よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

映画三昧ーシドニー・ポアティエ

2008年02月29日 | 映画
映画のアカデミー賞も近年は差別の壁が壊され、黒人俳優の賞取りが俄然多くなったのは喜ばしい事。賞の有無にかかわらず、人気俳優は多い。デンゼル・ワシントン、ハリ・ベリ、サミュエル・ジャクソン、キューバ・グディング、ウィル・スミス、モーガン・フリーマン、フォレスト・ウィテイカー等等。

しかし、シドニー・ポアティエほど、映画の世界と黒人俳優に大きなインパクトを与えた俳優は恐らくあるまい。

彼が活躍したのは、60~70年代という、アメリカが人種差別の鬩ぎあいの真っ只中なのである。

日本でも彼は大人気だった。彼の役を中心に白人の脇役にアメリカ白人社会の現実を語らせ、しかしこうあるべきではないかと迫る。「招かれざる客」では、スペンサー・トレイシーに 総論リベラル各論差別主義を演じさせる。「夜の大走査線」では差別の激しい南部で発生した殺人事件解決に黒人FBI捜査官を派遣、白人警官ロッド・シュタイガーに、世の中黒人でも優秀な奴はいるもんだと気づかせる。最後の駅での見送りのシーンは、「俺は黒人は嫌いだ、だがお前さんには負けたよ」とでも言っているような顔だ。

彼が黒人として初めてアカデミーを取った「野の百合」。修道尼達との心の交流を描いた地味な作品だが、観ているとジワっときてしまう。
もう一つ地味な作品だが、人種平等の精神を謳った有名な言葉からとった「Separate but Equal」というテレビ映画がある。アメリカ公民権運動史上、人種平等を法廷で勝ち取った、分岐点的な実話を題材としたもので、大御所バート・ランカスターも出ている。

この時代、シドニー・ポアティエという逸材を得て、次々と重いテーマを送り出したハリウッドもある意味では凄い。映画という特殊世界を牛耳っているユダヤ系アメリカ人だからこそ、出来る芸当なのだろう。

ポアティエは日本人には全く馴染みのないバハマと言う小さな国の出身である。そんな小さな国だから、日本に大使館など置けないのだが、彼は非常駐ではあるが、日本におけるバハマの正式大使である。

不思議な事

2008年02月26日 | いろいろ
世の中には、後で考えて不思議な事がある。と言っても、今テレビ等で話題のスピリチュアルの類ではない。あのスピリチュアル番組はどう考えてもインチキ臭い。いかにも透視しているかのような発言で、見ているものが驚き、感激している有様は滑稽だ。あの大センセイとやらを、街中に引っ張り出し、街行く人を対象に透視でもさせたらよい。まず当らぬ話だ。

さて、よし坊の不思議な話。

よし坊には妹と弟がいたのだが、学校を出てから30余年、三人が一堂に会したことは無かった。たまに二人の組み合わせでは会ったことはあるのだが。それぞれに家庭を持ち、ばらばらに住めばそんなものだろう。

3年前、妹が言いだしっぺで久しぶりによし坊の奈良の家で会うことになった。よし坊はアメリカから飛び、弟は東京から、そして妹は三重から。その日は一泊で、翌日駅の近くのレストランで昼飯を食べてお開きにした。レストランを出て、弟は駅へ、よし坊と妹は方角が違うのでその場で弟とは別れたが、暫く立ち話をした。私はそろそろ弟が駅前通に曲がるだろうかと気になって、顔を向けると、正に丁度遠くの角を曲がるところで、弟も一瞬こちらを見た。私も挨拶と言うか目と顔全体で挨拶を送った。弟も首を縦に振ったように見えた。実際には遠くて目等は見えないはずだが、その時は見えたような気がした。ほんの一瞬だった。この光景が妙に後まで残ったのだ。これが弟とは最後の「会話」となった。2週間後、妹から国際電話があった。脳溢血で死んだ、と。その瞬間、彼の目を思い出した。

