よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

映画三昧ー To Kill A Mockinbird

2010年07月29日 | 映画
To Kill A Mockinbird、邦題アラバマ物語という映画がある。人種差別の色濃い時代の南部アラバマでの白人弁護士の戦いである。人種差別に関して、一つのバイブル的存在のこの映画はあまりにも有名だ。弁護士のグレゴリー・ペックが、小さな町で起こった事件の真相に迫る。若き日のロバート・デュバルが出ている。昔観た時は、グレゴリー・ペックは大スターで知っていたが、デュバルなんて知らなかった。昔観た映画をもう一度観る楽しみはこれだ。最初に観たのは封切館ではないと思うので、恐らく、新宿名画座かもしれぬ。

この映画の原作が出版されて、今月で50周年を迎えたと新聞に報じられた。以下はそのサマリーである。

まず、この本は、1960年台以降のアメリカ人に大きな影響を残した本であり、国民的な本の一つである事。息子ブッシュ大統領夫人のローラ・ブッシュを含む著名人にも数多くの愛読者がいるようだ。

作者、ネリ・ハーパー・リーは84歳で、この本のみを世に出し、その後は地元モンロービルでひっそりと生きてきた。世間の喧騒を好まず、静に過ごしてきたらしい。写真は、2007年、Presidential Medal of Freedomと言う、民間人向けでは最高の勲章を授与された時のものだが、その時でさえ、喧騒を避け、寡黙であったという。

モンロービルはアラバマの州都モントゴメリーから65号線を南に下り2時間ほどの所だ。昔、モービル方面に行くのによく近くを通ったが、何も無いド田舎である。映画に出てくる近所の男の子は、当時近所に住んでいた、あのトゥルーマン・カポーティをモデルにしているらしい。

一作しか出版していないので、死んでから出版されるよう作品を貯めているはずだ、とか、諸説があるらしいが、どうもそうではないらしい。かつて、いとこの一人がネリにいつ次の作品を出すのか聞いた事があると言う。ネリの答えは「頂点に辿り着いたら、とるべき道は一つしかない」。この一作以上の物は望めないと自身を喝破しているのであろう。

映画三昧ーソフィーの選択

2010年07月24日 | 映画
娘が二人いるが、ワイフと時としてこんな会話になる。「もし、災害か何かで子供二人のうち、一人を犠牲にしたら一人は助かる。どうする」。条件は一緒に死ぬことは出来ない。この残酷な選択は、その時にならないと分からないだろう。ひょっとしたら、選択の時間すらなく、成り行きになってしまうかも知れない。

こういう話になった時、いつも思い出すのが、「ソフィーの選択」だ。メリル・ストリープが演じるソフィー。最後の方で、ソフィーが選択した重い十字架が明かされる。男の子と女の子の選択で男の子を生かす選択をする。アダムとイブの誕生以来、深い底に流れている男の優越性ということなのか、それとも、男と女という枠組みの中で、母親だが”女”が、我が子だが”男”を本能的に選択してしまうのか。

片方を助けないで、両方手放す、という選択もある。いずれにせよ、重い十字架を背負うことには変わりは無い。宗教の世界では、重い十字架を背負ってでも生きろと説くに違いない。しかし、人間、それ程強くはないもので、いつか重さから解き放たれたいと考えるのだが、それが、映画のラストのように、やはり「死」をもって自由になりたい、というのは、よく分かる。

よし坊の選択は? まだ分からない。というより口が動かない。これ、悶々の選択なり。

メディアの怠慢

2010年07月20日 | いろいろ
日本の新聞記事は社説以外は、執筆者や記者の名前がないから、極端に言えば、記事を曲げたり、あえて本当の事を書かずに、世論扇動操作をシレっとやる。後は涼しい顔だ。そういう意味ではいい加減極まりない。しかし、インターネットの普及により、執筆者名のネット記事が容易に読め、マスメディアが書かない、或いは書きたくない内容が手に入る。名前入りだから、それなりの責任を負って書いているからはるかに良い。新聞業界が、部数が減ってエライコッチャと騒ぐが、当然の報いだろう。

