ゆったりと生きたい

私も若くないし~~~
しんどい時もあるけどゆっくり生きようと思う。
日記代わりのブログです。

ハハ様のセリフ

2011-05-23 | 家族
ハハ様、機嫌が悪い。
『私がそんなに邪魔だったら養老院でもどこでも入れてくれ・・・』そんなことを急に言いだす。
自分の靴を何処にしまうかで箱に入れたり出したり・・・何回も同じことしている。
しまいには自分でもじれったくなったのか大声を出して靴の入った箱を私に投げつけた。
『あんたはいつも意地悪をする。』と言う。
私は何もしていないと思うのだが。


今朝、ディの出がけに用意しようとしたら買って上げた靴が見当たらなかった。
ディに出かけた後、隠しそうな場所を見たが見当たらなかった。

ディから帰って来た時に靴の事をちょっと聞いたら、びっくりしたような顔をして、何処にもしまってない・・・と言いながら自分であちこち探し始めた。
やっとのこと靴は押入れの奥の方から見つけた。
『いつも履く靴は下駄箱に入れて置けば・・・』と私が言ったのが気に入らないらしい。
自分の靴は自分がきちんと管理するからあんたに指示されたくないとさっきから靴を箱に入れたり出したりしているのだ。
そんな簡単なことも一人で出来なくなってじれったがって機嫌が悪いのだ。


最近は通帳や印鑑を私が預かっているのでお金がないとか言わなくなったが、
何故かいつも使っているバッグや洋服、そして靴まで隠す。
一人で身支度も十分出来なくなっているのだから分る所に置いておいて欲しいのだが・・・・。
特にお気に入りらしい靴を隠したがる。


3年ぶりで花をつけてくれた君子ラン



『養老院にそんなに行きたいなら探しておくから。』と私も言った。


デイに行く日はいつも必ずごねる。、
ベソをかきながら家にいたいと言ったり、私にも一緒に付いてきて欲しいと言ったり・・・・
従業員がえこひいきするから行きたくないと。
まるで子供のようになって私を困らせる。
養老院にでも入ってくれたらどんなにか心安らぐ楽な生活が送れると思うのだが。

自分で養老院でもどこでも入れろと言ったくせに、今度は
『このうちは私の家だ。あんたたちが勝手に入って来たのだから、あんた達が出て行け。』と物につかれたような怖い顔をして言う。
『今、出て行かれたら、困るでしょう?』と言うと『ちっとも困らない。死んだって構わないからほおっておけ。』と大きな声で言い返してくる。


『あっ、そうなの。それじゃ私、もう何もしないから自分ひとりでやってみて。
一人でやれるなら私が安心して出て行くから。』と言った。

いつまでも相手をしていると私が壊れる。
むしゃくしゃしするからこういうときは食べるか買い物が憂さ晴らし。
それにしても雨も降っているし・・・帰りの荷物が困るし。
そう思って歩くことにした。
ちょっと離れたところにあるディスカウント店まで散歩がてら気分転換をした。


ちょっとしたことで啖呵を切るようなセリフになって絶縁状をたたきつける。
今日の所は、親子の縁を切れというセリフは出てこなかった。
私が外に飛び出さなかったらきっとこのセリフも出たことと思う。
このセリフは母の口癖のようなもので、亡くなった父との喧嘩でもよく耳にした。

『縁を切って何でもしてくれ。』

   親でもなければ子でもない。』


今となっては誰も世話をしてくれる人もいないのによくそんな風に言えると思う。

人を傷つけるような言葉を吐いた後は何故か落ち込むのがいつものパターン。
これで1週間くらい大人しくしているだろう。
自分の部屋に閉じこもり口をきかなくなる。







あずみ苑

2011-05-19 | 家族
今日はハハ様のディの日であずみ苑に行く日だった。
9時頃迎えに来てくれるのでそれまでハハ様の外出する支度を手伝わなければ・・・・

普通なら楽勝なんだけど・・・・ちょこっと寝坊してしまった。

急いでハハ様のごはん支度をした。
小食になっているので栄養価のあるものを食べさせたいのだけど・・・
ハハ様、すでに朝食済みだった。
冷蔵庫の中のものや果物、パンなどを適当につまんでおしまい。。
悪かったなぁ~~~。


