クレムリンで囲まれている修道院
スパソ・エフフィミエフ修道院
クレムリンとは城砦のことで外敵から教会や人々を守るために作られました。ここが入り口です。
スズダリは、9世紀頃に誕生した町と伝えられています。町は12~13世紀にかけて繁栄しますが、1238年にウラジーミルと同じくモンゴル軍に征服されてしまいます。絶えず攻めて来る外敵から町を守るためにもこのような城砦が必要だったのでしょう。
スパソ・エフフィミエフ修道院
鐘楼のベルコンサート(鐘の演奏)を聞きました。木々に囲まれた教会から青い空に向けて爽やかな鐘の音が流れて行きました。こういうところでゆっくりと過ごしたいと思うのですが・・・・・ツアーは時間が限られていますからね。10分で終了です。
この鐘楼、ソビエト連邦崩壊後、ロシアで最も早く復活した鐘として知られています。宗教が否定されていたソビエト時代、教会の鐘は「地上と天国を結ぶもの」とされて徹底的に破壊されていたのです。(NHK世界遺産より
教会の鐘の音を聞きながら、若い子供連れのカップルに見とれました。 パチリ!!
教会の中のフレスコ画の素晴らしいこと。フレスコ画は湿気に弱いので教会の窓は小さく、そこからの光がなんとも言えない神聖さをかもしだしていました。
クレムリンから出て、土手のような場所から見た
ポクロフスキー女子修道院 です。 塀で囲まれた尼寺です。
川を挟んだ対岸にあり、ピョートル大帝の最初の妃がここで暮らしたそうです。彼はドイツから嫁いできた高貴な身分の妃と相性が悪く、すぐに離縁して、彼女をこの寺院に送ったと言われます。
尼寺に行け・・・・・・・・ 高貴な方が離婚したり離別した場合にこういう女子修道院に入って余生を送る事は普通にあったようですね。
ピョートル大帝がその後にお付き合いした女性は、宮殿の下働きの女性で、後のエカテリーナ1世です。身分の低い女性がお好みだったのかどうかは判りませんが、後に二人は結婚して彼女は女帝になるのですからただのシンデレラガールではなかったのは事実みたいです。
そう言えばプーチン大統領がモスクワにあるクレムリンの劇場で観劇後に離婚発表をしましたね。表向きは奥様が公に出ることが嫌い・・・・・・・真実は判りません。
現地のロシア人のガイドさんに質問してみました。
「プーチン大統領は2回目の当選ですが、国民の皆さんは彼が好きですか? 彼の政治的手腕を信頼していますか?」
ソ連の社会主義体制が崩壊する頃、ロシア人は非常に過酷な生活をしたそうです。物価が恐ろしく高騰してハイパーインフレ、そして給料の不払いなど。モスクワのスーパーから物がすっかり消えたニュースをテレビで見たのは、ソ連時代の事でしょうか。
混乱したロシアはその後、経済も立ち直りました。 「プーチン大統領の政策が功をなしたのは事実ですが、プーチン大統領のほかによい候補がいなかったから。』 あっさりと彼女は言いました。
プーチン大統領の率いるロシアは、これからどのような進路をとるのでしょうか?
彼の政治に不安を感じて奥様は離婚を決意したのではなければよいと、改めてこの修道院の画像を見て思います。