最近の各社の社説で、参院選総括のコメントに、「短命内閣に終わる政治はもう止めよう。政治家は心して事にあたるよう願う」式のものがある。内閣が短命に終わるといつもこのセリフだ。こんなのが、社説としてまかり通っているのだから、怠慢もいいとこだ。もっとマシな事が書けないのか。

よし坊のような素人でも分かる。今の政治制度が変わらない限り、長期政権等有りえないのだ。その時のある種の人気度と瞬間風速的な風でも吹けば、その人物の資質を精査しないでも簡単にソーリ、ソーサイに成れる。しかし、一度失策でもすれば、忽ちのうちに内輪からの反乱でxxx降ろしが巻き起こり、政権を投げ出さざるを得ない。今まではこれの繰り返しをやってきた。何が長期政権かは難しいが、仮に3年以上の政権を対象にすると、池田、佐藤、中曽根、そして小泉政権の4つくらいしかない。前3政権は自民党の絶対安定の時期だから可能だったとも言える。小泉時代は政局不安定に入っていたが、彼の個人的パワーが長期を可能にした。これらを例外とすれば、皆短命内閣であり、いくら政治家に節度を訴えた所で、無理な話であることは、歴史が証明している。

世論操作まで出来る大メディア集団。何故、政治制度を根本から変えろというキャンペーンを張らないのか、はたまた張れないのか。これを変えなければ先に進まないのは明白だ。

アメリカの大統領選。人物見極めに一年掛けるのである。やろうとする案件とポリシー、過去どのような言動と実績を蓄えてきたか、金銭スキャンダルの有無、臍下スキャンダルの有無等を徹底的にメディアが叩く。そうしたいくつもの関門を潜り抜けた者が選挙戦の切符を手にする、極めて過酷なレースだ。そして一度信任を得れば最低4年の仕事期間を与えられる。大統領になってからも厳しいチェックが続く。公約を変更なんかしようものなら、袋叩きにある。だから、変更を余儀なくされたら、その理由を世論に相当丁寧に説明しないと、支持が得られない。我がニッポンの民主党は、公約だかマニフェストだが知らないが、よくも説明無しに事を反故にするものだとあきれ返ってしまう。カンも長くは持つまい。

あぶないSweepstakes(富くじ)

2010年07月19日 | アメリカ通信
綺麗な薔薇には棘がある。甘い話には裏がある。この基本さえ忘れなければ、この世の中で大きく道を踏み外すことはあるまい。そうは言っても、至る所に落とし穴があるから、気を付けないといけないのだが。アメリカに長く居れば追々分かってくるが、最初は慣れない事に遭遇する。

危ないのはSweepstakesの類だ。巷で売っているLottoは問題無いが、ある日突然、貴方に富くじ当選の知らせが来る。

アメリカに駐在として赴任した15年前、同じく同時期に赴任した部下が、ある朝、神妙な顔付きでやって来て、貴方にXXXXXドル当たりました!と書いたレターをおもむろに取り出した。聞けば心当たりは無いが、ホントの話かも知れない、と数日アレコレ悩んだという。これなど、昔からある騙しの手口の代表みたいなものだ。

最近出回っている新しい切り口のニセ富くじ当選の知らせが我がワイフに届いた。当選金額は12万ドルとある。騙しのポイントは、2000ドルから3000ドルの範囲で本物ソックリのチェックが入っている。振り出し人の会社もチェックの銀行も実在するからややこしい。実に手の込んだやり方だ。実在するから、うっかり騙される。
さて、手紙には何と書いてあるか。これまた、実在の会社のメンバーが対象とあり、その中に馴染みのWalmart, Costcoが入っているからニクイ。同封チェックは当選プロセスで発生する税金の支払いに当てろと、書いてあるから、「そうか、当選者に負担を掛けない仕組みをわざわざ考えてくれている」と、思わず納得してしまいそうである。一見すると、全てが嘘っぽくないのだ。

