ワーク衡業(わーくこうぎょう)のブログ

東京の下町江戸川区からトラックスケールトータルソリューションの株式会社ワーク衡業が発信する番外編ブログ

沖縄フォト。

2011年01月19日 | 情報
 第87回

 今回は頂いた沖縄出張時のフォトからです。
 沖縄に行くには飛行機ですね。その機内から窓の外を撮った一枚。



 太平洋に広がる雲海がすごい。この辺りは天気があまり良くない様子です。彼方に望む白い雲と深青色の空との境が微妙にカーブしているのがわかりますか。地球は丸いんですね。この飛行機からの風景はいつもながら感動します。

 

 沖縄に近づいたようです。雲も無くなり、キレイな海と島々が見えます。フォトの島はどうやら伊江島のようです。
 伊江島は沖縄本島の西、本部町の海上にある比較的大きな島です。葉たばこや花卉の栽培がおもな農業ですが、高級牛である伊江島牛の畜産も行われています。米軍の基地(イエシマレンジ)もあります。土地接収をした米軍と、非暴力を徹底した島民との土地返還運動は現在もまだ続いていると聞きます。



 沖縄と言えばここ、首里城が観光の目玉です。ほとんど荒廃していたものを西暦1980年から復元に取り組み、2000年には「琉球王朝のグスク及び関連遺産群」として世界遺産登録されて、ドラマに使われたり幻のお札の絵柄(守礼門)になったりしました。
 首里城は琉球国のお城として有名ですが、前時代の三山の中山王の城でもありました。



 沖縄の夕日のフォトです。手前の変わった形の岩が何なのか気になったので調べてみましたら、どうやら人魚の像らしい。



 これ、ですよね。(観光用ページより。)場所は恩納村にあるムーンビーチという浜辺の脇だそうです。由来のようなものは見つけることが出来ませんでしたが、近くにシレーナ教会というのがあります。シレーナはスペイン語で人魚のことだそうですから、きっとここに関係した人魚像なのでしょう。たたずむ人魚像だと思うと、このフォトの良さが引き立つようです。




 沖縄は本当にキレイですね。   <影>



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川中島。

2011年01月11日 | 情報
 第86回

 平成も二十三年に入りました。
 新年とは関係がないのですが、頂いたフォトが気に入ったので紹介します。



 有名な川中島合戦の銅像です。長野県長野市の八幡原史跡公園に立っています(地図参照)。



 戦国時代、甲斐(山梨県)の武田信玄と越後(新潟県)の上杉謙信が直接刃を交わしたという伝記に基いて造られたものです。二人はここ長野盆地の覇権を巡って十年以上も戦っていました。銅像のシーンは四回目の激戦(永禄四年-西暦1561年-)の最中のことだそうで、謙信が単身、武田の本陣へ突入して信玄に三太刀、四太刀と浴びせ掛かりましたが、信玄は手持ちの軍配で受け止めた、というものです。
 ホントかどうかはわかりません。

 <影>も以前この辺りを見て回りました。その時のフォトも貼ってみます。



 これは松代城址です。上記の合戦の一舞台になったところです。



 当時は海津城と言っていました。千曲川の東岸から決戦場である八幡原を遠望出来ます(地図参照)。江戸時代には真田家が入り松代藩を禄していました。



 松代城址側から見た八幡原です。段差があって分かり難いですが、200m程先に千曲川が流れています。4km程先を犀川が東へと流れ千曲川と合流し、この両川の間の平坦地が八幡原と呼ばれています。八幡原史跡公園にある八幡神社が地名の由来らしいです。この八幡原史跡公園の前あたり(フォト右側)を決戦場としている小説や紹介文が多々ありますが、実際の戦場は現在オリンピックスタジアムや篠ノ井中央公園のある辺りのようです(フォト左側)。



 松代城址から見た妻女山です(地図参照)。合戦の時、上杉謙信が立て篭もった山です。城址から近いことにビックリです。直線距離で1.5kmくらいしかありません。謙信はこの山に二十日以上も居座って、信玄が来るのを待っていたそうです。霧にまぎれて信玄を出し抜き、山の西の雨宮の渡し(地図参照)から千曲川を渡り武田軍に襲い掛かったとのこと。
 ・・・ホントかどうかはわかりません。


 歴史好きにはたまらない場所です。戦国ブームということもありますし、機会がありましたら他のところも紹介したいと思います。  <影>


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     http://www.furin-kazan.jp/nagano/index.php


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