妹は今でも会おうと呼びかけた事を悔いている。しかし、よし坊は良かったと思っている。あのチャンスが無かったら、彼とは生涯会わず仕舞いだったと思うから。我々が会わなかったとしても、彼はあの日から2週間後に人生を全うする事になってたと思う。ちと、48歳は若すぎた死だが。



Cold Case と ロス疑惑

2008年02月24日 | アメリカ通信
迷宮入り犯罪事件などの未解決事件をCold Caseというが、アメリカのテレビを観ていると、ドラマもドキュメンタリーも毎週あって面白い。

興味深いニュースが飛び込んできた。サイパンに入った例のロス疑惑の男が、待ち受けていたCold Case捜査班に逮捕され、ロスに移送されたらしい。恐らく好ましからぬ人物として米国の入管リストに登録されていたはずだから、入国後直ぐロスに連絡が行ったのだろう。この男、25年以上も前の事件、ロスで自分の嫁をヒットマンを雇い殺した罪で日本で裁判を受けたが、結局無罪放免となった人物である。

アメリカで殺人事件の犯人が20年後くらいに捕まることがたまにあるし、映画やテレビドラマやドキュメンタリーでも同じような題材をやっているので、当初は不思議に思っていた。日本だったら、時効がある。劇的だったのは、15年の時効直前につかまったフクダ某という女性が記憶に新しい。確か「顔」という映画にもなった。

アメリカにも時効はあるにはあるが、軽犯罪から2年刑相当の犯罪までのようである。重犯罪には時効など無いのである。だから、Cold Case捜査班が地獄の果てまで追いかける事になる。

時効があるのが良いのか無い方が良いのか。時効アリの考え方は、逃げる間も本人は苦しむはずだから、それを過ぎたら許す、ということか。しかし、苦しまない奴だっているはずだ。学者じゃないからよく分からないが、日本の法律は明治維新から始った近代化の過程で、当時はヨーロッパに影響されていたから、フランスとかドイツの法律を踏襲したのかもしれない。

時効に関してはアメリカのほうが極めてシンプルだ。罪を犯したら、裁判にかけるまでは終わらない、という思想である。

ロス事件は、当時から限りなく真っ黒な事件である。アメリカで言えば、裁判史上、黒人から見て「黒人の恥部」とまで言わせたO・J・シンプソン事件の黒さに似ている。ロスの捜査がどう進展するのか、極めて興味深い。

第2の黒船 おったまげジェロ

2008年02月22日 | アメリカ通信
日本にいる娘から、とんでもない演歌歌手がデビューしたとメールがあったので、早速インターネットで聴いてみた。

いや、たまげましたね。目をつぶって聴いていると、コテコテの日本人演歌歌手が堂々とこぶしを利かして歌っているとしか聞こえない。兎に角上手い。

1~2年前、リア・ディゾンという可愛いアメリカの女の子が日本で湧いたと思ったら、今度のジェロはその上を行く、まさに第二の黒船かもしれない。
時代と共に演歌が下降気味となり、氷川きよしの出現で、一息ついたが、オバちゃん達の追っかけはあるものの、若い世代は演歌離れ。
ここに若い世代大うけのヒップホップ系と思わせる黒人の演歌歌手出現となれば、若い世代の演歌に対する大ブレークは無くとも、中ブレークはあるかもしれない。

デビュー曲の海雪を聴いたが、言葉に訛りも無く、兎に角上手い。今まで日本で歌ったテレサ・テンや、桂銀淑、キム・ヨンジャ等は歌も上手いが、訛りが残った。しかし、である。ジェロには全くと言って良いほど無いのだ。

国際結婚をしている日本人にとって、子供の日本語教育は相当大変で、言葉を吸収する数年間に親が教える努力をしないと無理のようだ。ジェロには、語学センスに加え、日本人のおばあちゃんが、演歌も含め日本語を相当教え込んだのだろう。

