怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

おいおい7月の残業実態調査ですか?(平均も出ないよ)

2006-11-26 01:16:06 | 教育
教員の残業、1日平均2時間 文科省が勤務実態調査(朝日新聞) - goo ニュース

>教員給与制度の見直しを進めている文部科学省は24日、40年ぶりに実施した教員の勤務実態調査の暫定的な集計結果を発表した。
>7月の1日平均の残業時間は、調査対象になった公立小中学校の教員の平均で2時間8分だった。
>教員の「時間外手当」については現行は一律支給だが、実態調査を踏まえこれをやめるかどうかが焦点となる。
>集計結果は、この日開かれた中央教育審議会の作業部会で示された。7月分と8月分について、無作為抽出された170校前後の延べ約1万5000人から回答を得た。

7月分でみると、小学校教員の残業時間は平均で1時間48分、中学校は2時間25分。
>中学校は部活指導の影響が大きいとみられる。
>週あたりに換算すると、小学校は9時間、中学校は12時間5分。
>単純比較は難しいものの、66年の調査では7月の最も多い週で小学校が5時間強、中学校が8時間強となっており、大幅な増加と言えそうだ。
>また、集計には含まれていないが、テストの採点など自宅持ち帰り分は平日で小学校が47分、中学校が25分で、実際の「残業」はさらに増えるとみられる。
>教員の「時間外手当」については、「教職調整額」(基本給の4%)が毎月、校長、教頭を除く全員に一律支給されている。

>文科省は、この一律支給の見直しを含め、教員の能力や業績に応じてメリハリのある処遇をする方針を固めている。

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私も先月までに実態調査を報告した。(別に給与アップにもならないと分かってからだったので、メンドーな気持ち100%だった。)

第一義的には、改悪直前の現行教育基本法に照らしてまっとうな教育環境の整備を求めたいと考える。
現場や当事者からのフィードバックが効く「ゆとり」のある教育環境だ。


そのためだったら、私自身、少々の過労にも耐えうる自信がある。
おそらく、「子どものために」「教育のために」という初志がどの教員にもあったはずであるし、まがいなりにも口にしたことはあるはずだ。
そう考えれば、現状の労働時間をそのまま甘受することは難しいのだが、労をいとわない教員ばかりのはずだと思いたい。

(マスコミも結局はそうだが)教委や文科省が、「勤務実態」「残業」なんて言葉にすり替えて、すでに侵攻しつつある教員の格差に議論がつなげていく。
私は、それが教員の給与問題に見せかけて、教員の同僚性や恊働性を奪っていく政治的、社会的問題だと思っている。


我々平の教員は所得が既に減っている。(対して管理職は増えている。)<労組調査
給与の見直しの課題は、教育の目的とは別の方向を向いているのは明白だ。
だから歴史性や既得権の問題を越えて、本来「聖職」なんて呼ばれたりするおかしな業界だから、勘違いしたマスコミなどから突かれやすい無防備な教員給与問題は、他への本筋とはずれた問題に波及しそうでこわい。
保護者などの当事者も不安症にかかったようなもので、不要な悪夢にうなされるだろう。
(プチ・ナショナリストやプチ・右翼などにはかっこうの餌食だしねぇ)

因に別話だけれども、校長よりも副校長、教頭が勤務時間的には激務のようだけれども、東京などでは、その下に主幹がいて、さらに過激な階層が存在している。(これは私の知りうる情報だけで話していますが)
一方で、東京では主幹のなり手が不足し、制度崩壊を起こしているかにも見える。
が、パンピー教員は、給与を以前並に維持しようとすれば、この管理職の轍をふみ通らざるを得ない。
(最近では、それもいやな人用に、ご丁寧にも教師塾なんかでエセ・エキスパートを産み、それを階層の隠れ蓑にしようとしている)

そんな制度が教育をよくするわけがないと私は思う。

特定のエントリーへの攻撃

2006-11-25 12:36:30 | 戯言
バージョンアップしようかしらん。
特定のいくつかのエントリーにTB攻撃を受けている。
バージョンアップすると、アクセス制限だとかかけられるのかな?
(うーん。カード作るのいやだな)←カード嫌い。

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さて、ついでに(このパターンは読んでもらえないのでマズイのだが)mixiの日記をメモっておく。

