夏が過ぎたら姫百合幼稚園は使えませんから、学習会をやる気があっても場所がありません。切羽詰まって洋風の建築の我が家でやることになりました。雨もりが心配なぼろ家でしたが、部屋をぶち抜けばそこそこの広さがありました。その代わり父母には我慢してもらうことにしました。こうして何とか空間を確保しました。理科と算数」をメインにして、基礎の基礎を教えること、父母たちと常時連絡を取ること、原則として家庭訪問をすること、受験勉強はしないことなどを決め父母たちに説明し了承をいただきました。 . . . 本文を読む
詰め込み教育と勉強嫌い わずか1ケ月あまりでしたが、姫百合幼稚園での学習会は楽しいものになりました。まだ20歳そこそこの私が、10歳年下の学童と仲良くなれたばかりか、その父、母とも親しくお話が交わせたことが何よりでした。 . . . 本文を読む
平成も過ぎた今。昭和の35年(1960年)の頃が思い出されます。大学二年生だった私は、大方の学生がそうだったように安保闘争に参加しました。私が田園調布+(沼部)にきたのが昭和34年、高齢に差し掛かった父母を少しでも支えるため、何よりも自分の学費を稼ぐために、この地で何かをしたいと思い、近所の子どもに理科と算数を教えられないかと思い立ちました。 . . . 本文を読む
40年前、仕事の関係で知り合ったNさん(男)、10歳年上だが在日韓国人である。どういうわけか気が合って家族ぐるみの付き合いに発展した。 どこで気が合ったかと言えば、「お金は天下の回りもの」「困ったときはお互い様」と言って、同じ自営業の私が新しい仕事を始めた時に、ぽんと50万、100万のお金を貸していただいたことだ。少し事業がうまく行ったので、お金を回すよ「(返却は)忘れてくれていいよ」とまで言ってくれた。私を頭から信じてくれているわけなので、Nさんは大事な恩人の1人である。知り合ってからは彼の母国の韓国にも二度、三度と連れて行って頂き、当時(1980年―90年)の朝鮮半島の農漁村にも行くことができ、人々の暮らしとも親しく接することができた。 . . . 本文を読む
旧友の1人に農業の技術者A君がいる。
日本政府から派遣されてベトナムに仕事に行った時、同じようにベルギーから派遣されてきた若い研究者がいた。
彼は水田に入って熱心に水田の中を泳ぐ魚を追いかけていた。ベルギーはお米を作らない。若い研究者は水田に仕切りを作って、いろんな魚を放して何かを比べている。面白そうな研究だが少々奇妙な課題に見えた。お米の専門家のA君はいぶかしく思い「何をしにベトナムに来ているの?」と声をかけた。
「水田の雑草を食べてくれる雑魚の組み合わせを調べているのです」
・・・というと? . . . 本文を読む