25日~27日までで修論の勉強会とシェルターコンペの提出が一区切りつき(コンペは印刷でトラブり、提出は結局相方のかわしまくんに託してしまいましたが…)、27日朝からは二泊三日で立山黒部アルペンルートへいってきました。
長野側からルートに入り、黒部ダムへ。同行者の希望もあり、ずっと行きたかった場所でした。僕がその圧倒的な量感と美しい曲線に見とれる一方で、彼女には、それが溜め込むエネルギーの嵩(かさ)と建設に携わった労働者の手の数が心に迫ってきていたようです。観光放水として擬似的に放出される水は、噴出したそばから細かな粒子となって空気中に撒き散らされ、僕らのほほを湿らせます。湖畔を散策してからケーブルカーでさらに富山側へと進み、その夜は弥陀ヶ原の天望立山荘(吉阪隆正設計)に宿泊。“大胆な増築”の結果、建物全体が相似変形的に拡大されていましたが、窓の意匠の細やかさに新旧の違いが見てとれました。翌日は早朝から弥陀ヶ原、美女ヶ原、立山をそれぞれ散策し、アルペンルートを制覇。夜は富山地方鉄道の終着駅である宇奈月温泉へ。三日目は黒部渓谷鉄道のトロッコ電車で黒部川をさかのぼり、終点欅平から歩いて秘境名剣温泉で入浴。最後は富山から夜行バスで東京に帰ってきました。
山頂付近では標高的に雲の中なので天気はめまぐるしく変わったのですが、大観峰を抜けてからは天候に恵まれ、新緑→紅葉のちょうど中間くらいの景色がきれいでした。
弥陀ヶ原の湿地帯を源流とする黒部川の流れが、美女ヶ原の森をぬけ立山の称名の滝を経て宇奈月温泉まで流れ込むさまと、一方では、宇奈月ダムに始まり、徐々に川の流れをさかのぼれば『黒部の太陽』黒部第四ダムへといたる電源開発の歴史を、二泊三日かけて北から南から見てきたことになります。ダイナマイトで発破をかけて岩盤を粉砕し400万トンのコンクリートを流し込んだ圧倒的な人工物黒部ダムの轟音と、わずかな刺激でもすぐに崩れてしまうため人が触れることさえ許されない弥陀ヶ原の幻想的な餓鬼田の静寂が、共存するアルペンルート。その最下流には一泊五万円の高級温泉旅館があるかと思えば、その源泉をたどれば自分で勝手に川原を掘って入浴する秘境の露天岩風呂にまで至るという、黒部渓谷の温泉群。右へ左へ大きく揺り動かされながら、いろんな感情を揺さぶられた三日間でした。夏休みと紅葉シーズンの谷間だったせいか混雑もなく、中高年の団体さんや日帰り旅行者は訪れないような場所までゆっくり足を伸ばしたので、随所で“貸しきり状態”が発生し 堪能できました。
旅行中に思い出したのですが、昔僕の実家の裏には「わくたま」と呼ばれる水の湧き出る小さなつつみがあって、周りの家(といっても田舎だから数件ですが)はみんなそのあたりの地下水脈から湧き出る水で井戸を引いていたのです。小学校に上がる前の僕はよくそこでメダカやタニシを採ったりして遊んでいたのですが、中でもお気に入りの遊びは、水の湧き出るポイントを見つけることでした。砂を巻き上げないようにそっと水の中に入り砂底に目を凝らしていると、砂がわずかに動く場所があるのがわかります。そこを両手でそっと一掻きするとボコボコと水泡が上がりだし、砂が水とともに噴出して湧き上がる様子が見える、という遊びです。しばらくほっておくと噴き上がった砂がつもり、ポイントを再び隠してしまうのでした。いつしか、僕の村にも上下水道が通るようになり、わくたまからは水が湧かなくなり、僕もそんな秘密の遊びをするような年齢ではなくなっていました。今では、農業用水が湧き出すところだからといってわくたまをつぶすことに反対していた地域の長老的存在の方もすでに亡くなり、まもなく道路を延長する工事が始まるとのこと。黒部に、同行者の言葉を借りれば“エネルギーが生まれるところ”を訪ねて、僕も“生まれるところ”を夢中で探していたときのことを思い出したのでした。
なお、宇奈月温泉の料理屋「河鹿」の釜飯&おでんと、富山市内の割烹「つくし」の酒菜づくしが、格別に安くおいしかったことを感謝をこめて記しておきます。
そして酒は、二級酒「立山」(青ラベルの方)の冷(燗じゃなくて)と、宇奈月のドイツ風地ビール三種がおすすめです。 河鹿でたまたま隣り合った僕らに「立山」をおごってくれた某温泉旅館の営業さん、あらためて、ごちそうさまでした。