コレで演歌に火がついたとしたら、演歌業界は、アメリカのペンシルバニアで、演歌を歌って聴かせたジェロのおばあちゃんに感謝状を贈らなければいけない。

アメリカの救急車

2008年02月21日 | アメリカ通信
昨年だったか、日本の小児科と産婦人科の先生のなり手がなくて困っていると言う話を読んだばかりだが。最近のニュースでは今度は外科医が足りない、なり手がいないと言う話で、日本は一体どうなってんの? 更には、歯医者が多すぎて廃業が相次いでいるとか。一見、世界に冠たる、至れり尽くせりの日本の保険医療だが、どうも怪しい。日本に住んでいいものか、考えてしまう。
それにしても、最近は患者たらい回しによる死亡事件がやたらと多い。救急車とやらに乗ったら最後、あの世行きを覚悟する時代のようだ。

救急車と言えば、日本は未だに無料なのか、やたらと出動回数が多いそうである。兎に角お金がタダとなると、とたんに本性がむき出しになり、ちょっとしたことでも呼ぶわな。なんだか、蜜に群がるハイエナにも似ている。

アメリカの医療は無茶苦茶高い。保険も高きゃ、診察も高い。風邪を引いたかもしれないなどと医者に行ったら、ハイ、一万円とくる。救急車なんか呼ぼうものなら、それで500ドル、5万円だ。だから、当然、呼ぶのも慎重になる。
かなり前の話だが、カアチャンが運転中にオカマを掘られた。全く怪我は無かったのだが、精神的ショックと英語が話せない為か、来た警官が何か有ったら大変と救急車を呼んで近くの病院へ搬送。そんな事とはツユ知らず、仕事から帰ったよし坊に丁度の電話。出ると警官からだ。お前のカアチャンは今病院だ、だが心配するな、元気だ。よし坊脱兎の如く15分ほど車を走らせ病院へ。着くとカアチャンが、病人よろしく横たわっていた。兎に角言葉が通じないから病院はいろいろ検査をしてくれちゃったわけで、後から来るは来るは、請求書。事故の責任は追突した奴だから、最終的には当方負担は当然ゼロだが、もし、コレが自己負担せにゃならんとしたらゾッとするような話だ。
それから2年後、今度はよし坊がオカマを掘られた。パトカーにやや遅れて、救急車が到着。救急隊が来て、オマエどうする、乗って行くか? これが500ドルってやつだ。もちろんノーサンキュー。

日本も金を取らにゃイカン時期ではないだろか。ニッポン人、何から何まで甘え過ぎだ。

よくやった なでしこジャパンと 危うい岡田ジャパン

2008年02月19日 | サッカー
サッカーの試合は、殆どランキングどおりの結果になるらしい。そして、たまに金星があり、それをテコに這い上がっていくのだろうと思う。

さて、大ブーイングの中で、男子は北朝鮮と辛うじての引き分け。相手は憎っくき北朝鮮。日本国民はサッカーフアンであろうと無かろうと、息を殺して注目しているわけだ。結果は”情けない”の一語に尽きる。
ブーイングなんか無いとでも思っていたのだろうか。中国と北朝鮮を相手にする限り、未来永劫(大袈裟だが)ブーイングはあると思わなきゃいかん。しかもランキングは100位以下の相手だ。それがやっと引き分けとは。気になる事がある。この前のチリ戦だ。日本がランキング35位でチリが40位あたりだから、実力伯仲ではある。試合終了後の岡田の発言「今日はちょっと寒かったから」はいただけない。それならチリの選手はアウエーの上にこの寒さ、どうすりゃいいの、と言いたい。こんな言葉を監督が吐いてはいけない。どうも岡田ジャパンは危ういと思うのは、よし坊だけだろうか。

と思っていたら、なでしこが、格上の北朝鮮に澤の劇的逆転シュートときた。世界ランキング6位で、アジアの覇者と11位の日本。大いに溜飲が下がる思いだ。

もちろん、格下の相手であろうと油断は禁物で、一戦一戦大事に戦うのは当然だが、どうもオトコのチームには自覚が足りない。サッカーと言うのは今も昔も、国というか民族を背負って戦っているスポーツといったら、過言だろうか。だから、サッカーで戦争も起こった。他のスポーツではまず有るまい。

