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「吉水神社」(きっすいじんじゃ)

2011年05月13日 07時30分51秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 南北朝時代に後醍醐天皇が行宮したといわれる由緒正しい「吉水神社」は、さほど大きな規模の境内ではない。7世紀頃に役行者(えんのぎょうじゃ)が創建したと伝えられ、金峯山寺の僧坊「吉水院(きっすいいん)」が元になっているという。豊臣秀吉、源義経、静御前などとの縁も深く、歴史に名を残す多くの人たちの遺物が所蔵されており歴史愛好者には見過ごせない所である。

 金峯山寺(きんぷせんじ)からも近い位置にあり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素ともなっているものの、奥まった場所にあるため意外と目立たない。後醍醐天皇を主祭神とし、南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀している。

 神社前の急勾配の坂を上ると、右手に「一目千本」という桜が一望できる一角があり、豊臣秀吉が花見の本陣を置いたことでも知られている。

 日本住宅建築史上最古と言われる「書院」(重要文化財)は、南朝(後醍醐天皇)の皇居として使用されたところという。また書院奥は源義経と静御前が居間として使用していたと云い、そして手前の一畳分が弁慶が控えていた所だそうで、障子を開けると舞台造りのような高台になっている。書院全体が落ち着いたただすまいで、鹿威し(ししおどし)のコーンという音が心に沁み侘しさを漂わせる。

 展示物で目を引いたのが、百人一首で有名な「蝉丸法師」の琵琶、そして豊臣秀吉が寄贈したという銅鐸、その隣に後醍醐天皇ゆかりの羊皮太鼓がある。この他、源義経の家臣で、義経四天王の一人として挙げられていた「佐藤忠信」の兜などの武具もあった。

 秀吉が愛用した二対の金屏風には目が奪われる。奥の「竹の図」は桃山時代後期の狩野山雪の作品で、手前の「桜の図」は、桃山時代前期の狩野永徳の作品。これらが間近で見られるから嬉しい。
 
 所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山。
 交通:近鉄吉野駅下車、ロープウェイで「吉野山」下車、徒歩15分。
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