熊澤良尊の将棋駒三昧

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錦旗駒のヒミツ(再掲)

2022-10-26 12:26:16 | 文章

2015年12月にアップしていた1ページを、もう一度、ここにアップします。

ーーー

12月16日(水)、雨模様。

今は夜明け前。
暖かです。

ーーーー
映像は「錦旗」のルーツの駒。
長く、大橋家に後水尾天皇の真筆駒として伝わっっていたもの。
つまり「伝・後水尾天皇真筆駒」と呼ばれた駒。

材は桑木、漆の書き駒。
それを豊島龍山が写して売り出したのが「錦旗」なのです。

駒は、昭和15年頃、木村名人が買い取って、60年に将棋博物館に寄託されて、写真はその時、当方が撮影した半切のパネル。
ミニ博物館でもある小生の仕事場に掲げているものです。

その直前に、木村名人家(3男・義徳さん)から小生に、その駒の鑑定要請があり、茅ヶ崎の木村名人家に伺いました。
名人ご夫妻はご健在で、駒は10組近くを拝見。
昼食には、名人、義徳さんとともに、大好物のうな重をいただきました。

目的の駒は、大橋家から名人が買い取った「後水尾天皇真筆の駒」。
「錦旗」のモデルの駒です。

当時、将棋博物館副館長の木村義徳さんから「本当に、大橋家の伝承どおり後水尾天皇の筆跡かどうか、鑑定して欲しい」とのことでした。
後水尾天皇は子供たちに「芸能と囲碁将棋はしてはいけない」と、訓戒書を残しているにもかかわらず、自分自ら駒を書くなんておかしいな。
と思っていました。

現物を見た結果、鑑定結果、筆跡はまぎれもなく水無瀬兼成そのものでした。
恐る恐るそのことを木村家の人たちに説明すると「そうだろうな・・。とにかく箔をつけたがる。世の中で良くある話」と。
御両人は納得されて、当方はホットしました。

鑑定結果は「将棋世界・博物館だより」にレポート。
つまり「錦旗」は、後水尾天皇の筆跡ではなく、兼成さんが遺した水無瀬駒であったことを、初めて明らかにした次第。

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8 コメント

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Unknown (熊澤です)
2022-10-26 17:54:31
ある方から、「錦旗駒のヒミツ」繰り返し拝読しています。水無瀬兼成は幾多の駒を輩出したのに、何故本駒が伝宸筆駒と呼ばれるようになったのか不思議です。との質問をいただきました。
これに対してお答えいたします。
この駒は、大橋家に伝わっていたものです。
大橋家では、そのほかに水無瀬駒として伝えられている駒もありますが、この駒は「後水尾天皇筆」として伝えられてきました。
その理由はよくわかりませんが、小生の解釈では、「天皇が書いた駒」だとすることにより、同家の格を、より高めようとする意図が働いたものと考えます。
木村義徳さんも、同様のことを疑っておられたようで、将棋博物館に寄託するにあたって、大橋家の伝承が正しいのかどうか、ハッキリさておきたい気持ちで、鑑定を小生に要請されたのだと思います。
結果、小生は見た途端、これは水無瀬兼成さんの筆跡に間違いないと直感した次第です。
ですが、そのことを直ぐには言い出しにくい気持ちがよぎりましたが、事前に後水尾天皇の筆跡や訓戒書などを調べており、それらとは合致しないわけで、そのことを名人に申し上げた次第です。
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Unknown ((と))
2022-10-26 18:58:27
木村名人家ではなく大山名人家からの鑑定依頼だったんでしょうか?
返信する
Unknown (熊澤です)
2022-10-26 19:43:12
いいえ。ほんけんは、大山名人とは関係はありあせん。木村名人家です。
返信する
錦旗駒のヒミツ(再掲) (鈴木)
2022-10-27 06:36:43
いつも、ありがたく拝見しています。
大変貴重なお写真とお話をありがとうございまする。
「将棋駒ものがたり」によりますと、水無瀬兼成卿は
1590年から1602年の13年間に735組の駒を
制作なされたとのことです。駒の制作記録は、
水無瀬神宮に『将棊馬日記』として伝えられているそうです。
錦旗駒のルーツから発展していく駒の歴史は、江戸時代
から明治、大正、昭和から今日まで、続いている
素晴らしい日本の文化ですね。
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Unknown ((と))
2022-10-27 06:43:00
本文に大山名人家と書かれてるのは、誤記ですね。
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Unknown (福井)
2022-10-27 16:48:06
わざと表現をひっくり返すと熊澤さんの筆跡に似ています(笑)、ただし素直に見て先生の駒字の方が綺麗で惹きつけられます。
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Unknown (熊澤です)
2022-10-27 17:30:05
(と)さんへ。
ご指摘ありがとうございました。おっしゃる通り、大山名人家は誤記でした。大変な間違いで、確認をさぼっていました。

福井さんへ。
イヤハヤ。大きく持ち上げてくださって、恐縮至極です。どうしても、水無瀬兼成さんの筆跡には勝てません。
返信する
鈴木様へひとこと (やまちゃん)
2022-10-27 20:18:39
鈴木様がコメントされた、「将棋駒ものがたり」によりますとは、
そのことは、40年ほど前に水無瀬神宮において、熊澤さんが「将棋駒日記」などの資料を再発見し、専門詳細を発表して我々に教えていただいたのです。

「将棋駒ものがたり」は、それを孫引きしているのですよ。
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