ミュンヘンなんて、どこ吹く風

ミュンヘン工科大留学、ロンドンの設計事務所HCLA勤務を経て
群馬で建築設計に携わりつつ、京都で研究に励む日々の記録

立山黒部アルペンルート

2006-09-30 23:51:57 | 帰国・修論+αな日々
25日~27日までで修論の勉強会とシェルターコンペの提出が一区切りつき(コンペは印刷でトラブり、提出は結局相方のかわしまくんに託してしまいましたが…)、27日朝からは二泊三日で立山黒部アルペンルートへいってきました。

長野側からルートに入り、黒部ダムへ。同行者の希望もあり、ずっと行きたかった場所でした。僕がその圧倒的な量感と美しい曲線に見とれる一方で、彼女には、それが溜め込むエネルギーの嵩(かさ)と建設に携わった労働者の手の数が心に迫ってきていたようです。観光放水として擬似的に放出される水は、噴出したそばから細かな粒子となって空気中に撒き散らされ、僕らのほほを湿らせます。湖畔を散策してからケーブルカーでさらに富山側へと進み、その夜は弥陀ヶ原の天望立山荘(吉阪隆正設計)に宿泊。“大胆な増築”の結果、建物全体が相似変形的に拡大されていましたが、窓の意匠の細やかさに新旧の違いが見てとれました。翌日は早朝から弥陀ヶ原、美女ヶ原、立山をそれぞれ散策し、アルペンルートを制覇。夜は富山地方鉄道の終着駅である宇奈月温泉へ。三日目は黒部渓谷鉄道のトロッコ電車で黒部川をさかのぼり、終点欅平から歩いて秘境名剣温泉で入浴。最後は富山から夜行バスで東京に帰ってきました。

山頂付近では標高的に雲の中なので天気はめまぐるしく変わったのですが、大観峰を抜けてからは天候に恵まれ、新緑→紅葉のちょうど中間くらいの景色がきれいでした。

弥陀ヶ原の湿地帯を源流とする黒部川の流れが、美女ヶ原の森をぬけ立山の称名の滝を経て宇奈月温泉まで流れ込むさまと、一方では、宇奈月ダムに始まり、徐々に川の流れをさかのぼれば『黒部の太陽』黒部第四ダムへといたる電源開発の歴史を、二泊三日かけて北から南から見てきたことになります。ダイナマイトで発破をかけて岩盤を粉砕し400万トンのコンクリートを流し込んだ圧倒的な人工物黒部ダムの轟音と、わずかな刺激でもすぐに崩れてしまうため人が触れることさえ許されない弥陀ヶ原の幻想的な餓鬼田の静寂が、共存するアルペンルート。その最下流には一泊五万円の高級温泉旅館があるかと思えば、その源泉をたどれば自分で勝手に川原を掘って入浴する秘境の露天岩風呂にまで至るという、黒部渓谷の温泉群。右へ左へ大きく揺り動かされながら、いろんな感情を揺さぶられた三日間でした。夏休みと紅葉シーズンの谷間だったせいか混雑もなく、中高年の団体さんや日帰り旅行者は訪れないような場所までゆっくり足を伸ばしたので、随所で“貸しきり状態”が発生し 堪能できました。

旅行中に思い出したのですが、昔僕の実家の裏には「わくたま」と呼ばれる水の湧き出る小さなつつみがあって、周りの家(といっても田舎だから数件ですが)はみんなそのあたりの地下水脈から湧き出る水で井戸を引いていたのです。小学校に上がる前の僕はよくそこでメダカやタニシを採ったりして遊んでいたのですが、中でもお気に入りの遊びは、水の湧き出るポイントを見つけることでした。砂を巻き上げないようにそっと水の中に入り砂底に目を凝らしていると、砂がわずかに動く場所があるのがわかります。そこを両手でそっと一掻きするとボコボコと水泡が上がりだし、砂が水とともに噴出して湧き上がる様子が見える、という遊びです。しばらくほっておくと噴き上がった砂がつもり、ポイントを再び隠してしまうのでした。いつしか、僕の村にも上下水道が通るようになり、わくたまからは水が湧かなくなり、僕もそんな秘密の遊びをするような年齢ではなくなっていました。今では、農業用水が湧き出すところだからといってわくたまをつぶすことに反対していた地域の長老的存在の方もすでに亡くなり、まもなく道路を延長する工事が始まるとのこと。黒部に、同行者の言葉を借りれば“エネルギーが生まれるところ”を訪ねて、僕も“生まれるところ”を夢中で探していたときのことを思い出したのでした。