(以下自分のmixi日記の引用)

タイトル:「いじめ」を利用した暴力

こんなこと(以下の新聞記事を参照)で「いじめ」は無くならない。
つかないよりもついた方がいいと言っている人はわかっていない。
同じ予算をつけるならば、スクールカウンセラーの増員、常勤への予算をなぜ組まない?
噴出する教育問題そっちのけで、理由も無く教育基本法を事務手続きのごとく審議時間ももったいないかのように、なぜ強行に通すのか?
子どもの声を、現場の声を、保護者や地域の声を聞かない教委、文科省は、せいぜい声明文やこうした予算をとったという既成事実で責任を回避し、当事者になすりつけてくるのだ。
やはり、まず正すは政治家と文科省役人ではないか?
(そういえば、「ゆとり」で有名な寺脇氏は5000万円の退職金とともに勇退なさったそうではないか!)
(以上日記文)


(以下、記事全文)
><補正予算案>いじめ、虐待で緊急対策計上 政府・与党方針 (毎日新聞 - 11月23日 03:10)
>いじめや児童虐待による被害が深刻化していることを受け、政府・与党は22日、12月中旬に編成する06年度補正予算案に緊急対策を盛り込む方針を固めた。
>いじめによる自殺や虐待の実態把握、相談体制の強化、教育、福祉関連機関の情報共有につながる対策を中心に検討する。
>児童虐待に関しては、児童相談所が事前に問題を把握していながら、殺人事件を防げなかったケースが判明したことから、行政機関の対応や警察などとの連携の面で不備があったと指摘されている。
>また、いじめによる自殺についても、文部科学省の調査では、95年以降、件数が減少傾向にあったことから、「学校、行政が実態を把握していないのではないか」との疑問が出ていた。
>政府・与党は補正予算でまず、いじめ、虐待の正確な実態把握につながる緊急対策を実施。
>07年度に取り組む抜本対策作りの基礎資料にする方針だ。
(記事引用ここまで)


(以下は日記への追加文)
なんか私の日記を見に来ている人でアホなことを言っている人を見かけたので、誤解のないように追記しておきたい。(でも、そういう人って注意力も読解力もないから見ないんだろうけどね)

私は、
「予算をつけるな!」
とはいっていない。
なぜ、今まで現場の声を無視して予算をつけてこなかったのか?
その一点でさえ、今回のタイミングは政治的ないやらしい作為を感じるということ。
また、今回の予算の有効活用は追って監視していかなければならないし、現場の声が届くのは近い未来ではなさそうだということ。
だから、近々には、まだまだ「いじめ」で泣く人は増えそうだということ。そしてそれは政治的な駆け引きの下で悲鳴をあげる被害者なのだということ。それがわかっていない人はひたすら他人事で考えようとしている愚か者だということ。

年功序列か成果主義か

2006-11-23 08:35:40 | 戯言
城氏の書評を書いていたら、ちゃんと意見表明しておかなければならないと気づいた。
別に二項対立しているとは言い難いのだが、城氏の主張を参考にして考えを述べておきたい。

城氏の話だと、トップ国家公務員は基本は年功序列なのだそうだ。
天下りという見返りがあるからこそ、厳しいレール走行に耐えるのだそうだ。
つまり、成果主義がそぐわない面を暗に認めているように思えた。
(この構造へのアンチは述べられていなかったから。)

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下っ端公務員の場合どうか。
教員の場合、前提が他と違うと考えている。

1.公務の目的が教育活動に限定されること。
2.学校という単位空間の中で、個々の教諭が成果を競い合っているのではなく、単位総体の底上げに協同して取り組んでいること。
3.今や、まったくフィードバック機能が働いていないこと。


1については異論があるかもしれない。
教員でも公務員だろうと。
しかし、主たる目的は児童・生徒、せいぜい保護者・地域どまりであり、目先の公務を考える下っ端でしかなく、視野を広げて積極的に何かをする義務はない。(し、暇もない。要求も無い。)

