こんなのできた!

単調な生活に新発見を!  
日々の小さな出来事の写真日記

2010/09/30 柿くへば・・・

2010-09-30 20:22:06 | Weblog


一日中雨。
奈良市の最低~最高気温は、
15.6℃(07:26、9月下旬並み)~17.9℃(13:36、11月下旬並み)。

新聞・ネットのニュースは
○ 8月鉱工業生産速報 
 指数   94.5    (前回   94.8)
 前月比  - 0.3% (前回 - 0.2%)
 経産省は基調判断を「生産は横ばい傾向となっており、先行きについては
 弱含んでいる」に下方修正した。

午前中に買い物、「Iオン」と「Dソー」。


「Dソー」からの天理方面の山。
買った物は


Zライト用蛍光灯と


自転車のパンク修理用パッチラバー。
帰ってから


国勢調査調査票を書く。
一度、サンプルの調査票に書いたので数分で終った。


柿くへば・・・ 
正岡子規最後の旅。
 

     2010/09/29 撮影
この道は「筋違道」(すじかいみち※)。
位置は「聖徳太子が歩いた道」から約2km北へ進んだところ。
さらに歩くと「斑鳩の里」にたどり着く。

《柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺》 (正岡子規 ⑦-130)

正岡子規は明治28年(1895年)春喀血、夏まで神戸、須磨で療養生活をし
たあと、8月27日松山に帰郷した。松山では夏目漱石の下宿に同宿して
過ごし、さかんに句作した。
10月19日、子規は松山を出発、東京に戻る。

漱石への惜別句
《行く我にとどまる汝に秋二つ》 (正岡子規 ②-133) 
松山を故郷とする子規は東京へ、東京を故郷とする漱石は松山に留まる。

漱石は松山弁で送別句 
《御立ちやるか御立ちやれ新酒菊の花》 (夏目漱石 3-129、全集23-118)

子規は上京の途中、10月26日奈良に立ち寄り、奈良市街、西大寺、薬師
寺、唐招提寺、法隆寺、竜田川などを訪れた。この頃すでに脊推カリエスに
よる腰痛に苦しみ始めていたので、奈良の旅はその意味でも彼にとって思
い出深い旅となった。
「柿くへば・・・」はこの旅での句。

漱石「吾輩は猫である」発表の10年前のこと。

   ※筋違道: 飛鳥時代に南北を走る道が整備された。他に、飛鳥と法隆寺を
          真っ直ぐに結ぶ斜めの道が整備された。南北から約20度傾いて
          いるところから筋違道と呼ばれた。聖徳太子が行き来したとされる
          ことから、後に「太
子道」と呼ばれるようになった。