よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

RAIZO-華岡青洲の妻

2011年07月11日 | RAIZO
世界に先駆けて全身麻酔による乳癌手術を行った青洲と、麻酔薬開発のために命を賭けて張り合う、母と妻の、謂わば青洲争奪の戦いの物語である。

主役の医師・雲平の雷蔵は、相変わらず声が渋くて、貫禄も出て、場面が引き締まる。母親・於継の高峰秀子が良妻賢母を演じ、雲平の長崎留学中に於継の目に適った若尾文子演ずる加恵を嫁として貰いうけてしまう。

一見仲のよい嫁と姑だが、雲平が長崎から帰ってから、空気が一変するのである。嫁と姑の、目に見えぬ戦いが始まり、それは単なる嫁と姑の日常的戦いの域を超え、全身麻酔薬開発の人体実験に命を賭けた戦いとなっていく。先手を打ち、息子の役に立ちたいと人体実験を申し出る母、それを聞いては、嫁たる沽券に係わると、同じく人体実験に身を差し出す嫁。この映画の主役は、正しく加恵と於継である。

医師として、息子として、年老いた母親を実験台に出来ないのは当然で、母親には軽い眠り薬程度を調合し、その申し出に応える。本当の実験は嫁で始め、見事成功するが、その代償として失明する嫁。戦いの真実を聞かされた母親は、女のいくさに最初から最初から破れていた事に大いに落胆した事だろう。老いと失意のうちに間も無く亡くなる。

失明という代償を払っても、女のいくさに勝ち、夫の役に立ったと、庭先の薬草畑の中で、自信に満ち満ちた顔の若尾文子が、凛として光る。

佳品である。

RAIZO - 破戒

2011年01月05日 | RAIZO
島崎藤村と言えば「夜明け前」もあるが、もうひとつは、この「破戒」であろう。

雷蔵が丑松を演じ、藤村志保が初々しくデビューする。雷蔵の時代劇を見慣れての現代劇は新鮮そのものだ。雷蔵は、「ぼんち」で見せた、飄々たる演技もいいが、やはり影を背負った役柄は、時代劇であれ現代劇であれ、光るものがある。

冒頭、父親役の浜村純が牛に突き殺される場面から映画は始まり、「差別される者」の生きる術、決して掟、即ち、戒めを破るべからず、を肝に銘ずる丑松が、最後は戒めを破り、新しい世界へと旅立つ。あどけない小学生の前で出自を告白し許しを請う場面は哀しい。

差別は何処の国でも有り、無くならない。アメリカも同様で、ここに住んでいると、人種差別が無くならないであろうことは想像に難くないが、その対極に、どんな人種でも飲み込んで一定の自由を与えているのがよく分かる。藤村の時代では簡単ではなかった海外への転出も近代化が進むにつれて容易になったはずで、日本独特の差別社会から逃れる為に、新天地としてアメリカを目指した人も少なくないのではないか。他に、日本で酷い差別を受けていた在日朝鮮韓国人の方々の中にも、このアメリカを目指した人達がいるはずである。インドのカーストもそうだ。下層階級は簡単に来れないが、チャンスがあればアメリカを目指す。人種差別がありながら、アメリカの包容力は途轍もなく大きい。

映画のほうは、脇に三国連太郎、長門裕之、船越英二、岸田今日子で固める。婆さん役でチョコッと出ている浦辺粂子も懐かしい。女狂いの生臭坊主の鴈治郎と杉村春子の夫婦掛け合いのワンシーンも良い。

かつて、日本の古代の頃、帝が食する肉牛をさばく大切な役目をこなし、一定の地位格式を与えられていたと言う人々がいつから差別される側に分けられてしまったのか。やはり不条理の一言に尽きる。

RAIZO -忍びの者

2010年09月27日 | RAIZO
時代劇のジャンルの中で、「忍びの者」シリーズは、画期的な映画だったと思う。

それまでの忍者は、作品の中では、概ね地味な脇に甘んじていた。主役は戦国動乱の武将の活躍であって、全編通じて二回か三回程度、襲撃乱闘シーンに登場し、殺されたり、その場を逃げていったり、である。そうであるから, 役者は主役級でもないし準主役級でもない。

この「忍びの者」は、頭3作は石川五右衛門は忍びであったというプロットで、それ以降は真田十勇士で有名な霧隠才蔵を主役にし、彼ら下忍と言われる忍者集団最下層の活躍と悲哀を前面に押し出した。単なる忍びの機能面を、少ないシーンに登場させるのではなく、忍びの者たちの生活を含めて人間臭く描いた所に、大きな特徴がある。
シリーズ全作がカラーではなく、モノクロというのも、リアリティある映画にしていると思う。

この映画を切っ掛けに、以後続々と忍者を主役としたリアリティのある映画が、作られ、忍者映画の方向性を決定付けた。映画の中のジャンルの方向性を決定付けるような映画はそうないだろう。「忍びの者」はそういう映画なのである。

