yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

第10回考古学研究会東海例会「古代東海と奈良時代王権」御案内

2007-11-28 10:33:21 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
頓宮と三関を勉強してみようかなと思ったらポチッとねよろしくおねがいします!

2007.11.27
              第10回考古学研究会東海例会

                   開催要項

Ⅰ テーマ 「古代東海と奈良時代王権」

Ⅱ 主旨  

古代の東海地方には、『日本書紀』や『続日本紀』・『萬葉集』などの多くの文献史料に、壬申の乱や聖武天皇関東行幸に関する詳細な史料が残されているほか、交通・流通・軍事の要となる三関が設置され、その立地や成立の政治的背景などについてさまざまな研究成果が発表されてきた。更に近年、鈴鹿関跡における初めての発掘調査、聖武天皇伊勢行幸地に関する調査研究が積み重ねられ、考古学からの新たな資料や研究成果も提示されつつある。そこで、考古学、文献史学、歴史地理学など多分野から、古代東海地方を中心とした王権の動向を素材に、奈良時代王権の特質について、最新の研究成果を提示、議論することにした。

Ⅲ 開催概要(発表タイトルなどはいずれも仮題です)
1 日時  2008年2月2日(土)・3日(日)

2 会場 三重大学共通教育190番教室(六角校舎:共通教育2号館の南隣)
 
3 研究報告・討論
 
第1日(2日) 12:45~18:15
  開会挨拶 12:45~12:50 考古学研究会東海例会代表 中井正幸
  主旨説明 12:50~13:05  山中 章(三重大学) 
  第1テーマ:「聖武王権と東国行幸」
  天平十二年の「聖武関東行幸」を素材に、古代王権の行幸の本質、行宮設置場所からみた交通路、行宮の基本構造と地方官衙など、多角的に分析する。
(1) 基調報告  13:10~14:10 榎村寛之(斎宮歴史博物館)「古代行幸論」
(2) 研究報告-1 14:15~15:00 天野三恵子(京都大学・院)「聖武伊勢行幸論」
(3) 研究報告-2 15:15~16:15 山中 章(三重大学)「考古学から見た頓宮・行宮・離宮論」
(4) 調査報告  16:20~17:05 大崎哲人(滋賀県文化財協会)「粟津頓宮跡の発掘調査」
(5) ミニシンポ 17:15~18:15 「文献・考古資料からみた聖武東国行幸」司会山中 章 
  コメント 山田邦和(同志社女子大学)
  誌上参加 仁藤智子[日本古代の行幸]

 第2日(3日) 9:30~15:30
  第2テーマ:「古代王権と三関」
  三関である鈴鹿関・不破関・愛発関に関してはこれまで主に文献史学や歴史地理学から研究が進められ、三関の機能が議論され、その位置が推定されてきた。しかし、発掘調査事例が不破関の一部に限られ、その実態や具体的構造、遺構から見た機能については分析することができなかった。そうした中で、2006年度に鈴鹿関が初めて発掘調査され、建設時期や城壁の構造が詳細に判明した。ようやく考古学からも三関に関する論点を提示することが可能になったのである。そこで再度、三関とは何かを主テーマに、文献史学、考古学から議論を進めることにする。
(1) 基調報告  9:30~10:30 舘野和己(奈良女子大学)「三関論」
(2) 研究報告-1 10:40~11:25 永田英明(東北大学)「古代交通論」
(3) 研究報告-2 11:25~12:10 木本雅康(長崎外国語大学)「東海道・東山道論」
(4) 研究報告-3 13:00~13:30 村居喜道(名古屋大学・院)「古代伊勢国の瓦生産と供給」
(5) 調査報告  13:30~14:15 森川幸雄(亀山市教育委員会)「鈴鹿関跡の発掘調査」
(6) ミニシンポ 14:25~15:25 「文献・考古資料からみた三関」司会山中 章 
    コメント 鈴木拓也(近畿大学)
閉会の挨拶 15:25~15:30 次期開催地代表

4 情報交換会
  2日(土) 18:30~20:30 生協2階パセオ 会費4000円

5 参加確認
下記メールまで御連絡いただければ幸いです。
    
    yaa@human.mie-u.ac.jp

    2月2日(土)
     研究会      参加    不参加
     情報交換会    参加    不参加
    2月3日(日)
研究会      参加    不参加