あずみ苑のことを告げて外出の支度をしようとすると、
『行かない。行かない。』とのいってんばりだ。

『お風呂のために遠いところへ行くことなんかないじゃないか。』と言う。
近くに銭湯もあるし、家にもお風呂はあると言う。
そりゃ~もっともだけど、家のお風呂は嫌いで、何日も入らなかったり、
みかねて銭湯に時々はお付き合いするけれど・・・・私だって大変なの分って欲しい。
『一人では銭湯へも行けないじゃない。』
内心、私はそう反論するけど・・・・忍耐、忍耐。

『遠くから迎えに来てくれるだから、あずみ苑でお友達とお話したりして楽しんだら・・・・』と私。

『お金かけてもムダだからそんなに使わないで欲しい。』と言ってベソをかく。

昔からお金を使うことは罪悪みたいに思って節約してきたハハ様だ。
認知症が出はじめた頃からは更に出費を嫌うようになってきたハハ様。
私たちもハハ様がまさか認知症になっているとはずっと気付かず、
おかしなことをやったり言ったりするので私たちとの生活もギクシャクしてしまったことが沢山ある。
妹の家族や親類も以前は一人でも行き来していたのに何故か15年以上もあまり関わらなくなってしまっている。



ブルーベリーの花


『お金を使ってまでそういうサービスを受けたくない。』と言うハハ様。
こうやって、毎朝のようにディに行く朝はごねている。
ときに私の説得が通らずに休んでしまうこともある。
私は苦笑いをしながら無言でハハ様のバッグを詰めた。









私流の家計簿

2011-05-17 | 独り言
私は結婚以来、約35年家計簿を付けています。
大雑把に言うと、子供の頃からお小遣い帳を付けていました。
最初は、お財布の残高を把握するだけで出費した金額だけを記していました。

食費とか洗剤などの区別もせずに買ったレシートを頼りに、その金額だけを書いていました。
○○スーパー○○円、電気代〇○円って感じです。

付け方も家計簿も時の流れに伴い変化しましたが、
今は『明るい暮らしの家計簿』を使用しています。
気に入って25年以上同じタイプを使っています。

この家計簿は銀行のサービスでゲット出来ましたが、
最近では、頂ける銀行もないので購入しています。450円なり。



私の家計簿の付け方はとても大雑把です。
スーパーのレシートは購入品の名前まで分かるようになっていますから、
レシートで財布が膨らんでくると週1回くらいの割で書き込むので負担になりません。
付け方はシンプルでやはり○○スーパー○○円って感じで書いています。
ちなみに、今では現金は財布に余り入れて置きません。
ほとんどカード払いにしていますから、家計簿はカード払いの請求時に備えて付けているような感じです。
項目によって数字が決まっていますから、食費だったら⑤って数字の前に書いておきます。
電気代でしたら光熱費の⑦で美術館や映画を見に行ったときは教養娯楽費⑫って記入します。
この数字が後で集計する時に役立ちます。
銀行引落としの項目は月に1回くらい記帳してもらった時に、電話、電気、ガスなどと分かるので樂ちんです。
細かく数字を書くことに神経質になって長続きできないのでは意味もないですものね。
私流でお財布の中身と数字がピッタリと合うことは期待しません。
千円単位で合えばよく出来たと自分を褒め、時に万の単位で残高が合わないこともあります。
きっと、レシートをなくしたり、もらえなかったものだと思いますがあれこれと記憶をたどり記入漏れを探します。
けれど過ぎてしまったことを思い出すのって難しいですものね。
だから少し考えてそれ以上は追求しません。
合わない数字は最後の日に不明分として特別費⑮に記入しておくのです。
とても、大雑把な家計簿だから長年続いたのでしょうね。(笑)

月が変わったらそれらの数字を集計して1カ月の家計の中身をチェックします。
食費と特別費⑮の数字に一応、気をつけています。
特別費⑮は、旅行へ行ったり、耐久消費財などの購入、冠婚葬祭などもそこに入れてます。
そして用途不明分にも当てていますから特別費はとても範囲が広いです。

その他の出費は月ごとに多少の違いはあるけれど一年間を集計するとほとんど変わらないですね。
この集計をパソコンでするようになって家計の中身を把握することが簡単に出来るようになりました。
予定やちょっとしたメモなども書き込んでいるから日記がわりにもなっています。
夫や私の収入、そして支出を数字に残すと平凡な生活でもいろいろな出来事があったことを知ります。


こんなアバウトな家計管理でも全く秩序のない家計よりましだと私は思います。
中には、家計簿を付けてもお金が余計に溜まるわけでないし、
面倒だし、時間の浪費だと言う人もいますが・・・・・・。

