いたこわ漫遊喜 -霧ケ峰山麓発信-

 脳出血からの後遺症13年目、前に歩め歩めの毎日。
   (起・HP2005.1・blog2005.8~ )

“大佛次郎” & 「鞍馬天狗」

2006-04-30 | Weblog
 30日(日)  6時起床

 大正・昭和の小説家・大佛次郎は、関東大震災を機に外務省を退職し、文筆活動に入った。日本の作家・小説家として人気を集め、『鞍馬天狗』シリーズは有名。
 新聞小説「照る日くもる日」「赤穂浪士」で文壇の地位を確立。後年、病床においても克明な日記をつけていた最後の記述に、

 “みんなしんっせつにしてくれてありがとう、みなさんの幸福を祈ります”

 とあった。その5日後の1973年の今日、没。

 私が子供の頃、手製の木刀を腰に片手を隠くし「鞍馬天狗だ!」 と正義の味方振り、悪を退治と悪童役を追っ払ってかっこ良い役(自分勝手に)、お伴の連れ合いにはすまなかった気後れもせず、ヤンチャを出来たのも山奥の小さなだったからと当時をおもいだします。

 大佛次郎さんの小説には、正義感が盛り込まれ、読んでいくうち自分が主人公になったようで痛快感に慕った。近所の柿をとっても正義をしたようで、皆に自慢そうに分けて食ったことが妙に懐かしい。自分ちんは取らず、他所のを取りに行くところが正義  と思っていたのだろう。 エッ  ヘン  。

   


“みどりの日”

2006-04-29 | Weblog
 29日(土)  6時起床

 “自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心を育む” 今日は国民の祝日です。
 
   

 〔経緯〕 
 * 1927年(昭和 2)から1948年(昭和23)までは「天長節」という祝日で、四大節(新年・紀元節・天長節・明治節)の一つ。
 * 1949年(昭和24)から1988年(昭和63)までは、昭和天皇の誕生日を祝う「天皇誕生日」。

 1989年(昭和64)1月7日の昭和天皇崩御の後、「生物学者であり自然を愛した昭和天皇をしのぶ日」 として 『緑の日』 とすることとなりました。
 また、2007年よりこの日は「昭和の日」と改められる予定で、趣旨は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いを致す」のが意味合いです。

  私は小学2年生の時、山奥の田舎で終戦を迎え、飛行機・空襲・爆弾の怖さは知らなかったが、家が農家でなかったので食料難で食べ物には苦労した。白米のご飯を食しておられる友達がうらやましかったのを今でも思い出す。故郷を未練なく出たのもうなずけると思う。当時子供の遊びは、男は野球、女はバレーで、野球に夢中になり近隣の学校に負けたくなく、中学・高校と未来のスター・・・???を夢見て勉学が置き去りになったのが、今の言い訳です。内弁慶だった自分を失笑すると同時に、当時は幸福だったかもとおもっています。 

 田舎者が都会にあこがれ、鈴鹿の小狸(あざな)から、彦根・大津(滋賀県の県庁所在地)・京都・大阪・神戸等と、怖いもの知らずで世間を経験さして頂き、日本の首都・東京も闊歩し、最後はあこがれの信州に落ち着けたのも、今は皆さんのおかげと感謝しております。次元は考え方と障害人の今の身も、ひょっとして元気で居るより幸福かもと、ここでも自分勝手な考えでスンマヘン  

“シニアの日”

2006-04-28 | Weblog
 28日(金)  6時起床

 「シ(4)ニ(2)ヤ(8)」の語呂合せ。
 辞書では年長者・先輩・先住者・上官といった意味。一般的にサラリーマンを定年で卒業した人で主婦は子育てを終わった人々をさしている。現在は男女とも、会社の仕事・子育てに一つのピリオドを打ち、経験や知識・知恵を生かし第二の人生を目指す人々を 『シニア』 と呼んでます。

 時代と共に平均寿命が上り、会社の定年も55歳から60&65歳へと、また世間では急速な高齢者社会の到来などと対策が騒がれている昨今ですが、私も70歳を迎える昔で言えば立派な “お爺ちゃん”、先日も年齢の話が出たとき “まだ、お若いですよ、頑張ってもらわにゃ”、嬉しいやら・お世辞か、新聞のおくやみ欄には、80・90歳が大半です。昔のシニアと今の高齢者は年齢の境がなくなって個人によって差があるように思います。