2.(いわゆる)成果主義導入で、ピラミッド構造の組織を強いられ、3にも関連するが、本来、創造的な活動であったはずの現場実践が行われなくなってきた。(これは数値的にとれるものだと思う。フィードバックをかけないから不詳だが。)
いきおい、意欲をもたずとものらりくらり生きる(ことができる)教諭は増えた。管理職はそういったことに対する管理能力はなく、耐性もない。
これはどこの世界でも語られているが、組織としての人間的、社会的な力が減衰し、経験や技術の伝達が行われにくい環境になってきているのも深刻な問題だ。

3.過去にそういったものが働いていたとは思っていないが、ここにきて学校改革、教委レベル改革、教育改革において、致命的な舵取りの間違いを起こす原因に(すでに)なっている。


以上のような視点から、私は、成果主義を導入することにやぶさかではないが、最低限、これらの問題に対応する対策がなければ日本の教育力は確実に減力するであろうし、そんな世界のなかでの給与格差が荒廃に拍車をかけるだろう。
だから、今導入されつつある人事考課制度を始めとする成果主義的傾向は、まったくの勘違いの方向だといわざるをえない。

では年功序列でいいのか?
これは社会全体の経済的なバランスの中で議論されるならば、避ける方向で動かざるを得ないようにも思える。
しかし、生存権をかけた社会保障の崩壊を担保におくのは文字通り自殺行為であるし、日本の歴史的社会的発展の成れの果てがそんなもので、グローバリズムがそんなものならば、オルタナティブな方向性をさぐっていかなければならないと思う。

人事考課制度へのアンケート(都教組のニュース)

2006-11-21 21:52:08 | 戯言
職員室の机に、都教委(日教組)の人がちまちまとニュース紙を置いてくれる。
いつもざっと目を通すようにしている。

今回は自分も答えたアンケートの集計結果が出ていた。
1455人からの回答だそうだ。
異常に少ない。
アンケートをとる足腰もない労働組合なのか!?
何かと「日教組が!」と屁理屈をこねるプチ(&そうでない)右翼系の人たちは、そういった状況を喜ぶのだろうな。

アンケート結果で気になるものを・・・。
(人事考課制度を導入して)子どものための教育はよくなったか?
よくなった7%。
働く意欲は向上した(する)と思うか?
(とても)そう思う7%。
組織的な取り組みが活性化したか?
活性化した(する)4%。

今現在教育活動に従事し努力する現場が悲観しているのは将来ではない。
すでに導入され、試行期間も入れれば5年は経つ制度とそこへのプロセスの無関係を実感することから生まれる傍観といおうか諦観といおうか・・・。

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ちょっと今日はアジりたい。

「いじめ」ですか?「未履修」ですか?「教育基本法改悪」ですか?
それがなんだというのだろう。
そんな空気の中で、やるせない中で、はい「人事考課しまーす。」ですか?

だれがいいものなど残すものか!
そういう「ぐれた言葉」を吐きたくなる。

プチ(&そうでない)右翼系の人たちよ、成果主義大好きな人よ、新自由主義致し方なしの人よ。
きちんとした構造改革はフィードバックの無い中で行なえるものならやってほしいものだ。
もう答えは出ている。目を塞ぐな。

若者はなぜ3年で辞めるのか(光文社新書)城繁幸2006.09.20

2006-11-20 23:20:46 | 教育書
内側から見た富士通を著した城さんの新作。

前記の書では、まさにインサイドからの提言で生々しいものだったが、いざ、現場から離れ、情報収集に奔走しながら書いたであろう本書は、そういった意味合いでは肌色の異なるもののような気がする。

さて、このテキストの集合体をもってしても、城氏の主張自体は不変なのだ、主義が一貫しているのだということは確認できる。
つまり旧来の「年功序列社会」も昨今流行っている歪んだ「成果主義」(ある意味米国ローカルの安直な直輸入型)もダメということ。
今回は前者の自然崩壊を中心に、若手の離職が引き起こすであろう「会社社会」の混乱のほどを語ったのだと感じている。

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しかし、一方で、その離職する若者の内、将来的に危機的な状況にあるのは、数字的にはバブル崩壊前後に大学を卒業した連中に集中、内容も集約されるような議論展開に思えた。

結局、バブルの余波を語っているだけで、批判すべき具体的な他者が存在していない。

これは前期の書物との大きな違いで、その熱の差を感じさせてしまった点は城氏のこうした傾向の作家としての大きな課題のように思う。

私の本書を通して見る世相には、もっと悲観した現実があるのだが、「会社社会」的には火のついた爆弾回しにのってくる人は別な遊びに行ってしまい、別な宇宙に気がついたところで誰との関わりがあろうか。
そんなイメージでいる。
暗いだろうか。

朝の会をやっていますか?

