いたこわ漫遊喜 -霧ケ峰山麓発信-

 脳出血からの後遺症13年目、前に歩め歩めの毎日。
   (起・HP2005.1・blog2005.8~ )

「カメラの日」

2006-11-30 | Weblog
                       ↑(コニカC35FA)
 30日(木)  4時起床


 1977年(昭和52)の今日、カメラメーカー小西六写真工業(コニカ)が世界初の自動焦点(オートフォーカス)カメラ「コニカC35FAを販売した事からカメラの日といわれてます。「ジャスピンコニカ」の愛称で呼ばれ、誰でもピンぼけせずに撮れるという事から、それまでカメラと縁のなかった女性や中高年層の市場を広げ、2年間で100万台を生産したほどのヒット商品でした。


        (ライカ)                (ニコンF3)          (キャノンIXY)
         

 私も、絵画に才能のなかったこともあり、器械(写真機)が撮ってくれる楽チンも手伝い、月給も少しは上がったことから無理してニコンF3一眼レフを手に入れ、パチリ・パチリと素人カメラマン道楽をやりました。

 「ライカに始まり、ライカで終わる」といわれたカメラ、あこがれのライカは私には手に入りませんでしたが、よく東京・銀座のカメラ店に目の保養にはでかけました。半日はカメラ店で過ごしたヒヤカシマニアでした。一番多いときは家内にも内緒で中型も混じり7台持っていました。病気でばれて、パソコンに変わりましたのもなにかの縁です。

 写真作品で一番の思いでは、信州の紅葉、北アルプス槍ヶ岳・天狗池の作品がフジフイルムに入選し、東京銀座で1ヶ月展示して頂いたことです。嬉しくてフジフイルムから教材に使いたいとのこと、喜んで返事したものです。おだてていただくとすぐのるほうで、それから写真展をと小遣いを切り詰め毎月、撮影(山いき)・額縁買い(目標50)・写真店(作品収集)へと詰めたものです。

 本人は写真家?のつもり、茅野の写真店のS氏には大変お世話になり、それが縁で親戚同様の交際を今もして頂いております。かんじんの写真展は中途で今の病に遭遇し頓挫、その間ひとり喜ばして頂きここでもお祭り男の存在存分に発揮できました。 

 今はカメラのシャッターも押せない身体、パソコンに掲載の写真も皆さんにお借りしているのが実情で、今日の「カメラの日」は大変私には思い出深いものがあります。 

“自然とともに”

2006-11-29 | Weblog
 29日(水)  6時起床

 春になれば新芽を出し、春の花が咲き、秋になれば葉は枯れ、実のなるものは実を作る。もうすぐ雪で一面の銀世界を迎える。自然に従った、何の野心もない、虚心で・素直な態度です。だから自然は美しく、秩序正しい。

 今日の出来事11月29日は、年末まで後32日です。
* 1973年・・・熊本市・大洋デパートで火災発生。死者104人・負傷者108人。デパート火災最大の惨事でした。
* 1980年・・・川崎市・金属バットで両親殺害事件。犯人は当時20歳の予備校生でした。
* 1985年・・・首都圏・大阪・他各地で過激派による国電等同時多発ゲリラ事件。各地で線路ケーブル切断、ダイヤは混乱、600万人に影響がでました。
* 1987年・・・大韓航空機爆破事件が発生しました。

 困った事です。人間社会は自然のようにはいきません。素直にも虚心もなれない。逆に野心・私心が走り、私たちは落ち着きを失い、自然の理を見失います。私が覚えているだけでもありました。それらの間隔が昔と比べちじまり、今は毎日のように事件が発生しております。殺害・交通事故、それらも自身の身近なところでおこっております。

 自然界で時期はずれに咲く花を狂い咲きといいます。人間社会の事件を狂い咲とすれば、花のようには笑っていてはすまされないのではないでしょうか。自分も傷つき、他人にも迷惑をかけ、社会を混乱させるからです。

 時々は、花をながめ・野草を手に取り・知人と語り(手紙・メールも含め)・今いるとこ、していることを考え自然と見合わせ私の場合8年前の自分を振り返る余裕を持ちたいと思います。 

“真宗の開祖・親鸞上人” 入寂(1262年)