 「障害者・高齢者パソコン広場」のクラブ立ち上げ時、60歳か70歳で議論があり、一方人生の区切りで50歳&60歳論、結局下り易く中を取って 『60歳』 に決定したが、実態はシルバー(高齢者)やオールド(老齢者)の区別が個人によっておおきな差があることがわかりました。画一に線を引くことに問題があるように思います。

  2003年8月から2年10ヶ月、下り坂になるとの予想もこの世界は逆現象で、高齢者の方のパソコンへの関心は高い。小学生から授業に取り入れられ、会社のデスクにはのっかり、これからのシニアにはパソコン講習は必要なくなると思ったが、先日現役の方からパソコン習いたいがと相談され不思議に思い、あなたのような方に、なぜ必要ですかと訊ねたところ、仕事のパソコンは出来るが、楽しむパソコンがしたい、今毎日携わっているパソコンではなく、インターネット中心の遊ぶ、楽しい、テレビ感覚のパソコンで、会社のパソコンは仕事上で沢山、規制のある会社の環境では満足できないのが本音らしい。数年前のパソコン教室を思い出したのは私だけではないとおもいますが・・・。  (電話の世界も変りました、相手を見ながら話せる)

  
 

 

 

寿司 & “にぎり寿司”

2006-04-27 | Weblog
 27日(木)  5時起床

 近江の山奥生まれ、子供の頃チラシ寿司は食べたことがあるが、新鮮な魚でにぎった寿司を知ったのはいつ頃だろう。今はスーパーの食品コーナーにも並び、手近な食べ物として、100円の回転寿司店から一貫○○円の高級寿司店まで食べ物界の王者といってもよい。

 店名は忘れたが、就職して訓練生で京都の繁華街の裏町で、一皿20円の皿を積んで枚数と懐を気にしながらお好みのネタを注文するのが楽しみだった。たしか京極と河原町の間で地方の友達を案内したものだ。懐があったかいとお腹が拒否するほど食した思い出がある。

 寿司のツウぶるのは私なんかは出る幕でないので止めるとして、関西のサラリーマン時代、信州から東京への遊び人散歩巡り、カナダ旅行の外国寿司店、今は諏訪のスーパー角上(日本海寺泊)の現地直送のにぎり寿司を週一回、それも家内と二人で一人前と少食になった。ネタが新鮮で大きく(8貫・800円)、私たちには手ごろで少量のアルコールと組み合わせ楽しみな夕食です。

 にぎりは、マグロが黙っていると定番。今の季節ははまち、その時により旬のものをお願いする。便利な世になったものだが、懐かしい回転寿司店は山の町からは消えていくようで寂しいが、噂では東京のような大都市の回転寿司店は豪華なシステムになり繁盛していると聞くが障害人の私にはと~い存在になった寂しい。
 あの雰囲気が大変好きだった。急ぐ時の駅のたち食いカレー店、寒い時の街中のラーメン屋、懐の寂しいときの牛丼、チョと豪華にホルモン焼肉、賑やかな焼き鳥屋と何を食っても美味しかった数年前に帰りたいが、味覚を遣られた今は回顧するより仕方がない。

 信州味覚散歩では白樺山荘の焼肉コーナ、何といっても信州そば、山菜のてんぷら・きのこの味は忘れられない高齢者の今の味覚であります。これからも自分にあった味覚散歩に精を出そう。  

桜 & 花見

2006-04-26 | Weblog
 26日(水)  5時半起床

 “飲めや歌えのお花見”、ここ一週間諏訪も各地で満開の季節になりました。
さくらから日本人は他の花にない、何か特有の美を発見し、その美からある種の神聖性をも表し、認めるほどになっています。さくらを愛する習慣は古から文芸作品にも表し、観賞の対象として美しいものの最高に位置づけられています。

 美しい花は、サクラだけとは言いませんが、“花より団子”の花といえばサクラを指しているし、“花見” とはサクラに限られた言葉で、満開の花の下でゴザを敷き酒宴を催すのも、いさぎよい短い花の美しさを愛したのだろうとおもいます。 

 日本は毎年南から北へ、ずれはあるがは間違いなくどこかで、サクラの名所をつくり花見客で賑わっています。諏訪も今年は4月下旬、あそこ・ここと車で通るところはサクラに事欠きません。また紙面には近郊の全国版、高遠城址公園・小諸懐古園・松本城とサクラの花で彩られています。

