「原発事故はなぜくりかえすのか 高木仁三郎著」の第4章です
ここでいう「公」とは、公共という意味に近く、人間の持っている個人を超えた
ある種の普遍性のことを意味するといいます。
そういう意味で企業の社会的責任や、大学の社会的責任を云々する以前
に、それに携わる個人個人の基本的な倫理として、ある種の公共性をすべ
からくわきまえていなければならないと論じます。
高木さんは言います、原子力資料情報室は定款で脱原発を目指すとうたっ
ています。私たちはこの定款を変えるつもりはない、しかし、科学技術庁の
役人からは、国の基本的な方針は原子力推進であり、それが公益なのだ、
脱原発というのは公益に反するといわれたと。その際、引き合いに出さ
れたのが原子力基本法だというのです。
高木さんは、原子力行政を批判することによって、より健全なエネルギー政
策のあり方について提言できるのだと。
ここではっきりしたのが、公共性とは政府の政策に盲目的に従うのではな
く、より高次元の視点から人間としての生き方を基準にして自由な意見を述
べるくことだというのです。
高木さんがご存命の時に原子力基本法が根拠として使われたとありました
が、つい最近、自公民の合意によって、文言に「安全保障」的追加変更がな
されました。これまた憂慮すべきことです。
今の政治はこの高次元の人間性、倫理性に基づいて政策を決定していると
は到底思えません