「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「歴史の順送り」

2017年11月24日 | つれづれ噺

クルマで30分走った位置にある、真言宗御室派の二井寺山極楽寺という古刹で、毎年11月23日勤労感謝の日に「柴燈(さいとう)護摩大法要」という、いわゆる火渡り祭りが催される。初冬の穏やかな日差しに誘われて参詣に訪れた。
13年前から極楽寺常駐となった住職さんはじめ、京都や神奈川などから派遣された真言宗住職が、山伏姿の行者となって素足で火渡りをして、邪気を払い、五穀豊穣と地域安泰を祈願する昔ながらのお祭りである。 

柴燈護摩と呼ばれる、ヒノキの葉で覆った木組みのやぐらに火を放ち、参拝者が寄進した厄除け祈願を書いた木札を燃やし、炎と煙にゆだねて、願い事を天高く昇華させる。
そうして、まだ燃え盛る火の中を、天狗伝説が伝わる極楽寺特有の天狗面を戴いた行者に続いて住職が火渡りをする。
勇壮と言えば勇壮、無謀と思えば無謀にも似た、太古の昔を偲ばせる「行」である。

二井寺山極楽寺は、玖珂の大領秦皆足(はたのみなたり)朝臣が天平16年(744)、霊夢を感じて当山に登り、神霊より十一面観音像を授けられ御堂を開いたことが開祖とされている。本尊は「十一面観世音菩薩像」。
その後大内氏滅亡など、歴の流れの中で寂れて行った。その後寛永年中(1642-1644)岩国横山村妙福寺住職侑山が吉川候に再興を願い、元禄7年(1694)吉川宏紀により再興され、細々ではあるが現在に至っており、参拝者も少ないながら途絶えることはない。

檀家の数は数える程度しかないが、地元の人たちが地元食材を持ち寄って、極楽寺名物豆腐汁やささげご飯が振る舞われた。
標高150mで決して高くはないが、ふもとの駐車場から本堂まで、約20分の坂道や石段は、元気なうちでないと行かれそうにない。
えっちらおっちら上り詰めたところで、アツアツの豆腐汁の接待は有り難いし、身体の芯が温まる。

火渡り開始を待つ間の、先代住職の法話が面白かった。
人間の欲とは際限がない。得れば得るほど次の物を得ようと欲張る。そうなると今の幸せが幸せではなくなり「足りない」不満ばかりを言う。
「“足るを知ること”を忘れるな」「お金持ちになりたければ無一文になれ、そのあとにお金の有り難さを知り裕福な気持ちになれる」「無一文になるためには、お寺に参ってお布施をしっかり出しなさい」と。お寺が裕福になれば皆さんの下に必ず幸せが訪れる……と。

真理とジョークを交え、現代のあふれる文明を揶揄し、笑顔を忘れず、立て板に水の如きトークは、聴衆を酔わせた。
今日も又いい一日であった。

コメント (5)
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