 春は各家の庭の手入れの行き届いた花、道端に愛でしい素朴な花、土手・湿地には家では見られない珍しい花、元気な時瞬時を惜しんで信州の各地を飛び回った頃が懐かしいです。 
 障害人の今は、パソコン仲間の  HPやブログ で楽しませていただいてます。
お花の名前知識の無い私に、みんなわかるかな~???。 



(花の名前、全部わかりますか・・・・)

 







「拾得物の日」 & 大貫久男さん

2006-04-25 | Weblog
 25日(火)  5時半起床

 1980年(昭和55)、東京・銀座で大貫久男さんが現金1億円を拾った。
落とし主は現れず、1億円は全額、大貫さんに渡った。

 1億円入りのふろしき包みを、トラック運転手・大貫久男さん取得。その後いたずらや脅迫電話・手紙が殺到、カツラを新調されるなど苦悩された。勤めも退社し、24時間警護のガードマンも雇い(期間の全警備費用約400万)、落とし主の所有権の時効が生じた同年11月9日、拾い主の大貫さんに移った。1億円は3種類の定期預金に入金されたそうだ。

 翌年の大貫さんの確定申告、総所得額は約1億400万円、課税対象額5139万円、所得税2600万円、地方税約800万円となり手元に残るのは 7000万円。
 2000年12月6日、心筋梗塞で死去(62歳)。

 羨ましい話しの反面、なにか大貫さんには関係ないが、いや~な実話である。
ちなみに、この年(1980年〔昭和55〕)はどんな年だったんだろう。

  * 観測史上1番の冷夏。農作物に被害大、被害総額は7000億円。
  * 「早い・安い・旨い」の牛丼チェーン吉野屋倒産。
  * 20才の大学受験浪人が就寝中の両親を金属バットで殴り殺す。
  * 宗教団体「イエスの方舟」捜査開始。千石イエスと女性信者、熱海で発見。
  *  巨人・王貞治が現役引退。“障害1補手”の野村克也が引退。
  *  山口百恵が三浦友和と、結婚、“百恵フィーバー”のうちに芸能界を引退。
  *  パンダの 「カンカン」 が死亡。

 この年の流行
  ●  「それなりに×××」・「ピッカピカ」・「カラスの勝手でしょ」
  ●  漫才ブーム
  ●  流行歌・・・「恋人よ」・「雨の慕情」

 以上のような年でありました。
 今、ふりかえると何かがこれから起こりそうな予感がします、現実ではわからないでしょう。野球も長嶋・王の時代も終わり、百恵も結婚、否な世相と生臭い事件と下り坂に来ていたのでしょうか。大貫さんのご冥福をお祈りします。 

 
   



 

“岡本太郎” & 「太陽の塔」

2006-04-24 | Weblog
 24日(月)  5時半起床

〔人生〕人間だれもが障害者なのだ。たとえ気どった格好をしてみても、
     八頭身であろうが、それをもし見えない鏡に映してみたら、
         それぞれの絶望的な形でひんまがっている。
    しかし人間は、切実な人間こそは、
     自分のゆがみに残酷な対決をしながら、また撫ぜいたわりながら、
         人生の局面を貫いて生き、進んでいくのだ。
       (「強く生きる言葉」ー岡本太郎ー太郎のつぶやき)

 私の人生のなかば三十代に、大阪千里が丘に巨大で変てこな彫刻が出現、当時の人間を毎日のみこんだ。日本ではじめての世界万国博覧会場である。この年半年は、万博に明け、万博にくれた毎日であった。サラリーマンです、時たまなんでこんなことをと思いながら流れの中に入り過ぎ去った夢中な時期を回想します。

 障害人の今、氏の前述のつぶやきを最近思う。
健常人は、今なにを考えているんであろうか、忙しいのか・時間がないのか・邪魔臭いのか・気がつかないのか・・・、多分必要でないんだと。些細なこと・無駄なこと・余計なこと・邪魔臭なこと・・・、小さなことに気が周り、繊細な心使いに気やり、多分大きなことを考えても出来ないことがわかりあきらめているんだろう私は。