2006-11-19 09:16:47 | 教育
世界史の未履修の問題は、法令違反と慣例の狭間でゆれている問題のように思えた。
だって、そういったことが行われていることを知っていて、必要悪で行われていたのでしょう?(いや、その善悪の価値基準だって、あやしいものだ)

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たとえば、思い出してほしい。自分が小学校だったころを。
小学校では「朝の会」なんてものはなかっただろうか?

あの時間は法令的に設定されていただろうか?

あれは「特別活動の時間」だよ。
そう勘違いしてはならない。
そういう風に割り切れるものではない。
実際には「特別活動の時間」ではない。
あれは学校の生活上の余暇ないしすき間の時間なのだ。

また、現在の学校をみてほしい。
昔のあなたが知る「朝の会」が行われているか?

あなたが20代そこそこ以下ならばそれほど変化をみることはないかもしれない。
でも、そうでなければ、なんていそがしい「朝の会」。
あるいは時間がなく、消失している学校もある。

「いや、別に朝の会ごときで目くじらを立てても。ねぇ。」
そう思う人は幸せだ。

まともにやると授業時間15分くらい、平気で食いこむ。
だから年間の損失時間はどれくらいになると思うか考えてみるとおそろしい結果をみる。

割と学校というイメージで出てくる出欠席の呼び声。
でも、それををとらない学級はいくらもある。
事務連絡を板書しておしまいなんて学級もある。
ようは担任の時間の使い方なのだ。

でも、そこにはその学級の一日の生活を決める要素が確実にふくまれている。
さらに、学校側からの責任を果たすための伝達事項もふくまれている。

私は朝の会をやらない年も経験した。
朝の会をたっぷりやる年も経験した。
朝にスピーチを取り入れる。
朝に歌を取り入れる。
朝に説教を取り入れる。
朝に百ます計算を取り入れる。
朝に・・・。

私は朝の会が必要だと思います。
でも時間はない。
つまりはいつもの「ゆとりはない」ということ。

世界史なんてものを必修にする意味は実はない。
そう思う。
他の教科を選んでもいいからだ。

入試が教科教育を支配する。
これもおかしな話だ。
そう思う。
教育の目的は他にもあるからだ。

中学校で書写の未履修(というか履修時間不足=なんじゃそりゃ。説明になってない!自爆。)がニュースになっていた。
でもさ、そういうの言い出したら、小学校はなんだそれの連続になりゃあしないかな?

また、話がまとまらなくなった。

映画「バス男」DVD版

2006-11-16 22:42:22 | 戯言
久々に映画評。(笑)

ビデオ屋で、数合わせ(5本で1000円だったもので)のための作品だった。
何の気なしに、しゃれで、いかがわしさも手伝って借りた。
なんせ「電車男」ならぬ「バス男」

見始めは文脈がわからなくてかなりつらい。
(もちろん、最後まで何のレトリックがあるのかわからないシーンもある)
これはレンタル失敗だと思った。
特にカミさんと久しぶりに二人っきりでみられるシチュエーションで選択してしまったから、びみょーな空気になおさらどぎまぎしてしまった。

で、なんとか二人無言のままラストシーンへ。

これがじわじわ全体像がフィードバックしてくるのです。

「日常がこんななナチュラルにデフォルメされているメジャードラマもないよな。」
そう思えるのです。

オルタナティブな意味の映画をお探しの貴兄におすすめします。
ただし芸術性を求めてはいけません。
有名な役者もいません。

でも、観るときにはDVDの最後のおまけシーンは必ず観てほしい。
(そうでないと、理解ができないところもあるから。)

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しばらく口を開けっ放しで、過ごすというネタが夫婦間で流行った。
なにかといいうと「あいつはナポレオンダイナマイトだ。」という名前ネタも流行った。

かめばかむほどに味がしみるB級ドラマ仕立ての不思議な作品。
あるいみネオクラシカル。
日本でも作られていそうで、メジャー予算がついて作られることは決して無い希有なブツ。
勧めてなさそうに書いてきたが、ぜひ、ご賞味あれ。(笑)