④が会場の共通教育校舎①が三重大学正門の前にある本部事務棟です。④の前(南に瘤のように飛び出しているの)が190番教室です。よく見えない方はこちらへアクセスしてください(http://www.mie-u.ac.jp/map/campus/)。なお三重大学への交通はこちらへアクセスしてください(http://www.mie-u.ac.jp/map/traffic/)。近鉄(JR)津駅からバスで10分ほどです。なるべくお金を使わないように来るには普通か急行で近鉄江戸橋で下車、徒歩15分です。改札で三重大はどっち?と聞けば教えてくれます。




参加してみようかなと思ったらポチッとねよろしくお願いします。



三重大学校内遺跡鬼が塩屋遺跡からみた大学校内。看板も立っているので見に来てね。

比較都城研-2  悲しくて、恥ずかしい日本の史蹟の条

2007-11-28 01:45:22 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
恥ずかしいねと思ったらポチッとねよろしく

近江路をご紹介する前に不愉快な話を先にしておこうと思う。
これをご覧下さい。



或いはもう慣れっこになっているかも知れませんね。それがまた恐ろしい!
これは国の史跡(他の文化財で言うなら重要文化財)近江国府跡に復原された施設内部のパネルの横の空間にされた落書きです。
なんの目的で、何が嬉しくてこんなことをするのか、私にはさっぱり理解できません。同じ施設の床には火を焚いた跡まであります。休みの日か夜にやってきてやるんでしょうね。
そんな子供の親は何をしてるんですかね。或いは塾にでも通っていると思っているんですかね。



夕闇迫る近江国庁を見学しました。なぜかいつも近江国庁に行くと暗くなってしまって、まともな写真が撮れないんです。悲しい!!



(これが落書きと焚き火の行われた復原施設です。まだ一年しか経っていないらしいんですよね。)

もちろん落書きする奴が悪いに決まっているんですが、この遺跡も何時行っても人がほとんどいない。せっかくのものが活かされていないような気がするんです。どこぞの大学で観光学部を設立すると言うんですが、観光が余りに商業ベースになってしまっていて、見に来る人の心もすさんでいるように思います。これでは観光が害になるとしか言いようがないんです。

本当の意味で観光学を教えるとするなら、こうした落書きや焚き火の横行する、ペンペン草が生えて人の来ない遺跡をいかに活用するかではないでしょうか。

私はその第一の原則は地元の方の関心だと思っています。

地域に根ざさない上からの史蹟指定(地域の要望を無視した史蹟指定も含む)は結局破綻します。近江国府跡は地方の遺跡が国史跡になった早い事例です。早くから公有化され、整備も行われました。言ってみれば文化財保護の模範例として私達にとってはとても有名な遺跡なんです。でもそれがこんな状態だというのはとても悲しい思いがします。

恐らく県の教育委員会の方もそれぞれの文化財担当者の方も苦慮されていると思います。軽々には言えないのですが、なんとか地元の協力を得る方法を考えていかないと駄目だと思います。しかし、それもこの遺跡単独では無理だと思います。次回ご紹介する関津遺跡・国分寺・尼寺・保良宮など広範囲なネットワーク化が必要ではないでしょうか。これらを遊歩道で繋ぎ、車に邪魔されず、ゆったりと歩ける道を整備すること、場所によっては動く歩道も装備すればいい。もちろん日陰のできる並木を道には植える。こんな史蹟整備でいつでも気楽に散歩できる史蹟コースこそ落書きや、焚き火をなくす基ではないかと思いますがいかがでしょうか。

(日の落ちた近江国府東区の木製基壇を撮ってみました。何処かうら悲しそうでした。)


ついさっきまで卒論に行き詰まった学生の指導をしていました。あと二ヶ月を切ったというのに、まだ資料も十分集められていずに・・・。
でもま、これが最近の国立大学の学生の現実です。ただ、昔と違うのは、やたらと人に頼ることです。自分で責任が取れないようです。そこがちょっと悲しい!!

学生よ、人生一度の大事業だと思って頑張れよ、と思ったらランキングよろしくお願いします。