社交ダンス奮闘記in岡山

「踊る喜び 踊れる幸せ」ダンス大好きな爺ィが綴る奮闘記

社交ダンス奮闘記in岡山 第二章 第140回

2018-02-18 09:47:21 | Weblog
羽生選手の金メダル獲得に、日本が沸いておりまする・・・
獲得した金メダルは、冬季オリンピックが開催されるようになってから、ちょうど1000個目になるそうな・・・
やはり持ってますわなぁ・・・
有言実行の結果には、ただただ頭が下がりまする・・・^0^
頭といえば、羽生選手がリバース回転してる時のスロー再生を見ると、頭が常に左を向いて、頭を身体が追いかけておりまする・・・
ダンスでもダンゴ等のフォーラウエイ・リバースを踊る際には、一歩目から、頭を左に向けて、頭先行で踊りますと身体もしぼれてぶれずに踊れます、頭の使い方は大事ですぞ・・・

この頃近くの神社が朝6時になると、鐘を突きだしました・・・
少し前なら、明け六つの頃ですなぁ・・・
爺ィは今使われている定時法より、昔の不定時法の方が好みですわ・・・
落語の時蕎麦という話で、九つとか八つ時とか言われるやつですわ・・・
二時間置きに時を表して、一刻(二時間)、半刻(一時間)、四半刻(三十分)という時間区分を用いていましたわ・・・
つまり、四半刻以下を表す単位は無かったという事ですわ・・・
つまり、二十分、十分、五分は存在しなかったという事ですわ・・・
爺ィみたいな呑気者には時間がゆったり流れてるみたいで好きなんじゃけどなぁ・・・^0^
それが唐突に、明治五年十一月九日に明治天皇の詔と、太政官の達しが出て、十二月三日を明治六年一月一日にすること、四年に一度の閏年を置くこと、不定時法からて定時法に変わること、旧暦から新暦へ歴の種類が替わる事が記されておりました・・・
つまり、今につながる開化の始まりですわ・・・-0-

あくせく時間に追われる時代の始まりともいえますわなぁ・・・-0-
せめて現役退いたなら、不定時法にしてくれんかなぁ・・・
なんて思う爺ィでおます・・・^0^





社交ダンス奮闘記in岡山 第二章 第139回

2018-02-08 08:34:35 | Weblog
爺ィが炬燵で惰眠をむさぼっておりましたら電話がおました・・・
いきなり、六文って今だといくらなんでィ?
せっかく続きをまってる同輩を待たせるんじゃね~わ・・・
年寄りは気が短いんじゃ・・・
と、ハッパを掛けられましたわ・・・^0^
確かに、気が短く、睡眠も短く、ついでにトイレも近く、長いのは、愚痴と説教というのが年寄りの定番と言われておりまする・・・
爺ィもその範疇に入ってるかもなぁ・・・-0-
イケン待たせてしもうた・・・

六文は今でいうと、約200円位でおます・・・
いまどきその値段で乗せてくれるなんて、良心的だわなぁ・・・
TDLやUFJの乗車料の高い事、高い事・・・
コホン・・今日はよう脱線するわ・・・あい、スマンm(-0-)m
えー地獄という概念は古くから有るらしいんですが、亡くなったら空の果て、海の彼方に行くという土着の宗教間、あるいは輸入した仏教の経典等ごちゃごちゃしてたのを一本化したのは、平安時代中期の「源信」がまとめた「往生要集」という本に行き着きまする・・・
いわば、地獄のガイドブックとも云うべきものですが、その後の時代では、空想、妄想が入り交り、地獄をおちょくりまくっておりまする・・・
例えば、平賀源内の「根南志具左」では、罪人増加による土地不足を嘆く男色の閻魔、梅園堂の「元禄太平記」では地獄にも色町がある・・・山東京伝の「奇事中洲話」では閻魔はボケて引退してしまう・・・
「お血脈」では免罪符の発行のせいで、地獄に人間がこなくなり、開店休業状態に追い込まれるなんてやりたい放題ですわ・・・-0-
もっとおちょくってる本も有りますが、書くのがはばかる内容なので、割愛・・・
地獄にはおどろおどろしい名前がついた場所が多々ありますが、
ほんらい日本の地獄の概念は、減罪する所と云われておりまする・・・
本質的には、救いの場で、きちんとお勤めして、浄土に行くなり、生まれ変わる準備をする場所なんですわ・・・
平賀源内等、嘘八百書きやがって・・・と、怒るご仁もいられますが、誰も行った事もなければ、帰ってきた方もいないので、嘘八百ときめつけるのもなぁ・・・-0-
ただ、嘘を付けばバチがあたると云いまする・・・
落語では、嘘をつく事を三味線を弾く、と云いますが、三味線は、バチでたたかれますわなぁ・・・
おあとがよろしいようで・・・^0^