教育基本法改悪にあくまでも反対する個人

2006-11-15 20:41:08 | 教育
教育基本法改正案、衆院特別委で可決(読売新聞) - goo ニュース

「改正」ではない「改定」。
なぜならば、何が間違っていたのかが議論し尽くされていないからだ。
(そういった意味でも「改悪」と呼んで差し支えない状況になったと言える。)

しかし、とうとう衆議院議会を通過見込みになった。
反対の世論よりも事務手続きが通る国会。
これで反対の大運動を起こさなければ直接的には国民は追認した形になるだろう。
(この問題に関して、選挙で是非を問うたわけでもないし、そのことを基準に自民があべを推したわけでもないハズ。)
こうした既成事実は歴史の転換点になりうるのか。
不安と恐怖はどのようにしてやってくるのか。
どこに軋轢がいくのか。
先行きは不透明だが、教員としての私の精神は今の段階では持ちそうにない。
だから個人で行く。

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わかったつもり/読解力がつかない本当の原因(光文社新書)西林克彦2005.09.20

2006-11-14 21:36:24 | 教育書
校内研究で国語の研究をしている。
テーマは「考える力」を「読み」でどう育むかなのだが、その「読む」というイメージがようやく最近つかめてきた。
やはり研究はしてみるものだ。

無論、全てがわかったとかいうことではない。

ただ、ここまで理解が進んだという認識をもつことができたということだ。

そしてそこに至るまでに、この本も多いにヒントになっているという実感があるのでメモリーしておきたい。

授業などの学習活動において、「読み」そして「思考」し、そのレベルを高めていく過程には、具体的にどのような段階があるのだろうか?
そういったことが気になっていたときに本書を手に取った。

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「読む」ときに、いかに読者が文脈や間違ったスキーマの働きによって「わかった気になる」状態になっているのか。
そして、「読み深める」ことへの価値とそこへ繋がる意欲を呼び覚ます必要を説いているのではないだろうかと考えた。

そういった意味で、実際に子どもたちに「読み」を教えるとき、実際的には「何を教えていったらいいのか」を明確にしてくれた。

初読の段階で、課題作りをするために感想をとったり、直接的に問題作りを活動として立ち上げたりする場合があるけれど、そういった手だてによらない方法も発想できる可能性があることに気づかされた。
実践へ向けてのヒントといえる。

やってみたい。

教育基本法改定に反対する(リフレイン3)

2006-11-12 05:38:13 | 教育
2006/11/10-21:23 教基法、与党単独採決も=やらせ質問「つまらぬこと」-自民・二階氏(時事通信社)

今回はあえて記事全文を引用(以下)
>自民党の二階俊博国対委員長は10日夜、那覇市で講演し、教育基本法改正案について
>「国会の会期もある。いつまでも慎重審議で(野党に)引きずられていたら、政治の生産性が上がらない」
>と述べ、与党単独での採決も辞さない考えを示した。
>また、二階氏は、野党がタウンミーティングでの「やらせ質問」などの真相解明が先決としていることに対し「教育基本法を60年ぶりに改定しようとしている。
>それに比べたらやらせがあったなんてつまらないことだ」と語った。

(引用終り)

前半は更に下に記す内容の安倍発言に対応するのだろう。
問題は後段。
「60年ぶり」がどうしたというのだろう。
逆に60年もの間、なぜ改定されなかったのだろう。
その事に対する正当な評価なく、
「やらせ(そんな犯罪行為)があったなんて」=「つまらない」
という図式がまかり通るのだろう。

自民党が長期に政権を担っていたマイナスのツケはここにも見える。
(そういえば首長が長く続くのは問題があるという話題がちまたに出てますねぇ。似てますねぇ。)
極めて少なく見積もっても、二階は共犯者だ。そう思う。

揶揄しておく。
二階は法律家だそうだが、そういった意味でも資格も資質もない。
元経済産業大臣だが、逆生産性を言っているのに「生産性」とはこれいかに?
和歌山出身だそうだが、和歌山県民はそれでいいのだろうか?

