陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

プア4-(5) ポアンカレ予想-天才とプアの落差

2009-03-12 08:49:28 | Weblog
過日、NHKのポアンカレ予想の証明に至る番組を見た。
帰宅したときは既に放送の途中だったので、見たのは後半部分のみ。
番組自体が非常に面白かったが、その中の誰かの発言が印象深かったので、それを書く。

少し前置きが長くなるが、番組の説明をすると、次のとおり。
3月9日夜のNHKで、再放送版(初回 2007年10月22日)
「100年の難問はなぜ解けたのか~天才数学者 失踪の謎~」

内容は、「ポアンカレ予想」をめぐる、証明者のグレゴリー・ペレルマンに至る数学の100年。
ポアンカレ予想とは、(正確に書くために)検索をして調べると、
「単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相である」(Wikipedia)という、
フランスの数学者アンリ・ポアンカレによって提出(1904年)された予想。

ワタシには、そもそも「予想」そのものが何を言っているのか理解不能。
正確でなくても、具体的に「宇宙がとりうる形の証明」とでも言ってくれた方が分かりやすい。
100年にわたり未解決のものを、ロシア人数学者グリゴリー・ペレルマン(Grigory Perelman)が証明した。
この業績により、ペレルマンは2006年のフィールズ賞を受賞したが、受賞を辞退し、失踪したことで(当時)話題になった。
(参考)辞退理由は「自分の証明が正しければ賞は必要ない」とのこと。
また、米クレイ数学研究所の証明者に対する賞金100万ドル(約1億円)に興味を示していないとの噂あり。

■面白かったこと(1)
100年の間、殆どの数学者がトポロジー(位相幾何学)を使って解こうとしたのに対し、
ペレルマンは微分幾何学と物理学の手法を使って解いてみせたこと。
つまり、発想が他人とは全く違う点。

■面白かったこと(2)
ペレルマンは、学生時代、当時の最年少記録である16歳で国際数学オリンピックの出場権を獲得し、
全問満点の金メダルを授与されていること。
つまり、大天才は年少の頃から抜きん出ていること。
それも並みの水準からではなく、秀才レベルからしてもダントツに。

-------
さて、以上が前置きで、ここからが本論。

番組の中で、ポアンカレ予想の証明に挑戦した天才数学者が次々と登場する。
その中の一人(名は忘れた)が次の様に言っていた(表現は正確ではない)。
『その証明は易しいものと思われた。
98%までは容易に到達した。ただ、残りの2%が難題だった
実際、あと一息のところまで肉薄した者は他にもいたという。

ニッパチの原則-昔から様々な局面で言われる言葉(経験則)。
ワタシも話の中でよく使う。
2:8の原則、20:80の原則 ともいう。
パレートの法則(全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出している)と同類。
つまり、成果や結果の8割は、その要素や要因の2割に基づくというもので、
例えば、あるタスクの80%は20%の負荷でできるが、残りのタスク20%には80%の負荷が必要、の類。

そのとおりだと思う。
ところが、上記の天才は、タスクの98%は2%の負荷ででき、残りの2%に98%の負荷がかかる、と言っている。
冒頭に「印象深かった」というのはこの箇所。
これはすごいことで、並みの人間と天才の違いが如実に現れている。
並みの人間は、80%の解決は容易 ⇒ 残り20%に工夫や智恵が必要。
天才は、この80%が98%だということ。 
その差、18%。
ものごとの難易度は、100%に近づくにつれ加速度的に高くなる。
それを98%までは容易に到達するというのだから、ワタシなぞ目がくらみそう。

しかし、その様に言った天才も、ポアンカレ予想の証明から離脱した。
つまり、解けなかった。
関心が別のものに移ったのかも知れないが。。。
それをペレルマンは解いた。
天才を超える大天才は、世の中にいるもんなんだ! 再び
この辺りになると、(アタマがプアな)ワタシなぞ、呆然&茫然。
そもそも何のことか判らず、マジシャンの手を、首をひねりながら見ている観客でしかない。
余りにもアタマの質と構造が違いすぎて。。。

番組の中の紹介にあったが、ペレルマンの高校時代だったかの数学の試験で、
同級生が紙1枚を使った解答に対し、ペレルマンは3行、それも完璧な解答。
ワタシなぞ、ただ紙と時間をムダにするだけだろうに。
そういう天才から見ると、並みの人間のアタマはどの様に見えるんだろうねぇ?
ワタシなど、ゴキブリのアタマと大差ない様に見えるかも。
どうにも度し難い落差というか、壁というか、次元が違うんでしょうなぁ。
三次元にいる者が二次元の者を見る様に。

そういう天才は、数学の世界だけでなく、それぞれの分野にいるんだろうし、
そういう者との競合は避けるべきですな。
ただ、そういう天才・大天才が必ずしもハッピーとは限らないから、
並みは並みなりに、プアはプアなりに生きるしかないんでありましょうなぁ。

と、感じているところであります。
今回のプア論(アタマのプア)は、「嘆き」を通り越して「呆然」デシタ。
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