2006-11-28 | Weblog
 28日(火)  3時起床

 「善人なおもて往生をとぐ 況んや悪人をや」は『歎異妙』の有名な言葉。
今でこそあたり前の仏教者の妻帯も、当時親鸞の妻帯は異例なことで、周囲から非難弾圧も受けながら、修行に専念し悟りを得て真宗を開き、民衆に教えを説いた方です。
「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」 - 今日すべきことはやり終えるよう全力で生きた親鸞は、1262年(弘長2)の今日、享年90歳の大往生をとげられました。
   http://web.joetsu.ne.jp/~jtca/kankou/shinran/shinran.htm

(私ところは、浄土真宗・西本願寺)  
   http://isabeau.fc2web.com/archi/nishi/nishi.htm

 神仏への感謝、ご先祖の供養、仏(位牌)様への供養は大切なことで、家庭の語らい、心の安らぎの中心にあるなか、現代は薄れたとはいえ仏さまのいらっしゃる日本社会は素晴らしいと思いませんか。日常茶飯時に、親が幼児虐待・殺人、大人の世界の殺人、それも他人はもとより身内の事件が起こる現代、親鸞さまも嘆いていらっしゃる事でしょう。

 私が小学生6年の学芸会(今は発表会というらしい)で、劇「親鸞さん」の主役をさして頂いた。小さな田舎の学校(35名1クラス)であったので演劇が得意でもなかったが、たまたま成績がよかったのでご指名頂いた。身内がハリキリ、朝風呂に入り、かみそりで頭をソリ、白装束に袈裟をまとい出演したのを思い出します。親鸞さんがどんな方かは知らず何でこんなにオオゲサナことをと、神妙に皆の前で台本とおりしたものです。その晩、御爺さん(父親は死んでいなかった)や母が、ジュンジュン(ニワトリのすき焼き)をしてくれ美味かった。その年は以上総代でみんなの卒業証書ももらい田舎の天狗だったよに思い苦笑します。 なつかしいーな~ 。    

「更生保護記念日」 

2006-11-27 | Weblog
 27日(月)  2時半起床

 1952年(昭和27)に「司法保護記念日」と「少年保護デー」を統合して制定されました。この日、東京・日比谷で更生保護大会が開かれ、刑務所から出所してきた人たちの更生の道を開く事を目的としています。

 課題とは趣旨は異なりますが、私が8年前今の脳障害病に侵されリハビリ専門病院で療養に専念している折、医師・療法士が社会更生・復帰を事あるごとにおっしゃった。今は病気の性格から理解できますが当時なぜおっしゃるのか意味がわかりませんでした。何か悪いことでもしたようで、病気は治るものと思っている者に“更生”とは?・・・。

 治ったとは思えぬ身体で退院し始めて更生の意味、元気であった時の社会へ仲間入りする事の困難さを感じ ボー デン としました。ゴミ箱に入れられたよな仲間からの隔離感、何もする気のおこらない倦怠感、人生の未来への絶望感・・・。その時、何でもよい相手にして欲しい・仲間が欲しいと願ったものであります。

 デー機関がそれであるはず、1年通ったが私には馴染めなかった。かえってそれが幸いか、みんなを同じに見る施設のやり方についていけず退所(出られることを幸福と捉えることが寛容)、何かにすがりたい気持ちので手をつけた、当時はやりのシニア族パソコンへと、遊びの仲間探しの気持ちで入っていったのが本音です。

     

 結果として、わがままな自分は社会更生したと思っています(迷惑と思われているかも?)。それから今年は古希の歳を終え高齢者としても熟年期に入ったと、ここでも自我自賛、一人で喜んでいるオメデタ人間です。元気であれば又今とは違った人生を歩んでいるでしょうが、現在より良いという保障はアリマセン。今のような仲間にめぐまれたとは思えません。以前の生活は余り感心できるものではなかったのか先輩から苦言をきくと苦笑に耐えません。  

“いい風呂の日”

2006-11-26 | Weblog
 26日(日)  7時起床

 11と26で、いい風呂と読む語呂合わせから日本浴用剤工業会が、入浴剤の効用と普及拡大をアピールするのが目的に制定されました。

 お風呂、家庭の風呂から温泉地の露天風呂まで私も大の風呂好きでした。それが障害人の今は週3回の介護さんに助けていただく介護入浴、それも一番の苦手で、苦痛の時間です。我が家の風呂は家の中では自慢の場所で、鉄平石(産地)に板張り、入浴しながらアルプスの景色が見える、家庭露天風呂で病気後も他所ではイヤです(病院等)。