 周期的に襲ってくる癲癇、健常人には理解できないだろうが、責任は自分であることはわかっているので、ほっといて欲しいが、周りは親切で気配りか諭してくれる。余計に高ぶる心の中をわかってくれるのを回避するには、そのような環境から自分から遠ざかるより方法はないようにおもいます。

 近頃、「死」 をよく思う。「尊厳死の意思表示カード」、 人間らしく、自分らしく死にたい、最後まで頑張れたら、「延命治療」 は拒否したい。家内と話し会員に登録しました。
 
“生きること 死ぬことを 大切に思い 人まかせでない 自分の生き方を考える”

 家族や、周囲の方々に迷惑をかけない生き方を、そうした中で少しでも役になるなら迷惑にならないいよう仲間にも入れて欲しい、欲張りかなぁ。 
   

“サン・ジョルディ” の日

2006-04-23 | Weblog
 23日(日)  6時起床

 バレンタイン・デーやホワイト・デーとは知名度は低いが、 「サンジョルディ」とはスペイン・カタルーニャ地方の伝説の騎士で、悪獣のいけにえに差し出された王女を救った英雄です。4月23日が彼の殉教した日で、愛の守護聖人の偉業を称え、女性は男性に本を、男性は女性に聖人の象徴である赤いバラを贈りあって、愛する気持ちを伝え合う習慣ができました。

 『ドン・キホーテ』で知られる作家セルパンテスの命日とも重なり、スペインでは「本の日」とされ、市が立ちます。日本でもこの風習を定着させようと、スペインの伝統をそのまま拝借、1986年(昭和61)、日本書店商業組合連合会が 『サンジョルディの日』 と制定しました。
 
   

  私の書籍に費やす費用は、月約10000円。元気な時はその時々に変るが、最近はパソコン関連、辞書類、参考書(言葉・話題等)が多い。年のせいか、家を出るときの覚えが書店で忘れたり、以前求めた本を重ねて買ったり、買ってはきたが積んだままと、本の冊数の割には身につかないように思います。

 東京の娘が今の仕事の始めた頃は、関係のヤング系のもので皆に不審がられたり、面白くないベストセラー?を集めたり、格好だけの無駄使いもあるが、ブログ日記を始めてからの辞書類にはお世話になっている。若いときの怠けが今に回ってきているのでとは思っているが、パソコンのインターネットばかりに頼るより、私たち年代は書籍が一番いい、落ち着いてものごとが考えられる。

 東京神田の古本屋街・大阪梅田・京都河原町とみんな懐かしい、今は茅野の平安
堂で月一回であります。新聞の解説を読んで、本屋で現物を見て・・・これも生活の楽しみの一つです。 

  阪神、また負けた  幾つ負けたらすむねん・・・。

“お多賀さん”

2006-04-22 | Weblog
 22日(土)  6時半起床

   お伊勢参らば お多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる 
     お伊勢七たび 熊野へ三度 お多賀様へは月詣り

 祭神は天照大神の両親にあたる伊邪那岐命と伊邪那美命の夫婦神様を祀ってある、お伊勢さんに並ぶ古くから信仰を集めている神社です。此処が私の故郷、滋賀県多賀町です。彦根城から約二里(8㌔)、お多賀さんから鈴鹿山脈の麓へまた二里(旧大滝村)に私は昭和11年の夏生まれました。

(お多賀さん)

 山村の1学年25名が2クラス、父親が小学1年の時病死、アメリカからの輸入?スポーツ野球に山間の狭い運動場で毎日夢中でした。夏はノーパン(俗にフリチン)で、川原の渕で、古橋!・橋爪!と土地のヤンチャ坊主であったように思います。小さな学校ですから、小学の時から中学生にまじり、藤村・別当・川上・千葉・小鶴と軟式で戯れ、未来の名選手を夢見、高校で1年硬式も経験しました。

 家庭の事情で中退・就職、高校野球部の座り込み事件を後で聞き私もいたら同罪だったとおもいます。団体競技のクラブ、会社組織と、個人の存在などは微々たるもので歯車のひとつとして動いても、はずされたらただの人を見ていると何か切ない、後の人生の生き方に大きな指針を与えてくれたと思うと同時に、障害人の今人の世界の “人と人とのつながり” の大切さも教えていただいた。

