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植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

浄化の時を迎えて

2006年01月05日 20時47分27秒 | ヨガ(ヨーガ)、瞑想
 私達の本質は平和であって愛情に溢れている魂らしい。そしてそういう状態に瞬時に“戻る”ために“目を開けた状態での瞑想”の訓練をする。これがいま学んでいる瞑想法だ。ぼくは他の瞑想法は知らないので瞑想の目的ややり方もたぶん幾多のバリエーションがあるのだろう。でもいま学んでいる“ラージャヨガ”瞑想というものはヨガと名が付くけれどもアクロバティックな姿態はとらず、ただ楽に座っているのみである。なんでもヨガとは“繋がる”という意味だそうだ。

 ラージャヨガの教えでは今は“合流の時代”という時だそうで金、銀、銅、鉄の時代を経てまた金の時代に戻る“時の輪”が終末を迎えてまた一巡する時、そう例えて言えば一日の終わりの午後11時55分頃に該当するらしい。これから起こることは創造的破壊。つまりきれいな世界にするためにいったんこの社会をご破算にする段階にあるという考えで似たようなことがホピの預言、日月神示などにも出ている。

 ほんとうにそのような地球規模の破壊が来るかどうかはわからない。ぼく個人の考えとしては地球自体が破壊されるようなことは起こらないがその上に生きているすべての生き物が消滅してしまうかもしれないような天変地異は起こることもありえる、と考えている。いわゆる“浄化の時”を迎えつつあると思っている。

 そして浄化の時の迎え方が重要だといわれている。日月神示では「天地がひっくりかえるが身霊磨けたらどんなところでどんなことをしていても心配ないぞ」と示され、ホピの預言では「大地と共に感謝をもって生きること」が勧められ、ラージャヨガでは「たとえ混乱の中にあってもすぐシッババと繋がることで魂の平静を保ち、この世にいる限りのお役目を果たす」ことを求められていよう。

 美輪明宏氏がきのうのオーラの泉の中でも解説していたように、人は死ぬ間際の念がストップモーションとなってずっと何十年、何百年とその怒りや苦しみの中に過ごすことになってしまうそうだ。それを地獄と言うらしい。であるからこれから先にあるかもしれない大崩壊の時代を迎えたときにそこでたとえ悲惨な死に方をしても死ぬ瞬間にそれを受け止める、受容する、恐怖を抱かない、無念の念を遺さない、ことなどが大事なのだろう。

 でもそれはとてもとても難しいことだ。たぶんいまのぼくならパニックに陥るだろう。そして死んでしまい未浄化霊になる確率が高そうだ、おおいやだ(笑)。だからそうならないようにぼくはそのときに備える意味でも「魂の準備」をしている。いわゆる覚悟というやつなんだろう。この覚悟というものができていると死後の世界への移行がスムースなのではないか。

 今思いついたんだけどオーラの泉を見ていると江戸時代のお侍の奥方が守護霊についている芸能人が多い。これはお侍の奥方はいつ命を捨てねばならない事態が起きてもあわてないよう日々静かな緊張の日々をいわゆゆる覚悟を持って生きていたから霊性が研ぎ澄まされていて、こんなに比較的早く人様の守護霊などの仕事に就けているのではないだろうか・・・ 閑話休題。

 瞑想によって自分の本質は平和な魂であることを瞬時に思い起こせればこの世の喧騒から距離を置いて知力を働かせることができる。からだは混乱の現場に置いていても魂はそこから遊離して自分の体をベストの方法で使役することができる。大混乱の中にあっても流されずに逆にそれをコントロールする力を持つことができる。輪廻転生を理解しているので自分を害する相手に恨みの念を抱くこともない。とても到達できそうもない気高い理想の状態だけれども自分のために人のためにその境地に進んでいく努力をしている。

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