夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

ジャマイカ・フェアウェル

2015年03月30日 | 音楽


どこのどなたか存じませぬが、遊びの世界に共感します。

「ヘタウマ」という言葉が使われたことがあった。
関西出身のデザイナーTちゃんが東京にいた頃、彼から力説されたものだ。

「上手くはないのだけれど味がある」くらいの意味合いだろうか。
でも本当に下手ではダメなのである。

一定レベルの水準を維持していながら上手くはない。
でもなんとなく見たい、聴いていたいような気にさせる、何かがある。

ボーカルは、おじさんのカラオケレベルかもしれない。
メロディが上がりきれない上に、途中から「ヤンヤンヤンヤンヤー」なんて始まる。

きっとウクレレとあまり上手ではないスティールギターを弾くのだろう。
「4Strings」というのだから、ウクレレ、スティール、ギター、ベースくらいをやるのかしら。

取り上げる曲が古き良き時代のヒット曲だ。
私とそんなに齢が変わらない人なんだろう。

映像をたくさんお持ちのようで感心する。
しかしお遊びが高じておふざけからおどろおどろしくなってしまう傾向にあるようだ。

ということはアメリカの人かなあ。

ここまでの情熱をかけてUPした映像アクセス数がたった100回にも満たない。
しかもこの音源をCDとして販売しているらしい。

「冗談も休憩休憩言って」は尾崎さんの口癖だった。

この馬鹿馬鹿しいまでの情熱と遊びの精神に日本のおじさんも共感するのだよ。






SURFER GIRL - Ukulele - BeachBoys cover by Frankie4Strings

JAMAICA FAREWELL - Ukulele - Harry Belafonte cover by Frankie4Strings

Scotch & Soda - Ukulele - Kingston Trio cover by Frankie4Strings

SLOOP JOHN B - Ukulele - Folk song - Beach Boys cover

SUMMER WIND - Ukulele - Frank Sinatra cover

サーファー・ガール 

2015年03月29日 | 音楽


最近になってビーチボーイズが気になるのは齢のせいだろうか。
世代の異なるIさんから「ビーチボーイズをやりましょう」と言われたのは昨年のことだった。

アメリカ西海岸でホームステイ体験のあるIさん、ビーチボーイズのサウンドが強く印象に残っているという。
カラッと晴れわたった空気と明るい太陽、海岸の光景がビーチボーイズにフィットしているのだろう。

あの当時「サーフィン・ミュージック」とか「ホットロッド・ミュージック」とか名前が付いていたが、それはレコード会社の販売戦略だったようだ。
サーフィン自体、それほどポピュラーではなかった時代だったという説もある。
ビーチボーイズでサーフィンをやっていたのはデニス・ウィルソンだけで、ブライアン・ウィルソンはやっていなかったという。

サーフィンがなんだかわからなかった私たちに何か素敵な世界を夢見させてくれたのがビーチボーイズだ。
「サーフィンUSA」「Hawaii 」などほとんどスタジオで制作されたであろうサウンドを聴いてみたこともない「サーフィン」の世界を感じた。

「サーファー・ガール」もそうした若者のロマンチックな感傷を盛り上げてくれる佳曲だ。

「フォー・フレッシュメン」や「ロネッツ」「フィル・スペクター」に心酔したブライアンが体を壊してまでスタジオワークに没頭した。
そうして出来上がったサウンドが明るい西海岸やハワイを思わせる爽やかなものだというギャップ。

「サーファー・ガール」を複数聴いてみると本家本元の滑らかさが見て取れる。
コーラスって「割り当てた譜面通りに歌えばそれでOK」ってものではないと思うのだ。

ひとかたまりのサウンドとなって人間性がふつふつと現れてくるような、そんなレベルにまで達したときに「OK」が出る。
考えすぎだろうか。




Surfer Girl - The Four Freshmen

BBS sing "Surfer Girl" live acoustic

The Beach Boys - Surfer Girl live 2012

The Beach Boys-Surfer Girl 1980

ダヒルサヨ

2015年03月26日 | 音楽


「フィリピン出身のミュージシャンはうまい人が多いね」という話題になった。

学生時代も終わりの頃、横浜の船の仕事をとってきたS君とK君他デッキの上で演奏をすることになった。
そこにフィリピン出身の浅黒くて精悍な印象の男性がいて、彼のビブラフォンとセッションすることになった。
打ち合わせも何もなくて二言三言話しただけで演奏が始まった。

ビブラフォンは我々が持ち込んだものだったか、彼のものだったか定かではないが、マレットの運び方が素早くて絶妙なタイミングで叩いていたことを覚えている。
これが初対面のミュージシャンとスリリングなセッションをする最初の経験だったかもしれない。

「ダヒルサヨ」はフィリピンの歌として知られている。
まだハワイアンバンドが盛んだった頃、好んで取り上げられた一曲だ。
「ビギン」と呼ばれたリズムで演奏されるこの曲のコード進行が良かった。

当時のダンスパーティ、社交ダンスでのリズムパターンをリクエストされることが多かった。
「ジルバを頼む」とか「次はマンボを」という調子だ。

壁の椅子に座っている彼女を立ち上がらせるために男性がリクエストしてくる。
学生ミュージシャンの我々は彼らの恋のためにレパートリーを次々と披露するわけだ。

社交ダンスはできないが、カラオケもネットもない時代、男女交際の良きツールだったのだろう。
ダンスホールという場が存在して、カップルがいつまでも踊り続ける。

そこでお相手を見つけるパターンもあったろうし、そのためにダンスの腕前を上げて人目を惹く。
ちょうど雄鶏が雌鳥の気を惹くために綺麗な羽を広げたり、踊るようなものかもしれない。 

