熊澤良尊の将棋駒三昧

只今、生涯2冊目の本「駒と歩む」。只今、配本中。
駒に関心ある方、コメントでどうぞ。

余り歩を考える

2013-09-14 17:43:03 | 文章
9月14日(土)、晴れ。


昨日の最高気温34℃。
再び真夏がやってきたような。
その中を、若狭路に。

さて昨日は、「余り歩」のことを書きました。
札幌のkさんからも「余り歩は、何であるの?」というコメントもいただきました。

それで、改めて「余り歩」について考えてみることにします。
1、余り歩の効用について
  効用はゼロ、あるいは、ゼロに近いと言えましょう。
  強いて言うとすれば、「歩兵」を紛失した時に、それで補えるということ。
  但し、歩兵は数が多いので、紛失する確率は、それだけ高いとは言えます。
  ですが、紛失に備えて「余り歩」があると言う見方は穿ち過ぎ。

  紛失に備えたものならば、香車や桂馬そのほかにも予備が要ると言うことになります。 
  車のスペアタイヤとは、同じではないと思うのですね。
  第一、駒を失くしてしまうのは、失態。
  失態に備えて予備を置いておくことで、日本文化に類例がありますかね。

2、ではなぜ何故、余り歩があるのかです。
  実利としての理由は、思い当たりません。
  それが結論です。
  ではなぜあるのかということですが、「余分なものが一つある」というのは、日本的。
  いわば、ワビサビに通じる余裕の感覚。
  そうは思いませんか。
  現代風に言えば、その方がカッコ良い、奥行きがあるように思う、と言うこと。
  まあ、理由とすれば、そんなところだと思います。
  ゲームとしては、余り歩が無くても出来る訳ですからネ。

3、余り歩は何枚が良いか。
  余り歩が5枚もある駒を見たことがあります。
  現今は2枚が多いですね。
  ですが、本当は1枚がベストでしょう。
  
  語呂合わせで、41枚なら「ヨイ」。
  42枚なら、「シ○」。
  これはチョッと語呂が良くありません。
  他意はありませんが、たまたまそうなりますね、ということ。

  脱線しましたが、やっぱり余り歩は一枚がベストだと思います。
  しかし、ではなぜ小生自身も、二枚が多いのか、です。
  それに実際は、さらに1~2枚多く作ることもあります。
  この場合は、出来のよくないのは外したりもします。

  結論は、「何となく」と、「一枚だけだと、何かケチっているようなので」。
  まあ、これが本音です。
  
4、余り歩の使い方について。
  ゲームとは直接関係が無い「余り歩」だからと、別に隔離するのは良くありません。
  面倒だからと、別のところに隔離するのでは、スペアタイヤと一緒ですネ。  
  結果、余り歩が行方不明になったり、色が違ってしまったり。

  駒を特定せずに、都度、萬遍なく使うことこそ、本来の姿だと思います。
  盤面に駒を並べながら、その時、余った一枚を都度「余り歩」として駒袋に戻す。
  これが、日本的なんですね。
  結論は、遊び心。
  
どうでしょうか。
では、また。
  
  
  

  
  


  

  
    
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1 コメント

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Unknown (札幌K)
2013-09-14 07:40:17
おはようございます
二枚の余り歩は入れ替わりながら いつも駒袋から対局を見守ってくれてます
いないと落ち着かないのは 少しは私にもワビサビの感覚があるのでしょうか
ありがとうございました

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