映画に 乾杯! / 知の彷徨者(さまよいびと)

名作映画に描かれている人物、物語、事件、時代背景などについて思いをめぐらせ、社会史的な視点で考察します。

映画作品 おススメ短信 4

2011-03-12 16:00:53 | 映像表現
◆宇宙人の心、それとも…◆

■K-パックス(2001年)■
 原題 K-Pax(K-パックスという太陽系外の惑星系の文明の名称)

 原題は、日本語にすると「Kの平和秩序」というような意味になるだろう。地球文明の英語で表現すれば、だが…。それにしても「平和」と名づけるところに、その地球外の宇宙文明のありさまが反映されているのかもしれない。

 ニュウヨーク市警察の警官がターミナル駅のコンコースで挙動不審の中年男性を保護した。旅行者のような素振りだが、荷物を持ち合わせてはいないようだ。
 警察官が誰何すると、「私は、地球人ではない。K-パックス星から来た」と答えた。
「K-パックスは、地球から約1000光年離れた、地球人が《こと座》と呼ぶ星系にある惑星を中心とする文明で、連星の周囲を複雑な軌道で公転する惑星だ。私は、そこから光の波動によって移動する方法で、6年かけて地球にやって来た」
というのだ。
 冗談なのか、それとも精神状態に異常があるのか。扱いに困った市警は、市内の重度精神障害者専門の病院に、その男を送致した。精神分裂かひどい妄想に陥っているという判断からだ。

 その男を診断したのは、精神科医、マーク・パウエル。男は普通の体つき。性格は非常に穏やかで粗暴な行動をとる危険性はなさそうだ。しかしながら、会話の中身からすると、妄想はきわめて執拗で、治癒はかなり困難な見込みだった。しかし、話し方や話の内容は、きわめて理知的で博識だった。
 そこで、マーク医師は、その男を仮の名、プロットと呼ぶことにして、治癒困難だが平穏な患者を集めた病棟に収容することにした。
 「プロット(Prot)」とは、「プロテストする人」という意味なのか、それとも「守護者(プロテクター)」という意味か、あるいは「陽子」という意味なのか…。

 マークがプロットとの会話で聞き出したところによれば、
 プロットが光波に乗って宇宙を移動していたとき、地球上で救いを求めている「友人」の声を聞いたために、彼を救済するために立ち寄ったのだという。そのついでに、数年かけて地球を観測、観察し、故郷の惑星に調査報告を送ることになっているのだという。

 話の内容は変だが、プロットは穏やかで、出会った人の心に平穏をもたらす不思議な雰囲気を備えていた。精神科病棟の重度障害者の多くは「自分だけの世界」に心を閉ざしてしまいがちなのだが、奇妙なことに、プロットには誰でも打ち解けて心を開いてコミュニケイションできるようになった。
 K-パックス星人だという話を除けば、プロットの態度はいたって健康的で温和で、他人の話を穏やかに聞き取り、その話し振りには説得力があった。行動にも、ほかの精神病患者のような異常や偏向がなかった。

 マークは、K-パックスという惑星に関するプロットの説明が説得的なので、宇宙物理学者や天文学者たちを集めてヒアリング調査をしてもらった。
 彼の宇宙物理学に関する知識は、専門の学者から見ても素晴らしく正確で、どこの大学の教授にもなれそうなくらいだった。
 そこで、科学者たちは「こと座」の連星系について質問を繰り出した。
 これまでの宇宙観測や分析から得られた最高の成果を土台にして、連星(互いに公転し合う2つの恒星)の運動軌道や、この2つの恒星を公転する惑星系の運動について疑問をぶつけた。
 返ってきた答えは、科学者たちが驚嘆するほど正確で、しかも現在未解明の問題に関して、恐ろしいほど説得力ある解答を含んでいた。
 科学者たちは、連星系を公転する、すなわち2つの巨大な重力の中心の影響を受けながら公転する惑星群の運動軌道や、そういう環境で生物が進化するための条件について、プロットが示した答えの卓抜さに感動した。
 結局、科学者たちが出した診断の答えは、
「英語圏の一流大学か研究所の学者で最近、失踪した者がいるのではないか。本名を知れば、彼が書いた論文(きわめて高い評価を得ているはず)がいくつか見つかるはずだ」というものだった。
 だが、少なくともアメリカでは、それに該当する人物はいなかった。

