怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

運動会振替休日

2005-05-30 15:42:31 | 教育
運動会終了。

春、秋と二通りある運動会の時期のコメントしてみる。
春メリット
・2学期に行事が立て込まなくてすむ。
・行事を利用して学年の結束、高揚がはかれる。
・台風などの影響を受けにくい時期である。(延期が連チャンすることが起こりにくい)
くらいだろうか。
秋のメリット
・学級・学年ともにある程度の経営がなりたっているため、指導がしやすい。
・夏場に準備等をすることができる。ひいては凝った表現運動などが見せられる。
・9月当初から運動会にとりくんでしまえば学習の年間計画へ与える影響は少ない。
こっちもこれくらいしか浮かばない。
双方がデメリットを補完しているのだが、私の好みは秋である。
一番困るのが学級経営と学習への影響だ。
5月というと、ようやくクラスのペースがつかめる時期である。
また、4月からやってきた学習内容を引きずった状態である。
そこで生活リズムを崩すのは非常につらい。
その点、9月はカリキュラム上助走的な単元を選べばなんとか一か月を乗り切れる。
確かに2学期は行事のつまった学期になるのだが、そこは長い学期なのだから、上手にのりきればそれほど負担ではないと思うのだが・・・どうだろう(自問自答)。

公立VS私立Vol.2

2005-05-25 23:32:03 | 教育
いつも情報源&刺激剤(全ていい意味で)として勝手にお世話になっている
「THE義務教育ブログ」さんで
今、「私立小学校教育についてご意見募集中」というエントリーがあり、
たくさんの興味深いコメントが寄せられている。
そこの文章を読みながら少し自分なりの考えを整理してみたいと思う。
(まとまらなかったりして・・・)

前回は少し文章の矛先がずれて終わったが、そこでの私の主張を簡略化すると、
・私立の質を外から量ることを客観的に行うことは難しい。(よい方法があるなら教えてほしいものだ)
・よって、巷の比較は一面的な根拠や誤解に基づく可能性を含んでいる。
・私の少ない経験からも、決して私立の教員の資質は保証されたものではないということ。
・私立優位を訴える人は、公立バッシングをする者もおり、公立のおかれている状況への理解が弱い。
以上だろうか。

私立志向に対する批判はこの程度で今のところはおいておくが、
翻って「では公立はほめられたものだろうか」というとそうではない。
公立は確かに私立と違い、「公」に対しての縛りをもっており、単純に「学校対応」だけをのぞむとしっぺ返しをくらうシステムになっている。
(私の以前からの主張は、国・自治体・学校・地域の必要な教育情報共有化とそのためのシステムの効率化(=特にフィードバックを重要視する)、そして教育の展望の明確化にし、それを実現するシステムを保護・保障するハードウェアの整備である。)
このしっぺがえしは、子どもに対してだけでなく、保護者、教師に対してもそうである。
システムへの理解が不利なのは子どもと保護者であるが、モダンタイムスの様に型にはめられて教師も苦しむ点では同じである。
(ただ、教師は耐える方法を各自であみ出して生きているため、外見上は何をしているのか理解されないこともある。)
現実に様々な問題が持ち上がることと、私立でないこととは意味が異なるし、そこで比較しても正しい結果はでない。
私自身、自分の職場で抱える問題は、構造的な問題と考えることもあるが、その多くは、個人対応を徹底して可能ならば、意外に多様な要請・要求に応えうる体制はとれようものだと考えている。
(一番の障害は、教育に対する(高尚な)理念・理想を独善的に追い求めることができないシステムであり、それを生み出しているのは各自治体であり、妙なプレッシャーを与える文科省はその強烈なバックグラウンドである。)
そういった可能性を公立は持っていながら、なかなか生かしきれていないと思う。
今、学校への期待、要請、反発心、不信が高まる中(ほんとか?)、やはり「顔」というか、教師の行動は注目されていると思っている。(俺はみてねーよっていう無関心の関心をよせる人もいる)
そんな中で無茶な人的な資質向上を強制されることは、結局教育行政のしりぬぐいを現場の平教師がしているわけで、くさらないではいられないが、(少なくとも私や私の周りの人間は)不真面目にやっているわけではない。
正直、自分の子どもの話から、一面的な学校批判を展開される人にも出くわしているが、ことの筋と真相はそこにはないというのが私の実感である。
「公立」は切り捨て(退学という意味)がない分、多様な対応を求められるが、個人の資質云々よりも、状況に追い付けない、状況が追い付かないの両面あると思う。
(うーんうまく言えない。まとめられない。文才ないなー。)