現在の家計を把握することで将来の予算を立てるのに役立ちますし、大きな買い物をする時などはかなり役立つと思います。
例えば・・・・土地や家、車の購入などの購入計画に役立ちます。
ローンを組む時にも計画を立てやすいし意外な出費と思うような事態に陥らず備えやすいです。

企業は決算報告のために帳簿を付けているのですが、
家庭もある意味では一企業だと思いますネ。

不況で経営が破綻して倒産する企業も増えています。
我が家も本格的な年金暮らしに備えて破産しないように心がけねばと思っているこの頃です。

家計簿は立派な帳簿です。








私たちは今までにローンを組んで家を建てたり買ったりしました。
20代は、家の改築。
30代には土地つきの建売住宅を買いました。
40代には家の改築をしました。
50代ではマンションを購入しました。

そのほかに、夫が作った借金、約1千万円の支払い。
家族が病気のため10カ月の間個室入院。そして亡くなりその治療費、葬儀費用に約、1千万円。

収入は決して高給とはいえない夫と私のパートだけ。
多少、お互いの実家からの援助もありましたが、計画的に生活が出来たのは家計簿があったおかげと思います。

今ではそれが証拠のようになって夫は何も言えません。キャッ(*^^)vハハ
数字で残るってすごいことと思います。











イベントの月

2011-05-15 | 独り言
五月は我が家ではイベントの多い月だ。
気持ちの良い時期だし行楽にも出かけたい月だ。

子供の日、母の日、結婚記念日と行事と記念日も目白押しだ。
4月末には、毎年五月人形を出してこれからの1年間の無事を又、祈る。
いくつになっても子供は子供で特に母親にとっては分身でもあり一番の身内だろう。
30代後半に突入したので早く身を固めて欲しいと母は願ってはいるけれど・・・・
誰でもよいわけでないし、持ち前ののんびりやを通してもいいからよい人を見つけて欲しい。

5月6日は37回目の結婚記念日だったが、よくここまでもったものだと思う。
ごく普通の私たちにもいろいろなことがあった。
夫婦の危機を感じたこともあった。
22歳の時に出会い、きょうだいのような感じのまま結婚した私たちだった。
結婚する時より離婚の方がエネルギーがいるってよく聞くけど私もそう思う。
元は他人同士だけど40年も知り合っていると何だか、血のつながった本当の肉親にさえ思える。
ハハ様の介護するにも夫の協力も必須で私も感謝している。
これからはますます夫の出番が必要になる予感もするから大切にしなければねぇ~~。



夫の方は・・・というときわめて不可解な人物で心の中は語らないし読めない。
若い頃、ハメをはずしすぎていろいろあったからと懺悔のつもりなのかこの頃はとても協力的だ。
まるで生きたお地蔵さまと暮らしているように思えて私も手を合わせなければ罰が当たるかも。
いつもニコニコと笑っている私を見守ってくれるとも、無視してるともとれるように感じる・・・何とも不可解な人だ。
夫は、『自分はきわめて単純な人物で何も考えていない。』と言っている。
それが事実で何もかんがえられないのかも知れない人なのだろうと私もこの頃思う。

私のハハさまは90歳になり、親戚で一番の長寿を記録しつつある。
自分だけは年をとって病気になったり介護を必要とするような立場になるとは思っていなかったと言う。
親のお世話もすることもなかったからハハ様にとっては老人とはどういものか想像もしなかったのかもしれない。
日々の生活に追われ、ゆっくり自分の老後を考える余裕がなかったのが事実かも知れないけど。
気も強く『私は一人で生きてる。』が口癖のような人だった。
もしかしたら、介護2と判定された現在でも、一人で生きている
と思っているかも知れない。
ハハさまが60歳の頃に私の父が亡くなったのだが、その時も余り動揺しなかったし、しっかり者だったハハさまだ。



今年は各イベントの日付が接近していたから、我が家は一度に済ませた。
プレゼントの交換も嬉しいけれどあえてしなかった。
一番嬉しいのは、各々が元気でお祝いできる気持ちを持つ事と思う。
家族全員でショッピングモールに出かけて各々の欲しい買い物をしてランチをすることにした。
ちょうど、子供の日でもあってニィニィは遠慮なく買いまくり、遠慮なく食べたから笑っちゃう。
エディーバウアーのGパン、Tシャツ、そして靴二足、ベルト・・・・ニィニィと買い物をするのも久々だったので私も嬉しかった。
ハハ様にはブラウスと靴。何もいらない・・・といつものように言っていたけど、
買ったら喜んでディの日に着て行ったりしている。
夫と私は歩きやすい靴を選んだ。
皮革でも通気性があり防水性のある素材とかでこれからの梅雨のシーズンに活躍しそうだ。