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(以下再び引用)
2006/11/10-21:26 教基法改正案、早期成立図る=「やらせ質問」とは別-安倍首相(同社記事)
>安倍晋三首相は10日夜、教育改革タウンミーティングでの「やらせ質問」問題が教育基本法改正案の審議に与える影響について
>「教育基本法とタウンミーティングは別の問題だ。教育改革を進めていく上でも、速やかに同法改正案の成立を図りたい」
>と述べ、早期成立を目指す方針を強調した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
>これに関連し、塩崎恭久官房長官は記者会見で、調査が終わった教育改革以外のタウンミーティングについて
>「謙虚な気持ちで調査し、おかしなものは指摘してオープンにしたい。どういう経緯で(事前に)質問を渡したか当然調べる」
>と述べ、上司からの指示があったかなども含めて詳しく調査する方針を示した。


つまり、安倍は不正行為(ハッキリ言って民意が虚実なのだから政治的犯罪行為)で成立する法もアリだといっている。
そして、塩崎は「これからは(ばれないように)気をつければいいんじゃない?」程度の話をしている。

mixiなどで、今回の「やらせ問題」を肯定的に述べる連中の言説には、
1.今までもあったじゃん!そんなもんだからあきらめな!
2.リーダーシップをとるための必要悪じゃん!
3.教育基本法が変わることは必要だからがまんしな!
が多いように感じられた。

1.2.は民主主義のルールというものがわかっていない。
民意が曲げられ、事実がねつ造されることを仕方が無いことだと、あるいは(ファッショ)当たり前だと言っている。
3.は、その主張の人が安倍と同じ言説でいっているだけで、言語道断な態度といわざるをえない。世論調査でも、学術会議関係でも、現場の声も反対なのだ。
必要不必要ではなく、人の声を踏みにじる犯罪行為なのだ。

結論。
教育基本法の改定は、そっこく白紙撤回すべきである。
改定の理も道も現在はないのだ。
改定の議論をしたいのであれば、60年ぶりといわず、今後60年かけてする気持ちをもつべきだ。

行事と教科の時数

2006-11-11 20:36:17 | 教育
ま、教育用語なんだろうな。
「時数」。

「コマ数」と読み替えた方がピンと来る気がする。
「時間数」だと、「60分単位か?」と間違えられるからこういう言い方なのかな?

「ゆとり」以降、少数単位で時数が計算されるから、非常にやりにくいとは以前どこかにエントリーで書いた気がする。

最近、大きな行事が終わった。
この時期にあるのは「展覧会」「音楽会」「学芸会」なんだろうけれど、最近は「学習発表会」なんてのもある。

時数(ゆとり)の影響で「学習発表会」が増えたなんてのは、もう一昔前の問題点なのかも知れない。
保護者は慣れてしまい、何が良くて、何が悪いかなんて分からなくなっていることだろう。

それは今回おいておいて、例えば「音楽会」や「学芸会」をやろうとしたときを考えたい。

当然、それなりに見栄えのする、感動する出し物にしたかったなら、練習時間はたっぷり必要になる。
もちろん、その学年の実態が集団行動向きでないならば、さらに余計な時間がかかることになる。
たいていの親は、下の学年よりも上の学年の方がいろいろできるに違いないなんて思っているから、上位学年はなおさら熱が入る。

で、時数の問題。
たいてい教委に届け出て許可が出る行事時数というのは限度がある。
つまり、本番の日は教科などと同様の授業時間のカウントではないのである。
加えて練習の時数も同様である。

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いいものを作りたい。
いきおい練習が増える。
時間がかかる。
授業時間をつぶしてでも仕上げる。
時数が申告通りいかない。
教科外の総合などを振り替えて劇の練習をしたり、詩を勉強したことにして音楽会の練習をしたりする。
「未履修問題なんてのもあったなぁ。」なんてことになる。
グレーゾーンはつねについて回る。

行事ってなんなんだろうって思うことがある。

酒井式図工

2006-11-10 23:18:55 | 教育
同じ学年を組む先生がもってきた本が「酒井式」と冠がついていた。

いくつか実践をしてみた。
自画像。
子どもたち自身も実感できるほど、視点が定まり、技能がアップしたようだ。
鑑賞する親や他の先生の受けもよい。

で、その書籍をググッてみようと検索をかけたら「美術と自然と教育」というブログに「酒井式」の批判がのっていた。
ブログなので、完成した批判文を読んだわけではないけれど、「酒井式」の抱える問題点は意識できたように思う。
ちなみに、「酒井式」=「TOSS系」のようだ。

