備忘録として

タイトルのまま

遍路

2007-05-27 22:50:24 | 徳島

二女の初月給で”寄り道お遍路”林道代著という本を贈られた。女性5人が2泊3日年2回のペースで四国八十八ヵ所を1番札所の霊山寺をかわぎりに、先々の観光地も含めた紀行文で、満願報告の高野山参りまでに7年半を要している。空海や仏教・信仰のこと、名所・旧跡・歴史のこと、読んだ本のこと、寺の姿形などを散りばめながら旅が進んでゆくのだが、そのうち坂東俘虜収容所、阿波の傾城鳴門、源氏物語、土佐日記、白峰寺の崇徳院と西行はこのブログでも取り上げている。梅原猛の仏教の授業を読んでから仏教や空海の真言密教の教義についていろいろ考えていたこともあって面白かった。
高丘親王の話はこの本で初めて知った。最近読んだ白洲正子の”明恵上人”は天竺に行くことを願いながら行かなかったのに、高丘親王は明恵上人より300年も前に唐から天竺を目指しながら、途上の羅越国(マレーシア・ジョホールバル)で死んだというではないか。衆生の救済に向かった法然、親鸞、日蓮や座禅で悟りを目指した道元や栄西を輩出した時代にあって、明恵上人は教義が漠然としいる上、天竺に行くと公言しながら行かなかったり、夢に生きると言われるような遁世的な生き方に何となく共感が持てなかったので、高丘親王の生き方は鮮烈に感じた。どうも白洲正子の数奇好みにはついていけないのだが3冊目の”隠れ里”にも手をだしている。私の認識不足かもしれないが白洲次郎は現実主義者で世俗にどっぷり浸かっていた人だったように思うのだが、正子は彼のことをどう思っていたのだろうか。
さて、お遍路の最後に筆者の空海論が述べられるのだが、筆者は空海が不老不死を望んだとかミイラになって仏になることを願ったということから、どうも空海が嫌いのようだ。それでも八十八か所を回ったのだからよくわからない。私の理解では空海の説く即身成仏とは、あるがままの体に仏が宿るということで、筆者は死んですぐに仏になる即身仏と勘違いしているのではないだろうか。空海の死にそれほどの意味はなく、真言密教の教義の理解がより重要だろう。司馬遼太郎と梅原猛はこの解釈の違いで絶交したと聞いたし、私が読んだお坊さんは梅原猛の解釈も間違っていると言っている。それほど真言密教は難解だということだ。
写真は空海が改修したという讃岐の満濃池である。今年5月12日に徳島の両親とシンガポールから一時帰国した長女と行った。満濃池周辺はきれいな公園になっている。帰りは高松の善し屋でお決まりの讃岐うどんを食べた。


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