唐突に言うが、「教師と塾講師の違いは、カリキュラムを適正に組めるかどうか」という言葉があるが、私は、公立のカリキュラムを熟知し開発し運用するそれと私立のそれは決定的に違うと思う。
これは差ではなく、すみ分けだと思っているが・・・。
(ちなみに教科書会社の執筆者はどうかという議論には組しない。児童実態を汲み取ることのない者は現場人ではないから。)
そう意味では、公立を選ばないという選択は大いに「あり」だとは思う。
また、逆に、公立を選ぶきっかけでもあるとも思う。

また、拡散。いいたいことの部分引用でとっちらかった。
寝るのでVol.3に期待。

みるみる上達!究極のギター練習帳(リットーミュージックムック)宮脇俊郎

2005-05-19 17:43:03 | 音楽
何を思い立ったか、家には壊れ気味のエレキが1本ある。
(あとはアコギ2本、エレキベース1本)
持っているからにはなんとか弾きこなしたい。
願望はある。
しかし、山崎まさよし全曲集ぐらいまでは手が届くくらいのレベルの軟弱フォーキーな奴なんだよね。自分。
とにかく、ジョン・レンボーンやグロスマンの教則ビデオの練習もいいけれど、かっちょえーフレーズでロックしたいじゃん。
特に、昨年度の知人バンドのライブにちょい役参加で火がついてしまっている。
とりあえずネット検索。入手。練習最中。

前書きにあるのだが、
「一体何をマスターするためにその練習フレーズを弾いているのか、ということをはっきり認識しながらプレイすることだ・・・。」
なるるるるー。
さすが教育学部出身、ギターのめあて学習と体育学習的スモールステップをねらっているのねん。
スケール学習などは実際にフレーズを弾いてみないとねん。
たまに初心者向けの理論本を読んでいて「・・・わかんねぇや!(どっかーん!)」と、
やおら近くのギターを頭上にかかげ、ジミヘンかロンドン・コーリングのジャケか!・・・の状態にならないようにしなければと思っていたのに既にギター3本を・・・。
それは嘘(というか心の中だけ)。
だが理論書をいくらむさぼっても、効果的なトレーニングをやらないと、この年でロックギターはつらいのよ。

というわけで(無茶な展開で読みにくいだろうが)、
この本はいい教科書になってくれている。
実際には、いろいろなアーティストのバンドスコアを見ながら、おいしいフレーズをコツコツ練習して経験値、テクをあげていく人が多いのだろうけれど、私はこれで練習しています。
意外にバラエティに富んでいるので、時間がある時は飽きずにできます。
いい本です。
当面の課題は、アコギで手癖のついてしまった私に、オルタネイトピッキングを続ける忍耐の必要と練習時間の確保かなぁ・・・。

<教育力>をみがく(寺子屋新書)家本芳郎

2005-05-18 17:41:18 | 教育書
下馬評にひかれて買った。
書名通りの内容。ストレートパンチ。
もともと群読やら学級経営やらの著書で見かける名前だったので、実はちょっと意外だった。
目次
1.教師の<教育力>
2.指導には手順がある
3.指導の技をきわめる
4.自治の力を育てる
5.指導力不足をのりこえる
目次から読み取れるが、教師の<教育力>の中心である「指導」の力を簡潔かつ実際的に説明し、学ばせてくれる好書。
私にとって「目から鱗」では決して無いが、コピー通り、全ての教育者のためのバイブルである。
820円である。(Good!)
熟練の教師でも持っていてよい書物だと思う。
(わかってるよ!って人は実践したり、後輩に教えるテキストにしなさいね)

特に4章の「2.リーダーを育てる」は私の学級経営の当面の課題である。そして「今の子どもたちによりよい自主性を育んでやりたい」とする私の大きな教育理念(目標)に触れたという意味で、最初の本になった。
逆に、それほど最近ではそういった子どもたちを学級レベルで育める実践も余裕もみられなくなった。(と思う。)
変な平等論の影響もあるのかもしれない。
でも、具体的に述べられている文には大いに意欲をかき立てられた。
また、5章も感銘を受けた。
「1.指導力不足ということ」では、教師の選択肢として指導力不足があり、構造的にそのレッテルがはられてしまう危険が潜んできることを示唆している。
このようなことを言っている本も初めてである。
今つらい人は泣いてしまうかもしれない。