さて、このニセ富くじを見破る最低ポイントが3つ有る。
その1.封筒に差出人が無い。(これでまず、不審モードにならないといけない)
その2.手紙の冒頭がDear Sirs & Madamになっている。
    (当選者の名前がないとおかしい)
その3.WalmartがWallmartになっている。

その他にも怪しい箇所があるが、上記ポイントだけで十分だろう。
銀行はバンクオブアメリカやワコビア等大手銀行の名前が平気で使われているのでくれぐれも御注意を。 

カンのカン違い

2010年07月17日 | いろいろ
カン総理は、総理になるまでは実に上手く立ち回ってきた。小鳩一見蜜月舞台を見ながら、ひたすら副総理兼財務相として、無関心を装い、危ない案件には深入りせず、熟した柿が落ちるのを待っていたかのようである。そして、辛抱の甲斐あって、小鳩が退場した後を、密かにほくそ笑みながら、念願のソーリとなった。そして、前ソーリの稚拙な外交問題処理能力のお蔭で下がった内閣支持率が一挙に戻った。ここまでは良かったが、ここで、カンは大きなカン違いをしたのではないか。

一挙に支持率がV字回復したせいで、カンは、民主党への追い風は未だ続いている、当初心配した参院選もいける、そうならば国民が値上げ已む無しに傾きかけている消費税アップの狼煙を上げてもよさそうだ、と考えたのかも知れぬ。だが、支持率は瞬間風速的にV字回復したものの、実際の風は至る所で凪状態になり始めていた。大いなるカン違いである。

よし坊も、さすがに今回の民主党は応援出来なかった。仕分けプロジェクトという見るべきものも有ったが、それ以外は落第だ。何が落第かというと、政権を獲るまでは、与党に対して、あれだけ説明責任を連呼しながら、ひとたび政権を獲るとキチンとした説明もなしに、ドンドンなし崩し的に物事を変えていく。ルール慣行の無視だ。この辺りに、国民はひょっとして第二の自民党が出来るのではないかと、危惧したのではないか。

カンは、総裁就任時に余計なことを言ってしまった。言葉を選んでソフトに言ったつもりだろうが、オザワよ、当分お前は静かにしろ、と。あれは、決別宣言の何物でもないのは明らかだ。民主党の半分近くがオザワ党になっている現実でよくも言ったものだと思うが、これも、追い風で参院選勝利予想のカン違いが言わせたのかも知れない。しかし、大失敗だろう。そこまで言う必要は更々無かったはずだ。

もう一つ、カンの失策がある。そもそも、カンのバリューは何か。それは、間違いなく、かつて厚生大臣の時に見せた薬害隠蔽の厚生省に一人果敢に挑み、大臣として見事に役人天国の闇を暴いたその手腕と実行力にある。役人を叩きのめす事が出来た稀有な大臣なのだ。これがカンの真骨頂であり、国民も期待したい力量で、人気度も決して悪くない。ここで、カンはカンたるの何かを打ち出さなければならなかった。「オザワでもない、ハトヤマでもない、オレは薬害隠蔽を暴いたカンだ!官僚主導の政治を破れるのはカンしかいない」とアピールすべきであった。日頃から官僚に対しては腹に一物をもっている国民は、全く違った視点で彼に喝采したであろう。

あのコイズミが千載一遇のチャンスを物にして、信念とも言える郵政民営化を口にし、決して引かない強い意志を顔全面に表し、国民はそのすさまじい気迫に不退転の決意を感じたから、それを支持した。アレだけの国民の支持を受ければ、官僚は沈黙するしかないのだ。カンにとっても自分をアピール出来る千載一遇のチャンスだった。オザワに触れず、消費税にも触れず、これ1点をアピールするだけで、再び追い風が吹いたかも知れない。

カンは下手を打ったものだ。オザワは簡単に舞台から消えない。今頃身震いしているのではないか。


逸材、岩淵真奈

2010年07月16日 | サッカー
U-20女子W杯がドイツで開かれている。昨日、日本対メキシコを観たが、言われているだけあって、確かに岩淵真奈は十年に一人の逸材だと思う。