そして思い出を作るために日光へ旅行計画した。
ニィニィは参加できない理由(東北ボランティア参加)があり残念。
こうやって健康で楽しい思い出が残せたからそれが一番の幸せだと思う。




ゲーム

2011-05-11 | 独り言
パソコンゲームには余り興味がないけど何故か、はまっているこのサイト

パソコンを開くとまずこのゲームをするのが私流。

そして、今日の頭の状態を判定する。

この頃、記憶力が減退しているのが気になる・・・
痴呆は60代の若い頃からも徐々に発症するのを知ったから何だか気になる。

痴呆とは昔の事を覚えていても現在の記憶が出来ない病気の事です。
脳の記憶する箇所が壊れているから新しい記憶が出来なくなるそうです。

このゲームは、日によって成果が違います。
体調によっても違います。運によっても違いますから、その日の占いにもなるかな?

ゲームの結果により私はホッとしたり心配したり。
でも、このゲームに挑戦しようと思っているうちは認知症の心配もないかもしれませんネ。


奇跡が起きたのです。

アニマル神経衰弱

益子焼き

2011-05-09 | 旅行 

膝の調子のせいで山歩きも自粛している日々です。
それでもどこかへ出かけたくなり・・・・。

以前、茨城の笠間焼の里に行ったことがあるのですが、
今回は栃木の益子に行ってみました。


益子もタヌキの焼き物で有名ですね。

5月5日が陶器祭りの最終日と思っていたが、延長したらしく沢山のテントショップも出ていました。



道を挟んで両サイドには陶器店が並んでいました。



一軒、一軒、特徴が違うので見て歩くのも楽しみです。

 

ランチの後、立ち寄ったカフェですが、ここでは
自分の好きな益子焼のカップを選んでコーヒーが注文できるので、



夫は・・・



私は・・・・



益子焼らしいカップを選んで頂きました。400円なり。ケーキセットはプラス200円。
もちろんケーキを添えて。

このコーヒーショップで益子焼のお店のことを少し仕入れるつもりでしたが彼女、笑ってるだけ。

結局、すみずみ足と目をを使って歩きまわりお気に入りを購入しました。



結局、このお店に又、戻って来て開催されていた個展の作品の展示コーナーに行きました。

お支払いが済むと、作者という人がやって来て作品の紹介をしてくれました。
記念撮影も一緒にしてもらえました。
渋みのある彼の作品はとても懐かしい気持ちがして初めて見た時から好きになりました。


個展



日本一の登り窯



お天気も最高で本当にいい日でした。


2011.05.08




日光

2011-05-04 | 家族
雪が残っていた


日光山中はもうすぐ5月だというのに残雪が見られたが、春は確実に来ている様子も感じられた。
湯滝からすぐの散策路入り口から木道をハハさまと歩いた。



樹齢何百年もたつだろう大きな木の根っこには苔がむし、しっかりと大地に根付いていた。
木道を降りて草むらを歩きたい衝動にかられながら浅い春を感じる。
ときおり、鳥の澄んだ鳴き声が辺りの空気を震わす。



夫に手をとってもらい歩く様子はまるで本当の親子に見えるから不思議。



私も親孝行のまねごとをする。






15年前の記憶をたどりながら今度は湯滝光徳牧場へと車を走らせた。
以前にひかるわんこが元気だったころにもハハさまと一緒にここに来たことがある。
那須旅行をした後、皆で日光に立ち寄ったのだ。
11月だったと思うが雪もちらつき、積もった雪道を戦場ヶ原から光徳牧場へと歩いた。



ひかるわんこが光徳沼を見つけ凍ってシャーベット状になった沼の中に入っていった。
びっくりしたことがある。
あの頃、ハハさまは平気、平気と言って普通の靴で雪道を歩いた。
それにも私たちびっくりしたものだった。





ロッジ風の店でランチを食べた。
山歩きをした後はお決まりのアイスクリームも食べた。
風も冷たくて少し肌寒い日光だったが、
日頃の腰痛も忘れて歩いているハハ様を見て連れて来て良かったと思った。