 今日は、お多賀さんの春のお祭り。近江鉄道多賀駅から約1キロ、お土産やが並ぶ参道に私の好きな“糸きり饅頭”屋の友達のM氏はどうしてるかな・可愛かったあの娘は・賢い彼は・・・と70歳になっても、障害に侵されても、自分は若くて・元気と勝手に考えているのがおかしく、一人笑みが出てく遠く離れている、お多賀大社のお祭り日です。 

“民放の日”

2006-04-21 | Weblog
 21日(金)  5時起床

 1951年、日本で始めて民放16社に放送の予備免許があたえられた。翌年同日には日本民間放送連盟(民放連)が発足。同連盟がこれを記念に 「民放の日」 を今日に制定しました。2006年4月1日時点の会員は201社です。

 民放連は、「民放共通の問題を処理」し、「民放の公共的使命達成」を目的として組織され、定款の中で
 
 『この法人は、放送倫理水準の向上をはかり、放送事業を通じで公共の福祉を増進し、その進歩発展を期するとともに、一般放送事業者共通の問題を処理し、あわせて相互の親睦と融和をはかることを目的とする』
 
 ことを明らかにしております。

  私たちは、ラジオ・テレビ等一般放送に接しない日はない生活をしております。プロ野球が好きな私は、朝新聞からテレビ放送の番組時間で、その日のスケジュールが決まる毎日、すっかり生活からは欠かせないお世話になっております。

 50年前滋賀の山奥集落で当時ラジオが主力であった、大相撲放送がテレビで放映され、10円(畳の損傷代)で、村の方のおうちで見せてもらった思い出がある。今はそのテレビに簡単に知り合いも出るようになり、また世界中のどこからでもニュースが飛び込んできます。

 毎日欠けたことのない交通事故の悲しいニュース、世界では絶えない戦争、お笑い番組、政治の茶番劇?・・・、その放送の内容の可否はともかく、私たち人間を操っていますのには間違いありません。その意味からでも民放連の存在は大きく重要でたよりにしてます、 “しかりしてや!、頼むで!”。

 今シーズン初めての、阪神×巨人戦が東京ドームで今日幕開けや、調子のよくないタイガースではありますがジャイアンツだけには勝ってや 
テレビでしかり応援するぜ。 

   

郵政記念日

2006-04-20 | Weblog
 20日(木)  6時起床

 1871年(明治4)の今日、それまでの飛脚制度にかわって、郵便制度が実施。東京・京都・大阪の三都市と東海道線の各駅で郵便物の取り扱い、切手の発行が始まった。記念日に制定されたのは1934年(昭和9)からです。
 この日から1週間、 「郵便週間」・「切手趣味週間」 も始まる。

(記念切手) 上高地・槍ヶ岳・レンゲつつじ・カタクリ 

 私が公社時の大阪で、三公社五現業・三つの公社(日本国有鉄道・日本専売公社・日本電信電話公社)と五つの現業官庁(郵政・国有林野・印刷・造幣・アルコール専売)は、会社の親戚付き合いがよくあり親しく懇談していた。現在、三公社は総て民営化され、昨年は郵政公社の年でもあった。入社したのが郵政から分離した日本電信電話公社の初年度 → NTT(民営化)した年退職。その母屋の郵政は現・公社で民営化も迫っている。時代の流れは懐かしい、郵政の方と仕事の後親交をかわしに大阪の街を闊歩したものである。いつも新屋の電電は郵政に一歩おき先輩を立てたものでもある、懐かしい時代であった。

 くろねこヤマト・佐川と宅配だけを見れば、サービスは郵政と格段の差がある。又保険業務も民間とは比べものにならない昨今、私は民営化は止む無し派、例えば業務の性格からいって、土・日休みはおかしいとは思いませんか。

 ついでで悪いが、NHKがなぜ民営化にならないのかが不思議でならない。企業内の資質の悪さ、番組内の自社(NHK)コマーシャルの多さ、画面の民間比較と変らない低毒番組、そこへ民間ケーブル会社の進出、庇護から生まれる社内内部の経営の甘さ、民間へ出て競走しては如何かと、考えているのは私だけではないと思うが・・・。

 昔の仲間であった企業が、自分とこだけの思惑はいまの時代には合わない。報道の公平・性格、ほんとこかなあ 
 もちろん一番正してもらはなければならないのが、言うまでもなく国のトップである。議員さん、官吏さん・・・、あなたたちがしっかりしなければ、日本はよくならないんです、わかって下さいよ・・・ね。子供と変らないことに時間を費やしてもらっていては困ります。 