試合は前半3-1でリードされたが、後半終了間際に、岩淵が、スペースをこじ開け、ミドルシュートで同点に持ち込んだ。

俊敏にして、ドリブル力あり、相手をかわすテクニックは抜群だし、兎に角ゴール前に持ち込む技量は相当高いものがある。U-17W杯でベストプレーヤーに選ばれただけのことはある。どこか、メッシを彷彿とさせる。そう、女メッシと言ってもよさそうだ。

今17歳。16歳で全日本(なでしこジャパン)入りしたのも頷ける大器だ。

映画三昧ードクトル・ジバゴ

2010年07月14日 | 映画
ロシア革命前後を背景としたこの映画も好きなひとつだ。音楽の「ラーラのテーマ」も心地よい。今はどうなのか知らぬが、この時代は、映画音楽が一つの大きなジャンルで、ヘンリー・マンシーニやポール・モーリエ、レイモン・ルフェーブル等の楽団がこのジャンルをフィーチャーしていた。

配役も、オマー・シャリフとジュリー・クリスティを軸に、アレック・ギネス、ジュラルデリン・チャプリンが脇を固める。恋人役では、トム・コートネィも出ている。トム・コートネィと言えば、「長距離ランナーの孤独」だ。大人と権力に反抗する若者を演じた映画で、日本ではATGでの上映だから、当時はよし坊のような映画オタクしか観ていないだろう。映画の最後が圧巻だ。トップで走ってきて、わざと負け、大人の思惑を大いに外すのだ。

戦争に翻弄され、離れ離れになった二人のエンディングは、新しい国家、ソビエト連邦のモスクワで、再び巡り合うことは無く、悲しいすれ違いの場面で終わる。ラーラは新しい国で淡々と生きていくかの様に。そして、ジバゴは、旧体制の象徴であるかのように、突然の発作で絶えるのである。

Forlan の Golden Ball Award

2010年07月13日 | サッカー
てっきり、ワールドカップのMVPとも言うべきGolden Ball Awardは、決勝戦のオランドのスナイダーか、スペインのビジャに決まるのかと思ったら、4位ウルグアイのフォーランが獲得したので、いささか驚いたが、大いに納得の受賞だと思う。

優勝チームからの受賞を覆して小気味が良い。それにしても、今年のウルグアイは良く頑張った。準決勝進出をかけての試合で、見事(?)スアレスのゴッド・ハンドで進出したのも含め、南米が総崩れになったところで孤軍奮闘してくれた。

フォーランの受賞に納得する理由がある。今回の様々なシュートを見ていると、皆ボールが浮き上がり、まともなシュートは数えるばかりである。その中で、フォーランのシュートは最初からボールの弾道が押さえられており、これは、彼が意識してテクニックでコントロールしているのではないかと思わせてしまうくらいだ。ホントのところはわからないが、それ程安定していたと思う。そして、3位決定戦で、負けはしたが、ゴール前でクロスされたボールを直接地面に叩きつけたゴール。あのまま定石どおりに打てば、間違いなく場外ホームランシュートだったはずだ。

アトレティコ・マドリッドのストライカーは、30歳を過ぎてなお意気盛んである。

スパイ考

2010年07月10日 | アメリカ通信
アメリカで11名のロシア・スパイリングが摘発され、超スピードで、あっという間に金曜日のオーストリアはウィーンの空港で米ロの捕虜スパイの交換が行われた。数分の間隔で両国のチャーター機が空港に降り立ち、スパイ交換後、一時間半で再び飛び立ち、一機はモスクワに向かい、一機はロンドンへ向かったとある。007ではないが、東西冷戦後も、この世界、Intelligenceの世界は全く気を緩めていない事がよく分かる。