 マーク医師たちが驚いたことに、プロットが来てから、重度病棟の患者たちは周囲の人間とのコミュニケイションができるようになり、失われていた記憶を回復し、幻想や妄想が薄れていった。彼の身体から、見えない電磁波あるいは健康を回復する波動が発生しているために、周囲の人間たちの(もちろん「健常者たち」も含めて)の心身の障害や苦悩が取り除かれていくようだった。
 彼は、地球人の理解を超えた「宇宙人」で、特別な「治癒力」「癒しの力」があるのだろうか。

 ところが、しばらくすると、プロットは、「あと少したつと、地球上での目的=任務が完了するので、光の波動に乗って故郷のK-パックスに帰還しなければならない」と言い出した。
 プロットはどこかに出ていくつもりだろうか。

 マーク医師は、プロットとの会話を続けるうちに、アメリカ国内の地名を聞きだした。そこに住む男が、プロットの友人で深刻な苦悩を背負っていたが、会って癒しを与えたというような話だった。
 プロットは、その場所に以前住んでいた可能性がある。そして、何かの事故や事件によって、過去の記憶を失って流浪し、ニュウヨークにやって来たのではないか。マークはそう考えて、車を飛ばして、その地に行ってみた。

 その場所は美しい草原と林がある地方だった。
 その地の警察官(保安官)によると、数年前、その地に美しい妻と可愛い娘とともに暮らす男がいたという。だが、その家族は暴漢に襲われて妻と娘が暴行を受けて殺され、男も重傷を負って川に落ちて流され、行方不明になったのだ。
 その男は、大学出のインテリで田舎で穏やかな生活を楽しんでいたという。数学や物理学、天文学が得意だったようだ。
 名前は、ロバート・ポーターで、失踪者捜索を続けてきたが、いまだに行方不明で、現地の警察では死亡して川に沈んだ可能性が高いと判断していた。
 
 ニュウヨークの病院に戻ったマーク博士は、プロットに、家族を暴漢に残酷に殺されたロバート・ポーターという男を知っているかと尋ねた。
「知っている。それが救済を求めていた友人だ。私は、彼の身体を借りて心を癒した。そして、地球上の各地を訪れて観測と観察をおこなってきた。
 だが、任務は完了したので、1週間後の朝、彼の身体から抜け出して、光に乗ってK-パックスに帰る予定だ」
と答えた。
 そして、
「ここの患者のなかから、試験に合格した者1人を故郷に連れて帰る」と言い出した。
 その試験に合格し、苦悩に満ちた地球から逃れようとする患者たちが、作文やら手作りの工芸品やらを制作して、プロットのもとに持ち寄った。普段は何か目的を持って自分を制御することなんかできないはずの患者たちが、集中力を持続させて作品をつくり上げた。

 そうするうちに、翌朝がプロットの出発という日が迫った。
「試験の結果は発表しない。明日の朝、誰かがいなくなっていれば、その人が私が選んだ人です」とプロットがみんなのまえで語った。

 そして翌朝がやって来た。
 真夜中にプロットの病室に駆けつけようと計画していたマークは、つい眠り込んでしまい、気がついたときには朝になっていた。
 
 夜明けが訪れた。眩しい陽光とともにプロットの身体が揺れて、倒れ込んだ。
 駆けつけたマーク医師がロバート・ポーターを抱き起こした。ロバートは完全に記憶を失っていた。
 彼の身体=心のなかにいたK-パックス星人=プロットは消え去っていた。

 彼とともに消え去った患者はいるのか。
 医師や患者たちが、いなくなった物を探していると、老衰と認知症が悪化していた老人が1人、息を引き取っていた。
 患者の1人は、「彼がプロットが連れていくと決めた人なんだ」と結論した。

 先ほどまで、ロバートの身体と心に生きていたプロットとは何者だったのか。本当にK-パックス人なのか、それとも彼の脳の奥に眠っていた別の人格だったのだろうか。あまりに悲惨な現実によるPTSDを癒し(記憶から消し)、危殆に瀕した彼を生き延びさせるために、その人格が彼の身体と心を制御したのだろうか。

◆カウンターテロリズムの陥穽 その2◆

■ワールド・オブ・ライズ(2008年)■
原題 Body of Lies(多数の嘘からなる諜報組織、嘘の本体、嘘まみれの機関)
原作 David Ignatius, Body of Lies, 2007