なお、宇奈月温泉の料理屋「河鹿」の釜飯&おでんと、富山市内の割烹「つくし」の酒菜づくしが、格別に安くおいしかったことを感謝をこめて記しておきます。

そして酒は、二級酒「立山」(青ラベルの方)の冷(燗じゃなくて)と、宇奈月のドイツ風地ビール三種がおすすめです。 河鹿でたまたま隣り合った僕らに「立山」をおごってくれた某温泉旅館の営業さん、あらためて、ごちそうさまでした。


もしこれから黒部ダムを訪れる方がいましたら、ぜひ『プロジェクトX』第九集の「シリーズ黒四ダム 前編後編」を予習してから行ってくださいね☆
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30

2006-09-24 12:17:54 | 帰国・修論+αな日々
23日
十時半に大学へ。MOKUBAの毛糸を“織り機”で織る。だんだん三人の息が合ってきて、二巻き50m分をあっという間に織り終わる。安い材料ではないので、いかにコストを抑えられるかも考えなければならない。そのあと池袋の東急ハンズで床材用の緩衝シートとライオンボードを買って大学に戻る。夕方からは修論エスキス用の資料づくり。夜はスーパーで野菜を買い込んで久しぶりに自炊。野菜スープ。

22日
先学期分の成績を反映した最新の単位修得状況がウェブにアップされているのを教えてもらいチェックしてみる。僕がこれまでに修得した単位は22単位で、今学期に修論と研究で取れる8単位と合わせれば晴れて卒業条件を満たすことに。先学期、岩にかじりついてもぎ取った6単位が大きかった。申請していた研修助成の応募用紙が届く。応募期間は来月から再来月にかけてで、研修先の受け入れ許可が無いと出願できない。つまり、それが研修先(就職先)決定のデッドラインに。
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押しの一手あるのみ

2006-09-22 04:08:03 | 帰国・修論+αな日々
25日に修論の自主勉強会第一回を開くので、基本的にはその準備をしている。

21日
夕方から日暮里の繊維街にタコ糸を買いに行って、そのあとピソコモドのモックアップ製作。三人で試行錯誤しながら、ようやく毛糸畳を織るための“織り機”ができる。縦糸を切り替えるのが難しかった。多少ヒントはあったものの、もはや発明である。11時過ぎに解散し、その後は無人の院生室で音楽聴きながら修論作業。

20日
午後からピソコモドのモックアップ製作。夜は、就職した友達を交えて久しぶりに呑む。学部時代によく一緒に遊んでいたメンバーだけど、こうやってまた集まるのは久しぶり(特に僕は)。神楽坂の隠れ家居酒屋からマックへハシゴして、まったり。お互いいろいろ変化しながらも、こうして続いている関係っていいなと思う。


先週メールをさせてもらったイギリスの建築家バーナードさんから返信が届いた。僕がロンドンでハイテックを学びたいという熱意は伝わったらしく、就職活動に協力してくださると。 ポートフォリオとCV、早くつくって各方面に送りまくってみよう。
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誕生日+壮行会+打上げ

2006-09-20 02:38:21 | 帰国・修論+αな日々
19日 
TOEFLの申し込みをする。会場は御茶ノ水。夜は桜木町の“チャイナレストラン”山陽で木の歩道橋コンペの打ち上げ。学年学科問わずお手伝いしてくれた方々を招いて感謝の宴。ちょっとでも減ると容赦なく注いでくる給仕さんにノセられ、どれくらい飲んだのか覚えていない。皆楽しんでくれたようでよかった。かわしまくんこばやしさん僕の三人の間では、まじめな話も少々。でも帰りの電車はグダグダ。

18日 
携帯電話の調子が修理に出してもどうにもよくないのであきらめて機種変更した。
夜はかわしまくんのコンペの“様子を見る”つもりが結局朝まで付き合うことに笑

17日
今日はAUSMIPでドイツに留学する後輩たちの壮行会の日。企画側の我々は昼前に表参道に集合して、キディランドや東急ハンズを回りながら彼らへのプレゼントを選ぶ。ついでに紀伊國屋跡地でやっている「白の一週間」というインスタレーションを覗く。更地にした上に、砕いた白い大理石が敷き詰められている。それが、というよりそこがぽっかり明いたことで見えてくる周りの様子が気になる。三時からはbunkamuraでオペラ『フィガロの結婚』を観る。僕の高校の先輩が伯爵役を熱演。ちょっとしたところで面白い動きを入れちゃったりするサービス精神は前高生のサガなんだろうなあ。「伯爵とスザンナはかつて恋愛関係にあった」という演出上の新解釈はよくわからなかったけど、ストーリーがよくできてて、引き込まれた。 七時半に有楽町駅に集合し、バーデンバーデンにて三人の後輩たちを激励する。彼らの言葉の端々から留学生活に向けての高揚感が感じられてなんだかかわいい。プレゼントも料理も楽しんでもらえたようでよかった。僕らがドイツを訪れた際は、たっぷりお返ししてくれるらしい。三人仲良くがんばってくれればいいなと思う。なんだかうらやましいなあ!僕も来年の春からはまた…、と決意を新たにす。