教師が、真に研鑽に励み、子どもと共にある学校づくりを目指していいのだ。
そんな勇気も湧いてくる書であった。

子ども人質論

2005-05-17 17:39:30 | 戯言
(なんだろう。憤り続きだなぁ。)
よく、
「文句を言えば何をされるかわからない。いじめられたり、差別を受けたり、評価が下がったりしても、私たちには分からない。」
「柵の中で、塀の中で、何が行われているのか心配。」
「子どもを人質にとられた想いでいる。」

という声を聞く。
誰かにすりこまれたのか?と疑いたくなるほど言質は一致している。

一方、
教師が立場を利用した如何にかかわらず、犯罪事件を起こしたことがニュースで流れる。
自分が子どもの時に、教師にひどい目に遭わされた。
内申書ってのは教師の主観が入る可能性があるものでしょう?
などなどの声も聞く。

「罪を犯した教師も人間だよ。」といえば、「そんなの理由にならない。聖職をけがしている。」とくる。
(いや、俺がけがしているのではないのだけれどね・・・と思う。ま、罪状だけでなく、信用失墜行為であることは認める・・・とも思う。内申書は私は小学校教諭だからわからないが、要録というものに書く時には、事実を書くだけなので、主観といわれてもねぇ。)
「別にそういうこと(=犯罪)を認める体制でもないのだよ。」といえば、「最近指導力不足の教員が増えているっていうじゃない?」とか、「おかしな教師が増えている。私の時にもいた!」とか「社会人としての常識がないんだよ」とくる。
(俺の責任じゃぁないと思うんだけど・・・と思う。それに、本当に増えているのかな?・・・とも思う。)
「常識って何?あなたは常識ってどういう風に考えているの?」とか反ばくすると、「そんなことをいってるのじゃない!人の気持ちがわかるかどうかでしょう?!」とかで逃げられた。
「人質にとられた気持ち」
つまりは「教師が犯罪者に見える気持ち」なんだろうか。
対立してしまう関係ではないのにねぇ。
妖怪人間ベムにでもなった気分だ。

社会常識?

2005-05-17 17:36:37 | 戯言
「社会常識が足らないので社会経験を積むために民間企業経験を積め。」という主張がある。
私の回りには、その民間企業(しかも結構名のあるところの人もいるよ)出身の教諭が何人かいるが、何が違うとでもいうのだろう。
私などは派遣社員のようなものだが、いい年齢になるまでそんな仕事をやっていた。
この主張は何なんだろうと思ってしまう。
競争?効率?成果をあげる?金銭感覚?
そんなことをいいたいのだろうか?
それとも教師に聖人であれと問いただしたいのだろうか。
(その前にやること、考えることがあるだろうに。ざまあみろの言葉通りではないのか。)
そんなことを言ってビビるのは、新卒で教諭になった者だけだろう。
けれど、そんな理屈でしか批判できないのであれば、教員からの反撃(=わからねぇバカは相手にしないで、地道にやっているぜ!)の効果はすぐだな。

きつつきの商売(3年生国語教材)

2005-05-16 20:43:02 | 教育
ちょっと私の実践記録。(レアでっせ)
この単元は読み取りも含んでいるのだろうが、扉の詩「わかば」(まどみちお)で行う詩文暗唱・群唱指導の流れで一気に暗唱に持ち込んでしまう。
文は1と2に分かれ、1は4ページのため、ほぼ全員が数日で暗唱できてしまう。
もちろん、この時期にかならずある保護者会では暗唱を主目的とつたえ、音読カードでなく積極的な発声とその取り組みをほめるように念を押す。
(ここでは1だけといわず、全文暗唱をにおわすと展開に伸びがある)
だいたい30回の音読で覚えられると目標を伝えつつ、10回を必ずのノルマとして与える。
授業中に少し覚えられると、あとは弾みでどんどんいく。
今年は結局34人中4人が全文暗唱に成功した。
DVで撮り、記念にCD-ROMに焼いて贈った。
授業時間では群唱形式で挑戦させ、休み時間等で個別にテストしてあげた。
友達が成功するのを自分のことのように喜び、自分への意欲とする子どもたちのなんと多いことか。
今年は放課後に聞くことが多く、家庭訪問日程を無理矢理つめたのが放課後の余暇を生み、成功の一因となった。
読み取りテストはほぼ満点。
時数はオーバー気味だが、漢字も30字くらいとばしてやっているので大丈夫かな。
(ちなみに、漢字指導のついでに、次の単元「音読み訓読み」も一石二鳥でやった。こちらも成果ばっちり。)

