備忘録として

タイトルのまま

カルロ・ウルバニ医師

2011-07-02 21:03:26 | 東南アジア

 昨日、サイゴン河畔のホテルから空港に向かう道端で、Pasteur(パスツール)という看板のPharmacyを見つけ、さすが旧フランス領と感心していたら、通りの名前もPasteurだった。ベトナム語以外の道路名を見たことがないので、パスツールはよほどベトナムでは尊敬されているのだと思う。パスツールは狂犬病のワクチンを発明したと学校で教わった。ベトナムにはフランス系やアメリカ系の病院があり医療レベルは相当高いらしい。そこで思い出すのが、”SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome)”の危険性を最初に世界に警告したハノイの病院にいた医師カルロ・ウルバニのことである。SARSは感染後の致死率がきわめて高く2003年当時中国、香港、シンガポールなどで猛威をふるい、世界中で700人以上が死亡した。

 イタリア人のカルロ・ウルバニ(Calro Ulbani)は、WHO職員として2003年当時、寄生虫病研究のためハノイの病院にいた。2003年2月末、ウルバニ医師は中国からの旅の途中ハノイの病院に搬送された患者が、単なる肺炎でなく新種の感染病にかかっていて、飛沫感染するという危険性にいちはやく気付き、患者を隔離するとともに世界保健機構に警告を発した。これにより世界中に危険性が伝えられ、特にベトナムではウルバニ医師の指導の下、SARSは完全にコントロールされ大規模な流行を抑えることができた。中国と香港でそれぞれ300人前後、シンガポール、台湾、カナダで30~40人の死亡者が出たが、ベトナムでの死亡者数はわずかに5人で、それも最初の患者を診た病院の職員だけだったのである。ウルバニ医師は学会で訪れた出張先のバンコクでSARSを発症し、2月末に患者を診てからわずか1か月後に亡くなる。私より1歳若い1956年生まれで妻と3人の子供を残し46歳の生涯を閉じる。WHOの最高責任者は、“His life reminds us again of our true work in public health. Today, we should all pause for a moment and remember the life of this outstanding physician.”(医者の本当の仕事は人々の健康を守ることであることをウルバニ医師は教えてくれた。今日、我々はこの素晴らしい医者の生涯をじっくりかみしめなければならない。)という声明を出している。

http://www.who.int/mediacentre/news/notes/2003/np6/en/  

それは、司馬遼太郎が「洪庵のたいまつ」で紹介した緒方洪庵のことばとまったく同じなのである。

”医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分を捨てよ。そして人を救うことだけを考えよ。”

 2003年当時、私はシンガポールにいたが、SARS患者を扱う病院から逃げだす医者がいたり、保菌を疑われ自宅待機を命じられた人が市場に行ったといって周辺がパニックになったりしたことを思い出す。空港や公共の場だけでなく、それぞれの事務所でも出入りする人間に体温検査が義務付けられた。私の事務所もSARS患者のいる病院へ通っていた社員に対し他の社員が感染の危険性を危惧したため自宅待機させたり海外出張を取りやめたりした。シンガポールでは医師を含め30人以上が死亡しシンガポール中が一種のヒステリック状態に陥ったため、ウルバニ医師とはかけはなれた人間の本性が露わになる話が噴出したのである。

 話が重くなったので、ホーチミンのレストランで撮影した一枚を載せておく。優雅な音色の民族楽器で、民族曲に加え、”涙そうそう”を演奏してくれた。何度食べても、このレストランの生春巻は絶品である。


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