アイスティー

2008年02月16日 | アメリカ通信
「扉を開ける。カウンターの奥に客が一人。それならと、俺は手前の隅に腰をおろし、おもむろにタバコを銜える。バーテンが火を差し出しながら、何にします?そうだな、今日はアイスティにしてみるか。久しぶりだ。キツメのアイスティが喉を通っていく。」
たまにゃ、こんな感じで飲んでみたい気がする。

アイスティを知ったのは、ニューヨークだった。もう20年以上も前の話だ。日本からの出張組み二人(よし坊とイシダ兄い)とNYの商社マン氏(通称ファッツォ)の3人、日本飯屋でたらふく食べ、2件目のピアノバーでお開きかと思いきや、イシダ兄い、未だ飲み足りないと。ファッツォすかさず3軒目はカウンターのバーへ。さて、イシダ兄い、段々管を巻き始めた。そこでファッツォ、ママに「何とかしちゃってよ」。ママ「アイスティ飲まそうか」。てなことで、ママは早速楽しそうにカクテルを作り出した。いろいろ混ぜ混ぜで、「コレ、クアントローっていうリキュール。これを入れて出来上がり。飲んだら腰から落ちると思うわ」と、酩酊中のイシダ兄いに楽しそうに差し出した。

注目の中、イシダ兄いは、アイスティを美味いといって、半分くらい飲んだところで、見事にストゥールから崩れ落ちた。この時残ったアイスティを始めて賞味したが、なるほど、相当に効く酒だ。ホテルに帰ってバタンキューの有様。

昔から、女の子が気をつけないといけないカクテルに、オレンジジュースにウォッカを混ぜたスクリュードライバーというのがあるが、この比ではないだろう。色は紅茶のアイスティにそっくりだが、内容を聞けば納得である。4大スピリッツのウォッカ、ジン、ライムとテキーラに例のリキュール、クアントローを入れ、コーラで満たせば出来上がり。
いかに女性が強くなったとは言え、オトコが「アイスティ飲んでみない」などと勧めたときはW要注意。


アメリカの肥満に関するミシシッピの面白い話

2008年02月14日 | アメリカ通信
今や、アメリカの肥満は国家的大問題なのである。州で言うと、ワースト3はミシシッピ、ウエストバージニア、アラバマと、いずれも裕福でない州といえる。一般に肥満は貧乏州=教育レベルの低い州に多いとされている。

厳密な定義かどうかは知らぬが、標準体重より約14キログラム以上だとObese(オビース)という言葉が使われ、標準以上14キログラム以下だと、Overweight(オーバーウエイト)という言葉になるようだ。Obeseな層は全国の3分の1、これにOverweightを加えると66%となるというから、大変だ。国民三人に一人が肥満ということだ。

人間、自分独りが、集団の中で肥満となれば恥ずかしくもなり、何とかしようと考えるかも知れぬが、街へ出れば周りが殆ど肥満だから、何処吹く風と言った具合だ。加えて、アメリカでは人種、容姿で人を差別してはいけないと言う教育が徹底している(ホンネはどうあれ)から、それを見ても表情に出さない。日本なら目の端でその姿を追い、思わず顔のどこかで差別的な表情を浮かべているに違いない。

そんな最中、我がジョージアの西、隣の隣の州ミシシッピの議員が、州議会に街のレストランから肥満客を締め出す法案を提出しようとしているらしい。肥満の人間は、外で食事が出来ないことになる。他の議員も含め、これを知った連中がカンカンになって怒っていると言う話。

日本では、さすがにここまでにはならないだろうが、アメリカでは真面目にこんな事が起こるである。この法案が通るとは思われないが、それだけ、アメリカは抜き差しならないところまで来ているわけだ。

以前、姪が二人遊びに来た時、テーマパークに行ったのだが、ジェットコースターの列に、一見して絶対コースターに入りそうも無い巨漢のパパが奥さんと子供をつれていた。乗る順番がきて、係員がまず注意。「あなた、乗れませんよ」。それでもこのパパ、乗ろうとしたが、予想通り身体が入らない。漸く乗れないと分かると、今度はいきなり足でコースターを蹴り上げ、何事かわめきながら去っていった。日本人なら、肥満を恥じて最初から乗らない。アメリカ人はここが違う。