ダメよダメダメダメ教員!(ライブドアパブリッシング)井上幸大

2005-05-16 19:34:58 | 教育書
こんなものが出版されるものなのか!と思わず触手を伸ばした1200円。
はっきりいって痛かった。
ブログの方はTBを追っている最中に一度見ていたのだが、話が結構広範に思えたのと、意外に「ダメ」=「おバカ発言」でなかったこと、そしてどのようにまとめているのかが知りたくて買った。
この本の下馬評を待てばよかったかも・・・(後悔先に立たず)。

まあ、よく考えれば当然。
深刻なネタが書かれるわけは無く、シモネタに近いものが中心か。
割り切って考えると非常におもしろいエンタメにはなっている。
教員という頸城(くびき)を考えなくてもいいのでは?という個人的な内容になっている。
(共感を覚える方もいらっしゃるだろうしね)
私自身の書籍代の使い方としては失敗であったが、これが彼の生きる糧になってくれれば同じ教員ブロガーとしてはいいかなと思っている。
がんばれ、井上さん!(本名か?)とでもエールをおくっておこう。

とりあえず、ネットの衝動買いは注意しよう。(自爆)

風の谷のナウシカ全7巻BOX(徳間書店)宮崎駿

2005-05-15 19:19:20 | 教育書
私が読んでいたのは中学校のときだっただろうか。
アニメがガンダムのイメージからオタクのイメージへ変わる端境期に月刊アニメージュに連載されていたと記憶している。
高校になってすぐに4巻くらいまでは集めたのだが、水泳兄弟(今はあえてこう呼ぶ)の弟分S.Aにはずみであげてしまったのだ。
自分のバイト料で買ったものなので、ちょっと身を切られる想いだったが、兄弟分が喜んでくれたので、それほど痛くはなかったし、同じ話ができるので嬉しくもあった。
しかし、続きの巻が出ない出ない、休載やらアニメージュが売り上げ不振やらで、どうなるのかと思っていたら、劇場版ナウシカだった。
本業かい?とあきらめていたが、その内容を劇場で見て「?」。
なにこれ?別物?
(今や巷の下馬評でもこの評価は定着しているので、これ以上は突っ込まない)
とにかく続きの巻が出ないことと一度買ったことのある1巻から4巻までをそろえることが嫌で買いそびれていた。
(5千冊くらい漫画を所有していた時でさえ、触手が伸びなかったのだから困ったもんだが、7巻がでたのが95年じゃぁねぇ・・・)

さて、前置きが長くなったが、ネットでたまたまこのセットを見つけて、学級文庫にでもしようかなと思って買ったのだが、これはちょっと考えてしまった。
以前読んだ内容がいかにうろ覚えであったか痛感した。
内容が想像以上に重層的になっているのと、経年のせいだろう、明らかに1巻の時に構想していた内容から発展してしまっている。若干だが、作者の画力の変化もあり、ナウシカが成長期なのだろうなと理解して読まねばならない箇所も見受けられた。(こういうことは仕方がないのだろう。スターウォーズになっていないだけいいか。レーア姫?)
私の記憶と比べると、改版時に修正加筆したのかと思える展開になっている。(もしかしたら劇場版ですりこまれたイメージを私が引きずっているのかもしれない。)
テーマや主張は予想の範疇でありその点では溜飲がおりる好作品であり感動した。
宮崎作品で好きなのは「もののけ姫」(ハウルはまだ見ていない)だが、テーマがだぶっていると感じた。そして、時折読んでいて思ったのだが、ナウシカの個性は「少女」である点は、宮崎作品が「子どもで語る」から離れない(られない?)必然なのだろうと再確認した。
「もののけ姫」では語っていない分、リアリティを感じたが、ナウシカに少々語らせ過ぎかなと思える部分は玉にきず?いや、あばたもえくぼの文章にしなくてはいけないかな?