サラリーマン & 定年

2006-04-19 | Weblog
 19日(水)  6時起床

 「出世することを心がけつつ、かりにそれが失敗に終わったとしても、サラリーマンになったことが、自分にとって成功であったと思えるようになりたいものだ」
(新サラリーマン読本)で、そう書いた、明るいサラリーマン小説の祖・源氏鶏太は、1912年(明治45)の今日、誕生しました。 

 富山県生まれ。大阪住友合資に入社(現在の住友不動産)、総務部次長を1956年の退職までの間、2足のわらじで小説を執筆。 『三等重役』 など、月給取りを主題にした、体験を反映させるユーモア小説で人気があった。1985年(昭和60)没。

 私も、20世紀のサラリーマンよき時代の片割れであります。当時は思わなかったことが退職してからはいろんなことを思い出さしてくれます。
 昭和28年、郵政から電電公社に衣替えした年、学歴がなかったので、トンッー生として訓練を受け電報屋で入社三年職務、労使関係の激しい時代に職場内訓練所で事務部門に職転、資材・給与・経理・人事・秘書・厚生・庶務・労務と経験さして頂き、その間、労使争議・日本初の大阪万博・都市対抗野球・公費天国のはしり経験・都市の電話の発展・・・等観さして頂き、昭和60年に電信電話公社から株式会社NTTに移行したのを機に退職さしてもらった。公社一筋の、49歳の当時では若い32年間在職の退職でした。

 才能も特技もなかったが、何か大企業だけで人生が終わるなが物足りなく、二人の娘のけじめも出来た(上・結婚、下・大学卒業)と、私一人の考えで元来のゴクタレ症も頭をだし、家内には申し訳なかったが関西から大好きな信州へ800㌔の移住。  観光で観る土地と定住とは大変な違いがあるのは時代の流れも伴い苦労もしたが、大企業の庇護の生活とは違った目新しい新鮮な日常は、+ の面があったと、障害人の今も後悔していない(家内には申し訳ないが・・・)。 

 源氏鶏太のサラリーマン小説、身近な材題で、体験とユーモア、文筆の才能が私にもあればと羨望するが、後遺症で不自由な身体と僻みの時、家内の 「あんたはあんた、今更かわらんよ」 の一言。生きてる間は自分に出来ることで毎日を過ごそうと思います。 

   

 


“よい歯の日”

2006-04-18 | Weblog
 18日(火)  6時起床

 日本歯科医師会(日歯)が1993年(平成5)に制定しました。「よ(4) い(1) 歯(8)」 の語呂合わせ。11月8日の「いい歯の日」も同じです。

 私は、毎週1回病院の口腔外科にお世話になっている。上歯が20歳の時、オートバイ事故でなくしたのでそれ以後差し歯である。今の病気で味が無感覚(舌が影響)と痺れの影響もあり、どうしても関心がおろそかになるのを避ける意味もある。週1回の歯槽濃度防止のためと、味感覚復活も望めるかも  と 、また歯科衛生士のXさんとの会話も楽しみにしている・・・???。

 私が今の病気の後遺症に侵され、病院が好きといわれる位通院数も増えたが、正直病院が好きな人はいないと思う。そのためには好きになるよう努力するのも必要で、早朝からの診断待ち「3分診療」のため最低半日はつぶれる、モヤモヤ気分解消法はないものか。

 病院待合内に図書室、パソコンコーナー・・・、ほんとに楽しい病院は ・・・昨年病院の方に話したところ、場所の確保・パソコン設置・インターネト環境と整えて頂き、私たち「広場」のボランティア組みも参加、お手伝いさしていただいている(4月10日オープン)。通院者・入院者・付き添い・職員の空き時間と、多くの方がパソコンに接する機会を数多く持つことで関心が深まれば、又の機会に「広場」へ来ていただきパソコンの基礎・初歩等を、今流行の「ブログ」へと、病魔生活の一部でも開放されれば、これからの生活に潤いが少しはもたされ違った日常があるように思います。

 私の今の生活は、パソコンによってリハビリの一端をカバーし、楽しさも増しているように思うんですが、これも私の勝手な一人よがりでしょうか。 特に仲間との「ブログ」は楽しいようにおもいますが、あなたはいかがですか 
 