見どころ
 邦題は「多数の嘘からなる諜報活動の世界」「嘘まみれの世界」という意味を強調するためのものであろう。
 アメリカが推進するカウンターテロリズム(対抗テロ)の中東における展開を担うCIAの活動が、虚偽と嘘、騙し合いのなかで展開されている実態を描き出した作品。
 ラングリーのCIA本部の作戦そのものが、平然と虚偽と嘘を世界中にまき散らす情報戦を発動・指揮しているため、危険な中東の作戦現場で活動するエイジェントたちさえ、自分たちの周囲で繰り広げられる動きのうち、何が嘘(見せかけ)で何が真実・事実なのか見極めがつかなくなっている。
 そのような対抗テロの諜報活動の実態を暴き出した秀作である。
 この作品は、真実と嘘、CIA本部の幹部の官僚主義ないしは政治的マヌーバー(CIA内で自分の立場を強めようとする奇襲的に巧妙な立ち回り)と作戦現場のエイジェントの苦悩、ハイテク情報装置と生身の人間、欺瞞と誠意…などという2つの極の対比・対照によって、独特の構成になっている。

 ロジャー・フェリスは、イラクで破壊活動を繰り返す、アルサイードと呼ばれるテロリスト(指導者)の割り出しと所在確認、逮捕もしくは殺害の任務についていた。ラングリーからこの作戦を指導するのは、作戦部長のエド・ホフマン。やり手で切れ者の評判が高いが、陰険で自分勝手、傲慢不遜な官僚ポリティシャン(政治屋)としてもその名が通っている。
 快適なラングリーのオフィスで、CIA局長やら国務省の顔色を見ながら決定・発動される作戦は、往々にして、血まみれのイラクの都市や砂漠の作戦現場の具体的状況への配慮を欠いている。だが、CIAの指揮系統のなかでは、政治的に上位に位置づけられたホフマンの作戦指揮への批判や反論は許されない。
「この俺が、世界の秩序と平和を守ってやっているんだぞ!」
 これがホフマンの日頃の言い草である。
 イラクの現場で、軍事組織の情報系統の末端に置かれて、つねに命の危険にさらされながら活動するフェリスは、CIA本部の気紛れな作戦変更や現場の状況・要望無視を嘆きながら、軍事的・政治的目標の達成を迫られている。

 フェリスは、アルサイードから自爆テロを命じられて組織からの離脱を望んでいるニザルというインテリ青年から、身柄保護とアメリカへの亡命(移住)を条件にアルサイードに関する情報を提供したいという申し出を受けた。フェリスは、ホフマンにニザルの保護を要求したが、にべもなく拒絶され、「イラクの若造の1人や2人の命が何だ。強く出て口を割らせろ!」とはっぱをかけられた。
 だが、CIAによる身柄保護の条件を拒否されたニザルは憤慨して、情報提供を拒否した。
 その揚げ句、テロ組織のメンバーに襲われて殺害されてしまった。そして、CIA本部の協力拒否にもかかわらず、個人として何とかニザルを保護して誠意を見せたいと行動したフェリスは、テロリストのメンバーに身分を知られてしまった。
 アラブ・中東地域の現場とラングリーとでは、価値観や価値判断の基準は天地ほどよりさらに大きく隔たっている。フェリスは、バグダード近辺でイラクの民衆と社会に溶け込んで、協力者や現地での部下を確保しながら、作戦遂行に必要な情報の収集を進めている。そこでは、現地の民衆や協力者・部下との信頼関係や信義が何よりも求められる。
 大学からアラビア語とアラブ文化を学んできたフェリスの心の底には、アラブの民衆や歴史への共感や敬意があった。ところが、ラングリーの本部の幹部ときたら、アラブの民衆は抵抗テロ戦を展開する「チェスボード」の上の捨て駒にしか見ていない。要するに、何より大事なのは「自分の業績」と「予算=権限の拡大」なのである。フェリスもイラクの民衆も、そういう官僚組織のなかで出世の手段にすぎない。
 かくして、ホフマンはフェリスを無視してアルサイードの隠れ家追跡の作戦を展開した。その作戦は、CIA工作員としてのフェリスの正体がテロリスト側に筒抜けになる結果を招いた。
 それでも、フェリスたちはテロリストのキャンプを見つけて攻撃して、山のような資料(書類やCDなど)を発見した。ところが、敵はRPG(ロケット弾)でその隠れ家を攻撃して、資料の大半を灰と燃え滓にしてしまった。しかし、燃え残った資料から、アルサイードがヨルダンに潜伏している可能性が判明した。