少人数学級へむけて

2005-05-11 00:53:42 | 教育
学級編成:中山文科相、公立小中校の「30人学級」に意欲(MSN-Mainichi INTERACTIVE)

ちょっとはまともな方向を向くのか?中山さん?
いや、時流に遅れまいとしているのか?
なにげに嫌われないように必死なのかな?
今までが今までだと、ちょっと様子見にはしってしまう。

>中教審での審議について
>「もっと子どもひとりひとりに接する時間が長くなるように改革を進めていけたらいいと思う」
>と語った。
人数だけの改革でなければいいが・・・。

THE義務教育(小学校編)ブログさんの「小学校低学年の少人数」を参考にしてもわかるのは、30人という人数にさえ根拠がないということ。そして、少人数といわれる定義さえないこと。(ちなみに志木市は私の出身地の一つで、この2002年の話は導入当時から情報を得ている。私の両親と懇意の議員さんもがんばってくれたようだし、市民の気持ちも動いたということか。なんにしても聞いたときは嬉しかった。)
30人定員は嬉しいし、実施は切に願いたいが、一方、文科省では、表層の数字を扱うだけではなく、ビジョンをもった教育改革を冷静に議論してほしいと思っている。

最後に、リンクしている記事の最後に、
>文科省によると、1クラスの平均人数は小学校の場合26.2人(04年度、特殊・複式学級を含む)、
>中学校では30.6人(同)。
>現場では「少人数学級」が進んでいることを示している。
とある。
文科省のいう数字は確かに少人数学級が進んでいることを示しているように見えるが、東京都のような学校数を多く抱える自治体で、石原ー横山体制の下、いくら希望があっても「習熟度」にこだわった方策しか考えずの姿勢を崩さなかったのである。
予算とのバランスも問題だが、実施となった場合、こういった軋轢をもった経緯というのはどのような影響を与えるのだろうか。
政治的な部分を考えても不安はつきない。
また、数字のマジックだが、学級担任を持たない校長、副校長、専科教諭等を分母にしている限りの数値であるし、単学級で構成される学校が多いことも考慮してみないと、この「26.2人」は、あたかも30人学級が現行で行えるように見える。
注意すべきだ。

若者の法則(岩波新書)香山リカ

2005-05-08 22:47:46 | 教育書
とても読みやすく、一気であった。
今ひとつ散漫な印象に終わったのは、私のメモリ(記憶)の量とそれを整理統合する力が不足しているからだろうか。
香山氏独特の平仮名を使ったカテゴライズの好例であろう、5つの法則に基づいて綴られているエッセイ集のような書物だ。
刺激を受けるかどうかは綴られる日常と読者である自分と昨今の世間の状況によって玉虫の甲羅の色ように変化するのではないかと思う。
もちろん「法則」を意識させる部分はテーマとしてあるのだが、浮かんでは消えするのは、「オトナ」として対象を観察しようとする香山氏の視線だけのようで、共感する部分もありながら束にしてつかめる感触が鈍い。
ただ、読了して、脳内に微熱を持って吹き積もるものもないわけではない。
歯切れの悪い書評になった。

絶望に効くクスリ(薬)vol.3(小学館)山田玲司

2005-05-07 17:22:56 | 戯言
戯言続きで本来のブログといえるので嬉しい。
さて、
勝手リンクさせていただいているコモチハハノキモチ OYA?さんのブログで紹介されていた本(漫画)である。
この間、ぷらっと見かけて衝動買いした3巻である。
最初に結論をいうと、個人的はまり度120%である。
なぜ3巻かというと、五味太郎さんの話が載っているから。
あの独特の絵本の作者が「絶望」とどうつながるのか、その一点が気になって買った。
なかなかの刺激に爆笑して読んでしまった。

思い出したことを二点。
一点目はCG作家兼講師友人Hのこと。
一時期の彼の自分への興味・探求と気持ちよく周囲を顧みない姿が重なった。
大学時代に知り合った友人の中では一方的に縁を切りたくないと思っているキャラクターだ。
アートする人というのは共通しているにおいがあるものだと思った。
二点目はアナーキストのこと。
ある意味ナショナリズムの対極にいる存在であるし、最近大いに刺激される思想だ。
五味太郎という人の話からは、そんなことが楽に連想できると思った。
あの絵とのギャップはあるが、ユニークであるという点で、彼のキャラと共通するのだろうと思った。
ま、この本を通して思ったのだから、あまり確かでないけれど・・・。(やばっ!ひいてしまった)

話は変わるが、
私はコレクターの傾向がある。
幼少時は切手だった。
それから以前、自分で稼ぐようになってから、自由に自分の金が使えることをいいことに、漫画本は数千冊買いだめていた。
あるとき「漫画は見切った。」と思い込んで、勢い全部ブックオフに売っぱらった。
その後増えたのが洋楽CD。
今や一部屋CDである。
悪疫である。
カミさんの目はつり上がりっぱなしである。

現在vol.4刊行。全巻そろえそう。(やばっ!また?)
わっかっちゃいるけど、やめられない!(あ、すーすーすーだらだった)