  




 

“見ようと しなかった世界”

2006-04-17 | Weblog
 17日(月)  6時起床

 先週は一週間(月~金)、諏訪中央病院へ顔を出した。10日(月)にパソコンが設置され「広場」の仲間がボランティアに出てくれてるので、何も出来ないがとは思うが、邪魔になることは承知で病院の「パソコンコーナー」を毎日覘いた。

 状況は先日記述したが、パソコンをはじめての頃の2001年の春、なんとかホームページを出したくて、HPソフト・ビルダー5で、原村のO氏に自宅へ来てもらい三ヶ月教えていただいた。ワード・エクセルが何かも解らず、画像のちょっと(写真が趣味)の知識で、自分が世界に発信されるとのO氏の言葉にも踊らされ無我夢中でパソコンに毎日取り組んだ。何とかできた時の嬉しかったこと、弄らなくてもいいのに画像の入れ替えをしたものです。

 入社の友、Å氏(女性)の歌集からお借りした言葉、 『健康な時 見なかった世界 見ようとしなかった世界 今 考える機会 思う機会 観る機会』  を脳卒中が、私に与えてくれました。彼女の言葉に励まされ毎日パソコンと向きあったものです。片手が使えないのには苦労しました。
 
 それから5年、廃用症候群ではアカン、健常人の仲間入りをしたい、自分は皆とは違うど  と身勝手な考えも交叉し、とにかく近くに出来た、生涯学習センター・茅野市情報プラザーのK氏に、駆け出しのHPでパソコンが出来るような態度で通った。考えれば厚かましいにも我ながらあきれる。話し言葉のきっかけから、茅野市ネットワーク「障害者・高齢者パソコン広場」が、2003年8月に誕生しました。それからはO氏にお世話になりぱなしです。

 今は、数十名のボランティアの方たちの支援で、幼稚ではありますが、「広場」・「ちのトモC」・「病院」と活動の場が出来、仲間の縦横の活躍に毎日を忙しくしております。パソコンの世界は私たちが考えずとも日常の生活に入ってきております。老若を問わず誰もがパソコンを通じインターネットに接し、ここでも  「見ようと しなかった世界」 へ乗り遅れないようこれからもお役に立てたらと、はずかしながら頑張りたいとおもいます。 
  病院にパソコンが入ったのを機会に思ったこと。  

   

世界の喜劇王 ”チャップリン” 誕生

2006-04-16 | Weblog
 16日(日)  5時起床

 20世紀最高の映画作家・喜劇俳優のチャールズ・チャップリンが、1889年の今日、ロンドンの寄席芸人の子として生まれました。涙と笑いに満ち溢れる多数の名作を世に出し、常に社会の不正に対する抗議を秘め、風刺の姿勢を忘れなかった。いつも 『人生はすばらしい。大切なのは勇気と想像力だ』 というセリフは感動を呼びます。ハリウッド映画初期の俳優・脚本家・映画監督で、 「喜劇王」の異名を持ち、愛称は “チャーリー”。 バスター・キートン と ハロルド・ロイドと並び世界の三大喜劇王と呼ばれています。

 笑いは、日常の生活を楽しくしてくれます。私たちの年代で思い出すのは、「やすし・きよし」 の漫才、 おもろかったなあ~  。漫才は、万歳を元に関西で独自に発達したといわれる話芸。二人組による観客の前での、滑稽な会話、それを掛け合う間合いの妙、お客に笑いを提供する演技。関西弁が生きているように思います。

 先日某新聞に 「信州人は関西人が嫌い?」 が掲載されていました。 また最近、PHP新書からは 大阪人の「うまいこと言う」技術・ごめんやす「大阪弁」・「京ことば」の人間関係学・・・等が本屋さんに並んでました。東・名古屋学・関西人の講釈は後にして、関西の漫才は おもろい、話は面白くないとつまらない。もちろん中味のない筋の通らないようでは困るが相手に聞いてもらわなくては始まらない。

 私は、信州で20年。土地で「関西の方ですか」といわれても少しも悪い気はしない、むしろうれしいくらいだし、自慢?に思っている。鈍感といわれるところはこのへんにあるように思うが直そうとも思わない。ゴメンなさい。 

    (在りし日の、やすし・きよしのコンビ)