熊澤良尊の将棋駒三昧

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月齢12日

2009-09-02 01:45:18 | 文章
9月2日(水)、晴れ。

今、南から少し西に移動したラグビーボールの様な明るい月が浮かんでいます。
月齢は12日くらいでしょうか。

例によって、NHKテレビを見ていたら「漫才師・宮川大介の父母と兄弟」をテーマにした番組でした。

昭和14~5年の頃。若い父が一人、新天地を求めて今の北朝鮮に渡った。
運良く満州鉄道に就職でき、満鉄の月給は当時、学校の先生の3倍ほどで、高給を出すいい会社だったそうだ。
妻と2歳の長女を日本から呼び寄せて、それから次々と姉や兄が生まれて、希望の日々が続いた。宮川大介さんは生まれる前の知らなかった話である。
その知らなかったことを、同じ山道を辿って非難行を体験した人たちの話や、満鉄関係者の話が、このドキュメンタリーに深みをつけている。

昭和20年8月9日の夜。
それまで中立条約を結んでいたソ連の爆撃機が、一方的に条約を反故にして、突然襲来。
このことは、年配の人から聞いたりして小生も聞いて知っている。日本人の多くがソ連を信用しないのは、これがあったからである。

当時、5万人居た日本人には、政府から避難命令が出て6~70キロ余り離れた町に徒歩で避難を開始することになった。という話から始まるドキュメンタリードラマ仕立て。
乳飲み子を含め2歳から8歳を含む家族6人の避難民のやっとこさの逃避行に、思わず見入ってしまった。
大介さんより少し年上の小生も知らない、終戦前後の実話なのである。

続いて市毛良枝さんの祖父と父母の家族の話。
そしてもう1つ、満州で大きな時計店を営んでいた大柴ルーさんの祖父と父母の話が続いたが、特に宮川大介さんの父母や姉兄が体験した話は、当時の日本人が体験した壮絶な歴史でもある。

当時の混乱期を生きた人々。
あれから64年。その人たちは、だんだん少なくなってしまった。

今の日本人みんなに見てもらいたいと思う。

では、また。




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