フィリピンの人たちの音楽性が高いのは天性の陽気さとリズム感の良さかもしれない。
ポリネシア人のルーツがこの辺りだとする説に納得するのはここにある。

ネット・サーフィンをしていてこの曲「ダヒルサヨ」はナット・キング・コールが歌っていたことを知った。
大御所が歌って世界中に知られたのだろう。

いい曲だ。



Charlie Green - Dahil Sa'yo (TNO Honolulu Hawaii) HQ

Your Love Is Mine (Dahil Sa Iyo) - Jerry Vale

Charito - My one and only love

Charito - Never Can Say Good-Bye

Dahil sa Iyo - チャリート / マリア・エバ / ラモーナ(Vo)

黄昏のビギン

2015年03月25日 | 音楽


「黄昏のビギン」は中村八大さんの書かれた名曲だ。
しかしセルジオ・メンデスが出てきてボサノバ・アレンジをするとは思いもよらなかった。

ピアノトリオのバッキングが素晴らしい。
レコーディングの音質がいい。
これといったアレンジを施していないのでは、と思わせるようなアレンジがいい。

料理番組に出ていた彼女がこんなに歌うのかと驚いた。
住み慣れたハワイのなせる技なのか、と思ってしまう。

胸板の厚い人は、声が出るのだろう。
ジャズのボーカルスクールに通い発声をよくするため胸郭を拡げる練習をされていた方を思い出す。
あまりにも熱心にやりすぎて肋骨を折ってしまったという。
元気で活躍されているかしら。

ジャズの面白いのは、素材を自由に選択できるところにもあると思う。
原曲の骨格を失わず、変身させることができる。

門外漢にとっては「ジャズになるか」のハードルが高い。
「さらっと弾いてハワイを感じられるか」ということにも通ずる。

このプロモーションビデオを見て惹かれたのは、彼女の歌にハワイを感じたのか、セルジオ・メンデスの音にトロピカルを感じたのか。
香りのするような音楽をやらなくては。







Sumire - 黄昏のビギン

Japanese pop star Sumire on her local ties

スラックキーでディラン

2015年03月23日 | 音楽


「Slack-key Guitar」は、ハワイで生まれたギター奏法。
「E、A、D、G、B、E」と並ぶスタンダード・チューニングとは異なり、オープン・チューニングで弾く奏法だ。

1800年代、英国国王からハワイに贈られた牛3頭が繁殖して困ったカラカウア王はテキサス、メキシコあたりのカウボーイを招いた。
エスパニョーラがなまって「パニオラ」と呼ばれた彼らはギターを携えてきて故郷を懐かしんだのだろう。

やがて彼らが帰国して残されたギターはチューニングが緩んでいた。
スタンダードチューニングを知らないハワイアンたちは思い思いのチューニングを試してみてそれぞれの奏法を編み出した。

「EADGBE」と並ぶはずのチューニングを3本緩めれば「DGDGBD」ハワイでいう「タロパッチ」Tuneになる。
開放弦で弾いただけで「G」コードが出るし、5フレットをセーハすれば「C」コードが出る。
なによりコードダイヤグラムの制約から解放され、低音弦でベースランが、高音弦で自由な演奏が可能になる。

これを膝の上に乗せて「バー」でスライドしたら「スティール・ギター」になった。

このハワイの伝統的な奏法は、ファミリー内で受け継がれ門外不出とされたため広く知られていなかった。
ハワイでもギャビィ・パヒヌイのシングル盤「Hi'ilawe」が出てからハワイ全島に知れ渡ったようだ。

そしてギャビィ・パヒヌイのアルバム「Gabby」によってこのハワイの伝統文化が世界に発信される。
かの「Ry Cooder」が奥様のハワイ土産にもらったこのアルバムによって「ぶっとんだ」

その後ギャビィをサポートしたピータームーンや名作「Gabby Pahinui Hawaiian Band」によって「Slack-key Guitar」による「ダカイン・サウンド」は、同時進行した「ハワイアン・ルネサンス」とともに歴史に残ることになる。


「ジャラーン」と鳴ったギターサウンドが「Slack-key 」奏法によるものかどうか、はマニアでもわからないだろう。
ただ、ナチュラル・チューニングでは得られない音色が得られることと、異なるチューニングの複数のギターによるアンサンブルは計算できない音楽の世界を展開することはおわかりいただけるだろう。

先般、郷里の盟友F君と「Puff」をウクレレとギターでセッションした。
モダン・フォークと称されたあの時代のタイトなフォークソングを「ゆったりしたトロピカル・フレーバー」で表現してみたかった。

さて今年9月に「Slack-key Festival in Tokyo」が、東京大手町で開催されることになった。
長年ハワイ各島、米本土でのフェスを支えてきたミルトン・ローが、ご子息を含めたミュージシャンを引き連れて来日してくれる。

時間の流れは、残念ながら70年代に活躍したミュージシャンを見ることはできないかもしれない。
が、新しいミュージシャンの登場という世代交代を見せてくれるようだ。

来日予定のStephen氏「スラックキーでディランを演る」というアイデアを先にやられてしまった。
まあ、いいか。

こちとらリアルタイムでモダンフォークを見てきたんだ。
別物の「ディランをトロピカルで演る」アイデアをやろうではないか。
F君、O君。

ご期待あれ、じいじ世代の逆襲を。










"Forever Young", Sung By Stephen Inglis (Bob Dylan Cover)

"Like A Rolling Stone" Stephen Inglis With LT Smooth, Chris Lau And Patti Maxine (Bob Dylan Cover)

Koke?e - Perfomed by Dennis Kamakahi & Stephen Inglis

Pua Hone, Dennis Kamakahi and Stephen Inglis