 障害後遺症で装具が必要な下肢、浴室での行動の油断はひと時もなりません。一番神経を使うひと時で、脱衣から着替えまで本当に疲れます。今は一番イヤな時間で介護さんには苦労をかけるすまない一時間です。楽しい時間が病後8年間は苦痛な時間に変わり、それでも身体の清潔のため仕事と本人は努力しているつもりです。笑わないで下さい。どこまで自分の能力で脱衣・着替え・浴槽入・出等、それでも8年間が過ぎました。年には勝てません、悲しくなります。なんとか今の状態が長く続く事を祈る日々です。

 ヘレン・ケラーは「障害は不便だけれど、不幸ではない」といっておられます。不幸と思うと底なし底なし沼だが、不便は考えようでは克服できます。毎日の生活の中で、障害人だから考えられたこと・できたこと、周りから助けて頂いたこと、そうしたことに関心を下さる仲間たちにいつも感謝しております。 

 「障害者・高齢者パソコン広場」の発端も、健常者から見れば何でもないことでも、私から言わしていただけば、講習時間の2時間・14時から16時の時間帯・講習場へもこれないかた、そうした中で障害をひと固めに考えるやり方、かわいそうだからボランティアで・・・と考えさせられる面の多いことに驚いております。

 一面、自分も含め障害者のズルサもあることは承知しております。人間社会の行為が軽易で、みんなが公平になる事の難しいことは、これがまた楽しいのではないかと思えるこの頃です。 

『 O L の日』

2006-11-25 | Weblog
 25日(土)  7時起床

 オーエル = 【OL】[和製英語→office lady]女子事務員。もとのBGに相当。(三省堂・国語辞典)

   http://ja.wikipedia.org/wiki/OL

 働く女性の異業種間交流サークル「OLネットワークシステム」が、1994年(平成6)に制定されました。女性週刊誌「女性自身」が「働く女性の総称は?」のアンケートの結果、オフィス・レディー(OL)が第1位となりました。この記事をきっかけに OL という言葉が流行し、1963年11月25日に掲載されたこの日を『OLの日』に決定しました。以前は、職場で働く女性のことを「BG(business girl)」と呼んでいましたが、この言葉がアメリカの隠語で「商売女・娼婦」という意味があることがわかり、NHKが放送禁止用語としました。

 「OL]さんは、女性があこがれるのか・・・、男性が羨望するのか・・・、どちらにしても職場の女性はきれいだ。私の職場にもたえず女性がおられました。ある時は年上、おない年、年下の方とよくして頂いた。男性ではできないこと、職場の花一輪、おしかりと、古希の今も組み合わせは変わらない。女性が抜けたらさどサップーケーな職場だったとおもいます。

 女性がいなかったら、もちろん今の人間の繁栄はないだろし、潤いはなかったことはあたり前ですが、反面連日紙面を賑わすイヤーナ事件もないだろうが、男性同士の陰気な争いは人間であるがゆえになくはならないでしょう。

 人間、幾つになても女性に恋し、若々しく行きたいと思うのは当然で、私が年クウだけ相手も年取る、これもあたり前で悲観する事でもあるまいどとナグサメル日々です。   

“山茶花”

2006-11-24 | Weblog
 24日(金)  1時起床

 会員さんから冬の花、山茶花の便りが来ました。冬の色気のない景色の中で赤・ピンクや白の山茶花はひときは目立ちますね。山茶花と椿、どこが違うの?・・・。私は見たことがないのでわかりませんが、椿はボテット全部一緒に落ちるので、侍が嫌う花。 山茶花は大きな花弁を散らす様子が椿とはちがいます。花の時期も椿に比べ早い(11月)のと、花と花弁の両方が楽しめる貴重な11月の花です。

   http://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/hana-sazanka_large.html

 お茶花としても大切に扱われ、玄関・床の間を一輪飾られた情景は何か住む人の人柄がしのばれいいものです。小さい頃、山茶花と椿の違いがわからず庭に咲いた山茶花を見つけると、椿の狂い咲きと思い採ってきたのを思い出します。昔の武士は椿のように思い切りがよかった。泣いて帰ると「ヨシオくんは男でしょうメソメソ女のよではアカンデェ!・・・」、又戻ったものです。