ロッジの店で牛乳せんべいと飴を欲しいと言うのでお土産に買った。


        
平成23年4月30日






鬼怒川から日光へ

2011-05-02 | 独り言
ハハさまが75歳頃だと記憶しているが、家族で日光のあちこちを歩いた。
湯本から切込み湖、刈込み湖、そして山越えをして光徳牧場へと。
それから、戦場ヶ原を歩き、小田代が原を歩いて湯の湖へと歩いた。
朝から夕方までの山歩きだった。
あの頃、ハハ様は足腰も相当強く元気だった。
若い頃、戦時中に疎開していた経験もあって、日光はとても思い入れの強い土地なのだろう。
徘徊で警察のお世話になった時などは、
日光の山の中を2,3日歩き廻っていたなどとおかしなことを言っていたことがある。
ケアマのNさんにも何かと言うと日光の話をしている。
死ぬまでにもう一度日光へ行ってみたいとも言っていた。



これから先、あずみ苑にディのお世話になり、ゆくゆくはショートステイにつなげたい気持ちもあって、
日光へ連れて行こうと思い立った旅行だった。


連休初日でもあり、高速道路は渋滞のニュースが流れていたので一般道を走った。
車中、30分ごとに
『今度、どこへ行くの?』とハハ様が聞く。
旅行をしたい気持ちはあるけど家が一番なのだろう。
『日光だよ』と答えると、不安げな顔で家に帰りたいと言う。





『日光へ行きたかったのでしょう?この間も行きたいって言ってたじゃない?
連れて行く連れて行くって言っても何処へも連れて行ってくれないと文句も言ってたでしょう?』
ハハ様
『何もさ、そう言ったからって、急に決めることないじゃないの。ただ言っただけなのに・・・・』

そして、家に置いてきたちっち猫のことを心配している。
仕事で一緒に旅行に来られないニィニィが可哀そうだと言う。

そして又、何処に行くのか尋ねるハハ様。

後ろの座席でブツブツと不平やら心配事やらずっと言っている。
いちいちそれを聞いて応対すると、こちらの神経がやられるから無視することにした。



杉並木のあたりに差し掛かかったので、教えても余り興味を示さなかった。
そして、又、いつ帰るのかと聞いている。
私はハハ様とのこれが最後の宿泊旅行になりそうな気持ちがしてきた。


部屋の窓から桜の咲いているのが見えた


宿泊先の鬼怒川のホテルは、渓流沿いの崖に建ち見晴らしの良い部屋だった。
ここに着いた時も、心配で仕方ない様子だった。
いつ帰るのかとか、ごはんはどこで食べるのかとか心配している。
そして私がいれてあげたお茶を飲むとすぐに片付けたがる。
家でないので落ち着かないのだろう。

温泉に一緒に入って、背中を洗ってあげた。
転ばないように、沈まないように本当に小さな子供と一緒にいる感じがした。
長湯するといけないとカラスの行水ですぐお湯から上がる。
脱衣場まで連れて行きハハ様の籠を教えて、バスタオルを渡してあげる。
後は、一人で出来ると思ったら・・・・・せっかく持って行った下着の着替えをしていなかった。
ギョッ!!ハハ様、着替えの仕方も出来ないみたい。
もしかして・・・・いつも同じ下着を来ている?
まさかと思うが、これから洗濯の事も気を付けてあげなければならないかも。

温泉につかった後で食欲があったのか、ぺろりと私と同じくらいの量を食べた。
温泉に入る前に、お饅頭を私の分まで食べたのに。
食欲があるからハハ様、まだまだいけそうだ。












東雲公園

2011-05-01 | 家族

 八重桜のきれいな公園



高速を使わないで走ったので、たまたま立ち寄った公園です。
東雲と書いてしののめと読む。
名前がとても風情があり八重桜が満開でした。


車いすでご機嫌のハハ様 


前日に区役所に行ってハハさまに車いすを借りて来たのは正解でした。
この頃、余り歩けなくなってきています。
桜の花を見ると寿命が延びるそうですが、今年は何回かお花見をしましたから・・・・・
ハハ様の寿命は又も記録更新で親戚で一番の長寿です。



ハナミズキ


半月ほど季節が遅れているのでハナミズキも見ることが出来ました。
ピンクのハナミズキがお気に入りです。
栃木県はやはり、埼玉より北にあると感じるように過ぎた季節を又、感じることが出来ました。



親孝行のまねごと


親孝行したい時には親はなし・・・・そう言いますよね。
私、いつもそう言い聞かせながら何とか親孝行をしているつもりですが、
ハハさまはどのように思っているのかしら?