アメリカの肥満は、個人の怠慢を通り越して、最早「病気」の域に達している。

サッカーのホープ達

2008年02月12日 | サッカー
サッカー界、現在進行形で言う注目選手は、何と言っても 2007年のベストプレーヤーに選ばれたブラジルのカカを筆頭にアルゼンチンのメッシ、ポルトガルのクリスチアーノ・ロナルド、それとブラジルのロビーニョだろう。この辺が世界のサッカーを引っ張っている感がある。いずれも年齢的に20~25歳あたりだ。

しかし、既にその次のホープが出始めている。U-20以下での活躍で花形チーム入りした連中だが、その中で言うと、バルサのジオこと、メキシコのジョバンニ・ドス・サントス(写真)とミランに入った、ブラジルのアレクサンドレ・パトなんかがいい。


いずれスターになる選手というのは、それなりの実力が無ければならないのは当然だが、それにプラスされる何かがないといけない。その一つは、勝負強さというか、例えば起用されていきなり点を入れるとか。このインパクトは強烈だ。

例えばジョバンニ。バルサの相手チームが何処だったか忘れたが、後半も残りあと15分位のところで、ロナルディーニョかメッシと交代したと思うのだが、いきなりのシュートで、勝利だ。ミランのパトは、デビュー4試合で3ゴールを決めている。

7日にヒューストンでアメリカとメキシコの試合があった。結果は2-2のドローで終わったが、メキシコが押し気味のいい試合だった。最後の10分のところで、ジオが出てきたが、彼が入った途端、メキシコの動き、パス回しが抜群に良くなり、ゴール前に怒涛の如く押し寄せる。点こそ入らなかったが、これがサッカーの醍醐味だろう。

若いホープとは言えないが、ドイツに移った小野が2アシストでデビューを飾った。最初のインパクト。これが大事。小野よ頑張れ!

オバマの健闘

2008年02月10日 | アメリカ通信
スーパーチューズデイは、ヒラリーとオバマ、互角の勝負だ。オバマの勢いは止らず、民主党の勝負は混沌としてきた。この勢いだと、歴史的なことになるかもしれない。もちろん女性初もインパクトは大きいが、黒人初はもっと大きな意味を持つだろう。もしそうなれば、相変わらず根深い黒人差別の中のひとつの成熟さを示すものなのかもしれぬ。特に黒人の地位と言う事からいうと、話は映画のアカデミー賞に飛ぶが、シドニー・ポアティエ以来、長らく閉ざされていたドアがデンゼル・ワシントンとハリー・ベリのダブル受賞で再びブレークされ、フォレスト・ウィテイカー(映画:The Last King of Scottland)と続き、この数年でアメリカの土壌に大きな変化が起こっているのは間違い無さそうだ。

さて、選挙戦だが、経済立て直し、医療制度の改革、その他難題山積みのアメリカだから、誰がなっても大変な仕事である。

大統領になる人の何人かは、その演説の中に、キラリと光るものがある。演説で最も有名なひとつに、あのJFKの有名な就任演説がある。「国が何をしてくれるかを問うのではなく、あなた達国民が国にどう貢献できるかを問うて欲しい」のくだりである。

現ブッシュが、2002年イラクに向かった時、有力な議員も含め多くが戦争賛成に動いた。あの時は正にその強い流れを止められないくらい、全米がフィーバーしていたといってよい。北朝鮮並みの大合唱だ。

戦争反対を掲げた少数派の一人にオバマがいた。2002年の彼のスピーチの中に、もし、オバマが大統領になったとしたら、このフレーズが彼を押し上げたいくつかの要因の一つになるかも知れない、力強く分かりやすい次のくだりがある。
「私は全ての戦争に反対を唱えてるわけではない。私が反対する戦争とは、ばかげた戦争、無謀な戦争を指す。理性に則った戦争ではなく、感情、情念に衝かれた戦争、原則に則った戦争ではなく、政略でする戦争を指す」。ブッシュは正しくその反対をやってしまったわけだ。

いつの世でも、大きなうねりが有る中で、少数意見を言うのは勇気が要る。オバマよ、頑張れと言いたい。