 山茶花と椿は、私の中ではどうも同類らしい・・・? 今のイヤガラセ・イジメの世相、子供の頃はまだ同情もできるが・・・? 大人の世界もアルンと違いません・・・! 仲間・近所・金銭・恋愛・職場・家庭(?)等、気にしてたらいくら花弁があっても足りないのでは、最後は椿のように自殺となるんでしょう。

 エッ・・・、お前は鈍いからと違うか・・・、そうかもわからん・・・、屋台でコップ酒ひっかけると機嫌がなおるもんなあ・・・、その後、スナックのカワイコチャンとカラオケでおしまい。人間が単純にできてるんです。この障害人、今の身体で毎日、痛い・怖いの繰り返しでも車椅子で、スーパーの酒類売り場で銘柄選んで喜んでいる性格には家内もアキラメとナットク、困ったものです。 

“11月22日” - 『いい夫婦の日』 - “11月23日”

2006-11-23 | Weblog
 23日(木)  5時起床

* 『いい夫婦の日』
 11月22日・・・「いい(11)ふうふ(22)」の語呂合わせ。
 11月23日・・・「いい(11)ふさい(23)」の語呂合わせ。

 「いい(11)にい(2)さん(3)」・・・いい兄さんの日
                        姉の日・・・12月6日
                        弟の日・・・ 3月6日
                        妹の日・・・ 9月6日
 「いい(11)ファ(2)ミ(3)リー」・・・いい家族の日
 「いい(11)ふみ(23)」・・・いいふみの日

 11月は、「ゆとり創造月間」。今日は、『勤労感謝の日』(Labor Thanksgiving Day)で国民の祝日です。勤労を尊び、生産を祝い、国民互いに感謝しましょう。1948年(昭和23)公布・施行の「祝日法」で制定されました。

 いい(11)ずくめで、11月はいいはずが、寒くなりましたなあ~。会社が定年ののかたは、妻から「リタイヤ後、夫婦でいる時間が増えるのは、うれしくない」→「定年離婚」。「シビアで現実的な妻」 対 「賢母幻想にすがる夫」、立場が一転逆転する、野球でいえば延長戦に入るわけです。

 11月から本格的な冬を迎えるここ信州では、冬支度、漬け物・車のタイヤ交換・落ち葉・水凍結準備と、「いい」11月どころか・・・ああ! いそがし!!・・・あんたなんか、かまっていられるかいな、ましてや離婚どころかそんな時間はアリマセン。

 障害人の私なんかは、できるだけ邪魔にならない様、手がかからないよう気をつけないと来年の今頃は、いられないかもわかりません。そのような月が今月なんです。   

“回転寿司記念日” & 「いい夫婦の日」・「川柳の日」

2006-11-22 | Weblog
 22日(水)  4時半起床

* 回転寿司記念日・・・回転寿司チエーン「回る元禄寿司」の考案者である、白石義明(元禄産業元会長)氏の誕生日(1913年11月22日)を記念日にされました。
 白石氏は1958年4月に、大阪・東大阪市で1号店をオープン、にぎり寿司という高級食べ物?を私たちの身近なものにしてくれました。
 1皿100円(初期の元禄寿司は50円)という明朗会計(高い皿は色を変える)、自分の懐具合と相談しながら、当時千円札 1~2枚でも気軽に食べる事ができました。喫茶感覚で、にぎり寿司が食べられ私もよく利用さして頂きました。

  http://www.mawaru-genrokuzusi.co.jp/soushi/sougyou.htm 

* いい夫婦の日・・・「いい(11)ふうふ(22」の語呂合わせで、余暇開発センター(現・自由時間デザイン協会)が1988年(昭和63)に制定されました。11月の「ゆとり創造月間」の一環として、余暇やゆとりの大切さをアピールすることを目的に明日の“勤労感謝の日”と連休にしようとの動きもあるように聞いております。