東西冷戦下の時代では、東西ベルリンを舞台としたチェックポイント・チャーリーが飛び切り有名だ。ここで時折スパイの交換がよく行われた。昔、ベルリンの壁が壊れる一年位前に、西ベルリンから観光で東ベルリンに入り、ここを遠くから見学したことがあるが、やはり、歴史の前に立つと感慨深い。

今回のスパイリングの摘発には、その一人に美人エージェントも居たので、ややセンセーショナルに取り上げれたが、彼らはアメリカに着てからの十年間、最初からFBIの監視下に置かれていたという。十年の歳月で上手くアメリカ社会に溶け込んだと思っていたのだろうが、どっこいそうは行かなかった。

インテリジェンス活動は謂わば国家事業だから、どこの国も手を抜かない。どんなに仲の良い国同士でもインテリジェンスとなると別物だ。相手の動向を正確に把握し、外交問題などで大いに有利に事を進めようとするのは、冷戦時代だけに留まらない。

有名な話では、戦後復興と安定政権の為に、岸信介がCIAから多額の資金を貰い、アメリカの代理人として動いていた事実がある。これも立派なスパイ活動だろう。

中国、韓国、そして北朝鮮。日本を取り巻く環境は結構緊張感があるはずだが、その日本は別名スパイ天国と言われて、あっちこっちからのスパイ諸君が情報の収集に忙しいと聞く。

いつも行き着く所だが、やはり、島国というのは、緊張感に乏しい。

再び、相撲は国技か?

2010年07月09日 | いろいろ
琴光喜の恐喝事件に端を発した相撲界の野球賭博騒動も第一幕が終わった。政権が変わってから発覚したこと、NHKの会長が代わったことがポジティブに作用して、今の所うまく行っている。

公益法人を含めた事業仕分け作業が行われていなかったら、文科省や、官房長官から、公益法人としての適格性の問題化も出なかっただろう。これが、相変わらずの自民党政権であれば、そもそも事業仕分けさえもまな板に乗らなかっただろうし、相撲に纏わる利権を持った議員も居たであろうから、表に出ることも無く「仲介者」とやらが蠢いて、何も無かったようなことになったかも知れない。

NHKは、もし会長が今まで通りの生え抜きであったなら、「ガバナンスを口にしただけではダメ、実際に証明実行してもらわないと、次の放映も出来ない可能性がある」とまで踏み込んだ発言はしなかっただろうと推測する。民間で行われる普通のことを言ったに過ぎないのだが、NHKの体質では、今まではそれさえもが出来なかったということだろう。

前にも朝青龍の事件で書いたが、相撲は、ホントに国技なのか。面白いもので、疑問に思っている人が、相撲協会に聞いた所、相撲協会は明快に答えたそうだ、「国技ではありません」と。そう、どこにも国技などと定義していないのだ。これは相当笑える話だ。

確かに、日本古来のそれなりの伝統があることは分かる。しかし、ある種のサギである。一つのスポーツに過ぎないのを、時の相撲界と政界有力者が結託して、国技館なる名称の建物を造ってしまった。毎日「国技館、国技館」を新聞ラジオテレビで連呼されれば、一般大衆は簡単に洗脳されて、いつしか「国民的スポーツとしての相撲」が「国技」に摩り替わってしまったわけだ。相撲協会も、ことさら「違います」とアピールする必要も無く、結局勘違いしているのは国民だとなる。

仮に国技としよう。それならば、相当厳重なルールが必要だろう。国技であるからには、古臭いと言えども、伝統を守る。守らない奴は即刻クビとしなければならない。朝青龍の例はそれに当たる。そういうルールも甘く、ひたすら前例だけで生きてきたし、周りも国技と錯覚してるから、少々な事があっても手を出さない。そこにタニマチが入ってくる。タニマチも良いタニマチと悪いタニマチがあるはずだ。悪いタニマチとは、最後は893に繋がっている連中だろう。

相撲が国技だと言うのは、明らかに間違いなのだから、今度の一件を機に大いに考え直した方が良い。まずは、国技館の呼称を止めるべし。両国相撲会館くらいが丁度良い。