他の人にコメントしていたら

2005-05-04 01:07:11 | 戯言
もう昨日になってしまった。
憲法記念日。
私は護憲です。
いろいろな改憲論議が世間を惑わしているように思えます。
少なくとも、イランの話に代表される憲法9条がらみの話はまったくの気違い談義にしかきこえない。
現憲法が守り、生み出してきたものを否定するような動きは絶対に許せない。
危険な動きだと信じている。

他の人のブログにコメントしていたら、自分のブログでも、個人の意見を書いておきたくなった。
それほど私には大切なもののように感じて育ってきたからだ。
ある意味、自分の愛国心のよりどころといってもいいものだ。
憲法。
日本を日本足らしめている大きなものの一つ。

ブログをはじめて

2005-05-04 00:20:42 | 戯言
もうすぐ半年になる。
振り返ると当初目指していたものと大きくずれていることに気が付く。
例えば、最初は音楽や日常の戯言を中心にしようとしたのだが、いつの間にかタイトルも(教育中心)が付け加わり、急きょカテゴリを分けつつ、書籍も気張って読んでみたり、合わせて書評じみたものを意識したり内容は変化してきた。
文章もひどいコメントに対応したり、敬体から常体へ変化したりもしてきた。
まだまだ落ち着く様相を呈してはいない転がる石というところか(かっこつけすぎだが・・・)。

ネットをし始めてはまったのがキャラチャットだったが、若干だが、その当時を彷佛とさせる興奮を得られた時期になった。
チャットのときもそうだったが、仮想空間チックな人間関係の広がりを感じている。
HPやメールではなかったリアルな感触がいい。
ただ、ちょっと強迫観念を覚えるのは、アクセス状況。
毎日毎週のアクセス数は気になる。
ブログに対する自己評価の一材料になっているわけだが、自然と他者を意識した文章を考えてしまう。
もちろん、意識的にそうする場合もあるし、個人的にねらってはずそうとする文章にする場合もあるのだが・・・。

なんにつけてもネットに向かう時間が自分の情報収集や表現の活動時間を増やしたのは確かで、これについては前向きにとらえている。
ちょっと立ち止まって、このブログを気にしていただいている方々に感謝したいと思った。
ありがとう。

デモクラシーの冒険(集英社新書)姜 尚中/テッサ・モーリス‐スズキ共著

2005-05-03 22:52:38 | 教育書
勝手にリスペクトしている子安先生にテッサ・モーリス‐スズキ著による「自由を耐え忍ぶ」を紹介されていたのだが、ネットで検索しているうちに、「あ、内容もかぶるらしいし、値段も安い。」と思わずこっちを手にしてしまった。
結果的には「自由を耐え忍ぶ」も読んでみようという気になったので、いいのだが、ここでの感想はこっちにしたいと思う。

教育書のカテゴリーだが、教育書として薦めるには今ひとつ抵抗があるが、意外に私のように日本の教育に対して民主的な懐疑心を持つ教師には、いい精神安定と教養の書となること受け合いである。
この書の最大の長所は、専門用語に偏らず(というより、あるていど現代思想や哲学、心理学をかじったならまったく問題ない)対話形式を基調に民主主義の歴史を鳥瞰し、現在ある問題点を考察しているところであろう。
そして、単なる考察に終わらず、誤解をおそれず次のステップを示唆しようという意欲がある点に力づけられる。
二人の真摯かつ個性的な会話に愛着がわいた。
久々に「ああ、良かった。また、次(の書物など)へむかえる。」そんな気にさせてくれる個人的な好書になった。

話は戻るが、今や公教育業界は完全にトップダウンが基本の硬直した構造を樹立しつつある。
血流は逆流はしなくなったが、循環して元にもどるわけでもない。
現場での数々のボトルネックはじわりじわりと毛細血管の血栓を生み、全身麻痺の状態へ近付けていく観を覚える。
もちろん、人間はバカではないから、ぎしぎしいいながらも全体(公教育という巨体)は動きを止めずになんとか動いているようだが、斉藤隆介の「三コ」の様に、雲の上の頭は霞んで(我々には)見上げても見えない。
右往左往するよりは、落ち着いて、今できることをしたい。
お役所お役所、出世出世、人間関係人間関係、研究研究、テキストテキストの無機的になりつつある学校を、傍観せずに、自分なりのマッサージを加えながら「耐え忍ぶ」方法を考えていきたい。
そう思った。