 回る『回転寿司』で家庭円満(現在流行?の定年離婚ではありませんぞ)、『いい夫婦の日』の今日は、家庭で『川柳』でも一句

* オール川柳の日・・・川柳雑誌「月刊オール川柳」の創刊日が1995年(平成7)の今日であることから出版元の葉文館出版株式会社が制定されました。

   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E6%9F%B3 

  今朝の一句
    〇 障害も 今は楽しい 九年目
     (落目3年・考え3年・やる気3年、さあこれからは仕上げの年に!)
  いい夫婦一句
    〇 携帯で 笑顔は同じ 孫の顔
     (孫の携帯画像からの笑顔は、わたし? おまえ?・・・どっちに)
  最近の一句
    〇 ブログ友 デザインばかりが かわりゆく
     (ブログのデザインがめばえするので、よくかわるが本文はここ1ヶ月音沙汰がない)

 私のように才がないと川柳も出てこない。 まいど 我慢してください。  

「インターネット記念日」

2006-11-21 | Weblog
 21日(火)  6時起床

* インターネット = 世界中のコンピューターをつないで加入者の間で情報交換ができるようにした国際的な通信情報サービス組織。(国語辞典・三省堂)

* インターネット記念日・・・1969年(昭和44)11月21日、インターネットの元祖である ARPAネット の公開実験が、カルフォル二ア大学ロサンゼルス校・スタンフォード研究所・カルフォル二ア大学サンタバーバラ校・ユタ大学の4ヶ所を結んで開始されました。結果的にこの日がインターネトの元になっているので、インターネット記念日になっています。

 私たちはパソコンで今はあたり前のように毎日インターネットを使っているけど、こんなに便利な機能がひと昔前は想像もできなかったとおもいませんか。  昭和60年、私が京都の料亭“土井”にお世話になった時、そこの若旦那(社長)が パソコンで来客の前で請求書を瞬時にできるよう組み込み ビックリ! しました。その方から説明されましたが頭のできの悪い私には、チンプン~~カンプン 解らず弱りました。インターネットの利便さも言っておられたようですが第一高価なものだとの印象が強く、弄くるのがコワカッタのを思いだします。

 それにしても、インターネットってそんなに昔からあったのですね  障害人の今は私の机の上にもあります。便利な反面、パソコンには毎日「MEIWAKU]メールが反乱し色んなトラブルにも遭遇するなど、使いようでは便利な反面、トラブルも多く悪用されて社会問題にもなる悪魔のような存在でもあります。

 3年前から、「障害者・高齢者パソコン広場」に携わり、地域のパソコン初めての方のお手伝いに(高度なことは今もわかりません)毎週3日、お守をさしていただいております。おかげで障害後遺症も忘れ病も9年目になりました。感謝しております。  

“ホテルの日”

2006-11-20 | Weblog
 20日(月)  5時起床

 1890年(明治23)、帝国ホテルが開業されました。

     (東京帝国ホテル) 

     (大阪帝国ホテル) 

     (上高地帝国ホテル)

  http://www.imperialhotel.co.jp/index_j.html
  

 田舎者の私が、ホテルを知ったのはいつ頃からだろう。東京の宮城前・大阪中ノ島・信州上高地の帝国H、もちろん宿泊はしておりません。お仕事です。でも上高地はレジャーに登山基地として食事・喫茶と利用しました。私がホテルを身近に接したのは、大阪万博が開催された40年代でD社も大阪で5箇所のホテルを万博期間中3部屋を借りきりでした。経済成長の時期で他所からのお客接待に毎日15部屋が満員、当時秘書課の仕事をさしていただいていた万博半年は、大阪・京都・神戸・奈良と関西の案内、食事・パーテーにと茶坊主よろしくホテル間を走り回っておりました。

 仕事が深夜に及び、借りきりの部屋が空いていると、秘書課長からタクシーで帰らなくても泊まって明日の早朝の仕事をおおせつかり、分不相応なシュクハクをさして頂いた。それ以降ホテルになれるとビジネスホテルを利用するようになり、日本旅館でお世話をしていただくより使いようがヨカッタのか、ホテルが好きです。

 信州にきてからも、東京・大阪はホテル、温泉地の場合もホテル利用が多く、日本全体にホテル様式の旅館が増えたようにおもいます。海外旅行は、予約時・幾☆ホテルと聞かれる。ここで一つ、ホテルもプライバシーが守られるとはいうものの、もとは田舎ものの私は、中の下クラスが好きで格式のお高いのは好きではありません(もちろんお値段も)。ホテル+日本旅館・・・今は観光地の旅館も日本情緒を考えたホテル形式が多いように思いますが、また昔の旅篭が好まれる逆志向になってきているんではないでしょか。