16日
池袋をぶらぶらして、後輩たちへのプレゼントなど物色して廻る。

15日
僕の誕生日。楽しいひととき。大好物のオムライスを食べて、ケーキを食べて、ダスティン・ホフマンとミア・ファローの『ジョンとメリー』を観た。高校時代に観たときは登場する小物ばかり目が行って筋書きはうろ覚えだったのだけど。今回は。

14日
体調が戻ったので院生室で修論の作業再開。夜はレンタルビデオ店を廻る。探しているビデオがなかなか見つからず、結局渋谷のツタヤまで行ってしまった。
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一回休み

2006-09-14 00:58:14 | 帰国・修論+αな日々
体調がすぐれなかったので今日は一日部屋で寝てました。明日は復活予定。
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2006-09-12 23:25:40 | 帰国・修論+αな日々
朝までねばったものの気がつくと眠ってしまっていたらしく、昼過ぎに目が覚める。天気は断続的に雨。昨日までの真夏日がうそのように寒い。季節の変わり目。
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なすびのように貪欲に

2006-09-11 22:07:48 | 帰国・修論+αな日々
奨学金に応募するため書類をそろえる。教務課で成績証明書を請求し、保健センターで健康診断書を発行してもらい、すずきせんせいに推薦書を書いていただく。

せっかくなので先生に来春以降のことについて相談。大学間提携による交換留学よりも、政府給費留学生(研究)や在外研修員制度(就職)への応募を勧められる。

工学系研究科の国際交流課にも相談に行く。ロンドン大学との部局間提携は、研究者レベルでの話なので、学生の定期的な交流は行われていないらしい。でも東大として学生を先方に紹介することはできる、と。修士を出ない場合と出る場合の留学方法についてアドバイスをいただく。大学のホームページや、ブリティッシュカウンシル・JASSOの奨学金案内をみながら少し自分で考えて準備をしてみて、後日改めて1時間ほど時間をとってもらい作戦を練らせていただけることになった。

さっそく文化庁の在外研修員制度を調べてみるも、来年度分の募集は夏までで締め切られていた。院生室の先輩に相談して、別の手段を紹介してもらう。失うものなど何もない!さっそく申請書類請求のため返信用封筒を添えて貪欲に投函。

9月の第三日曜日、ロンドンでは年に一度の大規模なオープンハウスが行われる。今年は9月17日で、フォスターのSwiss Reも公開されるらしい。今回も参加できないのは残念だけど、来年はいやというほど見れる予定だから別にいいのさ!

Open House London 2006 Guide


今夜は静かな院生室にこもり、たまっているRIBAの資料を読み進めようと思う。
“イギリス英語”の勉強にもなるかな?19世紀だからむしろ古語だったりして…
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停電の日/海の向こう

2006-09-11 02:03:08 | 帰国・修論+αな日々
工学部一号館が点検のため昼過ぎから停電。今日のような真夏日に空調の効かない院生室は無理なので、以前友達にもらったチケットで池袋に映画を観にいく。

夕方院生室に戻ると、他研の先輩が荷造りをしている。明日から研究調査のためパリに行き、そのまま留学生活に入るのでしばらく帰らないとのこと。あまり話したことはなかったけど、修論発表会の後に「君の発表を聞いて、久しぶりに建築って楽しいなと思えたよ」なんて言葉をかけてくれた方なので、なんだか寂しい。

研究室の先輩が「環境」をテーマにした懸賞論文に応募するらしく、昨日から助太刀を要請されていたので、夜はその方と二人で1200字を練る。1800字から600字削るのがつらい。以前書いておいた文章が使えそうな気がしたので、僕もそれを使って別に応募することに。今日の消印を得るため、本郷郵便局に持ち込む。

その先輩からイギリスの建築家さんを紹介していただけることになった。その方はもうおじいちゃんで、屋敷を一部貸し出して若い芸術家のパトロンのようなことをしているらしい。その先輩も研究で渡英する際はお世話になっているとのこと。

帰り際、事務室前の掲示板で奨学金情報をチェック。研究のための海外渡航や長期留学を支援してくれる団体が複数存在することがわかった。応募の締め切りはいずれも今月から来月にかけて。まずはこれらに応募することから始めてみよう。
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日本建築学会大会その2