RAIZO - 股旅物と「ひとり狼}

2010年08月20日 | RAIZO
股旅物と言えば、長谷川伸。関の弥太っぺ、中山七里、雪の渡り鳥等が知れている。雪の渡り鳥と言えば、長谷川一夫と山本富士子の映画があり、この映画を思い出すと、三波春夫の「合羽からげて、三度笠、どこをねぐらの。。。」と出だしのフレーズが口をついて出る。

雷蔵の股旅物も、中山七里、鯉名の銀平(雪の渡り鳥)あたりは、プロットも似ていて、どちらかと言うと、中山七里のほうがいい。しかし、長谷川伸の作品の中では、新珠三千代が共演した「沓掛時次郎」が断然良かったし、好きな一つだ。最後のシーンが泣かせる。坊やが木の上から、去っていく時次郎に、最初はおじちゃーんと叫ぶが、最後に”おとっちゃーん”と叫ぶ、あのシーンだ。実の親でもないのに、そう叫ぶとウルルンとなる。

雷蔵の股旅物のイチオシは、原作は村上元三だが、長門勇の語りで始まる「ひとり狼」だと思う。所詮ヤクザはアウトロー。明日は自分の卒塔婆を立てるかもしれぬ一匹狼の孤独と非情を出している。亡くなる前年の作品だ。だから、亡くなった後にもう一度観ると、あの表情は役作りだけではなかったのではないかとさえ思う程冴えている。

RAIZO - ぼんち

2010年07月02日 | RAIZO
山田五十鈴、若尾文子、草笛光子、京マチ子、越路吹雪、中村玉緒。豪華女優人である。脇の男衆は、中村鴈治郎、船越栄二に林成年。

男衆の中では、船越の御養子さんが、雰囲気そのままだ。船越はこういう役が似合う。女衆の中では越路吹雪が異彩を放つ。

船場のお店(おたな)の坊坊の雷蔵が、男の甲斐性とばかり、愛人を次々に作り、最後は、女どもの打算と毒気に壁壁して道楽も止めるのだが。

この映画で最も印象的なのは、雷蔵の坊を子供の頃から身の回りを世話してきた、倉田マユミのお時だ。いっぱしの大人になった素っ裸の坊の着替えを手伝うシーンがあるが、無表情さの裏側が何とも気になる。そして、最後の場面で、初老の坊が出かける時に、奥から、これも歳を重ねた、お時が出てくる。生涯 坊の世話に掛けてきた、お時が、一段と印象的だ。終生陽の当たらぬ場所だが、常に目立たず控えめに、しかし、一本筋を通して仕える、そういうカタチもあるのだと思う。今時、そんなことは流行らないから、余計グッときてしまうのだ。「ぼんち」に成損ねたからこそ、お時は生涯を坊の側にいることを決めたのかも知れない。


RAIZO -コメディ時代劇

2010年05月27日 | RAIZO
濡れ髪剣法に始まり、濡れ髪牡丹で終わる全5作の濡れ髪シリーズはコメディ時代劇のカテゴリーとして非常に面白く、兎に角理屈抜きで楽しめる。雷蔵の芸域の広さを感じさせる。

最初から軽いタッチを目指しているせいか、随所に現代語を敢えて散りばめ、テンポも速いから意外と違和感は無い。雷蔵の、軽くて飄々とした演技がこれ又良い。

シリーズの中では、最後の濡れ髪牡丹が好きである。女親分の京マチコを相手役に、何をやらせても一流のスーパーヒーローを演じ、脇は常連の小林勝彦。

もうひとつ、コメディ時代劇で面白いのが、「陽気な殿様」。坪内ミキコのデビュー作でもあるが、お家騒動解決の為に、江戸から姫路までの道中を佐々十郎と、常連の小林勝彦を従えての旅となる。あの菅井一郎が、相変わらずの爺さん役で出ており、なんとも言えぬ味を出している。高田美和も初々しいし、松平長七郎の宇津井健も若い。

RAIZO - 円月殺法

2010年03月17日 | RAIZO
円月殺法、いわずと知れた、狂四郎の決め手だ。剣法としての型には、上段、中段、下段の構えがあるが、芝錬は、単なる下段の構えだけではなく、円を描かせて切る型を編み出した。雷蔵の狂四郎では、それが見事にビジュアル化されているから、面白い。今までの時代劇で、剣の型を一つの売りにした映画は無いのではないか。

一作目の円月殺法は、何の変哲も無く、凄さもワクワク感も無かったが、雷蔵はそれを変えた。下段の構えから、そのまま円を描くのではなく、いったん手首を返して一呼吸、円を描き始める。これで、円月殺法が、絵となり、相手が倒れるまでの一分足らず、観る者を釘付けにする。

円月殺法が、殺人剣ではなく、無益な殺生をしない防御の剣というのもいい。だから、相手が仕掛けてこなかったら、途中で、果し合いを止めることもあるわけで、勝負もつかない。ただ待てばよいから、どちらが有利かは歴然としている。