 ここ近年は不景気で、私の住んでいた観光地も近くですから泊まったことはありませんが、近頃余り良い評判を聞きません。自然が良いのに甘えていては通過地区になり、交通利便をいいことにされ他へお客をもって行かれ寂れるのを危惧するのはお節介でしょうか、住んでいる土地は活気のある活力があって欲しいと願っております。 ガンバレ! 蓼科!! 白樺湖!!!   

“ブログ” & 「カラオケ」

2006-11-19 | Weblog
 19日(日)  5時起床

 パソコンのホームページ(ブログ)公開・歌のカラオケ披露、何か似てませんか・・・?。
 みんなが自分に注目していてくれるようで、ハズカシイ、みんなの関心が自分を見ているように思えて、もっと上手くなってから公の場に出よう・・・?

 気にしているのは自分だけで、カラオケは歌っている人だけがノッテイルので、他の方は自分の次の曲を考えている。HPも内容を、アアデモナイ・コウデモナイと考えているのは自分で、800万余からのブログ愛好者の中から目を惹きつけるのは至難の業です。

 ここで言いたい事は、他人のことは置いといて、自分が満足いくことを考え、まず自分を満たしてから次に進む余裕をもつことが必要ではないかと思います。
 スナックでカラオケが流行した当時、シロウトの下手な歌を聞くと酒がまずくなる!?・・・と、敬遠されたお店も出たと聞きました。歌唱室を設けたお店もありました。それでも美声をあげるご機嫌なお客の獲得には、仕事となるとご苦労なことです。

 ブログも同じで、自分が見たいもの・紹介したいもの・言いたい事を皆に公開し、同類の仲間が集まり輪ができるのではないでしょうか。クラブの仲間は同じレベル・考えのもの同士が集まり、ワンアップをめだす時講師をお呼びして上達する、知りたいこと以上は無駄なように思います(習う側から)。人間は知っているとつい聞かれてもいない事を披露する(教える側)、聞いている方は高度で難しいからタイクツ、それが続くと止める。
 高齢者の習い事も教える側・教わる側、何かいまの社会の イジメ・イヤガラセ はどの世代にもあるようですね。
 
 来月、 茅野市カラオケ「演歌まつり」が市民館で催されます。久しぶりに聴きに連れていただこうかお願いしようと思っています。 

「土木の日」 & “くらしと土木の週間”

2006-11-18 | Weblog
 18日(土)  6時起床

 「土木の日」&「くらしと土木の週間」は、広く国民に土木技術や土木事業に対する大切さや理解を深めていただくため、1879年(明治12)の今日設立された日本工学会が、1987年(昭和62)に制定されました。「土木」が 『土=十一と木=十八』と読める事からもこの日にされました。土木学会・日本土木工業協会等や建設省(国土交通省)が支援しております。

     

 地震・水害・竜巻 & 道路工事・整地等、私たちの生活に欠くことのできない土木事業、またこれらに使う莫大な経費から汚職も絶えません。特に最近各県でおこる知事の業者との癒着、私たちには残念でなりません。上は国会議員から、地方首長・地方議員・担当者と業界全体に蔓延、入札不正談合から始まり完成まで目が離せない、きな臭い世界でもあります。

 “土(水)を治める者は、政治を制する” といわれる私たち生活に深いかかわりもつお仕事、水害でお百姓が困り、住民が生活に窮し、道路欠陥で交通麻痺・混乱と、今年は特に大型竜巻来襲と多かったように思います。そこへ復旧・建設事業にまつわる汚職群、みなそれらの財源は国民の税金からと、薄給で泣いているしもじもははらがたちます。どこへ不満をブッツケタラいいんでしょう。
 それにしても、知事さんの悪知恵、昔の悪代官がよく出てきますね。
「談合列島ニッポン」 ・和歌山県知事! ・福島県知事! ・岐阜県知事! ・宮崎県知事!?ーマダアルノ  

「将棋の日」 & “いなりの日”