2006-09-10 04:01:07 | 帰国・修論+αな日々
今日も学会大会に参加。全部門制覇を目指して少しずつ覗いてみることに。構造系や環境系は会場全体で論の前提が共有されているらしく、質疑応答も内容まで突っ込んだものが多かったが、「作家論・作品論」のセッションなどは「研究論文の体をなしていないのではないか、結局論者の個人的体験に過ぎないのではないか」といった元も子もない“質問”が目立った。計画系、材料系、構法系、環境系、歴史・意匠系、都市計画系とつまみ食いして回ったが、発表というより義務的な報告にとどまっているものは面白くなかった。印象として、材料系のプレゼンテーションからは“多くの人に伝えたい”との誠意を最も感じた。最後にまた構法系に戻り「海外建築・宇宙建築」のセッションを傍聴。海外とはこの場合中国・ASEANを差す。宇宙建築は、宇宙開発技術の地上建築への適用可能性を論じた友達の発表の、そのつづきが気になった。参加してみてわかったのは、似たような名前のセッションが部門をまたいで存在していたりするけれど、だからこそ発表する場を選ぶことが重要らしいということ。場違いな発表をしている人は傍聴席からの反応も芳しくなかった。どんな人に聞いてもらえばもっとも効果的な反応を得られるか。来年は自分も発表者の側に回りたい。帰りはせっかくなので横浜に寄り道して、大桟橋で芝生に寝転んでごろごろしたり、中華街で豚まんをほおばったりした。

帰りの電車の中で、ここ数日読んでいた『砂の女』を読み終わる。もともとは借りた本だったのだけど、途中でこれは所有すべき本だと気づいて自分で購入した。主人公の男が女の家にとどまるという結末は予想できていたのだけど、終盤の脱走劇の際に自ら引き返すオチかと思っていた僕の読みは浅はかであった。男の求めていた自由とはなんだったのか、答えは冒頭の題辞にそのまま示されていたのである。謎解きとして純粋に引き込まれたし、洒落た日本語の言い回しに何度もうならされ、読み終わったとき無性に幸福感に包まれた。狭い電車の中とはいえ、ここまで耽溺できたのは久しぶりだった。そんな読後感のまま巻末の阿部公房作品リストを必死に目で追っていたら、車内アナウンスが東京駅への到着を告げた。

メーリングリストにまわした勉強会へのお誘いメールに先輩からも返事をいただく。毎週切磋琢磨し続ければ、よい修士論文が書けるでしょう、と。 え、毎週!?
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イギリス、イギリス

2006-09-08 23:33:46 | 帰国・修論+αな日々
去年もやっていたらしいのだけど、修士論文に向けてペースメーカー的な勉強会を自主的に開くことにした。助手の横手さんに時間のある日を教えてもらって、日程調整のためにさっそく鈴木研のメーリングリストにお誘いのメールを流してみる。

今日も図書室で資料収集。RIBA年報の19世紀分をカートでまとめ借り。資料保護のため、コピー機にかけるのはやめてデジカメ撮影に切り替えている。年報の扉には「王立英国建築家協会」の文字の下に「○○王何世の治世何年目」と書かれていて、その裏には毎回「王立協会構成員の利用のため、および、大英帝国全体と諸外国の関係団体、公的図書館、教育機関の利用のために、1750部が印刷されました」と記してある。肩書き“東大教授”のジョサイア・コンドルが日本の建築界をレポートしていたり、当時の学生が描いたと思しき和装の女性?の落書きがあったり、脱線するのも面白い。ページをめくっていると、手やシャツが茶色く汚れてくるし、鼻がむずむずするし、なぜか落花生の殻のにおいがするけれど。

トルコについて研究されている同じ修士二年の方(一年トルコに留学されていたのでひとつ先輩)は、来週から一ヶ月間、調査のためトルコに行ってくるらしい。

夜、ファミマの前でたまたま高校時代の同級生と会う。機械系の彼はすでに企業の技術開発部門に就職が決まっているらしい。僕は「まだ迷っている」と答える。

というわけで、修士課程は卒業するとして、来春からの留学について真剣に考えてみることにした。東大はイギリスの大学とは提携していないと思い込んでいたのだけど、ロンドン大学のUCL校と「部局間提携」(どんな提携?)していることがわかった。ロンドンに留学できれば、イギリス建築の研究を続けられるし、ロンドンの設計事務所にももぐりこみやすい(と思う。希望的観測だけど)。ただ学費はものすごく高いので、よい奨学金を見つけなければとても通えなそう。TOEFLってやつも受けなくてはならないし…。JDN/ロンドン建築留学記というサイトをみつけた。そこのQ&Aによれば、願書は前年11月から当年6月までの間に送付するものらしく、3月に日本でまとめて面接試験が行われるようだ。まだ間に合いそうなので少し安心。ともかく、週があけたら教務課の国際交流室に相談しに行ってみよう。 それとも、またポートフォリオ片手に裸一貫ロンドンに乗り込むべきであろうか?
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