怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

脱「中央」の選択(岩波ブックレット)苅谷剛彦、志水睦美、藤田武志、堀健志、松田洋介、山田哲也

2006-02-12 04:24:16 | 教育書
発行からずいぶん遅れて読了してしまった。なんか読んでいて嫌になったのかもしれない。

タイトル通り、鹿児島県の教委が「中央」の思惑に対抗して、ネットワーク型モデルの教育行政の可能性を追求し、総合的な学習の時間を独自に解釈し、実践をつくりあげていく・・・って内容に・・・なってるの?これ?

なんか拍子抜けな部分はあるにはある。
たとえば、これだ!っていうつもりなんだろうが、
B中の「学校経営方針」における「重点目標」「努力点と具体策」の推移の表や、
同中の「総合的な学習の時間」の内容変遷(第三学年)の表などをちらりと見ても、
そのどこに独自性があるのだろうか?と思ってしまう。

今、他の自治体の教育課程と比して、何がユニークなのだろうか?

結局、どこの学校も文科省がぶれ始めたら「基礎学力」と言い出したのも、別に自治体教委に言われたからではない。

鹿児島の実践に直接異を唱えるつもりはない。
そうではなくて、ネットワーク型モデルといっている形が、何かトップダウンへの対抗となるわけではない。
ショックアブソーバ的なものかと思う。
地方の行政も咀嚼が必要という提言ではあるだろうが、この書が述べているような
「下」から「上」へ向けてのフィードバックが効くかどうか・・・(P67)
を議論しているもののようには私は受け取れない。

せいぜい市町村単位の行政単位のフィードバックは期待できるのかもしれないが、学校や教員からのフィードバックは、以前、無視されている点は変わらない。
少なくとも教員レベルでは、行政側の咀嚼レベルが真に実効性を伴っているとは思えないから。

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