2006-11-17 | Weblog
 17日(金)  5時起床

* いなりの日・・・大好きな いなり寿司! 日本の食文化の中でも私だけではなく多くの人に、親しまれ・愛され・人気のあるいなり寿司。そのいなり寿司を食べてもらう機会を多く増やそうと、いなり寿司の材料を製造販売している、株式会社みすずコーポレーションが制定されました。日付は、「17の、い~な」 で毎月17日です。

* 将棋の日・・・江戸時代、将棋好きの8代将軍・徳川吉宗が、11月17日を「御城将棋の日」とし、年に1回の御前対局を制度化しました。この故事にちなみ日本将棋連盟が1975年(昭和50)に記念日に制定されました。
 現在、将棋界には、 竜王・名人・棋聖・王位・王座・王将・棋王の七大タイトルがあります。1994年に前人未到の六冠に輝いた弱冠24歳の天才棋士・羽生喜治名人は、 『美しい将棋は強い』 が持論で、パソコンを利用するなど研究熱心でも有名です。

http://www.shogi.or.jp/

      

 私も、いちおう囲碁・将棋もやります。どちらも下手・下手・下手糞で、職場で指していますと、横合から ああだ・こうだ・いやこっちだ、誰が指してるのかわからない、ついにあんまりうるさいので投げ出す羽目に、いい思い出はありませんでした。それにしても思考力のいい人はなんぼ外野席がやかましくても強い、いつも感心してその方を尊敬しておりました。
 家にも一式そろえ、参考書で一人勉強をするんですが?・・・、一人ではダメですね。やはり相方が必要です。今はパソコン将棋もあるそうですが、こわくて・・・?手をつけたことがありません。

 子供の頃、学校の遠足に母がよく、いなり寿司を持たしてくれました。あまからいお油げ・ご飯ににじんだ味ご飯、D社食堂昼食では いなり寿司にきつねうどん とよく厄介になりました。手軽でほんとうに庶民の軽食と口に入る食べ物でした。今でも家内から今日のご飯何にする・・・いなり寿司で簡単に終わろうか・・・洋のハンバーグ&和のいなり寿司 というところではとおもいます。

      

 


「いじめ→自殺→未履修→やらせ質問→教育」

2006-11-16 | Weblog
 16日(木)  5時半起床

 将来の日本をになう子供の教育問題に、今わが国は突き当たっています。

『子供の喧嘩に親が出る』・『子供の喧嘩親かまわず』・『馬は飼い殺せ、子供は教え殺せ』・『子供は風の子』・『子無しに子を呉れるな』・・・・・。

 諺にいている意味が、今の親には子供のことがどこまで理解できてるんですか・・・?、今は自分たちの生んだ子を、誰が大きくしているんですか・・・?、幼児を、いとも簡単に虐待・殺害が日常茶飯時、動物とカワラナイ(むしろ犬以下)・・・?、そして大きくなった子供は中学生で自殺思考・・・?、学校は、進学のみの教育機構(未履修問題)・・・、それを指導する機関は演劇会(題名・教育改革タウンミーティング・文部省主催)、最後は教育界の最高者の土下座・自殺・・・とその間、親は他人事のように先生に逆説教・・・、いったい子供の教育の基本は何処で・誰が・何をするべきか、何のため文部省という大きな立派な組織までつくり、国会議員羨望の大臣まで置いているのか、さっぱりわかりませんな。

 将来を託す人材育成の大工場が倒産しそうになっております。現場の教育社員はお客に頭を下げ、まだ足りない分自殺行為で補い、私から言わせれば定年真近のキノドクナとしか言いようがありません(今回の出来事は個人が責任をになうものは何もないようにおもいますが?)。何かカッコ良過ぎませんか・・・?。

 私たちの(古希年代)子供のころは、将来のなりたい職業の№1は、 「学校の先生」 でした。家にお金がなかったので(先生になるには教育課程に進まないとダメ) とアキラメたものです。ですから当時は先生の言う事は何でも聞き・守り・実行しました(いじめ・嫌がらせで廊下に半日たたされたこともありましたなー)。親は家庭での子供の教育をやかましくやり、学校のことに口出しすると笑われたものです。

 ああ、当時が懐かしいなあ~・・・、どないになるんやろう~・・・、今の子供、カワイソウヤなあ~・・・、勉強!勉強!勉強!→塾!塾!塾!→大学進学