 そう、まさにホフマンとラングリーの本部は、はるか上からフェリスたちの活動を「見おろして」いるのだ。偵察衛星や無人偵察機を作戦現場の上空(2000メートルから1万メートル)に飛ばして、地上での動きを完全にスキャニングしているのだ。そうしながら、フェリスたちに、偵察システムによって察知した敵の接近や罠の危険性を知らせているのだ。
 だが、狡知に長けた敵=テロリストの場合には、絶えず上空にも目配りをしているから、上空で銀色に輝く者を発見したなら、ただちにCIAやアメリカ軍の存在・展開を察知してしまうことにもなる。

 バグダードでの立場が危うくなったフェリスは、ヨルダンに活動場面を移すことになった。

 この間に、ヨーロッパでは、アルサイードが率いるテログループによるものと見られる大がかりなテロや未遂事件、爆発事件が発生した。
「この俺が世界の平和を守っている」と自負しているホフマンは、アルサイード逮捕=抹殺に躍起になって、フェリスにさらに大きな圧力をかけるようになった。もちろん、フェリスからの応援要請には、すげない返事を続けている。

 さて、フェリスはヨルダンでアルサイードの所在を探るために、ヨルダン国家情報総局(GID)の局長、ハーニ・サラームと会って協力を要請した。サラームはフェリスに、「CIA本部や「お偉方」の方針は信用しない。彼らは、自分たちの都合ばかり考えて、われわれとの信義や約束を大事にしないからだ。だが、君とは信義と誠意をもった関係を築きたい。われわれの権限を無視するような作戦は許さない」と明言した。フェリスは、イエスと約束した。
 サラームは、情報総局の情報網をつうじて、フェリスがイラクで民衆や協力者との信義誠実を貫いてきた男であるという情報をすでに得ていた。
 だが、ホフマンは、ここでも「騙し合い」「出し抜きあい」を繰り広げようと考えていた。しかも、その計略がフェリスを犠牲にするかもしれないリスクを無視して、フェリスの頭越しに部下を脅してホフマンに協力させて、実行した。当然、ヨルダンの秘密情報機関のサラームをも騙して。
 前回、フェリスが湾岸の首長国の王族の金融顧問に偽装して、アルサイードの近づこうとする作戦は失敗した。
 案の定、現地の具体的状況を知らずにラングリーの安全で快適なオフィスの机上で案出したその計略は、失敗した。で、今度はアルサイードよりも巧妙なテロリスト集団を偽装して、サイードにライヴァル視させて接近させようという作戦だった。だが、これも失敗。
 
 その結果、フェリスはCIAの本部からも無視され、しかも彼が属するCIAはサラームを騙しその権限を踏み破ったということになり、サラームから大きな憤慨を買ってしまった。ディレンマ(板挟み)になって苦しむフェリス。

 そんなフェリスだが、ヨルダンのパレスティナ難民キャンプで献身的に働く女性看護師、アイシャと出会った。アイシャはイラン人で、姉とともに、頑迷なイスラム革命体制からの迫害を逃れてヨルダンに移住し、そこで看護師として難民の救護・保護にあたっている。
 フェリスは、そんなアイシャを愛し始める。

 ところが、フェリスとアイシャが親しくなったことから、謀略が動き始めた。
 イスラム過激派と思しき集団がアイシャを拉致して、彼女の解放と引き換えにフェリスが自ら身を差し出せ、と要求してきた。フェリスは、自己犠牲を覚悟して、テロリスト集団の指定した砂漠に出向いた。
 すると、この事件を嗅ぎつけたアルサイードのグループがフェリスの拉致または殺害を企んで介入してきた。2つのテロリスト集団に挟撃されたフェリスが絶体絶命かと覚悟したところ、じつはアイシャを拉致した集団はサラームが率いるヨルダン秘密警察の偽装で、アルサイードをおびき出すために、偽装を仕組んだのだ。
 アルサイードたちは、罠にかかり、殺されるか捕縛された。
 ヨルダンの情報機関がCIA=アメリカを騙し、出し抜いて、テロリスト集団のボスを捕縛し組織を壊滅させたのだ。CIAとホフマンは、国債諜報戦の舞台でコケにされたわけだ。
 あとで、事実を知ったフェリスは、虚偽と虚言、偽計にまみれた中東でのスパイ活動がすっかり嫌になった。とはいえ、CIA工作員の活動が嫌になったのであって、中東が嫌いになったわけではない。

 フェリスが選択した決断は、CIAをやめて中東に根を張って、アイシャと民衆とともに生活しようというものだった。凄腕の部下(捨て駒でもある)を失うことになるホフマンは、おだてたり宥めたり、脅したりして慰留したが、フェリスは歯牙にもかけなかった。
 アメリカの対抗テロ活動よさらば!

 痛快な終幕ではないか。








 




 
 

 


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