花のきれいな時を精一杯楽しんだ私たちです。
黄色のパンジーにも元気をもらいました。




ちっち救出

2011-05-01 | ちっち



私たちが留守の間、ニィニィが朝、晩とちっち猫の世話に来ることになっていました。

家と外の往来はお風呂場の窓を開けてあるので大丈夫。

餌と水もたっぷりと置いて行くから2日くらいの留守は大丈夫。

今年の春は遅いけど、もうすぐ五月だし暖房なしでも何とかなりそう。

生きものを飼っていると旅行などで留守にする時、本当に心配なのですが、

ハハ様との泊りがけの旅行も2~3年していないし、去年の7月以来、夫との旅行もしにくくなっていたので思い切って一泊旅行の計画を立てました。

ハハさまはちっちが心配で心配で・・・・・・決めてからもグズグズと言っていましたが・・・・・。





旅行先の日光でランチを食べた後・・・・なんだか、私、急に疲れました。
温泉に入ったのに腰が痛むし・・・・ちっちも心配になって来ました。
実はこの時点では、ハハ様はすっかり旅行が気に入り帰りたいとは言わなくなっていましたが・・・・。


高速道路の混雑を想像すると夫も疲れるだろうし、早めに帰路に就くことに決定しました。



家に到着して鍵を開けて・・・・

アレっ!! ちっちのお迎えがない。
買い物などで少し長めに留守にするとちっち猫は2階から駆け降りて来てお迎えをしてくれるのですが。
ハハさまもちっちの姿が見えないので、ブツブツと言いながら部屋のあちこちを探していました。

2階へ行っても姿が見えません。

開けて行った雨戸が閉められていて部屋の中は昼間なのに薄暗い。

その時、
にゃ~~

という切羽詰まった鳴き声はベランダから聞こえます。

2階から部屋に入ろうとして入れなかったのですね。
ちっち猫は時々、私が2階にいるのを察してベランダに上がって来ますから。
猫って上がっても降りることが出来ないことがあるのです。
ちっち猫もベランダに登ることは出来ても降りられないので可哀そうでした。

でも、雨戸を開けて見渡しましたが姿が見えません。

その時、又、大きな声で
にゃ~~


何と、雨戸の戸袋の中から聞こえて来ました。
ちっち猫真っ黒だから暗闇で二つの大きな目がギラギラとして私を見ていました。

さて、どうやって戸袋の中から救い出そう?
一枚戸が入った戸袋のすきまは、狭くて私の片手がやっと入るくらいです。
ちっち猫、私がそばにいるのでにゃ~にゃ~と助けを呼んでいます。

ベランダの外に出て一枚戸をはずし戸袋を空にして戸袋の隙間から手を入れました。
片手がなんとか下部の方まで届きそうです。
ちっちは戸袋の奥の方で私を見ています。
おいでと呼びかけると奥の方から私の手元にちっち来ました。
それで・・・・可哀そうと思ったけど、首輪を持って持ち上げました。
『ちょっと手荒だけど許してね』そう思いながらちっちは宙づり状態。

でも、彼女おとなしくしていました。

ある程度持ち上げたら体重が首輪にかかりすぎないように左手を戸袋の隙間に入れて、
ちっち猫のお腹あたりを支え後は、グイッと引き出し救出に成功しました。



ちっちが隣家の屋根に上がってしまい降りられなくなったことがあります。
そんの時は梯子をかけて夫が彼女の前足を持って引き寄せようとすると
夫の手を払いのけなかなか救出できませんでした。
夫が首輪を掴んで引き寄せたのですが彼女、脚を踏ん張って抵抗したもので
首輪が抜けそうになりなかなかうまくいきませんでした。
あれ以来、首輪の緩みを少なくした夫です。
そのおかげかどうか・・・・・ちっち猫、私が首輪を掴んで引き上げて手早く救出が出来ました。

戸袋にはちっち猫の足跡らしき土汚れが筋になって付いていました。
ベランダから私たちを呼んでも応答もなく、ベランダの下にも降りられないので
戸袋の隙間に前足をかけて何とか家に潜り込もうと考えたんでしょうか。

それにしてもいつから戸袋の中に入ってしまったのでしょう。
ニィニィは前日の夜に、ちっちを見て2階の私の部屋の雨戸を閉めて行ったそうです。
翌朝、寄った時にはちっちがいなかったそうです。

最長は29日の夜からということですが・・・・昼間は太陽が当たると狭い戸袋の中は暑かったでしょう。

ちっちを元気に救出できて良かったです。