香川県高松市牟礼町)に行って見た。ナビの指示通り進んで行くと、ナビゲーションが終了しても車を置く場所が見つからず、寺の近所を行ったり来たりしてしまった。何とか寺の直ぐ脇に小さな駐車場を発見し、寺の脇の入り口から境内に入った。この日は安徳天皇のお祭り日とのことで、境内にはテントが張られ、祭りの準備が行われていた。祭りは午後1:00からということだったので、残念ながら祭りを見ることはできなかったが、本堂脇の厨(くり)の廊下に並べられた祭りの道具や着物などを見ることができた。

本堂の脇に小さな祠があり、

その脇に「安徳天皇生母徳子之碑」と書かれた石柱が建てられていた。安徳天皇の母、徳子は周知の通り平清盛の娘であり、源平合戦後、京都大原の寂光院(じゃっこういん)に隠棲して終わったことから、ここには安徳天皇ゆかりという意味で碑が作られたのだと思う。

六萬寺の次は、義経の愛人「静御前(しずかごぜん)」ゆかりの地「長尾寺(ながおじ)」である。

当寺には静御前が出家する際に剃髪し、その髪が埋められたのが剃髪塚となって保存されている。

また寺から数分歩いた所に「鼓淵」が、

更に数分の所に静の母「磯野禅尼之墓(いそのぜんにのはか)」とされる碑が残されている。

静御前ゆかりの地を後にすると、香川県から徳島県に移動することにした。R11を南に下るように進むと、徳島県鳴門市に入る。鳴門市を山の方に進み県道41号を行くと、やがて阿波国一之宮「大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)」に行き当たる。
ナビに従って走ったところ、県道41号を走ることになったのだが、この道が結構細くなったりカーブがきつかったり、楽しい山道を走ることができた。駐車場はかなり広く、更に駐車場の奥には神社の直ぐ近くに造られた別の駐車場があった。この神社も神主が常駐しているらしく、綺麗に整備され、清掃もきちんと行なわれていた。

大麻比古神社を終了し、次の神社「八倉比売神社(やくらひめじんじゃ)」を目指すことにした。神社の参道を真っすぐ出て行くとかなり楽な道が繋がっていることが分かった。一般道を少し走り、また山道を上ることになったが、今度は先の神社より山の中に入ることとなった。対向車が来るとすれ違うことができないような山道(それでも舗装はされていた)を小さな標識に従って上って行くと、やがて鳥居が見え、その脇にスペースがあったため、駐車させてもらうことにした。
神社は鳥居からかなりの数の石段を上ることになっていた。鬱蒼と茂った樹々が陽の光を遮っているためか、石段には苔が生え、気を付けないと滑りそうな所が各所にあった。何とか石段を上り切って、上の鳥居を潜ると綺麗に掃除された境内があり、本殿もこじんまりとはしていたが綺麗な建物があった。しかし、ここには神主が常駐している訳ではなさそうで、社務所は閉じられたままだった。

次に行ったのは「上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)」だ。前の八倉比売神社からこの神社までも道は一般道の県道21号を走ることになった。ただ、今回は先ほどよりきつい山道ではなく、比較的「里の道」状態だったため、精神的負荷は少なかった。

上一宮大粟神社も駐車場などは特になかったが、鳥居付近に何台かの車が止めてあったため、私も仲間に入れてもらうことにした。

鳥居から本殿まではまたもかなりの坂道とその上方に石段が造られていた。本日2度目の長い坂と石段に、正直、翌日の筋肉痛(年寄りは翌々日という話も・・・)が頭をよぎりながらも、本殿目指し鳥居を潜ったのだった。流石に上り出しの坂道は整地されはしていたものの、頻繁な整備は成されていないようで、草が其処此処に生えていた。後半部の石段は特筆することはなく、ただ上るのにきつかった。

何とか上り切って境内に立つと木造の古い本殿が目の前にあった。しかし人気はなく、神主も常駐している様子はなかった。
帰りは、通常もと来た道を戻るものだが、手すりなどもない階段と坂道を降りるのはチョット不安を覚えたため、脇道を探したところ、車でも登れそうな緩やかな舗装路を発見した。早速この道を降りたところ、何と参道入り口の鳥居の横に出たのだった。最初からこの道を選択すればよかった。。。と思ってしまったのは言うまでもない。

この日の最後に行ったのは「一宮神社(いちのみやじんじゃ)」であった。県道21号を徳島市方向に30分ほど進むと、やがて道の右側にその神社が現れた。ところが駐車場が見つからず、行ったり来たりを数度繰り返し車を止められそうな場所を探すが、なかなか見つからない。最終的にお遍路さん用に造られている駐車場に、そっと置かせてもらい、大急ぎで神社に行って来ることにした。
神社は木造の本殿で国指定の重要文化財だそうである。道の反対側にある大日寺四国八十八箇所霊場第十三番)には結構参拝客が来ていたが、こちらの神社には人影が見えなかった。

神社から車に戻ると、この日宿泊するホテルを探した。ネットで検索した結果、徳島県庁隣の「徳島グランヴィリオホテル」に宿泊することにした。JR徳島駅周辺の方が、やはり色々なホテルがあるのは分かっていたが、逆に駐車場に車を入れるのが面倒な可能性があり、周辺の道路もこみいっていることが考えられたため、敢えて駅傍を避けたのである。
一宮神社からホテルまで30分ほどで着くことができた。県庁隣という立地条件は、分かりやすい反面近所に飲食店が少ないというお約束のようなものがあり、ここもご多分に漏れてはいなかった。チェックインを済ますと部屋に入ったが、シングルとはいえ、十分過ぎる広さで少々驚いたものである。

さて今回のドライブでは、ほぼ毎回(高速、下道を問わず)ACCを使用することができた。一般道でも、街中と山道ではACCは使い難いが、少し郊外の平地に出ればそれは可能になる。あくまでこれは個人的な感想ではあるが、ドライブの疲れはACC使用で相当軽減されていると思われた。

走行距離、燃費データは以下の通りである。

<5月13日>給油場所:大阪
給油時走行距離:492.7km、給油量:28.1L、燃費:17.5km/L

<5月14日>給油せず。

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