もしこれから黒部ダムを訪れる方がいましたら、ぜひ『プロジェクトX』第九集の「シリーズ黒四ダム 前編後編」を予習してから行ってくださいね☆
長野側からルートに入り、黒部ダムへ。同行者の希望もあり、ずっと行きたかった場所でした。僕がその圧倒的な量感と美しい曲線に見とれる一方で、彼女には、それが溜め込むエネルギーの嵩(かさ)と建設に携わった労働者の手の数が心に迫ってきていたようです。観光放水として擬似的に放出される水は、噴出したそばから細かな粒子となって空気中に撒き散らされ、僕らのほほを湿らせます。湖畔を散策してからケーブルカーでさらに富山側へと進み、その夜は弥陀ヶ原の天望立山荘(吉阪隆正設計)に宿泊。“大胆な増築”の結果、建物全体が相似変形的に拡大されていましたが、窓の意匠の細やかさに新旧の違いが見てとれました。翌日は早朝から弥陀ヶ原、美女ヶ原、立山をそれぞれ散策し、アルペンルートを制覇。夜は富山地方鉄道の終着駅である宇奈月温泉へ。三日目は黒部渓谷鉄道のトロッコ電車で黒部川をさかのぼり、終点欅平から歩いて秘境名剣温泉で入浴。最後は富山から夜行バスで東京に帰ってきました。
山頂付近では標高的に雲の中なので天気はめまぐるしく変わったのですが、大観峰を抜けてからは天候に恵まれ、新緑→紅葉のちょうど中間くらいの景色がきれいでした。
弥陀ヶ原の湿地帯を源流とする黒部川の流れが、美女ヶ原の森をぬけ立山の称名の滝を経て宇奈月温泉まで流れ込むさまと、一方では、宇奈月ダムに始まり、徐々に川の流れをさかのぼれば『黒部の太陽』黒部第四ダムへといたる電源開発の歴史を、二泊三日かけて北から南から見てきたことになります。ダイナマイトで発破をかけて岩盤を粉砕し400万トンのコンクリートを流し込んだ圧倒的な人工物黒部ダムの轟音と、わずかな刺激でもすぐに崩れてしまうため人が触れることさえ許されない弥陀ヶ原の幻想的な餓鬼田の静寂が、共存するアルペンルート。その最下流には一泊五万円の高級温泉旅館があるかと思えば、その源泉をたどれば自分で勝手に川原を掘って入浴する秘境の露天岩風呂にまで至るという、黒部渓谷の温泉群。右へ左へ大きく揺り動かされながら、いろんな感情を揺さぶられた三日間でした。夏休みと紅葉シーズンの谷間だったせいか混雑もなく、中高年の団体さんや日帰り旅行者は訪れないような場所までゆっくり足を伸ばしたので、随所で“貸しきり状態”が発生し 堪能できました。
旅行中に思い出したのですが、昔僕の実家の裏には「わくたま」と呼ばれる水の湧き出る小さなつつみがあって、周りの家(といっても田舎だから数件ですが)はみんなそのあたりの地下水脈から湧き出る水で井戸を引いていたのです。小学校に上がる前の僕はよくそこでメダカやタニシを採ったりして遊んでいたのですが、中でもお気に入りの遊びは、水の湧き出るポイントを見つけることでした。砂を巻き上げないようにそっと水の中に入り砂底に目を凝らしていると、砂がわずかに動く場所があるのがわかります。そこを両手でそっと一掻きするとボコボコと水泡が上がりだし、砂が水とともに噴出して湧き上がる様子が見える、という遊びです。しばらくほっておくと噴き上がった砂がつもり、ポイントを再び隠してしまうのでした。いつしか、僕の村にも上下水道が通るようになり、わくたまからは水が湧かなくなり、僕もそんな秘密の遊びをするような年齢ではなくなっていました。今では、農業用水が湧き出すところだからといってわくたまをつぶすことに反対していた地域の長老的存在の方もすでに亡くなり、まもなく道路を延長する工事が始まるとのこと。黒部に、同行者の言葉を借りれば“エネルギーが生まれるところ”を訪ねて、僕も“生まれるところ”を夢中で探していたときのことを思い出したのでした。
なお、宇奈月温泉の料理屋「河鹿」の釜飯&おでんと、富山市内の割烹「つくし」の酒菜づくしが、格別に安くおいしかったことを感謝をこめて記しておきます。
そして酒は、二級酒「立山」(青ラベルの方)の冷(燗じゃなくて)と、宇奈月のドイツ風地ビール三種がおすすめです。 河鹿でたまたま隣り合った僕らに「立山」をおごってくれた某温泉旅館の営業さん、あらためて、ごちそうさまでした。
もしこれから黒部ダムを訪れる方がいましたら、ぜひ『プロジェクトX』第九集の「シリーズ黒四ダム 前編後編」を予習してから行ってくださいね☆