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国語や算数が校内研究で選ばれることが多いだろうけれど、低学年では案外受け持つ教科の「音楽」「図工」などはなかなか研究する経験は少ないものだ。
こういったことも少しずつ自分なりにやるべきだと感じた。

研究もいろいろ(生活科、理科批判)

2006-11-10 05:57:38 | 教育
最近、教員の研究についていろいろ反芻している。

自主的にやっている研究もあるし、校内や区市町村レベルの研究会もあるし、都のレベルの研究会もある。
はたまた民間研究団体に所属してやる場合もあるし、大学とのつながりで行う場合だってある。

個人的には、今、国語と体育。
大学時代の専門は理科だったのだが、こちらはどうも渋い。

一番の興味は
国語は「漢字学習」「読解」。
書籍がこれに偏っている。
「話す・聞く」は前任校の校内研究から引きずって実践反芻している。
「書く」はこれからぼちぼちと。

体育は割となんでも。
ただ、脱めあて学習の傾向にいっている。
前任校の区市町村レベルの研究会で「器械運動」に触れたせいか、そっちが基準でものを考えることが多い。

さて、渋い理科なのだが、正直よくわからない。
中高の理科を教えていただけに、小学校の理科というのは何なんだろうとよく思う。
うまく解釈ができないのだ。

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子どもにもっと理科的な体験をさせたいと思いきや、なんか深く突っ込めない印象を覚える。

一つ考えて見たのだが、理科の内容って他の教科に比べ、自分の小学校時代よりも、内容がとても少なくなっていないだろうか?

例えば、1・2年生では理科はなくなり、生活科になっている。
生活科で理科的な内容って、植物を育てるくらい?

今、いっしょに組んでいる人が仮説実験授業のプリントをもってきて一緒にやっている。
内容は昔の理科だ。(未履修問題的にはヤバいよね。生活科じゃないものをやっているのだもの。)
動物の系統学につながる内容で、非常に取り組みやすく、内容も精選され完成されたいいものだ。
子どもたちの食いつきもいい。(さすが厳選された仮説実験授業だ。)

「yo先生ならわかってくれると思って・・・。」
と、その教材をもってきてくれた先生は言う。
他の先生と組んではできない内容のようだ。

なんでこうなってしまったのだろう。
子どもたちが喜んで学べる内容がそこにあるのに、幼稚園過程の継続でもある生活科にこだわる必要がどこにあるのだろう。
ちんたらとドングリゴマを作るために膨大な時間を費やすことがいいことなのか?(そりゃ図工だろ!)

「ゆとり」の下に、理科の内容が2から3割削減されている。
苦肉の策が、各学年でもうけられている単元選択だ。
メダカの発生と人の発生が同列で選択されている。
アホか?

数字を単純に見返すと、生活科導入で理科は2/3になり、さらに「ゆとり」で7割になったと考えると、時間数は半減しているようなものだ。

もちろん生活科にも理科的内容はあるさ。
中学とのダブりを少なくしたところもあるだろうさ。
でも、理科の内容やレベルは下げられたのだから、問題がないとはいえない。
時数の割ふり方から疑問がついてまわる。

とっかかりから不自由を感じる理科は難しく感じる。

また方向がずれて、まとまらないメモになっちまったい。(^^;

都教委の責任逃れ

2006-11-08 23:10:46 | 教育
今日、都教委の緊急アピールが出された。
各学校に通達され、即日、学校通信による配布、校長による児童・生徒への伝達が行なわれた。

はっきりいって責任逃れ。
これで指導しましたよの御墨付きをおもらうということ。
あとは各担任に任せましたよ。ってこと。

ひどいところは児童に校長が説明することもなし。

しかも、今日の午後に発表だから、給食の時間に校内放送なんて学校もある、
子ども達はご飯を食べながら、担任に「しずかにしろー」なんていわれながら聞き入る。
聞いていない子もいる。(なんせ、校内放送設備は貧弱だから)

これでいじめ対策はOKなんだろうな。
教委的には。
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