RAIZO -狂四郎のこと

2010年02月01日 | RAIZO
ご存知、柴錬の代表作のひとつだが、小学生だったから、そんなことは知る由も無い。
初めて、眠狂四郎を観たのは、阿佐ヶ谷東宝で、鶴田浩二主演のものだ。当時は、いつもの時代劇のひとつだ。それなりの時代劇だったとは思うが、眼目の円月殺法も、ただそう呼ぶだけの円まわしだけだったように思う。今考えると、美男俳優鶴田浩二の顔は狂四郎役には、ちと甘いマスク過ぎる。世を捨てた無頼の徒、ではない。

狂四郎か雷蔵か、雷蔵か狂四郎か。これに一端はまると、ほかの役者がやっても、まったく興味が湧いてこないから不思議である。それぞれの良さがあるだろう。別の狂四郎がそこに居るかも知れぬ、という新しい発見の面白さはあるだろうが、どうもその気になれない。従って、雷蔵以後、テレビや映画で狂四郎が演じられても、観たことはない。

転びバテレンと日本の女の間に生まれたという出自の設定も、無頼の徒に繋がる。何よりも、雷蔵自身の出自とその後の複雑な家族関係が落とす影が狂四郎と二重写しになる。

一作目の「殺法帖」は新東宝から出た若山富三郎が城健三郎と改名しての登場、初回で華を飾るのは中村玉緒。円月殺法を会得し、初めて画面で円を描く狂四郎。しかし、この円月殺法、初回ではまだ型が出来ていない。

RAIZO -池上本門寺

2010年01月02日 | RAIZO
早すぎるスターの死。彼が世を去ったのは大学3年の時だ。既に入院していたのは知っていたが、残念な7月17日であった。

真っ先に思ったのは、当たり役狂四郎はどうなるのか。よし坊としては当然打ち切りにして欲しかったが、暫くして、大映は松方弘樹で続行するという。ちょっと待てよ、と言いたい所だったが、ぐっと堪えての封切の日。新宿大映の前に立っていた。ポスターを眺めること暫し、そのまま家路についた。やはり、もう狂四郎は居なかった。

雷蔵は池上本門寺に眠っている。大田家の墓に入っているので、よく探さないとわからない。先年、ファンクラブの集いの後で、お墓参りをさせてもらった。帰りにお茶を飲むコースが用意されていて、銀座界隈まで戻り、ある喫茶店に入った。店主らしき人が向こうの方で忙しそうに働いていたが、確かに雷蔵の面影があった。そう、息子さんの店なのである。この店はよくよく雷蔵周辺を知っている人でなければ、まさか、雷蔵ゆかりの店とは知る由もない。雷蔵やその家族の生き方は、芸能人にありがちな派手さはなく、地味に生きることを身上にしているようで、それは、彼の自伝「雷蔵、雷蔵を語る」にも考え方が表れていると思う。

お墓参りで心残りがひとつある。この時、当時流行っていた写真週刊誌のフォーカスだったと思うが、雷蔵ファンクラブは珍しいと、写真を撮って翌週掲載したのだが、それを買ってしまっておいたら、アメリカ転勤のドサクサで、どこかに行ってしまった。返す返すも残念だ。

RAIZO - 雷蔵事始

2009年12月20日 | RAIZO
何を隠そう、よし坊は、熱烈な雷蔵ファンである。ファンだからと言って全ての映画を見てはない。それにしても、昔から雷蔵にはえもいわれぬ魅力があった。最初に観たのは、長谷川一夫主演の「花の渡り鳥」で、以後虜になってしまった。白虎隊も含めデビュー当時の作品は殆ど観ていない。小学校3~4年の頃からの筋金入りと自負している。

雷蔵のファンは圧倒的に女性のオバちゃんだ。ファンクラブがあって、それは熱烈というか、付いていけないくらいのものだ。男の会員は当然少なく、いつも隅でタジタジになっている。うれしいのは、最近は若い女性のファンが増えていることだろう。それにしても、映画の一場面を見せずに、音で聞かせると、即座に題名を当てられる猛者ばかりなのである。

東映と大映は時代劇が主流だから、人気俳優の中心も当然時代劇畑となる。当時の時代劇スターで言えば、東映では、知恵蔵、歌右衛門、それに続く錦之助、千代の助、大映では長谷川一夫に雷蔵、勝新となる。新東宝は嵐勘、若山富三郎。時代劇弱小松竹では近衛十四郎が奮闘し、東宝には三船がいた。その中で、錦之助と雷蔵は次代のスターとして売り出し中だった。

コテコテの時代劇出身の中で、雷蔵は現代劇にも特異な光を放っている稀有な存在だろう。もちろん時代劇ほどの数では無いが、出演ジャンルの幅の広さは、それまでの俳優の中では出色だ。しかも、既に色々な人によって書きつくされているように、あの一見、銀行マンか経理マン風情の素顔が、ひとたび時代劇の画面に出現すると、驚くほど違う顔になる。それは、小川錦一が錦之助に変化(へんげ)するのとは訳が違う。時代劇でも、シリアスものからコメディまでこなし、これがみな、様になっているのが良い。
雷蔵ファンはこの落差が楽しく、堪えられないのだ。そしてもうひとつ、忘れてならないのは、あの声。声がいい。雷蔵とその時代をじっくり懐かしんでみたい。