熊澤良尊の将棋駒三昧

只今、生涯2冊目の本「駒と歩む」。配本中。
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今、考えていること

2024-05-18 17:39:44 | 文章

5月18日(土)、曇り。
日中は、30度超え。汗をかく外仕事でした。
オオタニサンは13号。順調と言いますか、好調の知らせ。
何よりです。
仕事をしながら考えていることは色々ですが、当方も順調を続けています。
考え事の一つは「水無瀬駒見学会でお渡しする玉将駒」のこと。
今回、私が作る特別な駒として、大きさと文字は「八十二才の駒」をそのままに倣って作るわけですが、駒尻と駒裏をどうするのが良いかを考え続けています。

今回は「根付」でなく、普通に「玉将の駒」が良いかと。
そして駒尻に「良尊(花押)」と、駒裏には小さく「倣 水無瀬神宮八十二才の駒」とするのが良いかと。
いかがなモノであろうか。
それに、パッケージを含め、もう少し考えたいと思います。


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3 コメント

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Unknown (反保)
2024-05-19 14:28:48
先生の著書「駒と歩む」にて、初めて「水無瀬神宮八十二才の駒」の写真を拝見しました。
水無瀬兼成卿が慶長7年(1602年)に89歳で亡くなったという説が正しければ、82歳の文禄4年(1595年)は、後に水無瀬駒を大量に発注する権大納言徳川家康へ、「伊勢物語」を講じた頃でしょうか。また同年は、水無瀬駒を発注した禅閤豊臣秀次が亡くなっており、伝秀次愛用の駒も「駒と歩む」にて、初めて写真を拝見しました。将棋駒に八十二才と入れた理由をあれこれと考えていますが、なかなか奥が深いですね。
私の祖先の故郷は越前でして、室町時代の豪族朝倉一族と、水無瀬兼成卿の祖父三条西実隆卿の間に交流があったことが、「実隆公記」に記されています。その日記によりますと、三条西実隆卿も将棋を愛好し、駒の作成を行った記述があります。しかし文献のみで、現存しない事が惜しまれます。
長文失礼致しました。先生作、水無瀬兼成卿の朝倉象棋で、室町時代後期の将棋の文化に触れられる日を、楽しみにお待ちしております。
Unknown (熊澤です)
2024-05-19 17:39:57
三條西実隆卿は、水無瀬兼成さんの祖父にあたります。
兼成さんが水瀬家に入って駒を作ったのは、祖父の影響があった(強かった)と考えています。
駒に「八十二才」と記したのは、(ブランクノ駒もあるので)よくわかりませんが、最晩年になって、時として駒に記録しておきたいという思いが強くなったのでありましょう。
「酔象2枚を含む朝倉将棋の水無瀬兼成卿筆跡の駒」。タダイマ製作中ですので、あとしばらくお待ちください。
re.いかがなモノであろうか。 (長さん)
2024-05-20 13:35:08
中将棋の成奔王鳳凰なら、不老不死になれそうで
縁起が良いので、参加者は更に慶ぶかもしれない。
奔の字の左右下と、水瀬中将棋鳳凰成の王は余白
左右が広いので、「倣 水無瀬神宮八十六才の駒」
に替えると、歳が更に4つ上がって長寿感が益々
出るかも。個人的に崩し字「王」の兼成中将棋書体
は、こっちだけ特殊草書に見え、貴重感有り。

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